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●7 襲来する幼馴染み





「……話をまとめるぞ。つまり――」


 ソファに座って腕を組んだ夏緒は、苦り切った表情のまま瞼を閉じた。


 向かいに座っているキララとイシュタルの双方の話を合わせ、自分にとっては非常に絶望的で億劫なその事情を、簡潔にまとめていく。


「――お前達がいる未来では、人類が滅亡の危機に瀕している」


「ですから! 未来と言うより、異なる次元ですわ。そもそも未来と言いますのは時空間座標を無視した概念であり――」


「イシュタルさん、もうその話はいいよ。未来ってことでいいじゃん、そっちの方がわかりやすいよ……」


 夏緒は二人の差し出口を無視する。


「……【未来】の人類は今と違って人型でなく、情報だけの存在になっている」


「それも違いますわ。あたくし達は物理世界と仮想世界の差違を突き詰め、物理世界をこそ仮想世界にするというパラダイムシフト的変革を――」


「だからぁ、そんなこと説明したってこっちの人にはわかんないだってばぁ!」


 夏緒は二人を無視する。


「だが、情報存在として進化したことが仇になった。何が原因か分からないが、未来の〝ギンヌンガガップ〟が突然、全宇宙の【〈正常化〉】を始めた」


「そうですわ、一言に〈正常化〉と言っても段階がありますのよ。まずは内部へ吸収し、変換し、それから外部への出力……つまり、インプット・コンバート・アウトプットの順ですわ。通常の〝ギンヌンガガップ〟は非常に狭い範囲で『直接触れたもののみインプット』の段階だったのですけれど――」


「いきなりビッグバン規模でアウトプット段階までの活動を始めちゃったんだよねぇ……」


 夏緒は無視する。


「そのおかげで、物理法則を超えてしまった人類も【情報改変の一種】として〈正常化〉……つまり、消えてしまうことが判明した。お前らはそれを阻止するためにここ――過去へやってきた。それで、その阻止する方法が……」


 続きの言葉を夏緒は紡げなかった。


 彼女達はこう言ったのだ。


 曰く――この宇宙にとって何が【正常】であるかは〝ギンヌンガガップ〟が判断している。つまり宇宙のあるべき姿とは、乱暴に言ってしまえば『〝ギンヌンガガップ〟の恣意に依る世界』であるとも言える。さらに単純化すれば、〝ギンヌンガガップ〟に愛されたものだけが、この宇宙に存在を許される――となる。


 そこから導き出される結論とは、ただ一つ。情報存在として進化した人類は〝ギンヌンガガップ〟に愛されていない――そう考えるのが妥当であった。


 ならば、その解決方法は一つしかない。


 滅亡を回避するため、人類は〝ギンヌンガガップ〟に愛されなければならない。


 即ち、〝ギンヌンガガップ〟澤城夏緒に、情報存在であるキララやイシュタルが愛されなければならないのだ。


 ――ボクを好きになってください。


 ――あなた、あたくしと結婚なさいな。


 少女二人の唐突すぎる愛の告白は、つまりはそういうことだったわけだ。


 夏緒が薄く目を開くと、


「「……………………」」


 じーっ、と音が聞こえてきそうな眼差しで、キララとイシュタルがこちらを見つめていた。


 冗談はやめて欲しい。


 こんな馬鹿な話があってたまるものか。


 確かに協力してやるとは言った。実際、二人の用件が早く済み、自分に出来ることであれば、多少の無理もやむなしとは思っていた。


 だが、これはない。本気で、ない。


 スケールが大きすぎる。そして、話がストレートすぎる。


 逃げ場がまるでないではないか。


 この自分に、誰かを好きになれ、だと?


