1音目 廃部寸前のメタル部より
四月の風には、まだ冬の死に損ないのような冷たさが混じっていた。
放課後の喧騒から切り離された、旧校舎の突き当たり。
薄暗い廊下の終着点に、その「墓標」はある。
メタル部。
建付けの悪い扉を開けると、埃っぽい空気と死蔵された真空管アンプの匂いが鼻を突いた。
先輩たちが残していったステッカーだらけの雑誌、壁には色褪せた伝説のガールズメタルバンド『フラクタルクイーン』のポスター。
かつてここには、魂を削るような轟音があった。
「……結局、俺一人かあ。」
ユキは低く呟き、アンプの上に無造作に置かれたピックを指先で弾いた。
ギターも、ベースも、ドラムも――
全部演奏はできる。
曲も作る。
それでも、ここにはもう誰もいない。
今はキラキラとした青春ロックや、型に嵌まったアイドルバンドがもてはやされる時代。
重く、速く、醜悪なまでに純粋な「メタル」なんて、化石扱いだ。
だが、ユキの胸の奥には、フラクタルクイーンに、メタルに魂を焼かれたあの日の熱が、消えずに燻り続けていた。
「……あの音を、もう一度」
祈りにも似た呟きを掻き消したのは、無遠慮な足音と、薄ら寒い笑い声だった。
「おーいユキくーん。まだいたの? ここ、そろそろ軽音部に明け渡してよ」
現れたのは、流行りのバンドTシャツを誇らしげに纏った軽音部の連中だ。
「メタル部って、もう君一人でしょ? 時代遅れな部室、有効活用させてよ。今年は新入生が溢れてるんだよね」
ユキは無言でギターケースのジッパーを閉めた。
怒りよりも先に、深い諦念が肺を突く。
言い返す言葉さえ、この静寂の中では虚しく響くだけだ。
そこへ、廊下を凍らせるような冷徹な声が割って入った。
「メタル部は、本日を以て廃部とします」
生徒会長、霧島雫。眼鏡の奥にある瞳は、機械のように感情を排していた。
「部員一名。顧問不在。活動実績ゼロ。継続を認める根拠がありません」
「……猶予は無いのか?」とユキ
「学校の資産は、より『価値のある場所』へ分配されるべきです。もし異議があるなら――」
雫は淡々と、最後通告を突きつけた。
「来週までに、五人の部員と顧問、そして納得のいく活動計画書を提出しなさい。できなければ、この部屋は解体します」
軽音部の連中が、こらえきれないといった風に吹き出した。
「無理無理! メタルなんて、今どき誰もやらねーよ!」
連中が去り、静寂が戻った部室で、ユキは拳を固く握りしめた。
現実という重圧が、骨を軋ませる。俺の書く曲は、誰にも届かずに消えるのか。
新入生の勧誘などする気すら起きず、
諦めて帰ろうとしたその時
コン、コン。
心臓の鼓動よりも控えめな、けれど確かな意志を感じさせるノックの音。
「……失礼します。あの、ここ……メタル部ですか?」
扉の隙間から覗いたのは、春の陽光をそのまま形にしたような、鮮やかなピンクのツインテールの少女だった。
その背には、彼女の華奢な体躯には不釣り合いな、攻撃的なフォルムの「フライングV」のケース。
「わ、私……メタル部に入りたいんですっ!」
ユキの思考が、一瞬停止した。
「……は?」
少女は緊張に頬を紅潮させながら、けれど満面の笑みで告げた。
「私、フラクタルクイーンが大好きで……! ここならコピーできると思って、それでこの学校に来たんです。」
「……お前も、好きなのか」
「だ、大好きですっ! 誰が何と言おうと、世界で一番かっこいい音楽だと思います!」
少女の瞳の奥に、自分と同じ「火」を見た。
ユキは吸い寄せられるように、自分のメインギターを手に取った。
「……ちょ、ちょっと、弾いてみるか」
「はいっ!」
二人の最初の一音が重なった瞬間、部室の景色が一変した。
少女――ユウナのギターは、信じられないほどに緻密で、速く、そして暴力的なまでに「熱い」。
ユキの指先が震えた。自分の頭の中にしかなかった理想の旋律が、彼女の指を通して、血の通った「咆哮」へと昇華されていく。
「……お前、なんだその腕は」
「えへへ……ずっと一人で、この音を目指して練習してたんですっ!」
二人は夢中で弾き続けた。夕刻のチャイムさえ聞こえないほどに。
音が重なるたびに、錆びついていたユキの感性が、火花を散らして蘇っていく。
演奏を終え、肩で息をするユウナが、弾けるような笑顔を向けた。
「ユキ先輩……!
メタル部に、入れてください。」
ユキは、自分でも驚くほど自然に笑っていた。
「……ああ。でもあと三人、そして顧問。見つけないと実は廃部になっちゃうんだ。。この部。」
そこへ、忘れ物を取りに来た軽音部の男が再び顔を出した。
「まだやってんの? 無駄だって――」
「見てろよ」
ユキは静かに、けれど断固とした拒絶を込めて言い放った。
「俺たちが、メタルを取り戻す。復活させてやる。」
隣で、ユウナが力強く頷く。
旧校舎の窓から差し込む長い夕陽が、二人の影を、一つの巨大な怪物のように廊下へ伸ばしていた




