The Mystery of Peach Boy
日本の某県某市吾郷町にある公立学校、吾郷中学校。その授業は、八時十分の朝活から始まる。
登校の門限が七時五十分に設定されている為、八時頃には殆どの生徒が教室内に入っている。
吾郷中学二年生の金田一耕は、「家が近所」ということもあって、それなりに早い時間に教室に入っていた。
尤も、早くに来ても何をするでもなく。一耕は、窓際最後列手前の自席から茫洋と窓の外を眺めていた。何事も無ければ、朝活まで「このまま」であった。
しかし、「何事」は有った。一耕を含め、全生徒の平穏を全力で妨げる「人災」が、たった今、教室の中に飛び込んできた。
「一耕っ」
教室中に響く大声だ。端の席にいる一耕の耳にも届いていた。
一耕は、名前を呼んだ相手をヤブ睨みした。その姿が視界に映った瞬間、一耕の「へ」の字に歪んだ口から、相手の名前が零れ出た。
「…………悟朗か」
一耕の前に立ちはだかった男子生徒。そいつは「吾郷中の歩く災害」こと、真田悟朗だった。
悟朗は教室に入るや否や、一耕に向かって真っ直ぐ走った。一耕は着席している。逃げ場は無い。
尤も、一耕に逃げる気など更々無い。しかしながら、悟朗の相手をすることに対しては少なからず面倒臭さを覚えていた。
一耕の眉が不機嫌そうに歪んだ。その様子は、悟朗の視界にも映っていた。
しかし、他人の心情を気にする繊細さは、悟朗には無い。
悟朗は、一耕の前に回り込むや否や、一耕に向かって声を上げた。
「俺、また『凄いこと』に気付いてしまったぞ」
凄いこと。その言葉は、他の生徒達の耳にも入っていた。その瞬間、悟朗を除く全ての生徒の眉根が一層不機嫌そうに歪んだ。
絶対に、ろくでもないことだ。
幾人かの生徒の口から溜息が漏れた。その直後、悟朗の声が上がった。
「昨日、『鬼〇の刃』を読んでいて思ったんだけどさ」
鬼〇の刃。「少年漫画の金字塔」というべき名作である。生徒達の中にも、その作品を推している者は多い。その名を聞いて、語りたい衝動にも駆られた。
しかし、「あの」悟朗の口から聞くと、他の生徒達には「トラブルの種」としか思えなかった。それぞれ「鬼〇の刃」を使った迷惑行為を想像していた。
しかし、生徒達の想像は全て外れた。そもそも、悟朗の「標的」は「鬼〇の刃」ではなかった。
「童話の『桃太郎』ってあるだろ?」
桃太郎。「桃から生まれた子どもが、お供を連れて鬼退治する」というお話だ。「鬼退治」ということで、「鬼〇の刃」との共通点も、それなりに有る。
桃太郎自体、「日本で一番有名な童話」と言えるだろう。教室に居合わせた生徒達も、その物語の内容はよくご存じだ。だからこそ――首を捻った。
え? 桃太郎がどうしたの?
悟朗の言う「凄いこと」の内容が、全く閃かない。そんな生徒達の困惑を、一耕が代弁していた。
「それが?」
一耕の眉間には、深い皺が刻まれていた。その表情は、真正面にいる悟朗の視界にも映っていた。
しかし、いつものように全力無視。
悟朗は、一耕に向かって、桃太郎に関する「凄いこと」を全力で披露した。
「桃太郎が入っていた『桃』って――実は『ケツのデカい女の人』だったんじゃないか?」
桃とケツ(お尻)。形状的には「似ている」と言えなくもない。しかし、それを耳にした生徒達の顔には、脱力し切った全力の「呆れ顔」が浮かんでいた。
無いわ。それは無い無い。
殆どの生徒達は首を横に振った。しかし、全員ではなかった。一人だけ、全く別の反応をする生徒がいた。
「それは――有り得るな」
一耕は「ふむ」と頷いた。その反応を目の当たりにして、他の生徒達の表情が「真顔」に変化した。
お前――「それ」にも食い付くのか?
