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●5 どうしてこうなった

 




 説明はおろか人付き合いそのものが得意でない夏緒である。


 時間を置いて我を取り戻した他の生徒達が矢継ぎ早に飛ばす説明要求や質問を、間に敦に入って貰うことでどうにか緩和し、最終的に『あれはARDだ』ということで皆を納得させた。


 幸い、夏緒の中にあるという〝ギンヌンガガップ〟のおかげでイシュタルの炎による被害は完全に消え去っていた為、ほとんどの者が一連の出来事を『ドッキリ映像』として納得してくれたようだった。


 ただ当然の事ながら、幼馴染みの敦だけは納得するはずもなかった。彼は夏緒がこのような事をする人間ではないことをよく知っているのだから。後できちんとした説明が必要だろう。実際、午後の授業に入る前、携帯端末にそのような旨のメッセージが届いていた。


 イシュタルの身柄はサバイバルゲーム部に任せた。犯人として捕まえる、というよりは、失神しているので保健室へ運ぼう、という雰囲気だったのだ。自分が触れると彼女の容態が悪化することを知っていた夏緒は、敢えて手を出さずに見送った。


 結論から言うと、その後、彼女は意識を取り戻してすぐに逃げ出した――ようである。


 ようである、という曖昧な言い方をするのには理由がある。


 というのも、【あの場にいた誰もがイシュタルのことを覚えていなかったから】だ。


 信じがたいことに『後でちゃんと説明してくれよな』とメッセージを送ってきた敦でさえ、昼休みの件がすっかり頭の中から消えていた。


 放課後の事である。夏緒がフォローしてもらった礼と事情の説明をするために彼の所属するクラスに出向いたところ、


「お? オッス、夏緒! どうした? 珍しいじゃねえか」


 敦はいつものように朗らかに夏緒を歓迎し、


「どうしたも何も、お前が希望した説明に来たんだ。場所を変えるぞ」


「説明? え、何だっけ? ……あれ、俺なに頼んでたっけ?」


「くだらない冗談に付き合うつもりはないぞ」


 苛立ちを隠しもしないで言うと、敦は本気の困惑顔になり、


「え、その顔マジで? つかお前が変な嘘つくわけないもんな……ちょい待ちちょい待ち、今思い出すから、えーと……」


「自分のメッセージ送信欄を見てみろ。今日の昼休み」


 腕を組んで溜息混じりに言ってやると、敦は慌てて両手を振って己が〝SEAL〟のARDを展開し、自分のメッセージ送信履歴を調べ始める。虚ろな瞳が何度も上下に動いて、


「……あれ、ないぞ? つか俺、今日全然メッセージ送ってねぇし……あ、そういや潤美がお前ン家に肉じゃが持って行くってよ」


「それはもう本人から聞いてる、遅すぎだ馬鹿。それより、履歴がないってどういうことだ」


「いやだって、無ぇもんは無ぇぞ? ほら」


「見えるか馬鹿。その指へし折って千切り取るぞ」


「やめろよ素な感じでそういうこと言うなよ怖いよお前!?」


 敦の訴えを無視して、夏緒は制服のポケットから自分の携帯端末を取り出す。メッセージ受信欄を開き、


「ほら、これがお前が送ってきたメッセージだ。間違えて消したんだろ、お前のことだから」


「おお? おお……マジだ、俺のアドレスから送ってるな、これ。でもおっかっしいなぁ……全然覚えてねぇんだけど……」


「それはお前が馬鹿だからだろうな」


「うーん……でも、この『説明してくれよな』って何のことだったっけ?」


「昼休みのことに決まってるだろ。とぼけるのもいい加減に――」


「昼休みのこと?」


 キョトンとした顔で聞き返してくる敦。


 ここまで来ると流石に夏緒も気付いた。魚屋で売っているチョコレートでも見るような目を敦に向け、


「――覚えて……ないのか……?」


「へ?」


 本気だった。敦は白々しい嘘を吐いて他人をからかうような性格ではない。そのことを夏緒はよく知っている。だから、彼がこんな風に首を傾げるということは、本当に昼休みの件を――イシュタルのことを覚えていないということだ。


