●14 エピローグ
まず結論から語ろう。
人類滅亡の危機は、まだ消え去っていない。
あの後、夏緒はすぐに救急車で病院に運ばれた。
医者は全治二ヶ月と診断したが、結果として夏緒はその傷をたった二週間で完治させた。人の身においては驚異的な回復力であった。
入院している間、色々なことがあった。
まずアデライーデだが、彼女は最終的には夏緒のことを諦めて未来の世界へ帰ったらしい。らしい、というのは、あくまでキララからの伝聞という形でしか夏緒は知らないからである。
どうやらアディの行動は、彼女の所属する管理局クラスタにおいても独断専行と判断されたらしい。人類の危機を救うため、思わず暴走してしまったのだと。未来へ戻った彼女は当然ながら拘束、および更迭されるそうだ。「その話が本当かどうかは怪しいところだけどね」とキララはぷんすか怒りながら語った。
なお、その辺りの情報は、アディに負けたせいで未来に強制送還されたイシュタルからもたされたものだという。貴族クラスタ出身の彼女は、今回の件に関して管理者クラスタに厳重な抗議をするとのことだ。「きっともうこっちには来ないと思うよ」とキララは嬉しそうにそう言った。
アディに身体を乗っ取られていた潤美は、もちろん無事である。夏緒の希望により、彼女には何も知らせないことになった。キララの手によって記憶を改竄し、あの日はそもそも買い物に行く予定すらなかったことにした。なお潤美に対しては、夏緒の怪我は交通事故によるものだと伝えてある。見舞いに来た潤美に「ほんとにもー、なつにぃってば強いくせに間抜けなんだから。気をつけてよね。……心配しちゃったじゃん……」と言われて、夏緒はなんともいえぬ微妙な気分を味わったものである。
八月二十六日。
夏緒の十七才の誕生日であり、未来の歴史が正しければ、少年の命日となる日でもある。
退院した夏緒と、今となっては一人だけとなった未来人のキララは、澤城邸のリビングで向かい合ってソファに座っていた。
「……これはどういうことなんだろうね、夏緒さん」
「俺が知るか」
「でもね、おかしいんだよこれは。事実、ボクはいまや夏緒さんと触れ合うことが出来るわけですよ。その気になればイチャイチャし放題なわけですよ。……夏緒さん絶対してくれないけど……じゃなくて、現段階においてボクの当初の目的である『夏緒さんに好意を持ってもらう』はどう考えても達成されているわけですよ! なのに!」
「なんで未来の〝ギンヌンガガップ〟は人類を消しにかかってるの!?」
そう言われても夏緒にわかるわけがない。
そもそも自分の中にある〝ギンヌンガガップ〟を制御することすら出来ないのだ。ほとんど夏緒の意思を無視して勝手に動いているものに対して、責任などとりようがない。故に、
「知らん」
と応える他ない。ばん、とキララがテーブルを叩いて身を乗り出す。
「だっておかしいじゃないか! だってだって、夏緒さんボクのこと好きになってくれたんでしょ!?」
「何の話だ」
「ええええぇぇぇぇっ!? そこトボけちゃうの!? よりにもよって、そこをっ!? どんだけツンデレなのさ!?」
「とぼけるも何も、俺はお前を好きになったなんて言った覚えはないぞ」
「んなっ……!? だ、だってだって! 夏緒さん、【あの時キスしてくれたでしょ】!?」
「あれは――」
そこで言葉に迷い、夏緒はしばし口を噤んだ。沈思黙考の挙句に出たのは、
「――最後の、情けだ。他意はない」
「なさけ!? なさけって……!」
あんまりな台詞にキララが絶句する。女心のわからない夏緒は、そこでさらに追い討ちをかけてしまう。
「というか、ずっと気になっていたんだがな。あの程度で彼女面をするな。何を勘違いしているのかは知らんが、ここ最近のお前の態度は目に余るぞ」
それは完全に自爆スイッチであった。
「――――ッッ!!」
この時、キララが心に負った傷と怒りを数値化したならば、それは天文学的な値を示したことだろう。
蒼い宝石のような瞳に大粒の涙を溜め、プルプルと生まれたての子鹿のごとく震え――とうとうキララがキレた。
「なつおさんのヴァカぁ――――――――――――ッッッ!!! なつおさんなんか! なつおさんなんかぁ! 歴史通り〝SEAL〟の試作品で死んじゃえ――――――――――――ッッッ!!!」
血を吐くような絶叫だった。
しかし夏緒が驚いたのは、その声量よりも内容の方だった。
「……なんて言った?」
「……えっ?」
緊迫感に満ちた夏緒の声音に、怒り狂っていたはずのキララも思わず素で聞き返す。
「今、なんて言った。〝SEAL〟の試作品、だと?」
「あっ――」
ようやく失言に気付いたらしいキララが慌てて両手で口元を押さえるが、もう遅い。
空気が凍りついた。
夏緒が強い目で睨み付けると、それに耐えきれなかったのか、やがてキララは観念したように全てを吐露し始めた。
言葉の通りだった。歴史では、夏緒は今日、神無学園の研究開発課から届いた〝SEAL〟の試作品が死因となり、命を落とす。体内に入った試作品が人体に有害な物質へと変化してしまい、心不全を起こしてしまうのだ。
