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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ありす

作者: 林代音臣

****


「ねぇ、今度の日曜日カラオケに行かない?」


 高校の教室、その窓際。いつもの場所でいつもの六人で駄弁っていたら、一人がそんな提案をした。


「いいね! 行こう行こう。あ、ありすは来れる?」


 一人がそう言って、椅子に座ったありすちゃんに後ろからハグする。

 ありすちゃんは、きゃっ、と少し驚いたあと、はにかんだように笑って振り返る。


「その日は塾が夜からだから、それまでだったら遊べるよ」


 良かった。きっとありすちゃんが来られないなら、この計画自体が無くなっていた。

 多分私が行けないとみんなに言ったところで、そうなんだ、で終わりだと思う。でも、ありすちゃんはそうじゃない。

 ……まぁ私だって、もしありすちゃんが来られないならカラオケなんて行かないけど。


 ありすちゃんは可愛い。

 絹みたいに細くて長い黒髪、くりくりの飾らないお目々。

 生徒会にも入っていて頭がいい。おうちが厳しいらしく、いつも習い事で忙しそうだ。

 運動だって得意だ。毎年体育祭のリレーメンバーに選ばれている。

 そんなに凄いのにとっても優しい。いつも気を配ってくれる……あぁほら、今だって。


「ねぇ、カラオケ来られる?」


 ありすちゃんが私のセーラー服の裾をきゅっと握って、首を少し傾げて尋ねてきた。

 突然のことにドキッとして、少し上擦った声で返事をした……そうしたら。


「よかった、一緒に行きたかったの」


 風が教室に吹き込んで、ありすちゃんの黒髪が揺れる。

 シャンプー、トリートメント、それとも整髪剤……? わからない、わからないけど甘くて、良い匂いがした。

 胸の奥が騒がしい。ありすちゃん以外の声なんてちっとも耳に入って来ない。

 やわらかくて高い声。手で口元を覆う癖があるから、少しくぐもって聞こえる笑い方。

 清楚で可愛い、可愛い……可愛い。ありすちゃんは、私の理想そのものだ。


****


 それから数ヶ月、肌寒くなってきたある日。

 放課後の美化委員会の仕事が長引いて、私は一人、夕日に照らされた廊下を歩いていた。

 教室の荷物を取ったら早く帰ろう、もうクタクタだ……しばらく雑巾は絞りたく無い。

 あ、そういえば……ありすちゃんが学校の自販機に新しく入ったいちごオレが美味しいって言ってたっけ。

 自分へのご褒美に買って帰ろう。それにもしかしたら、私も飲んだよーって、ありすちゃんとお喋り出来るかも知れないし。


 開いていた教室の扉をくぐろうとして……一瞬、動きを止める。

 窓際の前から三番目の席。机に突っ伏しているのか、丸まった背中。

 ありすちゃんだ。

 少し近づく……どうやら眠っているようだ。

 音を立てないようにさらに近付く。静かな教室に、小さな寝息。

 長い睫毛、透き通った白い肌。……やっぱりありすちゃんは、寝ていてもお人形さんみたいだ。

 少し空かしていた窓からちょっと冷たい風が入って、ありすちゃんの髪が揺れて気が付いた。白いイヤホンをしている。

 机の上には画面が映ったままのありすちゃんのスマホ。

 音楽の再生画面……そこにはありすちゃんに似つかわしくない……パンクロック? とでも言うのだろうか、そういうアーティストの写真が表示されていた。

 

 ありすちゃんが目を覚まして、きゃっ、と……可愛い声を上げた。

 急いでイヤホンを外して、スマホの画面を隠そうとする。

 ……学校ではスマホは禁止なのに、ありすちゃんがこんなことするなんて意外。


「見た……?」


 耳まで顔を赤くして、目を潤ませて。ありすちゃんは形の綺麗な唇を動かした。

 これで見ていないのは無理があるから、素直にうん、と頷く。

 風がまた吹き込む。ありすちゃんの軽い黒髪が揺れる。

 甘くてクラクラする匂い。聞いてすぐに真似したから、私と同じシャンプーのはずなのに全然違う……きっとありすちゃんの匂い。

 ありすちゃんは少しだけ目を閉じて、ゆっくり開いて……立っている私に上目遣い。


「みんなには秘密にして……? こういうのが好きだって知られるの、ちょっと照れくさいから……ダメ?」



 家に帰って、着替えてすぐにベッドに寝転び、動画アプリを開く。

 ありすちゃんが好きな、パンクロックバンドの曲。

 人によっては拒絶されそうなほどの強いメッセージ性の歌詞。ノリがいい曲調、激しいエレキギターの音。

 聞いたことがない感じの曲だ、そして正直あまり好きではない。

 聞けば聞くほど、ありすちゃんらしくない。

 でもそんなことはどうでも良かった。

 二人だけの秘密……私しか知らない、他の子は知らないありすちゃん!