「……無理だ」


 思わず口から本音がこぼれた。途端、


「なんでさぁ!?」


「なんですってぇ!?」


 跳ね返ってくる劇的な反応。今ならわかる。人類滅亡を救うという重責――彼女達は、最初の最初から本気だったのだ。


 故に、夏緒も本気で答えなければなるまい。それが礼儀でもあり責任でもあるが、それ以上に、そうでなければこちらが負けて押し潰されてしまう。


 眼を開き、はっきりとした声で夏緒は言った。


「俺は家族を含めて、他人を好きになった記憶がない。正直、誰かを好きになるという感情がよくわからない。よくわからない、持ったこともない感情を今すぐ持てと言われても……それは無理だ」


 当然ながら、キララとイシュタルは猛然と食らいつく。


「そ、そんなことないよ! 夏緒さんだって子供の頃はお父さんやお母さんのこと好きだったはずだよ!」


「残念だが、覚えていない」


「い、犬や猫はどうですの!? こ、このあたくしが愛玩動物扱いされるのは癪ですけれど……!」


「興味を持ったことがない」


「あなた何が楽しくて生きているんですの!?」


「ちょっとイシュタルさんそれは言い過ぎだよ! ボクも一瞬そう思ったけど!」


 最後の一言は余計だろ、と思ったが黙っておく。


「なら、お前らに聞く。そう言うお前らは、両親やら友達やら、犬やら猫やらが好きなんだろう?」


「? う、うん」


「そうですわ」


 夏緒の質問の真意を測りかねてか、微妙な顔で頷く二人。


「なら、今すぐそいつらをミンチにして殺したいと思ってみろ」


 重たい沈黙が下りた。


 その静寂だけで二人の答えはよくわかった。


「――無理だろう? どんなことであれ、思ったこともないことや抱いたことのない感情を今すぐ持てと言われて、はいそうですか、と持てるなら、そいつは人間じゃない。お前らが言っているのはそういう【無茶】なんだよ」


 我ながらひどい例えだったというのはわかっている。だが、自分の心情を手っ取り早く理解してもらうためには、これが一番だと夏緒は判断したのだ。


「……だけどな」


 とはいえ、である。


 もはや今となっては彼女らの話を嘘や妄想と断ずることは出来ない。二人の不思議な力も、そして己の〝ギンヌンガガップ〟のことも、非現実的ではあるが夢でもないことを確認してしまっている。


 全ては嘘偽りない真実であり、事実であり、現実だ。


 なれば、夏緒には【その未来を変えなければならない理由】がある。否、出来てしまった。


「――俺の身体が、【未来でミイラになって残っている】っていう話は、はっきり言って気に食わない。不愉快すぎるぞ」


 そう。二人の話を聞いて、引っかかった最大のものが【それ】だった。


 驚くべきことに、キララが言うところの『洒落にならないぐらい未来』において、澤城夏緒の肉体は未だ存在しているというのだ。いかなる経緯と技術を以てそうなったのかは定かではないが、実際に未来世界ではその肉体を用いて調査および研究が行われているという。故に、彼女たちは澤城夏緖こそが〝ギンヌンガガップ〟であることを知っていたのだ。


 しかし、それは詰まる所、夏緖の肉体が未来人に『物』として扱われていることを意味する。


 そんな話を聞いて黙っていられるほど、夏緒は人間が出来ていない。否、そんな扱いを受けていると知り、それを笑って済ませられる人間がいるなら、是非ともそのご尊顔を拝見してみたいものだと思う。


 かつて、ウラジーミル・レーニンというロシアの革命家がいた。世界史の教科書にも載っている有名人だ。一九二四年に亡くなった彼の遺体は、臓器等を全て摘出した上で、ホルムアルデヒド溶液を主成分とする『バルサム液』という防腐剤を全身に浸透させ、今も『レーニン廟』と呼ばれる施設に展示されているという。腐敗を防ぐため、定期的に防腐剤を吹き付け、一年に一度はバルサム液に浸けなおす必要があるそうだ。中国の政治家だった毛沢東の遺体もまた、同様の処置を受けて毛主席紀念堂内に永久保存および一般展示がされているという。夏緒はその処置の一部始終を写真で見たことがあるのだが、個人的な感想としては『気持ち悪い』の一言に尽きた。自分の肉体が死後にこのような扱いをされた時を想像し、心底ゾッとしたものだ。


