疑惑
2497年3月16日
フェンディル、大統領府にて
「うあぁ~もう、何故に書類がこんなにあるのだ。
やっておれんわっ。」
そう言って、丁寧に梳かされた髪に手を突っ込み、クシャクシャに掻き毟っている男がいる。
ここは大統領府の最奥、大統領執務室である。
つまりは、この堪え性も無く、うだつの上がらなそうな顔の男こそがウォーターフォード大統領ダージェス・ピンケルなのだ。
「逃げよう・・・・・」
・・・・・
「そうだ、きっと副大統領が片付けてくれるさっ・・・」
そんな虚しい希望的観測を抱きながら、大統領は着々と脱走への計画を練っていた。
それにしても、これで政治手腕に関しては敏腕なのだから、人は見かけによらない。
「おい、あまりジュリアを泣かすんじゃないぞ。」
真後ろからの声にびっくりして振り返ると、そこには昔見た懐かしい光景があった。
今回は従者を連れているようだが、小さくて大きな帽子の目立つその格好は見間違いようが無かった。
「久しぶりだな、いつこっちに来たんだ?」
「今日着いたばかりさ。」
「それでいきなり来てくれるとは嬉しいな・・・・・
よし、良い店があるんだ。
行こうぜ。」
その台詞に呆れ顔のビスケットが応えす。
「だから真面目に仕事しろって。
おまえがサボればそのしわ寄せは全部副大統領のジュリアに行く事になるんだ。
そのうち過労死するぞ。」
「あ~・・・たぶん大丈夫さ。
あいつは丈夫だけがとりえだから。」
そう答えるダージェスの額には嫌な汗が流れている気がするが、ビスケットはあえて無視した。
「あいつもとんでもない男に惚れたもんだな・・・・・」
「その通り。
惚れた弱みだ、存分に働いてもらうさ。」
と、今度はそっくり返るダージェス。
「お前の方がベタ惚れだったように見えたが気のせいだったか・・・?」
ビスケットの表情は冷ややかである。
滝のような汗を流しながら、ダージェスは口をパクパクさせ反論しようと試みているが、まったくの真実なので何も言い返せなかった。
コン・コン・コン・・・・・と、ドアをノックする音が響く。
二人の間に言いようの無い緊張が流れた瞬間、タイミング良く当のジュリアが執務室に入って来た。
ジュリアは淡い蜂蜜色のブロンドを緩やかに波打たせ、少し眠そうな気だるげな表情をしたチャーミングな女性である。
下手をすると、20代前半くらいに見られがちなのだが、彼女は31になる。
ふわっとした少女的な雰囲気のジュリアだが、相対して初めて分かる意思の強い瞳が彼女の本質を現している。
そんなジュリアはダージェスと結婚してまだ1年足らずの新妻だ。
ビスケットが最後に二人に会ったのが、その結婚式の時でそれ以来になる。
ダージェスは20近く若い奥さんを貰った訳だが、ビスケットが見るに、ダージェスの方が尻に敷かれているようである。
ジュリアは入ってくると、実に事務的な声でこの部屋の主であるダージェスに話しかけた。
「大統領、この書類にもサインを・・・」
だが、ジュリアはすぐにビスケットに気づき、最後まで言いきる事が出来なかった。
「あら、ビスケットじゃない・・・どうしたのよ?急に・・・」
初めは嬉しそうな顔をしていたが、すぐに不思議そうな顔になった。
「やはり、お前の方が話が通じるようだな。」
「って言うか、この人にそう言うことに気づけって言っても無理でしょ。
この超鈍感男。」
「まぁ、それもそうなんだがな・・・」
自分を挟んでやり取りされる会話に不愉快になりながらも、いまいち事態が把握出来ていないので反論のしようも無かった。
「はぁ・・・この人が何の用事も無く来るわけ無いでしょ。
ビスケットはあなたと違って忙しいんだから。」
ジュリアは本気で呆れている。
「まぁ、そう苛めるな。
こいつはこう言うところが良い所なんだから。」
「あたしにとっては短所なんだけどね。」
ビスケットが庇うも、ジュリアに一言で却下されてしまう。
ダージェスはと言えば、あまりな妻の言葉にうなだれてしまっている。
「ほんとに、何でこの人と結婚したのかしら・・・」
本気で言っている節のあるジュリアの言葉に、ダージェスは完全に撃沈されてしまった。
ビスケットはそんなダージェスをあえて無視してジュリアに話しかけた。
「そう言う事は二人っきりの時に話してくれ。
今回来たのは他でもない。
キャラウェイ将軍の事だ。」
「キャラウェイ将軍?彼がどうかしたの?」
「気になる情報があってな。」
「まさか!彼に限ってそんなことは無いわ。」
キャラウェイ将軍はハルシオン大戦以来の英雄である。
ジュリアの驚きも頷ける。
「問題なのは彼ではなく、回りの方だ。」
ジュリアの顔が真顔になる。
ダージェスも身を乗り出してくる。
「二人ともこいつを見てくれ。」
ビスケットが二人に見せたのは、先程ビスケット自身が月佳から見せられたものである。
そこにはキャラウェイ将軍の身辺にいる人間の一覧と、その人間達が最近接触した人物の名と写真が掲載されていた。
「よくもまぁ、これだけ詳しく調べたものね・・・・・」
呆れ気味のジュリアの声が途中で途切れる。
「ヒッコル卿・・・・・?」
ジュリアが一覧の中から聞き覚えの無い名前を目ざとく見つける。
ヒッコル卿の名はキャラウェイ将軍の参謀の一人、マイアック少佐の知人の中にあった。
「ここではヒッコル卿と名乗っとるようだが、そいつのギルギットでの名はディレア。
全軍総司令リオルの秘書の一人だ。」
ビスケットの説明に、ダージェスは納得した顔で頷いた。
「なるほどな・・・
ギルギットめ、今度はこの国が狙いのようだな。」
落ち着いた声のダージェスだが、そうはさせぬとの決意が覗える声音だった。
「おそらくな・・・・・やつらの狙いは・・・」
「海軍だ。」
ビスケットの台詞をダージェスの声がかき消した。
「この国の海軍はゲイトレックの海軍と並び称される強さを持つ。」
ダージェスの言葉は自慢でも虚勢でもない、自負を感じさせる色を持っていた。
そして、その言葉通りにウォーターフォードの海軍は圧倒的に強い。
「ジュリア、何か報告は?」
こうなった時のダージェスは他を圧倒する存在感を発している。
ジュリアもその雰囲気に飲まれたように口を開く。
「マイアック少佐については怪しい動きが報告されています。
ただ・・・ビスケットの報告ほど詳しくは無いのですが・・・・・」
「そうか。
ビスケット、すまんがこちらは手持ちの情報が無い。
もっと詳しい話を聞かせてもらえんか?」
「俺もそれが聞きたくて来たんだがな・・・・・」
「そうか・・・さてさて、どうしたもんかな・・・」
深く沈思するダージェスを見守るジュリアの目は、完全に恋する乙女の目だった・・・
そんな二人をビスケットは傍から眺めながら、またしても後手に回ってしまったらしい現状を打開する方法を模索していた。
不安材料は山ほどあり、手持ちの情報は少ない。
言いようの無い嫌な予感がビスケットの頭をかすめていった。




