第2話 不安
(本当に、眠っているのか?)
兄は、わずかに眉をひそめた。目の前で静かに寝息を立てている妹。その姿はあまりにも無防備で、疑う余地などないように見える。だが――これまでの経験が、彼の足を縫い止めていた。
(いや……。まさか、いつもの狸寝入りってことはないよな……?)
胸の奥に、じわりと不安が広がる。
彼がここまで慎重にならざるを得ない理由は、明白だった。これまで幾度となく、同じように眠っていると信じて近づいた瞬間――妹は突如として目を見開き、信じがたい速さで起き上がる。そして次の瞬間には、華奢な体からは想像もつかない苛烈な拳と蹴りが、容赦なく彼に叩き込まれてきたのだ。
その痛みは、今でも鮮明に思い出せる。
(……だが、ここまで耐えたんだ)
兄は、ぐっと拳を握りしめる。
(五時間だぞ! 狭くて硬いベッドの下で、息を潜めて、身動きも取れずに耐え続けたんだ! それがようやく報われる瞬間だっていうのに、ここで引き下がるなんて、あってたまるか!)
内心での叫びは、次第に熱を帯びていく。
(俺は、妹が好きだ。誰よりも、何よりも愛している! だから――)
その想いは、もはや歪みを隠そうともしない。
(どうしても、キスがしたいんだ!)
静まり返った部屋の中で、兄はただ一人、燃え上がる衝動を必死に押し殺していた。
ベッドの傍らに立ち、腕を組む。視線は、眠る妹から一瞬たりとも逸れない。
「まずは、本当に眠っているか確かめるべきか?」
小声で呟きながらも、その足は動かない。
「いや……待て。よく考えろ」
自問自答は、すぐに別の結論へとたどり着く。
「確認したところで、意味があるのか? もし狸寝入りだったら? どのみち、触れた瞬間に……わかるか」
脳裏に蘇るのは、あの悪夢のような反撃。一瞬の油断が、激烈な暴力となって返ってくるあの恐怖。
兄は、思わず喉を鳴らした。
眠っているのか。それとも、罠なのか。
目の前に横たわるのは、可憐な妹――そして同時に、油断すれば牙を剥く存在でもあった。
進むべきか、退くべきか。
彼はただ、立ち尽くしたまま……答えの出ない問いに、深く囚われていた。




