凝固
取調室に入れられてからもう15分がたった。たぶん犯罪心理学と心理学の専門家で
ある俺を取り調べできるような人間を捜しているんだろう。俺としては相手は誰でも良
かったが、向こうにとってはスキをつかれてぼろが出るのが怖いんだろう。すべて推測
だが、彼らの行動は比較的読みやすい方だ。
そんなことを考えているうちに誰か入ってきた。女だ。俺は彼女を知っているぞ。
ややきつめの印象を受ける顔立ちで、後ろ髪が長い。誰が見ても分かるとおり美人だ。
以前交渉の現場で見たことがある。きっと俺と同じ交渉人だ。そうか、同じ交渉人を使
って取り調べをすれば、話を聞き出せると思ったんだろう。俺は彼女に話しかける。
「以前お会いしましたね。」向こうは俺のことを覚えているだろうか。
「ああ、あなたが遠藤さんですか。この事件では交渉がうまくいっていたのにざんねん
でしたね。」
彼女は既に今回の事件の俺と犯人との録音データをきいたらしかった。
「そうですね。せっかくうまくいっていたのに、僕に狙撃をやめさせる権限がないばっ
かりに犯人は殺されてしまった。」
「あまり自分を責めないでください。あなたに責任は無いんですから。悪いのは最近急
にタカ派になった上の人間です。」
それもそうだった。上の人間は決断力がある強い警察をアピールするため、最近多発し
ているテロ事件はすべて犯人を無力化、あるいは確保という形で解決してきた。今回の
狙撃による無力化もそのアピールの一環だったのだろう。それもこれもすべて八年前の
政権交代のせいだった。
「2、3質問していいですか?まず録音データにあったハンドルネームとパスワードに
ついてです。」
「もう調査は始まっているんですか?ハンドルネームとパスワードを使って裏サイトに
アクセスすれば、彼らの犯行の動機やそしてこれから起こる犯罪の場所が分かりそう
なものですが。」
「これから起こる、とは?」
「彼、もちろん山本被告のことですが、彼は俺と同じ人間、と言うフレーズを複数回口
にしていました。同じ人間というのは彼と同じような犯行に及ぶ人間のことを指して
いると見て間違いないと僕は思っています。」
「そのことなんですが私たちは既に犯行に及ぶと見られている人物たちのハンドルネー
ムを特定して、足取りを追っています。ですが、国籍がばらばらでどうするのか上の
連絡を待っている状態です。」
「もうそんなところまで捜査は進んでいるんですか?」そういったところでドアがノッ
クされ、捜査一課課長の渡辺が部屋に入ってきた。
「そのことなんだが、上から連絡があった。君たちにアメリカへ飛んで、FBIとのパイプ
役になって欲しいと言うことだ。二人とも、英語は得意だろ?詳細は今から30分後
に署長室でだそうだ。」
「ちょっと待ってください。確かに俺は英語得意ですけどね、何故そんなご大層な役目
をつかまつらなくてはいけないんです?」
「おまえ頭はいいが権力機構がうまく分かっていないようだな。署長直々に命令された
んだぞ。」
「それはそうですけど・・・。」
「私は行きます。この犯人の行動に非常に興味が沸きました。犯人の行動を追うことで
彼がどのような考えを持ったのか分かると思いますし、それに、署長直々に命令され
たのでは逆らう余地は無いと思います。」
「やっぱり君は賢いな。遠藤君もみならいたまえ。」
なんかむかつくが、確かに彼女の物わかりの良さは見習いたいところである。
※
取調室でのやりとりから30分後、指示通り俺たちは署長室に出向いた。
部屋に入るなり署長の上山からいきなり用件を言われた。
「君たちは明日、アメリカのワシントンにあるFBI本部に行ってもらいたい。全日空のビ
ジネスクラスを予約しておいた。」
チケットを渡される。
「機内でゆっくりしたまえ。向こうに着いたらやることがたくさんあるからな。これが
予定だ。」
ファイルを渡された。だいぶ厚い。
「用件はそれだけだ。おっと、質問はうけつけんぞ。いきたまえ。」
俺は開きかけた口を閉じるしかなかった。
俺たちは頭を下げてから署長室を後にした。署長は事後処理に追われて今が一番忙しい
のだろう。いろいろと疑問はあるが、それは自分で解決するしかなさそうだ。