 有り得ない――とは、もう思わなかった。


 空から少女が落ちてきて、宇宙空間へ連れて行かれ、マンホールから火が噴き出す世の中なのだ。人の記憶が消えた所で何も不思議なことではない。


 常識とは、生まれてきてこれまでに集めた偏見のコレクションだと言う。夏緒のそれは、もはや『偏見』と呼ぶのもおこがましいほど歪なものになりつつあるようだった。


「……何でもない。俺の勘違いだったみたいだ。忘れろ」


「え? お、おう……?」


 突き放すように言い放つと、言及を遮断するように夏緒は踵を返した。顔中に疑問符を浮かべている敦を捨て置き、その場から足早に立ち去る。


 考えてみれば、最初からおかしかったのだ。


 今朝、キララが教室へ乗り込んできた件もそうだ。あれこそ真っ先に問題視され、学園中に注意を促す放送が入り、治安維持部隊が総動員で捜索に当たってもいいぐらいだったのだ。


 なのに何故、一時限目の授業が終わった後、誰も夏緒に彼女の事を質問してこなかった? 記憶が残っていれば、クラスメイト達とて学食の皆のように説明を要求してきたはずだ。


 だが、そうはならなかった。


 考えられる可能性など一つしかない。


 彼女達は何かしらの手法で、関わった人々の記憶や、自らの存在した痕跡を消しているのだ。


 おそらくは情報改変と呼ばれるあの力で。夏緒の記憶だけが残っているのもそのせいだろう。彼女達の力は〝ギンヌンガガップ〟には通用しないのだから。


 記憶だけではない。敦の〝SEAL〟からメッセージ送信履歴が消えていたということは、彼女達は他人の中にある情報すら改変することが可能だということだ。夏緒の端末が無事だったのは、肌身離さず持ち歩いていたからだと推測できる。


 敦ですら【ああ】なのだ。他は確認するまでもなかった。


 今更ながらにぞっとする。


 見た目はただの女の子だが、その中身はCIAやFBIよりもよっぽど恐ろしい。詰まるところ彼女らがその気になれば、人間の一人や二人など社会的にも実質的にも完全に消し去ってしまえるのだ。


 そんな連中に、これからもずっと付きまとわれるのはごめんだ。夏緒は心底そう思う。


 何とかしなければならない。


 どうにかして、彼女達には元の世界へ戻ってもらわなければならない。


 その手段は、もはや平和的でも暴力的でも、どちらでも構わない。


 ただ追い返すだけでは意味がないことだけはもうわかった。


 キララとイシュタル、この二人に有効な手立てを講じるためには、何より情報が不可欠だ。


 彼女達はきっと――否、必ずまた夏緒に接触してくるだろう。


 その時こそが好機だった。






 とは思っていたものの、玄関を開けたらいきなりそこにいるとは流石に予想できなかった。


「……おかえりなさいませ」


 玄関口に正座していたそいつは、しずしずと三つ指をついて、ふわふわの金髪をちょこんと下げた。


 瞬間的に言いたいことがいくつも頭の中を巡り回ったが、最終的に一番ソフトなものを夏緒は選択した。


「……三つ指ついてお辞儀するのは、本当は形だけの作法で、一番行儀が悪いってこと知ってるか?」


「――ええッ!? 嘘ッ!?」


 がばっと驚愕に満ちた顔を上げるキララ。夏緒はつまらなさそうに溜息を一つ吐き、


「未来から来てても不心得者はやっぱり不心得者なんだな。検索しろカス」


 言いながら夏緒は靴を脱ぎ、キララを路傍の石か何かのように気にせず玄関に上がる。


「ボ、ボク検索したもん調べてきたもんっ! 可愛い新妻さんは三つ指ついて旦那様を迎えるものだって言ってたもん!」


 キララはコーンフラワーブルーの双眸を今にも泣きそうなぐらい潤ませて、真横を通り過ぎる夏緒の背中を視線で追った。その冷たい背中が言う。


「誰が可愛い新妻だ。さっさと消え――なくてもいい。ちょっと話がある。こっちに来い」


「――?」


 リビングの出入り口前で振り返り、夏緒は指をくいくいと曲げて手招きした。これまでにない友好的な反応に戸惑っているのだろう、キララの蒼い瞳が丸くなる。だが夏緒が無言のまま手招きを続けていると、やがて立ち上がり、人間に怯える子猫のような動きで近寄ってきた。キョロキョロと周囲に目を配るのは、どこかに罠があるのと疑っているのかもしれない。


