17音目 四天王MAD
眩い聖地の熱狂
アスファルトが陽炎を揺らし、蝉時雨が肌を刺すような8月の酷暑。
熱を孕んだ湿った風が、ライブハウス『STARS ROOM』の入り口に集まる観客の熱気と混ざり合い、都心の午後を重苦しく支配していた。
SLASHの地下室にある鉄錆の匂いとは違う。
STARS ROOMは、最新鋭のLEDパネルが放つ光と、芳醇な香水の香りが漂う、文字通りの「聖地」だ。ブッキングライブ当日、フロアは超満員の熱気に包まれていた。
「……暑い。外も中も、温度が狂ってる」
ユキは控え室の隅で、冷えたペットボトルを首筋に当てて呻いた。
今日の出演は計7バンド。
前半、数組のバンドが火花を散らす。
観客の耳は肥え、ステージに向けられる期待値は分刻みで跳ね上がっていく。
甘い毒薬、SUGAR★RUSH
中盤、四天王候補の一角『SUGAR★RUSH』が登場した瞬間、会場の空気がピンク色の毒に染まった。
「みんなぁ、溶けちゃうくらい踊ろうね!」
モモの甘ったるい声と共に放たれたのは、極彩色のポップロック。キャッチーなメロディの中に、計算された不協和音を忍び込ませる。ルルのキーボードが空間を魔法のように彩り、アンのうねるベースが観客の思考を奪う。
「……悔しい。あんなに可愛らしいのに、音の厚みが尋常じゃないわ」
舞台袖で見守るレイラが、その「売れるための正解」を見せつけるようなステージに圧倒されていた。
その喧騒の最中、ユキは機材搬入口の影で、STARS ROOMのオーナーと親しげに、それでいて真剣な面持ちで密談を交わす百合先生の姿を捉えた。
二人の間には、単なる箱側と演者側という枠を超えた、長く深い繋がりを感じさせる独特の沈黙が流れている。
先生のその横顔は、いつもの昼行灯な姿とは別人に見えた。
Fractal Lily、アウェイの挑戦
「トリ前――Fractal Lily!!」
アナウンスと共に5人がステージに上がったが、会場の反応は冷ややかだった。
「メタル? 湿気たジャンル持ってきたな」
「制服? SLASHで浮いてるって噂のガキか」
冷笑と無関心。だが、凛がスティックを振り下ろした瞬間、そのすべてが「轟音」によって粉砕された。
一ヶ月の「地獄」で磨き上げた難解な変拍子。ユウナとレイラのギターソロが、火花を散らす火龍のように絡み合う。
「……え、何これ、上手すぎない?」
「声……ボーカルの子、化け物かよ!」
琴音の喉から放たれたハスキーかつ超高音のシャウトが、フロアの最深部まで貫いた。
アウェイの空気は、数分後には畏怖を伴う賞賛へと変わり、演奏が終わる頃には地鳴りのような歓声が渦巻いていた。
「……やった。届いた……!」
ユウナが汗だくの笑顔でユキを見た。手応えは十分。完璧なライブだった。
しかし、その達成感は、わずか数分で瓦礫と化した。
トリ――四天王『MAD』。
彼女たちがステージに現れた瞬間、フロアの「気圧」が変わった。
「遊ぼうぜ、STARS ROOM!!」
ゼットの咆哮と共に、ネオンカラーの髪を揺らすネオのギターから放たれたのは、ノイズとスクラッチが混ざり合う、理性を破壊するミクスチャーサウンド。
ドォォォォォォン!!!
ジンの5弦ベースが、心臓を直接握り潰すような重低音を叩き出し、ユーカのドラムが床を物理的に揺らす。
「なっ……何、この音圧……!」
ユキはスピーカーから放たれる圧倒的な質量に、足がすくんだ。
観客のノリが、他とは全く違う。統率された拍手などない。
フロアは一瞬で戦場へと変わり、興奮した客が次々とダイブを決め、人の波の上を転がっていく。
ラップとシャウトが交錯し、躍動するステージは、もはや「音楽」を超えた「暴動」だった。
MADが音を止めた時、会場に残っていたのは熱狂ではなく、焼け野原のような「静寂」だった。
残された敗北感
ライブ終了後
Fractal Lilyの5人は、自分たちの成功が、MADという巨大な太陽に飲み込まれ、影すら残っていないことに気づいた。
「……凄すぎますわ。わたくしたちの演奏なんて、ただの『お遊戯』にしか見えませんでしたわ」
レイラの声が震える。
凛もまた、拳を握りしめたまま、かつての戦友であるユーカの背中を、遠い世界を見るような瞳で見つめていた。
最高の演奏をしたはずなのに、心に残ったのは、冷たいほどの「敗北感」。
聖地の夜風は、8月の熱気を帯びたまま、彼女たちの未熟さをあざ笑うように吹き抜けていった。