 だが、それはもはや想像ではなく、未来における現実なのだ。


 ――俺の身体は見せ物じゃないぞ。


「そんな未来はクソくらえだ。絶対に変えてやる。何が何でも」


 夏緖の強い宣言を前に、しかしキララとイシュタルはキョトンとした顔を並べていた。夏緖の言っている意味がわからないのかもしれない。だから、夏緒は念押しする。


「……だから、つまり……こういうことだ」


 一拍を置き、蒼と紅の瞳を交互に見つめてから、少年は言った。


「――お前ら、俺に惚れさせてみろ。約束通り、俺も出来る限りの協力はしてやるから」


 その台詞は少女達にとって、どれほどの威力を伴っていたのだろうか。


 二人の目と唇が『うわあ』と言いたげに大きく開かれ、その顔がみるみる真っ赤に染まっていく。


 同じく、夏緖は夏緖で、同じように赤面しないよう必死に表情を取り繕っていた。流れに乗って言ったが、冷静によく考えてみたら、とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまった――その自覚があった。


 キララとイシュタルは内心の動転を押さえ込もうとして失敗している顔を互いに見合わせ、何故か、うんうんうん、と相互に頷き合う。


「す、すごいよ、すごいよイシュタルさん! この人すごいこと言ってるよ信じられない! びっくりカッコいいよ!」


「黙れ」


「し、信じられませんわ……貴族クラスタ出身のあたくしですら、ここまで傲然たる言い草は出来かねますわ……サワシロナツオ、もしやこの男、生まれながらの大貴族ですの!?」


「うるさい」


 盛り上がっている二人は夏緒の言葉だけの制止を完全に無視して、わあわあきゃあきゃあと騒ぎ立てる。夏緒はピーチクパーチク囀る二つの唇を力尽くで塞いでやろうかという誘惑に駆られるが、それを我慢して、


「ともかくだ。要は俺がお前達のどちらか、あるいは両方にそれなりの好意を抱けばそれでいいんだろ? なら具体的な話になるが、まずはお前らのその――」


 遠慮なく人の神経を逆撫でしまくるところを何とかしろ、と続けたかったのだが、邪魔が入った。


 インタホンの音。


 つい先刻イシュタルが鳴らしたものと同じ響きに、全員が一斉に押し黙る。


 客が訪ねてくる心当たりはない。通販を申し込んだ覚えも無いが、宅配便だろうか。そう思いながらも夏緒は立ち上がり、壁に備え付けのモニターに火を入れた。


『なつにぃ、いるー?』


 画面いっぱいにポニーテールの少女の顔が映った。


 しまった、と夏緒は瞬間的に悟る。


 そういえば――と今朝、潤美が肉じゃがを持ってくるだの何だのと言っていたことを夏緒は思い出した。すぐさまテレビ台脇の時計に目を走らせると、そこには十八時四十四分の表示。日没はまだとはいえ、とっくに夕飯時だ。これといって時間を指定しておかなかったのが仇になった。完全に失念していた。


『あれ? なつにぃー? いないのー?』


 まずい。別に後ろめたいことをしているわけではないが、両親のいない家に女の子――にしか見えない異邦人――を二人も連れ込んでいるというこの状況を、幼馴染の少女に知られてしまうのは、何故だかよくわからないが非常にまずい気がする。