「そこに座ってろ」


 キララをリビングへ通すと、夏緒はエアコンのスイッチを入れながら、足の短いテーブルを挟んで向かい合っている革製ソファの一つを指差した。


「う、うん……」


 学校での勢いはどこへ行ったのか、借りてきた猫のようにおずおずと指定された席に座るキララ。


「少し待ってろ。コーヒー淹れてくる」


「ええええッッ!? なんでどうしてッッ!?」


 三つ指の間違いを指摘した時よりも劇的な反応を見せたキララに、夏緒は思わず遠雷を思わせる声音で、


「いいから黙って座っていろ……!」


「は、はい……ごめんなさぃ……」


 しゅん、と雨に打たれた犬のように小さくなる。


 夏緒はキッチンに向かうと、一人暮らし故の手際の良さでテキパキと二人分のコーヒーを用意して、五分でキララの元に戻った。


 右手に持った白のマグカップをキララの前に。左手の黒いカップをその対面に置いて、自身もソファに腰を下ろす。テーブル上の木製の器を指差して、


「そこにシュガースティックとミルクポーションが入ってる。好きなだけ使え」


「う、うん、うん……」


 よほど緊張しているのか、壊れかけた機械にも似た動きでキララが頷く。薄い桃色の唇はきゅっと結ばれ、眉根には皺が寄っている。そして頷いたわりには、じっと見つめるだけでコーヒーに手を伸ばそうとしない。別に毒など入ってはいないのに。


 夏緒はその様子を観察しつつも、ず、と自分のコーヒーを一口啜り、いきなり核心を突いた。


「イシュタルって名前に聞き覚えはあるか?」


 まずはこれを訊ねなければ始まるまい。


 キララの反応は、ある意味では先程以上のものだった。


 固まったのだ。


「…………………………………………え?」


 人形のような固定化された笑顔で小首を傾げた少女に、夏緒は遠慮無く、


「知っているんだな。その様子だと。なら話は早い」


「――あっあっあっちょっちょっちょっと待って!? 待って待って待ってっ!?」


 周章狼狽したキララがわたわたと両手を振り回して話の腰を折りにかかる。夏緒も別段急ぐわけでもないので、もう一度マグカップに手を伸ばすことで、彼女の要求に是と応えた。


 キララは両手を振り上げた状態で動きを止め、世界の終わりでも見ているような表情で、


「……マジなの? ほんとにイシュタルさんが来ちゃってるの? しかもなんでそれ夏緒さんが知ってるの? え、会っちゃったの? ほんとに?」


 夏緒に訊いているというよりは自問自答の独り言に近いようだったが、それでも夏緒はコーヒーを一口飲んでから応答する。


「――本当だ。今日の昼、お前のお仲間と会った。散々迷惑をかけてくれた挙げ句、証拠を隠滅してどこかに消えたけどな」


 バン、とキララが勢いよくテーブルを叩き、ずい、と身を乗り出した。


「な、何か言ってた!? 何か変なこと言ってなかった!?」


「……それをお前が言うのか?」


 呆れた目で見つめると、自称未来人の少女はやや仰け反り、


「うぐっ……わ、わかってるよ、ボ、ボクだって変なこと言ってたってことぐらい……や、やめてよ思い出させないでよ、ボクだって恥ずかしかったんだからね!?」


「だったら最初からするな」


「うぎゅぅ……」


 夏緒の容赦のないツッコミに、自称雪女の少女の顔が真っ赤に染まっていく。ソファに身を戻し、サファイアブルーの氷が溶けてそのまま零れてしまいそうな涙目で、しかし悔しそうに夏緒を軽く睨んでくる。


