2音目 声無き少女
翌日の放課後。
春の夕陽が校舎の窓ガラスを焼き、廊下を毒々しいほど鮮やかなオレンジ色に染め上げていた。
ユキとユウナは、昇降口の前で立ち尽くしていた。手には、昨日ユキが徹夜で書き上げた、無骨なフォントのビラ。
『メタル部 新入部員募集! 初心者歓迎――その咆哮で世界を撃て』
ユウナは、痛いくらいの笑顔を顔に貼り付けて声を張る。
「め、メタル部ですっ! よかったら、一枚だけでも……っ!」
だが、帰宅を急ぐ生徒たちは、彼女の横をすり抜けていく。
「メタル? まだあったんだ、あの化石部」
「時代遅れだよね。今はもっと、こうお洒落なバンドとかね……」
心ない言葉が飛ぶたび、ユキの胸の奥で冷たい火が爆発しそうになる。
だが、隣に立つユウナは、それを聞こえないふりをして笑い続けていた。
その指先が、ビラの端を白くなるほど強く握りしめているのを、ユキは見逃さなかった。
「……無理すんなよー。」
「む、無理なんてしてませんっ! メタルは……絶対、復活できますから!」
強がりの裏に隠された震える声を、ユキはあえて指摘しなかった。
そこへ、軽音部の部長が取り巻きを連れて現れた。茶髪をワックスで固め、流行のバンドTシャツを誇らしげに見せびらかしながら、彼はユウナの手からビラをひったくった。
「お前ら、まだこんな無駄なことやってんの? メタルなんて誰も入らねーよ」
彼はユウナの目の前で、ビラを無造作に、ゆっくりと引き裂いた。
「っ……!」
ユウナの肩が、激しく揺れた。
ユキは一歩前に出ようとしたが、それより先に軽音部長の鼻先を、冷たい言葉が掠めた。
「……やめろよ。そのゴミ、自分で片付けろ」
「はあ? 掃除してやってんだよ、時代遅れのゴミをな」
部長は鼻で笑い、仲間と連れ立って去っていった。
地面に散らばった、無惨な紙の破片。ユウナはそれを、一つ一つ丁寧に拾い集めた。
「……悔しいです……っ」
夕陽に照らされたピンクのツインテールが、微かに、けれど激しく震えている。
ユキは、彼女の隣に屈んだ。
「……絶対に見返す。あいつらの前で、メタルが一番だってことを、音で分からせてやる」
ユウナは顔を上げた。その大きな瞳には、涙を押し殺した執念が宿っていた。
「はいっ……! ユキ先輩となら、絶対にできます!」
日が沈み、校舎に夜の帳が降り始める頃。
二人は合唱部や軽音部、メタル部の部室がある旧校舎へと足を向けた。
防音の甘い音楽棟の廊下。
合唱部の部室から、微かな歌声が漏れていた。
だが、それは「合唱」と呼ぶにはあまりに異質な、苦しげで、震えた響きだった。
ユウナが、吸い寄せられるように扉を細く開ける。
そこには、譜面を握りしめたまま、床にうずくまる一人の少女がいた。
茶髪のゆるふわとした髪を乱し、喉をかきむしるようにして。
「……ごめんなさい……私なんて、やっぱり、…」
彼女の声は、透明な涙で濡れていた。
「だ、大丈夫ですか……?」
ユウナの問いかけに、
少女――琴音は、怯えた小動物のように顔を上げた。
「わ、私……合唱部に入ったんですけど……みんなと声が混ざらなくて……迷惑ばかりかけてて……先輩たち、怒らせちゃって。」
なんともいじめられ体質がありそうな女子だ。
たが、
「混ぜる必要なんてない」
ユキが、背後から静かに断じた。
「君の声、少し聴かせてくれないか」
琴音は戸惑いながらも、ユウナが優しく爪弾いたギターのコードに合わせ、おずおずと歌い始めた。
その瞬間、合唱部、部室の空気が一変した。
透明感など、そこにはない。
あるのは、砂利を噛んだような美しい歪み(ディストーション)と、
魂の底を削り取るようなハスキーな深度。
なのにどことなく甲高さがある。
合唱という「調和」の中では毒でしかない。
ただその声は、メタルという「戦場」においては、最強の聖杯だった。
ユキは、背筋に走る戦慄を隠せなかった。
(……見つけた。この喉には、怪物が棲んでいる。シャウトも決まりそうな声質。)
「……すげぇな」
「ち、違いますっ! 私なんて、汚い声で……っ!」
琴音が顔を伏せようとしたその時、
ユウナが彼女の両手を強く握った。
「琴音さん……メタル、やってみませんか?」
「え……?」
「合唱じゃなくて、ソロならどうですか!?みんなに合わせる必要なんてない。あなたのその声は、メタルを、私たちの音楽を完成させるためにあるのかもです!」
琴音の大きな瞳に、再び涙が溢れた。
けれど、それは先ほどまでの絶望の色ではなかった。
「わ、私なんかが……?」
ユキは、確信を込めて頷いた。
「お前の声が必要だ。いや、お前の声じゃなきゃダメなんだ」
琴音は震える唇を噛み締め、
ユウナとユキの顔を交互に見つめた。
「……ありがとうございます……少し、私にメタルというのを教えてもらえますか?」
音楽棟の廊下に、三人の影が長く伸びる。
夜の風が吹き抜け、不吉な予感と、それを上回る圧倒的な予兆が、校舎を揺らした。
泥の中から這い上がる百合が、一輪、また一輪と咲き始めていた。