 もう一度、インタホンが鳴る。駄目だ。黙ったままでは埒が明かない。夏緒は意を決して通話ボタンを押す。


「……潤美か?」


『あ、よかったー、なつにぃいたんだ。約束どおり肉じゃが持ってきたよー、開けて開けて』


「悪いが、今ちょっと手が離せないんだ。折角来てくれたのにすまないが、そこに置いて帰ってもらえるか」


『え? 何で? 電子ロックなんだからそこのボタンで開けられるでしょ? 忙しいなら、開けてくれたら冷蔵庫に入れてすぐ帰るから、気にしなくていいよ?』


「いや、説明はできないんだが、そのボタンを押すための手が塞がっているんだ。本当に悪いんだが――」


 なんとか丸め込んで潤美を帰らせようと苦心している夏緒の背後から、


「どなたですの? 客人でしたら、あたくし達に遠慮などせずに「わああぁっイシュタルさんイシュタルさん空気読もうよ空気っ!」


『……あれ? なつにぃ? 誰かお客さん来てるの?』


 全ての目論見が水泡に帰した瞬間だった。


「……………………」


 背中から撃たれた格好の夏緒は、後で必ずイシュタルを懲らしめてやると心に決めつつ、この場をどう凌ぐか頭を巡らせて巡らせて、


『――っていうか、今の声、女の人……だよね……?』


 いきなり潤美の声がぞっとするほど低くなった。


 夏緒の脳裏に警告信号アラートが鳴り響く。


 やばい。何だかよく分からないが、とにかく不穏な空気が近付いてきているのがわかる。この熱帯低気圧が台風に成長しきってしまう前に、止めなくてはならない。


 夏緒は出来るだけ冷静に喋るよう努めた。


「待て、誤解だ」


『誤解? 誤解とか言い出すってことは……誤解されるようなことしている、ってことだよね、なつにぃ?』


「違う、そうじゃない」


 焦る。どうにも上手くやり過ごす方法が思い付かない。


『ねぇ、なつにぃ。あたしにはね、一人暮らししている間に女の人を連れ込む幼馴染みのお兄ちゃんを止めなくちゃいけない義理があると思うの。なつにぃのことよろしくね、って澤城のおじさんおばさんからも頼まれているわけだし』


「だから違う、これには理由が」


 失言だった。潤美の声が、底冷えするようなトーンへと変化する。


『理由? あたしに女と一緒にいることを隠そうとしたのに? それって本当に真っ当な理由なの?』


「……!?」


 失策に気付いた時にはもう手遅れだった。


『ねぇ、開けてよなつにぃ。誤解だって言うんなら、早くドアを開けてよ』


 駄目だ。もはや潤美の声から『本当に誤解だったら許してあげる』という響きが感じられない。むしろ『誤解なわけないでしょ絶対に許さない』という気配しかない。もう完全に決めてかかっている声だ。これでは何を言っても何を見せても、彼女は『夏緒が外人の女の子を二人も連れ込んでイケナイことをしようとしていた』としか思うまい。


「待て、悪かった。落ち着いて話をしよう。まずは俺の話を聞いてくれ。冷静に」


 なんとか玄関前に押しとどめ、せめて時間を稼いで少しでも頭を冷やしてもらいたい一心の夏緒だったが、またしても抜かってしまった。


『……悪かった? 今、悪かったって言った? ほらやっぱり! 後ろ暗いことしてるんじゃない!』


 全く以て非論理的であり飛躍も著しいのだが、どうやら潤美の中では何かが一本に繋がってしまったらしい。声も高らかに糾弾を始める。


『開けて! なつにぃ、ここを早く開けなさい! 開けないと――』


 ずどん、と玄関からものすごい音がした。まるで扉に蹴りでも入れたかのような――否、実際に蹴りが入ったのだ。


『――力尽くでぶち破るからねっ!』


 誇張でも比喩でもない。潤美は夏緒と同じく、西浦の祖父が開いている武術道場の門下生だ。女だてら足技に定評のある潤美の蹴りは、その体重の何倍もの威力を生み出す。


「待て、潤美、落ち着け、俺の話を、」


 とっくに堤防は決壊しているというのに未練がましく食い下がろうとした夏緒を、


『問答無用っ!』


 という鉄砲水がごとき一言が突っぱねる。


 玄関から響く蹴り音は連続し、やがてミシミシとドアの軋みが混じり始め――ついにはドアが弾け飛ぶ轟音が鳴り響いた。


 吹き飛んだドアが倒れ伏し、開いた玄関から流れ込む外気の熱風と、


「なつにぃ――――――――ッッ!!」


 澤城邸内に響き渡る潤美の肉声。


 夏緒は右手で目元を覆い、頭上を仰いだ。呟きが、口の端から零れ落ちる。


「……本当に、今日は一体何なんだ……」


 次いで、唇の隙間から歯軋りの音が漏れ出た。




 

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