7音目 5人と2人
生徒会室の空気は、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。
百合先生の放った一言――。
「生徒会長、お前ベース弾けるだろ。お前が入れ」
その言葉が、その場の空気を完全に支配していた。
雫は眼鏡の奥で目を見開き、普段の冷静沈着な彼女からは想像もつかないほど、わずかに肩を震わせた。
ユキ、ユウナ、琴音、凛、そしてレイラの五人は、ただ呆然と立ち尽くすしかない。
「えっ……えっ……? せ、生徒会長が……ベース……?」
ユウナが裏返った声を出せば、琴音もおずおずと問いかける。
「し、雫さん……? ほんとに……?」
「マジかよ……」と凛が驚き、
レイラは「……意外ですわね……」と呟いた。
雫は深く、重く息を吸い込み、静かに百合を睨み据えた。
「……先生。その話は……ここで言うべきではありません」
百合はポテチを口に運びながら、どこ吹く風で言い返す。
「別にいいだろ。お前、隠してるつもりでもバレバレだぞ」
「……何を根拠に」
雫の眉が、わずかに、けれど険しく動く。
「お前の指。爪の形。左手のタコ。それに――」
百合は肩をすくめ、とどめの一撃を放った。
「音楽室で一人で弾いてたの、見たことあるし」
雫の顔が一瞬だけ、カッと赤くなる。
ユキは思わず息を呑んだ。
(……生徒会長が、ベース……? しかも、人目を忍んで弾くほど隠していたというのか?)
「……私は、生徒会長です。部活動、それもこのような組織に参加する立場ではありません」
雫は自分を律するように冷たく言い放つが、百合は容赦なく問い詰める。
「じゃあ、このまま廃部でいいのか?」
「……それは……」
言葉に詰まる雫の前に、ユウナが一歩踏み出した。
「雫さん……! わたしたち、どうしてもメタル部を続けたいんです……!」
「お、お願いします……!」と琴音が、
「頼むよ、生徒会長」と凛が続き、
「あなたの力が必要ですわ」とレイラが気高く告げた。
五人を見渡す雫の瞳には、かつてないほどの激しい揺らぎが宿っていた。
「……場所を変えましょう。ここでは話せません」
雫に導かれ、五人と百合はメタル部の部室に移動した。
夕陽が差し込み、部室は濃いオレンジ色に染まっている。
窓際に立った雫が、背を向けたままゆっくりと語り始めた。
「……私は、昔……バンドをしていました」
ユキの背中に電流が走る。
「親に反対されて……“音楽は将来にならない”、“勉強に集中しろ”と。それで……やめました」
「……雫さん……」ユウナの声が震える。
雫は振り返らずに続けた。
「でも……フラクタルクイーンだけは……どうしても忘れられなかった」
その言葉に、ユキの胸が強く打たれた。
(……同じだ。フラクタルクイーンに魂を奪われた、俺たちと同じだ……)
「だから……あなたたちの音を聞いた時……胸が、痛くなった」
雫の告白に、琴音が息を呑み、凛も静かに聞き入る。レイラは同じ「檻」を知る者として目を細めた。
「あなたも……音楽が好きなんですのね」
雫は痛みを堪えるように目を閉じた。
「……でも、私は生徒会長。責任がある。勝手に部活に入るわけには――」
「じゃあ、試せばいいだろ」
百合がその言葉を遮った。
「セッションだよ。お前の音を聞かせろ。それで決めろ」
雫が息を呑む。「私の……音……」
ユキは迷わず、手にしていたベースを雫に差し出した。
「弾いてくれ。フラクタルクイーンの“Silent Eclipse”」
雫の瞳が、その曲名に大きく揺れた。
「……その曲は……私が、一番好きな曲……」
「なら、なおさらだ」
雫は震える手で、黒いベースを受け取った。
五人がそれぞれの位置に付く。ユキは壁にもたれて腕を組んだ。
「今日は……俺は弾かない。聞き役に徹する」
「ユキ先輩……?」
「五人の音を……ちゃんと聞きたいんだ」
「へぇ……いいじゃん」と凛が笑い、
「わたくしも……全力で弾きますわ」とレイラが応え、
「が、頑張ります……!」と琴音がマイクを握る。
雫は深く深呼吸し、借り物のベースを構えた。ユキの声が、静寂を破る。
「ワン……ツー……スリー……フォー!」
轟音が、夕暮れの教室を根底から揺らした。
凛のドラムが暴風を巻き起こし、ユウナのギターが稲妻を走らせ、レイラのホライゾンが白い閃光を放つ。
そして――雫のベースが、そのすべてを支配した。
重く、太く、それでいて驚くほど繊細な旋律。
まるで“心臓の鼓動”そのもののような音が、床を伝ってユキの全身を揺さぶる。
そこへ、琴音の声が乗った。ハスキーで鋭く、聴く者の魂を震わせる歌声。
五人の音が重なった瞬間――教室の空気が爆発した。
窓ガラスが激しく震え、床が波打ち、空気が物理的な熱を帯びる。
廊下には、異変に気づいた軽音部の生徒たちが次々と集まり、部室の中を覗き込んだ。
「な、なんだこの音……!」
「レベルが違う……!」
「生徒会長が……ベース……!? 嘘だろ……!」
軽音部部長は、その光景を前に顔を蒼白にさせていた。
「……バケモンかよ……なんだよ……あいつら……」
曲が終わると、教室は深い静寂に包まれた。
雫は震える手でベースを下ろし、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、こらえきれなかった涙が浮かんでいる。
「……私……やっぱり……音楽が、好き……」
ユウナが泣きながら雫に抱きついた。
「生徒会長……! 一緒にやりましょう……!」
琴音も涙を流し、
凛は「決まりだな」と不敵に笑う。
レイラも「あなたの音、とても素敵でしたわ」と賛辞を送った。
雫は涙を拭い、静かに、けれど揺るぎない決意を込めて言った。
「……私でよければ……メタル部に、入ります」
ユキは微笑み、五人の少女を見渡した。
「バンド名はFractal Lilyでどうだろう?」
ユキはフラクタルクイーンの遺志を組むバンド名をこの1週間、ずっと考えていたようだ。
頷く五人。
百合先生は、茜色に染まる窓際で静かに呟いた。
「……やっと揃ったわね」
その微かな声は、歓喜に沸く五人の耳には届かなかったが、4月の夕陽は熱い夏の轟音を予感させる輝きだった。