 夏緒はマグカップをテーブルに戻し、足を組み直す。


「……あの女も俺を捜しているみたいだったな。いや、【俺】じゃなくて〝ギンヌンガガップ〟を、か。だが肝心の人相は知らなかったのか、俺に『サワシロナツオはどこにいるのか?』なんて間抜けな質問をしてきた。だから、そいつは地球の裏側にいると答えておいた」


 赤くなっていたキララの顔が、今度は急速に蒼くなっていく。


「う、うわぁぁぁ……夏緒さん、なんてひどい嘘を……あっ、もしかしてイシュタルさん、それ信じちゃってた?」


「いや」


 その後、自分から〝ギンヌンガガップ〟であることを張らして、ちょっとした騒ぎになったことを夏緒は説明した。


 一部始終を聞かされたキララは、かき氷を一気にかき込んだ際に生じる頭痛を堪えるような様子で、


「ああ、うん……あの人らしいなぁ……ボクちょっと頭痛くなってきたよ……」


「それは俺の台詞だ。お前らは一体何なんだ」


 溜息混じりに吐き捨てると、キララは気まずそうに両手の人差し指をちょんちょんと突き合わせながら、上目遣いで、


「何なんだ、って言われても……さっき学校で説明した通りだし……」


「〝ギンヌンガガップ〟の調査が目的って奴か? 俺が言っているのはそういう意味じゃない。いきなり空から落っこちてくるわ、地面から飛び出すわ、何を考えているんだと言っているんだ」


「えっ、だって、この時代じゃ女の子が空から落ちてくるのがデフォルトなんでしょ?」


「……なんだと?」


 平然と聞き捨てならないことを言ってのけたキララに、流石に夏緒も眉根を寄せて聞き返す。


「だから、この時代のこの国だと、男の子と恋に落ちる女の子は空から降ってくるか、曲がり角でぶつかるかのどっちかなんでしょ? あ、曲がり角のときはパンくわえてないとダメなんだっけ?」


「…………」


 呆れてものが言えなくなるのと同時に、夏緒は一つの理解を得ていた。


 キララの顔を見れば、彼女が本気で言っているということは充分わかる。


 つまり、この常識外れの少女は、どこで仕入れたのかは知らないが、自らの知識が正しいと本気で思い込み、実践していただけなのだ。


 問題は、その知識が大いに間違っている、という点に他ならない。


「……いつの時代のアニメだ、それは」


「えっ?」


 ふー、と夏緒は溜息を吐いた。


「時代が違う。ついでに次元も違う。お前の知っているそれは漫画やアニメ、つまりフィクションの話だ。デフォルトどころか、全然間違っているぞ」


「……へっ……?」


 キララの瞳から光が消える。話の理解はそれなりに早いらしい。夏緒は視線を横に逸らし、なるほどな、と小さく呟き、


「……それでお前はいきなり落ちてきたり、教室に乗り込んできたり、いきなり――してきた、というわけか」


 突然キスされた時のことを思い出した瞬間、反射的に唇の動きが鈍った。するとその曖昧な言い方を、夏緒が照れていると勘違いしたのか、キララの顔が再び、かぁぁぁぁ、と一気に茹でタコへと変化した。


 キララは勢いよく立ち上がり、身振り手振りを交えながら必死に、


「だっ、あ、あれはっ! だから、あれはねっ!? い、いきなりキスとかしたらズッキュゥゥゥンとかドッキィーンッとかでグワワーッて人はジェットコースターみたいに恋に落ちちゃうって聞いたからでねっ!? あ、あとあとあと、男にアプローチする時は自然に近付くよりは一気に距離を詰めろってお姉ちゃんが言ってたからでねっっ!? だったらいきなり好きになってくださいって言ったら印象的かなって思っちゃったからボクっっっ! そ、そのっ! あのっ! えっと……えっと!? あ、あれ、あれっ!? えっとボク何が言いたかったの!? あれ何が言いたかったんだっけ!? えっとあの、ああっもうわかんなくなってきちゃった! よくわかんなくなってきちゃったけどボク恥ずかしいよ!? なんか今のボクってすげえ恥ずかしいよ!? めちゃくちゃ恥ずかしいんだよ!? どうなってるのこれ何これボク一人羞恥プレイ!?」