 ふつふつと泡が立つように、くすぐったいような、嬉しいような……ようなじゃない、嬉しい!

 ベッドから跳ね上がるように起き上がって……また、勢いよくゴロンと寝転ぶ。

 秘密、秘密。

 二人だけの秘密なんだ。



 もちろん卒業するまで、私はそれを誰にも言わなかった。


 何度もみんなでカラオケに行って、ありすちゃんが流行りの曲を歌う度に……盛り上がるみんなの中で、私は優越感に浸っていた。

 ありすちゃんは本当は違う曲が好きなんだよ、知らないでしょ?

 アイスティーをストローで吸い上げながら、私はニヤけないように必死だった。


 ……別に思いを伝えようとは思わなかった。

 私は、私のことが好きなありすちゃんなんて嫌だ。

 あんなに可愛いんだ。ありすちゃんが好きになるような人は、落ち着いていて大人で……とにかくとっても素敵な人だ。絶対そうに決まってるし、そうじゃなきゃ嫌だ。


 卒業式の日、いつもの六人で写真を撮り終わったあと、ありすちゃんがこっそり声をかけてくれた。

 人通りの少ない中庭の大きな木の前で、二人だけで写真を撮る。

 私のスマホで撮った写真を覗き込んで、ありすちゃんは恥ずかしそうに、いつもみたいに手で口元を覆って笑った。

 ピロン、と音が鳴る。ありすちゃんのスマホだ。


「ごめんね、もう行かなくちゃ。また会おうね!」


 細くて綺麗な手を、ありすちゃんが振ってくれた。

 名残惜しそうに背中を向けて、ありすちゃんはパタパタと走り出す。

 長い黒髪が揺れる。着崩してない、黒いセーラー服のスカートが揺れる。

 そんな姿に見蕩れていたら、ありすちゃんが振り返って、遠くなった私に届くように大きな声を出した。


「気をつけて帰ってね!」


 可愛い。最後まで可愛くて、優しい。やっぱり私の理想そのものだ。

 ああ、一言くらい……流されてもいいから、好きって言ってみたら良かったかな。


****


 月日は驚くほど早く流れて、私は大学の三回生になった。

 電車をいくつか乗り継いで、少し遠い街へ向かっている……スマホをポケットから取り出して、メッセージを送る。

 今向かってるよ、もうすぐ着く……と。画面の左上には、ありすちゃんの名前が表示されている。



「久しぶりにみんなで会わない?」


 一ヶ月前、ありすちゃんからそうメッセージが来たときは心臓が飛び出しそうだった。

 あんまり早く返したら驚かれると思って、わざと十分くらい置いてから、いいよ、と一言返した。


 伸ばし放題だった髪を切るために、久しぶりに美容院へ行った。

 春服なんてあまり持ってなかったから、新しい服を買った。

 靴もいつものスニーカーじゃない。カバンもいつもの大容量リュックじゃない。本当に珍しく化粧だってした。

 着慣れない服は動きにくい……でも、ありすちゃんにちょっとでもお洒落だと思ってもらいたかった。

 ありすちゃんに会うのすごく楽しみだったんだよ、勇気が無くて言えなかったけどずっと会いたかったんだよ……そうわかってもらいたかった。



 待ち合わせ場所には、他の友達三人がもう着いていた。

 ありすちゃんは少し遅れてくるらしい。たわいも無い会話をして、場を繋ぐ。

 そういえばもう一人……橋本ちゃんが来ていない。こういうイベント一番好きそうな子なのに……うるさくて、ちょっと苦手だったけど。

 それとなく聞いてみたら、あーうん……とだけ言われた。まぁいいか、ありすちゃんが居ればいいもの。


「お待たせ!」

 

 後ろから聞こえて来た、やわらかくて、高い声。

 何度も何度も、頭の中で反芻していた声。

 ありすちゃんだ! ひどく高鳴る胸をおさえて、ゆっくり振り返った。


 ……ありすちゃんだ。

 長かった髪はバッサリとショートカットになっていた。

 茶髪になってて……パーマもかけているようでクルクルしている。

 目元のアイシャドウは派手で濃い。カラコンも入れてるのか、印象も違う。

 近づくだけで鼻につく、ちょっとキツい香水の匂い。

 大胆に肌を出したオフショルダーの服。いつも大人しいロングスカートだったのに、見たことが無いパンツスタイル。そして高いヒールのパンプス。


 みんなはありすちゃんの変化に驚いたものの、すぐに受け入れてその出で立ちを褒めた。

 ありすちゃんは嬉しそうにしながら、みんなの服を褒めていく。

 ……私のところへやって来て、可愛いねって言ってくれた。

 

 何を褒めようか。

 耳元で光る大きなピアス?

 それともゴールドのブレスレット?

 ピンクのリップ? 何だかブランドものっぽいカバン……?