俺たちはそれぞれ自分のデスクへ戻り、ファイルを見た。まずは向こうで挨拶回りだ。
飛行機の到着時間が昼前なので、それから昼食会。そしてFBIとしての今後の方針と対策
を発表される。それから実際に事件に遭遇した俺たちの情報開示と方針発表。それから
は向こうの捜査員に混じって仕事をすることになる。外人に混じって仕事なんて、警察
に入ったばかりの頃の研修以来だ。
まてよ、明日の昼に到着ってことはもうそろそろ空港に行かないとまずいんじゃない
か?まったく、機内でゆっくりってこのことか。俺はタバコの箱を取り出したが、禁煙
なのを思い出して外にある喫煙所に向かうことにした。
喫煙所にはさっきまで一緒だった彼女がいた。この仕事でタバコを吸う人間は少なく
ない。犯罪を実行に移す人間の大半は喫煙の経験があるからだ。犯人とタバコを吸いな
がらの交渉になることもある。俺は彼女の横に立ち、タバコに火をつけた。
「あなたもタバコをお吸いになられるんですね?えっと、遠藤さん。」
「はい。体に悪いって分かっているのになかなかやめられなくて。お名前、まだ伺って
いませんでしたね。」
「合田シオリです。それにしてもなかなかハードなスケジュールになりそうですね。」
「そうですね。しかし署長も大変ですね。昨年から事実上FBIと提携している状況ですか
ら向こうから要請があったんでしょう。まだ調べたいことがあったのに残念です。」
「調べたい事って?」
「いや、犯人を射殺したA班の狙撃手についてなんですが、既に通常のシフトに戻ってい
るって聞いたものですから、ちょっと経歴が気になっていまして。」
「田中久彦捜査官ですね。彼でしたら、既に事情聴取を終えていて、経歴の確認もすん
でます。これが経歴です。」
バッグの中からファイルを取りだして渡される。
「機内でゆっくり見させてもらいます。では僕はそろそろ荷物をまとめてきます。」
「私もそうします。タクシー、呼んでおきますね。」
合田はタバコを灰皿に落とし、立ち去った。
俺は自分のデスクに戻ることにした。
※
タクシーの中でも機内でも、俺たちに会話は無かった。この仕事に就いている以上、
仕事の話イコール機密の漏洩につながってしまうからだ。
機内で彼女は映画を見てリラックスしている様子だった。俺は彼女から借りたファイル
を読んでみることにする。
「田中久彦、42歳。神奈川県出身。20歳頃に上京し、自衛官に。八年前始まったイ
ラク戦争に自衛官として参戦。特殊作戦群所属。任務記録不明。二年前に警視庁から
スカウトされ、捜査官に。」
だいたいの事しか分からなかったが、特殊作戦群所属では無理もない。と言うことは実
戦経験豊富なベテランと言うことか。人を殺した経験もあるのだろう。だから彼の相棒
とは違い、目の前で人が死んでも動揺しなかったのか。
納得して、気がゆるむと同時に重くのしかかるような疲れと眠気が襲ってきた。
合田は映画に集中しているようだ。このまま寝てしまおう。
※
「つきましたよ、遠藤さん。」
む、誰だこの美人は。ああそうか合田か。
「すみませんね。」
「いえいえ。」俺はお礼に彼女のバッグを持つことにした。ブランドものでも何でもな
い黒い肩掛けバッグだ。
空港に降りると、FBIから迎えの車がきていた。運転手と握手し、乗り込む。
1時間ほど走り、FBI本部に到着した。まずは挨拶回りだ。幹部職員、そして、向こう
の交渉人の方々と挨拶を交わして握手した。
次は昼食会だ。メニューはビーフシチューとパン、飲みたい人は酒もあるようだった
が、みんな次の会議の時にクリアな頭のままでいたいようなので飲む人はまれだった。
みんな食べ終わった頃に入り口に近い席に座っている男が立ち上がって、
「諸君、きいてくれ。」と大声で言った。彼はハワード。FBI長官だ。もちろんみんな注
目した。
「実際に事件に立ち会った日本から職員がきている。ゴウダとエンドウだ。彼らは今回
の事件を解決するに当たって非常に有力な証拠を持ってきてくれた。この場を借りて彼
らにお礼をいうと共に、彼らにそれぞれ自己紹介をしてもらいたいと思う。それでは、
まずエンドウからお願いします。」
