Web上で同性愛者という認識が根付いてしまった、ある可哀想ななろう作者の話。
「ど、どうしてこうなってしまったんだ……」
深夜二時のデスクの上で、僕は頭を抱えていた。
飲みかけのコーヒーはもう温く、瞼もしぱしぱするくらいには眠気が少し僕を誘おうとする。
けれどそれよりも目下の問題を片づけないことには仕方がなかった。
他人が見れば、なんだそんなことかと鼻で笑うかもしれないし、興味も示さずに僕に冷たい目を向けてから立ち去るのかもしれない。
しかし、しかし僕にとっては一生に関わるような大問題であることは間違いなかった。
現実逃避して視界に入れなかった真正面の光源。僕が最近使い始めたデスクトップの液晶に堂々と映し出されるその言葉。
『I藤はホモ』
意味がわからない。
初めてそんなことを言われた時、僕の顔はひどいアホ面を浮かべていただろうと思う。
困惑が眠気と共に脳内をひっかき回し、どうしてなのかと結局結論は出ないまま。
思考硬直を経験したのは後にも先にもこの一度だけだろうと思う。そのくらい、眼前の短文は燦然と僕の部屋を、まるで取調室の電灯のように照らし出していた。
とにかく自分が動かないことには、僕は同姓愛者で成立してしまいかねない。
「……僕は、ノンケです、と」
まずは誤解を解かねば始まらない。おもしろ半分でやっている人間にはともかく、初見の人間から男色だと思われてはたまらない。
某SNSで、新たな通知が鳴り響く。見れば、僕宛に先輩作家からのメッセージだ。
「ホモはうそつき!」
「やっぱりホモじゃないか!(歓喜)」
「さっすがI藤先輩!! K○Rと仲良くしてください!!」
「どうしろって言うんだ!!!!」
思わず画面に向かって叫ぶ。
落ち着け、今は夜中。親も眠っている時間だ。
どういうことだ。
同姓愛者ではないと否定すれば「ホモは嘘つき」と喜ばれ、ちょっと待てと留めれば「やられてしまう♂」とまたしても喜ばれる。
だからと言って黙っていると見る見るうちに広がる同性愛者I藤を見守る会。
なんだこれは。新手の孔明の罠か。
取り返しのつかないことになっているようなこの状況に冷や汗が流れる。
やはりおもしろ半分で友人の案に乗り、安易にネタキャラにしたのがよくなかったのか。
アッーイフジがまずかったのか。
焦燥に手足がすくみ、自然と指の末端が冷え込み震えてしまう。
『I藤さんってホモなんですか?』
やめてくれ、そんな純粋無垢な質問を、今の僕にぶつけないでくれ。
「……い、い、え、滅、相、も、あ、り、ま、せ、ん」
返信を一文字一文字タイプしていく。とにかく初見にまでそんな風に思われてしまっては、彼らはとてもではないがまともな目で僕の作品を読んではくれないだろう。
地道に、地道に。
切迫した状況に息を詰まらせながら、指を震わせて文字を打つ。そんな事実はない、と知らせなければ。
よし、書き終わった。あとは送るだけ……!?
『I藤はホモ、はっきり分かんだね』
『あ、やっぱりそうなんですか?』
『そそ。この前も男を部屋に連れ込んでたよ』
おおおおおおおおいいい!! 何をやっている我がフォロワー共!! 何を吹き込んでいる!!
僕が!! 必死で!! あれだけ震える指を制しつつ書いた血潮のごとき文面を!! 読ませもせずに討ち滅ぼすとは外道め!! 外道め!! ヤギか貴様ら!!
あと男を連れ込んだってどういうことだ、聞いたこともねぇっていうか貴様らは僕の家など知らないだろう!!