 真っ赤な顔で目を白黒させて一人でジタバタと慌てふためいているキララに、夏緒はもう一度、ふー、と溜息を吐き、エベレストの山頂に吹く風よりも冷たい声で、


「静かにしろ。座れ」


 ピタリ、とキララの動きが静止する。


「……はい……」


 暗い声で返事をして、くるりと夏緒に背を向けると、そのままその場にしゃがみこんでダンゴムシよろしく丸くなった。


「……何をしているんだ、お前は」


 拗ねた子供のような体勢を取るキララの背中にそう声を掛けると、


「……にゃんかもう、じぶんのやったことがじだいにあっていなかったことと、そもそもやらかしたことがじぶんてきにもとんでもなさすぎて、もうはづかしさのあまりなつおさんのかおがまともにみれましぇん……」


 やけにぐじぐじした答えが返ってきた。


 面倒くさい奴だ――そう思いつつ、夏緒はマグカップに手を伸ばす。とはいえ、これで彼女の奇行については原因も判明したことだし、対応のしようもあるだろう。現代の常識をしっかり教えれば、もうおかしな行動に出ようとはするまい。幸い、羞恥心がまるでないというわけではないのだから。


 ひとまずは安心できる――そう考えながらコーヒーを啜った時だった。


 不意にキララが顔を上げ、天井を見上げた。


「…………あ、イシュタルさん?」


 呟きの意味はわからなかった。


 まさか天井にあの銀髪の娘が張り付いているわけでもなかろう。そう思いつつも、つい釣られて夏緒も天井を見上げてしまった。


 案の定、そこには何もなかった。


 そこ、とはもちろんリビングの天井で、あるといえばもうずっと以前からそこにある丸いシーリングライトだけで、つまり相も変わらず何の変哲もなかった。




 だが次の瞬間、そのシーリングライトが爆発した。




「ッ!?」


 澤城邸は五十坪の土地に建つ二階建て一戸住宅である。一階部分には合計二五畳のリビングとキッチン、十畳の和室、浴室、トイレ等がある。二階部分にはそれぞれ六畳、八畳、十畳の洋室と、六畳間の和室、二つのバルコニーがある――否、【あった】のだが、どうやらそれら全てが一瞬で吹き飛んでしまったらしい。


 というのも、紅蓮の炎と共に巻き起こった爆発の直後、その向こうに青空を背景に宙に浮かぶイシュタルの姿が見えたからだ。彼女は開いた扇子を口元に添え、


「オーッホッホ」


 ッホッホッホーッ!――と高らかに笑い続けたかったものと思われる。


 しかし残念なことに、爆発した家の破片が夏緒の体に触れた刹那、銀髪の少女が起こした全ての事象はキャンセルされてしまった。


 高速の巻き戻し映像でも見ているかのように澤城邸は元の姿を取り戻し、イシュタルの笑い声はその影ごと天井にシャットアウトされた。


 ――……何だ今のは……?