悟朗達を除く生徒達の脳内に「くだらないことで余暇を潰される」という最悪の可能性が閃いた。それは、一耕によって具現化した。
「女の人であれば、子どもが生まれるもの納得できる」
一耕は「桃太郎の根幹」にズバリと切り込んだ。それを聞いた他の生徒達の顔に、渋柿も裸足で逃げ出すほどの渋面が浮かんだ。
それ、もう、「桃太郎」じゃない。
物語のタイトル全否定。教室の「アストラル空間」に、一耕に対するツッコミの言葉が幾つも響き渡った。その声無き声に、意外な生徒が応えた。
「だが、本当に女の人だとすると――」
声を上げたのは、ボケた張本人、一耕だった。
一耕は、続け様に「悟朗の仮説」に対する疑問を告げた。
「『或る条件』がクリアにならない」
或る条件。その言葉を聞いて、悟朗を含めた全生徒の首が傾いだ。
そもそも、一耕の推理は当たらない。それどころか、異次元の方向に外れる。その内容を想像することは、真面な人間には難しい。
正答を得る方法は、一耕本人に尋ねる以外ない。その大任を、悟朗が請け負った。
「或る条件って――何だ?」
悟朗は直球で質問した。すると、一耕は「試験に臨む受験生」と錯覚するような真剣な表情を浮かべながら「正答」を告げた。
「『どんぶらこ』だ」
どんぶらこ。日本人なら誰もが知る「桃が流れてくるときに聞こえる擬音」である。
一耕の言葉を聞いて、悟朗を含めて、その場にいた生徒達は全員「あっ」と声を上げた。その声は、一耕の耳にもシッカリ届いていた。
「ふっ」
一耕の口許に、会心のシニカルな笑みが浮かんだ。その嫌味に吊り上がった口が開いて、悟朗の仮説を一刀両断した。
「桃であれば『どんぶらこ』で良し。だが、人であれば――そうもいくまい?」
どんぶらこの壁。それを越すことは、悟朗には難しかった。
「まさか、こんなところで俺の推理が――」
悟朗はガックリ項垂れた。その様子を見て、他の生徒達は「これで終わりだ」と、胸を撫で下ろした。
ところが、終わってなかった。皆が「ほっ」と息を吐いている間に、悟朗の背後に一人の男子生徒が忍び寄っていた。
その男子生徒は、悟朗に近付くなり、その右肩に右手を「ポン」と置いた。
「いや、そうとも限らんぞ?」
「「!?」」
男子生徒の声を聞いて、悟朗は振り返った。一耕も顔を上げた。
悟朗達の視界に、気難しげな表情を浮かべる男子生徒が映った。そいつは、右掌で口許を抑えていた。
特徴的な表情と仕草だ。「それ」を見た瞬間、悟朗達は「相手の名前(愛称)」を告げた。
「「『ヤマさん』っ!?」」
ヤマさん。本名「山口茂平」。山口だから「ヤマさん」。
突然の上級生の乱入。その異常事態に対して、声を上げる生徒は皆無だった。だからと言って、現況を受け入れている訳ではなかった。
これで「終わり」と思っていたのに。
殆どの生徒達は、悔しげに歯噛みしていた。その怨嗟の音が響く中、錆びを含んだ茂平の声が響き渡った。
「仮に、桃が『オーク』だとしたら――どうだ?」
オーク。簡潔に言えば「豚面の大男(大女)」である。その言葉が発せられた瞬間、殆どの生徒の顔に渋面が浮かんだ。
また「異世界脳」が始まったよ。
異世界脳。茂平にとっては不名誉極まりない侮蔑の言葉。しかし、言い得て妙でもあった。
茂平は「異世界脳」を全開にして、自分の推理(珍説)を披露するつもりだった。
ところが、茂平の前に一耕が立ちはだかった。
「けどヤマさん」
「ん?」
「オークだとしても『どんぶらこ』とは――」