いくら僕がここで慟哭の如き咆哮をあげようとも、画面の向こうには伝わらない。
このままでは僕は本当に男色家として社会に認識されてしまう。
何がまずかったのか。男の娘系の薄い本を秋葉で買ったのがバレたのか。などと、どう考えてもバレようの無い事実にまで過去に思いを走らせるほどに僕の脳内は混乱していた。
……男の娘系の薄い本なんか買ってない。そんな事実はない。
混濁した頭の靄を振り払うようにかぶりを振って、それでもなお画面の向こうに潜む魔物との対決準備は整わない。打開策が無いのだ。
何を言っても今は追いつめられるだけ。ネット上の暴力に、膝を屈するしか道はないのだろうか。
ふと、そんな僕の脳内に一筋の光明が差した。
そうだ、いじめでも、らくがきでも、いたずらに対してもっとも有効な手段があるではないか。
スルーだスルー。ほっとけばきっといつの間にか。人の噂は七十五日というし、大丈夫だ。
そう考えた瞬間、ふ、と力が抜けた。
せいぜい今は君たちもその話題で盛り上がっているがいい。炎というのは燃料が無くなると自然に鎮火するものだ。ほとぼりがさめるまで、僕はおとなしくしていよう。
そう、雌伏の時だ。
おとなしく物語だけ更新して、そのまま時期を待てばきっと、大丈夫。
人の噂も、七十五日。
そのときの僕はそう、思っていた。
七十五日というのは、だいたい二ヶ月半くらいだろうか。確かに諺というのはよく出来ているもので、その頃には少し僕を特殊性癖と断ずるような人間の数は減ってきたように思えた。
そう、戦況はこちらに流れが傾きつつあるのだ。
いずれこのまま僕を「同性愛者」などと吹聴するような人間は淘汰されるに違いない。
そうすればきっと、僕は救われる。
訳の分からない性癖をふっかけられて、押しつけられている時代はやがて晴れ間を見せるのだ。
僕は穏やかな気持ちでデスクに腰掛け、あつあつのコーヒーを飲みながらデスクトップを開いた。
そして、デスクトップに熱々のコーヒーをぶちまけることになるのである。
あの忌まわしき動画の誕生だった。
「総統閣下は「魔○戦記」作者I藤の世間の認識にお怒りのようです」
なぜだ。どうしてこうなった。僕は毅然として堪え忍んできたはずだ。やっと下火になった噂に胸をなで下ろし、数分前までは優雅にコーヒーを飲んでいたのだ。それがどうしてこうなった。
何者の罠だ。時間差攻撃だと? それもこの二ヶ月という緩慢な時期を付け狙って? 冗談じゃない。どこの策士だ。
震える指で動画の再生ボタンを押し、追いつめられて動悸の激しくなった心臓を抑制しつつ視聴を開始して、数分後、昼下がりの日光に当てられながらチェアーを倒して真っ白に燃え尽きていた。
……なんだよあの動画。総統ちゃんと僕をフォローしろよ。
あとムーンライトに書くなんて一言も言ってねぇよ。
しかも結論結局僕が同性愛者になってるじゃないかいい加減にしろよ。
「……どうなってるんだ……いったい……」
開いたツイッターのタイムライン画面では、我がフォロワー共がとても楽しそうに視聴終了報告を垂れ流していた。
『誰だこんなの作ったのwwww』
『さっすがI藤先輩やwwww』
待ってくれ。待ってくれみんな。
僕を置いていかないでくれ。当事者のはずなのに僕だけが世間から置いていかれている。
なんで僕が同姓愛者なんだ。どうなったらそんな結論に至るんだ。
『ケツ論?』
違う、そうじゃない。
どうしてそういう発言にだけ敏感なんだ。
僕になぜ、こんな疑いがかかるのか。言動? 行動? どれをとっても僕に落ち度はなかったはずだ。
おかしい。
きっと誰かが無意味に僕をイジって遊ぶ為に違いない。頭を抱えるしかない、八方塞がりの状況だった。
しかし。
そのノリが現実にまで回ってしまったのだろうか。
ホワイトデーが土曜日であった為、次の平日は月曜日。
ふと、後ろを振り返る。
カレンダーと、そして僕の部屋の、ソファ横のサイドテーブルが目に入る。
テーブルの上には、包装された、女の子へのお返しと……。
やっぱり男にも返した方が、いいですか?