 一瞬で現れ、そして消えていった少女に呆然としていると、再び爆音が響き、屋根ごと天井が吹き飛んだ。


 夏緒の視界に再登場するイシュタル。


「オーッホッホ」


 当然、今度も建築材の欠片が夏緒に当たった途端に全ては元通り。イシュタルの姿は掻き消える。


 視線の先には、相も変わらず何の変哲もないシーリングライト。


 まだ終わりではあるまい。そんな予感もあって、キララと一緒に天井を見上げ続けていると、やはりまた爆発した。


「オーッホ」


 繰り返しである。気のせいか、先程よりも修復が早くなっている気がする。


 その後、一体何度同じ事が繰り返されたか。二桁に届いた時点で夏緒は数えるのをやめた。


 破壊と再生は幾度となく繰り返され、最終的にイシュタルは派手な登場を諦めたらしい。


 最後の爆発と修復の後、しばらく間を置いてから遠慮がちに澤城邸のインターホンがピンポーンと鳴った。


「「…………」」


 夏緒はキララと互いに顔を見合わせた。勿論、夏緒は呆れ顔で。キララは、まいったねーあっボクはあの人とは違うタイプの女の子だよっ、と言いたげな目で。


 すると、忘れないで、とでも言うようにもう一度インターホンのベルが鳴った。


「……えっと……良かったら、ボクが開けてこようか……?」


 遠慮がちなキララの提案に、夏緒はソファに身体を沈めて、はぁ、と溜息を吐き、


「……好きにしろ」


「う、うん……」


 気まずそうに頷くと、キララは立ち上がり、トトトトと小走りに玄関へ向かう。


 耳を澄ますと、玄関の扉を開ける音に続いて「……お邪魔しますわ」「ど、どうぞ……ってボクの家じゃないけど……」と言ったやりとりと、ブーツを脱ぐ際の衣擦れが聞こえてきた。


 二人分の足音が近付いてきて、やがてキララに案内されたイシュタルが夏緒のいるリビングに姿を現した。


 部屋に入った途端、銀髪赤目の少女は気を取り直したように大げさな動作で手に持った扇子を広げて口元に添えると、高らかに笑う。


「オーッホッホッホッホッホッ! このあたくしがわざわざ足を運んであげましたわよ、サワシロナツオ! いいえ、〝ギンヌンガガップ〟!」


「さっきのは何だ」


「お、おおおお黙りなさい! お忘れなさい! さっきのことは無かったことになっているのですわ!」


 夏緒が意地悪な指摘をした瞬間、気取った態度は瞬く間に剥げ落ち、イシュタルは顔を目よりも真っ赤に染めて喚いた。


「あー……っていうか本当に来ちゃってたんだねぇ、イシュタルさん……はぁぁ……」


 その背後を残業続きの疲れたOLのような表情のキララが通った。先程まで座っていたソファへ戻ると、どさりと腰を下ろす。イシュタルはそんな金髪碧眼の少女をキッと睨み付け、


「当たり前ではありませんの! この非常時にあたくしが動かなくて誰が動くんですの! しかもあなたごとき庶民に任せるだなんて! 言語道断ですのよ!」


 ずびしっ、と閉じた扇子の先端でソファのキララを指す。


 キララは両手で耳を塞ぎ、バタバタと足を踏み鳴らしながら、


「ああもうっだからイヤだったんだよぉイシュタルさんが来るのぉ! ボク一人なら話が簡単なのにどんどんややこしくなっていくしぃ! お願いだから帰ってよぉぉ……!」


 唇を尖らせてイシュタルを睨み返す。恨みがましい目線を向けられた銀髪の少女は、ふん、とそれを突っぱねると、今度は夏緒に向かって歩を進めた。手を伸ばして届くか届かないか、という距離で立ち止まり、先程キララにしたように扇子の先端を少年に向ける。


 そして妙に艶やかな笑みを浮かべると、断られる事など一切考慮に入れていない、ひどく自信に満ちた声で、こう言った。


「あなた、あたくしと結婚なさいな」


「断る」


 余人であれば魅力的すぎると感じたであろう告白を、夏緒は間髪入れずに断った。


 ピキン、と音が聞こえてきそうなほど明確に、イシュタルが石像と化した。


 一連の流れは淀みなく行われた。キララが状況を認知して驚くのが遅れるほどスムーズだった。


「……………………ちょっ、なっ!?」


 一拍どころか三拍以上も遅れてキララは反応し、慌ててソファから立ち上がる。が、立ち上がったところで何が出来るわけでもなく、わたわたと両腕を動かし唇をパクパクさせて絶句するしかない。