これは本来、夏緒が知るべきことではなかった。キララが過去の世界に来ることが出来たのは、ひとえに人類滅亡の危機を救うためであり、夏緒個人の運命を変えるためではなかったのだから。
しかし、知ったからこそ言える言葉がある。
「……それじゃないのか?」
「え?」
「いや、【それ】じゃないのか? 原因は」
「げ、原因って……何の?」
わからない奴だな、という顔を夏緒はした。苛立ちをそのまま声に乗せて、
「だから、未来の〝ギンヌンガガップ〟が人類をイレギュラーとして判断している理由だ」
澤城夏緒は、要は〝SEAL〟が原因で死ぬ。なら当然、その中に宿っている〝ギンヌンガガップ〟は〝SEAL〟というものに対し、存在して良い物であるという判断はしないだろう。
未来の人類が情報存在へ進化したのは〝SEAL〟のおかげだという。では、キララやイシュタル達を見ればわかるとおり、人類が〝SEAL〟と一体化して生きているのなら、〝ギンヌンガガップ〟がどちらも合わせて否定していたとしても、それはおかしな話ではないのではないか。
夏緒がそう説明すると、
「……あっ……」
その発想はなかった、という風にキララは硬直した。
結局、そこから話が転がり、最終的には『再調査の要有り』ということに落ち着いた。
その結果――
「……何故お前が戻ってくることになる」
「な、何か文句でもありますの!? い、言っておきますが、あたくし自ら希望して戻ってきたわけではありませんのよ!? ただあたくしは貴族クラスタの者として、果たすべき責務を――」
「ああ、もういい」
必死に言い訳を並べ立てようとするイシュタルを、夏緒は面倒くさそうに一蹴した。キララと言えば、部屋の隅の方で「……せっかく夏緒さんと二人っきりで生活できると思ったのに……」と拗ねている。
「それより、こいつは何だ?」
そう言って、夏緒はリビングの扉の陰に身を潜めてビクビクしている人物を顎で示した。
長い栗色の髪をツインテールに結い、深緑色を基調とした軍服らしき格好をした少女。褐色の肌もなかなかにエキゾチックだが、何より特徴的なのがその双眸だ。そう、その輝きはフッカー・エメラルドにも似た――
「まさかだとは思うが……」
イシュタルが胸を張って応えた。
「ええ、その【まさか】ですわよ。先日の責任を取るために、あたくしの助手としてこちらで任務に就くことになったんですの。改めて紹介いたしますわ、こちらは管理局クラスタの――」
「あ、アデライーデ・ラインリヒャルトですぅぅ……ごっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……!」
陰に隠れたまま、何度も謝罪を繰り返して子リスのごとく怯える、【潤美の身体を乗っ取り夏緒を病院送りにした張本人】。
呆れて物が言えない、とはこの事だった。予測するに、この間の軍人のような話し方は〈輝紋〉を発動させているが故だったのだろう。この臆病なのが、アディの素であるらしい。
まぁいい。過日の件については、また後にしよう。それよりも、
「……任務、だと?」
怪訝な表情で聞いた夏緒に、イシュタルが広げた扇子で口元を隠しながら、優雅に答えた。
「もちろん、澤城夏緒、あなたの〝SEAL〟嫌いを治す任務ですわ。これよりタイムリミット無しの、真剣勝負が始まりますのよ」
そんなことが出来るものだろうか、と夏緒は思う。自分自身、両親が開発に関わった〝SEAL〟をそこまで憎んでいるつもりはなかった。しかし、その〝SEAL〟が自分を殺すという。自分で言い出しておきながら、何だか因果律の繋がりがおかしいような気もする。
そもそも、キララ個人に対してでさえ、触れても問題ないようになるにはあれだけの事があったのだから――と、ここまで考えて夏緒は自発的に思考を止めた。その先は、何故か考えてはいけないような気がしたのだ。
「……つまり、お前らは今日からまたここに居座る気だということだな?」
「ええ、その通りですわ」
「よ、よろしくお願いしますぅぅぅ……」
哀れ、夏緒の平穏はカレンダーの遠く彼方へ。
頭痛を覚えながら溜息を吐き、夏緒はふと部屋の隅にいるキララへ視線を向けた。すると、あちらも同じような事を考えていたのか、不意打ちのように互いの目が合ってしまった。
自分でもよくわからぬ驚きで硬直してしまった夏緒に、キララはにっこりと笑いかけた。
真夏に空から降ってきた自称『雪女』の、煌めくような笑顔だった。
なお、その日の午後に届いた学校からの郵便物は、未開封のままゴミ箱に投げ込まれた。
これにて完となります。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
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また評価もしていただければ、次回作への糧といたします。
どうぞよろしくお願い致します。
それでは、また次回作にて。
作者の仙戯でした。