俺からか。
「日本の警視庁からきました、遠藤です。証拠については次の会議でお話ししたいと思
っています。FBIの皆さんにはことあるごとにお世話になっているので、その恩返しが今
回できたらと思っています。」高校、大学で留学までして英語を勉強したかいがあった
スムーズに自己紹介ができた。
俺は席に座り、隣にいる合田が立ち上がった。
「同じく警視庁からきました、合田です。証拠については彼のほうが詳しいとは思いま
すが、今回事件に関わった捜査官については私からお話しさせていただきたいと思って
います。」
彼女も俺と同じくらいスムーズに自己紹介を終えた。
「日本のお二人、どうもありがとう。しばらく休憩を挟んで会議に移ろう。会議室は一
階だ。諸君、遅れないように。」
これが解散の合図だったのか、みんな席を立ち、部屋から出て行った。
割と少人数の会議になりそうだ。
俺たちは証拠である録音データ発表の準備をするために会議室へ一足早く向かった。
※
ちょうど準備ができたころに捜査官達が全員揃った。俺はマイクを手に取り、証拠の
説明を始めた。
「これは私が交渉した犯人との録音データです。日本語ですが、英語字幕をつけておき
ました。犯人は無職の山本という人物で今回スナイパーに射殺されました。一度テープ
をお聴きいただいた後で、質問を伺いたいと思います。」
俺は合田に合図した。合田がパソコンを操作する。
声紋を表す図面と、下に英語字幕が出ている。休憩の間に合田が翻訳して打ち込んでお
いたものだ。録音データが流れている間は、捜査官達はしきりにメモを取り、かなり真
剣だった。テープが終わると捜査官達は一様にして何かを考え込んでいるようだった。
「では、質問を伺いたいと思います。」ぱらぱらと手が上がる。
「手前から行きたいと思います。マイクを一番手前の捜査官に渡しますので、回してく
ださい。」
青いシャツを着た捜査官にマイクが回る。
「俺の死に花をそえてくれ、とはどういうことですか?」
俺は合田の方を見た。まさか翻訳をミスったか?合田は怪訝な顔をして首を横に振った
俺は当たり障りなく答えることにした。
「犯人は自分が死の淵にいることを何故か知っており、パスワードとハンドルネームを
僕に託しました。たぶん、犯人は僕に真相の究明を託したのでしょう。」
赤いネクタイをした捜査官にマイクが回った。
「裏サイトのアドレスは?」
「後で送信します。だいたいの調べはついていますのでファイルにまとめました。安心
してください。英語です。」
「質問は以上ですか?」反応がないのでもういいのだろう。
長官のハワードが立ち上がったので、マイクを回してもらった。
「諸君、このテープだけでは犯罪計画の全容は見えてこない。だが、この若者が犯罪計
画の情報をもたらしてくれたことは確かだ。彼の貢献に感謝すると共に冥福を祈ろう」
しばらく沈黙が訪れた。
「さて、今後の捜査の方針だが、相手は巨大な犯罪組織だ。まず資金の流れを追う。
それから日本からのファイルにあった通り彼と接触した人物を徹底的に洗う。日本から
来た二人にもこの捜査に加わってもらう。ゴウダは中央銀行に行って資金の流れを追っ
てもらう。エンドウはここに残って犯人と接触した人物の洗い出しに協力してくれ。分
担は既に決まっている。各員、調査を開始してくれ。」
捜査官達はイスから立ち上がり、それぞれの持ち場へ動き出した。
※
私、合田に与えられた指示は中央銀行へ出向いて怪しい資金の動きを探ること。
裏サイトで犯罪組織からの勧誘を受けたと思われる人数は全部で20名。動いた金の額
は全部で100万ドルと見積もられている。こんな金額を動かしても不審がられないの
はアメリカで一番大きい中央銀行だけだ、と言うのが長官の予想だった。
私は銀行のドアを押して開けた。受付嬢にFBIのバッジをみせて
「FBIの者です。アポは取ってあります。」と言った。今日一日だけ私はFBI局員と言う
ことになっている。これも長官の配慮だった。アメリカでは警察のバッジよりもこのバ
ッジのほうが効力が大きい。
「どうぞ奥へ。」
案内されるまま奥へ行こうとしたその瞬間、銃声がホールに鳴り響いた。