 イシュタルが再起動する。


「……む、婿に来いとは言いませんわ。なんなら、百歩譲ってあたくしが嫁に行ってあげてもい――」


「いらん」


 ビキン、と固まるイシュタル。彼女に最後まで言わせることなく台詞をぶった切った夏緒は、傍に立つ異世界の少女をつまらなさそうに見上げ、


「――というか、お前もか。一体何なんだ。お前らは一体全体、何がしたいんだ?」


「そ、そうだよ、何してるのさ!?」


 ようやく動くとっかかりを得たらしいキララが、わざとらしく大きな声を張り上げてイシュタルに肉薄する。


「いきなり何言ってるんだよぉぉぉイシュタルさん! 大丈夫!? 息してる!? っていうか邪魔しないでって言ってるじゃんかもぉぉぉっ!」


 両肩を掴んでガクガク揺すると、はっ、とイシュタルが正気を取り戻し、


「……キララさん? ああ、よかった、気のせいでしたのね。そうですとも、あたくしが男に振られるなんて有り得ませんものね。それもあたくしの方から嫁に行くと申してますのに」


 全力で現実逃避しようとしているイシュタルに、キララは急に優しげな眼差しを向け、


「イシュタルさん……それ気のせいじゃないよ?」


「えっ?」


「振られたよ、【思いっきり】。『断る』って言われた上に『いらん』って言われたよ。しかも若干カブる勢いで」


 猛然とトドメを喰らわせた。


「――――!!」


 イシュタルが息を呑み、声にならない叫びを上げる。


 優美な態度でイシュタルの心を抉り裂いたキララに、夏緒が少し引いた声で、


「お前……意外とひどいな……」


「夏緒さんだけには言われたくないよ!?」


 弾かれたように振り返って涙目で言い返すキララ。その点については流石に反論できないため、夏緒は黙秘権を行使する。


「あ、有り得ませんわ……絶対に有り得ませんわ……いいえ、千歩譲って有り得たとしても、有り得ませんわ……」


 愕然と震えながらわけのわからない事を呟くイシュタルに、またもキララは優しい手付きで両肩をポンポンと叩き、


「しょうがないよ、イシュタルさん。これが澤城夏緒さんなんだよ。わかってたことじゃないか。プロポーズだって素で断られるし、婿とか嫁とか言っても無駄なんだよ。だからね? わかったらもう帰ってくれないかな?」


「ついでにお前も帰ってくれるとありがたいんだが」


 横から挟み込んだ夏緒の言葉をキララは完全に無視したようだった。


「……有り得ない、ですわ……!」


 不意にイシュタルの声に力が籠もった。それを証明するように、赤いマニキュアが綺麗に塗られた淑やかな手が、己の両肩に載せられたキララの両手首を掴む。


 顔を上げ、ギラリと剣呑な光を宿した深紅の瞳がキララを真っ正面から睨み付ける。


「キララさん……あなたが吹き込みましたのね? ええ、間違いありませんわ、きっとそうに違いありませんわ! あなたが余計なことを吹き込んだに違いありませんわ! あなたのおかげで――アタシのプライドがズタズタじゃねえかゴルァ――――――――ッッッ!!」


 いきなり【戦闘モード】である。全身の肌表面に赤の輝線で幾何学模様が描かれ、その全身から猛烈な勢いで火炎が噴き出した。ガソリンをぶちまけたような勢いで広がった炎はあっと言う間にリビングの床と壁を舐め、燃え上がらせる。


 またか、と夏緒は辟易する。どうせ自分が触れただけでそれらは消え失せ、その影響も無かったことになるというのに。


 まぁいい。この妙に高飛車な女と違い、キララの方はまだ常識的だ。どうにか宥めて事を収めるだろう。


 そう予想して成り行きを見守っていた夏緒の耳に、予想外の言葉が入った。


「やめてください、イシュタルさん。言いがかりです。言いがかりですが……やるつもりなら、こちらも本気で潰しにかかりますよ?」


 先程までの明るく陽気な声ではなく、どこか事務的で静謐なそれ。情熱を激しく燃焼させるイシュタルのそれとは対照的に、心のほとんどを凍り付かせた者だけが放つ響き。


 なんと、キララの方まで【宇宙人モード】のスイッチを入れてしまっていた。


 次の瞬間、キン、と金属音が響き、イシュタルの炎が消え失せた。


 風景が激変する。


 燃え盛る炎の換わりにリビングを埋めつくしたのは、冷気。全てを漂白するほど冷徹で清冽な大気が、壁も床も天井も火炎すらも凍り付かせていた。キラキラと空気中で輝いているのは、もしかしなくてもダイヤモンドダストである。


