第25話 隼斗の力
「そんじゃあ、そろそろお前の唇を奪わせてもらいますかねえ。今から俺がさ、お前に“最高のキス”ってやつを味わわせてやるよ。ヒャッヒャッヒャッ!」
下卑た笑いを響かせながら、少年はゆっくりと顔を寄せてくる。その距離が縮まるたび、空気が重く淀んでいくようだった。
麗奈はぎゅっと目を閉じ、唇を強く噛みしめる。
逃げ場はない――そう思い知らされるたび、心臓の鼓動が嫌なほど耳に響いた。
少年の唇が、じわりと迫る。
あとほんのわずかで触れてしまう、その瞬間――
「グハッ!」
不意に鈍い衝撃音とともに、少年の身体が弾き飛ばされた。まるで見えない力に叩きつけられたかのように、数メートル後方へ転がっていく。
麗奈ははっと目を見開いた。
何が起きたのか理解できず、ただ呆然と前を見つめる。
その視線の先に、ひとつの背中があった。
見慣れた、そして誰よりも頼もしい背中。
麗奈の兄、天道隼斗が、静かにそこに立っていた。
「よう。大丈夫だったか? 怖くなかったか?」
振り返りざまにかけられたその声は、驚くほど穏やかで、温かかった。
その一言だけで、張り詰めていた何かが一気にほどける。
守られている――そう実感した瞬間、麗奈の視界がにじんだ。
「うん……すごく……怖かった……。どうしたらいいか……分からなくて……」
「そっか。帰りが遅いからさ、あちこち探し回っちまったよ。でも――間に合ってよかった」
隼斗は優しく手を伸ばし、麗奈の頭をそっと撫でる。その仕草は、幼い頃と何ひとつ変わらなかった。
「今から俺が、この悪党どもを一人残らずブッ飛ばす。だから悪いけど麗奈、今は少し後ろに下がっていてくれるか?」
「……うん」
麗奈は小さく頷き、言われた通り距離を取る。
その様子を見届けると、隼斗の表情が一変した。
「ゲホッ……くそっ! いきなり何しやがる!」
吹き飛ばされた少年が怒鳴り声を上げるが、隼斗は一瞥すらくれない。
代わりに、周囲で少女を取り囲んでいた連中へとゆっくり向き直る。
そして――静かに目を閉じた。
呼吸を整え、意識を一点に集中させる。
やがて腰を深く落とし、両腕を引き絞るように構え、拳を固く握り締めた。
「はあああああああああ!」
裂帛の気合とともに、空気が震える。
隼斗の周囲に、目には見えぬ圧が満ちていく。
次の瞬間、彼の拳が動いた。
「ああああああああ! たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた!」
目にも止まらぬ速さで、空を切り裂くように打ち込まれていく無数の打撃。
連続する衝撃音が、遅れて空間を震わせた。
「てめえ、馬鹿だろ!? 何もない所に拳を叩き込んでどうすんだよ! ギャハハハハハハハハハハハッ!」
嘲笑が響く。
だが、その笑いは最後まで続かなかった。
「あたあああ!!」
最後の一撃が放たれる。
「天道流護身術裏奥義! 気功烈波百裂拳!」
隼人が奥義の名を叫んだ、次の瞬間だった。
取り囲んでいた少年たちが、一斉に膝を折る。
まるで見えない何かに叩き伏せられたかのように、次々と地面へ崩れ落ちていく。