どんぶらこ。その擬音が、「桃」以外の存在を強固に跳ね退ける。例えオークであろうと例外ではない。
しかし、茂平は動じなかった。右手に隠れた口端はニヤリと吊り上がっていた。
「まあ、俺の話を聞け」
茂平は、右手で口許をゴシゴシ擦りながら、自分の推理を語り出した。
「当時、オークのギャング団の抗争、縄張り――『シマ』争いが有った」
茂平は、敢えて「シマ」という言葉を強調した。
すると、悟朗と一耕の目が、「かっ」読擬音を上げて開いた。その表情の意味が、二人の口から飛び出した。
「まさかっ、『鬼ヶ島』は――」
「『オーク(ギャング)のシマ』って意味だったのかっ!?」
悟朗達の言葉を聞いて、茂平は静かに頷いた。
「そうだ。それで、負けたギャング団のボスの名が――『ブラコ』」
ブラコ。その言葉を聞いた瞬間、悟朗と一耕の脳内に天啓が下りた。
「まさかっ!?」
「ヤマさんっ!?」
悟朗達が得た天啓は、茂平が具現化した。
「そうだ。『首領ブラコ』だ」
「「!!!」」
首領ブラコ。どんぶらこである。それが「相手の呼び名」であるならば、「桃が流れてくるときに聞こえる擬音」に拘る必要も無い。
「ま、『豚子(オークの女性名)』が『ブラコ』として伝わったのかもしれんがな」
豚子とブラコ。似ていなくもない。
しかし、如何にオークと言えども「豚子」という名前は直球に過ぎる。完全なビーンボールである。オークさんが可哀そう。
しかし、相手が悪かった。茂平の心に「オークに掛ける情」は微塵も無かった。
「何れにせよ、件のオークはブラコ本人か、或いはブラコの奥さん、或いは娘――といったところだろう。そして――」
茂平は、続け様に「ブラコが川を流れていた理由」を告げた。
「ブラコを襲って川に落としたのは、恐らく――『首領グリコ』」
首領グリコ。その名前を聞いた瞬間、居合わせた全生徒の脳内に「木の実」が閃いた。
悟朗と一耕も「同じもの」を想像していた。
「あの野郎。『お池に嵌って』いる裏で、とんでもない悪さをしていたんだな」
「『泥鰌』も手を貸していた――って訳か」
悟朗と一耕、そして茂平の脳内には、童謡「どんぐりころころ」の各場面が閃いていた。
「ま、奴らにとっては『遊び』だったのだろうが――おっと?」
三人でドングリに冤罪を掛けている最中、茂平が唐突に振り向いた。
このとき、茂平は教壇奥、黒板の上に掲げられた「丸い掛け時計」を見ていた。その長針が「朝活開始、一分前」を示していた。
「ここまで――だな」
茂平はクルリと踵を返した。そのまま振り向くことなく教室から去った。その様子は全生徒の視界に映っていた。
これで、やっと終わりか。
生徒達は再び胸を撫で下ろした。しかし、残念ながら終わっていなかった。
生徒達が「ほっ」と息を吐き掛けたところに、悟朗の声が上がった。
「俺――行ってくる」
悟朗の発言に、一耕が応じた。
「では、俺も同行しよう」
悟朗と一耕は、そのまま教室を出て行った。一体、何をしに行ったのか? その目的が、二人の口からこぼれ出た。
「どんぐりの野郎、とっちめてやる」
「ブラコ――豚子さんの仇を、俺達が討つ」
悟朗達は「オークのシマを荒らしたドングリ(言い掛かり)」を退治する為、岡山県へと旅立った。そして、目的を遂行することなく、岡山名物「黍団子」を買って、そのまま帰って来るのだった。
続編希望の声を聴いた瞬間、天啓が下りました。ありがとうございます。