「おい、お前ら……」


 さしもの夏緒も驚き、ソファに座ったままではあるが思わず制止の声が出かけた。しかし、


「上等だコラァ! やれるモンならやってみやがれぇっ!」


 キララが放った膨大な冷気にも凍らず、その身だけ赤々と輝かせるイシュタルが雄叫びを上げる。その口元には好戦的な笑みすら浮かんでいた。


「愚かですね。本気になった私に、あなたが勝てるとでも?」


 反対に全ての感情を失ったように、瞳すら吹雪く雪原のごとく澱んだキララが、生ゴミでも見るような視線をイシュタルへ向ける。


 会話の口調と性質がまるで正反対になっていた。そういえば談話室でキララが、アーキタイプがどうとかインターフェイスの違いがどうとか言っていたことを思い出す。彼女らのいる未来世界では、そういった一定の法則があるのかもしれない。


「イシュタルさん、ここでは周辺の住民にご迷惑がかかります。場所を変えましょう」


「望むところだテメェの好きな場所どこでも選びやがれそこがテメェの墓場だッ!」


 冷静なキララの提案にイシュタルが怒声で答えた途端、既視感が夏緒を襲った。


 シーリングライトの光が消え失せ、視界が一瞬だけ漆黒に染まる。だが目が慣れてくれば、周囲に数え切れないほどの光点があることに気付く。


 宇宙空間。


 本日、二度目である。


 今朝の談話室の時と同じく、キララが空間の情報を改変し、澤城邸の内部と宇宙とを繋げたのだろう。無論、前回と同じく、夏緒の肉体は宇宙にあるように見えて実はリビングにあるので、今は不可視のソファに座っているような具合である。


 ばっ、と音を立てて少女二人が弾かれたように離れた。蒼く輝く身体に白いワンピース、赤く光る肌に漆黒のボンテージファッション。その二つが空中を滑るように浮遊して、彼我の距離を開けていく。本来のリビングの広さを超えて、離れていく。


「前から思ってたんだよ、いつかぶっ潰してやるってよ。テメェみてえな庶民クラスタのクソがことあることに貴族クラスタのアタシに突っかかって来やがって。今度という今度こそ容赦しねぇからな……!」


 止めどなく身体から火焔を湧き上がらせるイシュタルの周囲に、やがて一匹の龍が現れる。学食で出て来たものとは比べものにならないほど巨大な龍だ。彼女の身体を核として、炎で形作られた幻想種が顕現する。


「いつも思ってました。迷惑です、と。いつもいつも突っかかってくるのはあなたの方ではありませんか。無闇矢鱈とコンプレックスを剥き出しにして。ついにはこんな所まで追いかけてきて。邪魔です。相当に邪魔です。本当に消えてください」


 純白のワンピースが急激に大きく広がった――ように見えたのは錯覚で、正確にはキララの背からドライアイスの翼が生え、急激に伸長したのだ。その一対の翼は広がるに連れて枝葉の如く分かれ、一種の樹形図にも似た形へ変化しつつ、膨張していく。


 宇宙空間で対峙する、炎の龍と氷の樹形図。両者の間で高まっていく緊張感。


 そんな中、気付けば夏緒は完全に蚊帳の外だった。


 いつの間にか声も届かなくなるほど二人は離れていて、しかし何故かそんな状態でも会話は耳に入る。そもそも宇宙空間で交わされる会話というのが珍妙極まりないなものなのだが、そこは〝ギンヌンガガップ〟の効果だろうか。


 今にも戦いの幕が切って落とされんとする時に、少年は憂鬱な溜息を吐く。


 一体いつになれば、まともな話が出来るのか。


 現状の感想を、夏緒はたった一言に凝縮して呟いた。


「……どうしてこうなる……」




 

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