 結局どれも、喉の奥から出てくることは無くて、私はありがとうと作り笑いで言った。

 どうしても……心にも無いことは言えなかった。だって、全然似合ってない。

 前の方が……お嬢様みたいなワンピースとか、やわらかそうな白いカーディガンとか……そっちの方が、ずっと良かったよ。


****


 チェーン居酒屋の一室で、私はありすちゃんの斜め前に座っていた。

 味が濃いはずの唐揚げも、最近少し飲み慣れたお酒も、全然味がしなくてただ流し込んだ。

 会話に適当に相づちを打っていたら……ふと、ありすちゃんのスマホケースが目に入る。

 ……あの日、ありすちゃんが好きだって言ったロックバンドのロゴが大きく入っていた。


 ありすちゃん、まだあのバンド好きだったんだ。

 でも、あれ……秘密にしてたんじゃ……


 隣に座っていた一人が、酔っているのか大きな声を出した。


「ありす、まだそのバンド好きなんだ」


 ……時間が、止まったみたいだった。


「あー、アレでしょ? 橋本ちゃんがそういうバンド嫌いだから秘密にしてーって言ってたやつ!」


「そう、それそれ。ありす、橋本ちゃんのこと好きだったもんねー……誰が見てもバレバレなくらいさ。みんな知ってたよ? あ、確か高校卒業した後、付き合ってたんだっけ?」


 ありすちゃんが笑う。口元を押さえずに。


「うん、そうだよ。結構前に別れちゃったんだけどね……一応今日のことも声かけてみたんだけど、未読スルーされちゃった」



 出来るだけ長く、トイレに籠もった。

 店内のうるさいBGMが、霧がかったような脳内に響く。

 

 全然、二人だけの秘密なんかじゃなかった。知らなかった、知らなかった。

 ……あのありすちゃんが橋本ちゃんを……? 何で何で? 全然お似合いじゃないよ。

 ありすちゃんは落ち着いてて、大人で……そんな人を好きになるんじゃないの?

 なのに、何で……何で……? 


 あ、ノックされた……出なくちゃ。


 手洗い場で痛いほど手を洗って限界まで時間を潰して……座席に戻ってきた。

 ありすちゃんが心配そうに、大丈夫? と声をかけてくれたから、へらへら笑って大丈夫と答えた。

 どうやら話題は、ありすちゃんの今の恋人のことらしい。

 ……多分、スマホケースに挟まっているあの写真の人だろう。

 赤いメッシュの入った派手な髪、バチバチの化粧。そして私が一番苦手なタイプの……チャラついた洋服を着ている。

 微塵も聞きたくないけれど、もう逃げる場所が無い。


 ありすちゃんは高校時代の抑圧された……親の理想のために、無理をして良い子でいた自分が大嫌いだったのだと。

 親元をやっと離れることが出来て、大学で今の恋人に出会ったのだと。

 ……恋人は、ありのままのありすちゃんを受け入れてくれるらしい。

 髪を染めてみたいけど勇気が出ないと言ったら、絶対似合うと背中を押して、美容院を予約してくれて。

 ずっとやりたかった派手なメイクや服に初めて挑戦したときも、可愛いと、貴女らしいねと言ってくれて。

 大好きなロックバンドのライブにも、今度一緒に行くらしい。

 ありすちゃんはそれが……すごくすごく幸せなのだと。


 ほろ酔いで頬をピンクに染めて、ありすちゃんは笑った。

 やっぱり口元を手で押さえることは無かった。



 涼みたくて少し外へ出たら、ありすちゃんが追って来てくれた。


「大丈夫? さっきからちょっとしんどそうだから」


 そうやって、また私を気遣った。

 ありすちゃん、って呼びかけてみたら、ありすちゃんはちょっと恥ずかしそうに……でも昔と違って明るく笑った。


「ありす、でいいよ! みんなそう呼んでるし!」


 ……小さく、ありすって呼んでみたら、ありすちゃんは嬉しそうだった。


 優しいね。そこだけは、変わってないね……ごめんね。


 ありす。私ね、ありすちゃんが好きだったの。

 ありすが大嫌いだったらしい……清楚で可憐で可愛い……私の理想を押し付けた、ありすちゃんのことが……大好きだったの。

 

 ごめんね。

 ……ごめんね。


****


 帰りの電車は、静まりかえった夜の街を滑る。

 ポケットの中のスマホが震えた。メッセージ……ありすちゃんからだった。


「今日は楽しかったね! また会おうね!」


 そうやって、スマホのロック画面に表示されたから……メッセージアプリのアイコンをタップして。

 トーク画面を開かないまま、ありすちゃんの連絡先を消した。

 私のため……ありすちゃんのためだった。


 幸せそうだった。私と居た日々より、私の好きだったありすちゃんより……何十倍も。


 さようなら、ありすちゃん。

 どうか私の知らないところで、幸せになってね。


 駅に止まると自動ドアが開いて、冷たい夜風が入ってくる。

 前の席に座って来た、知らない誰かの長い黒髪が揺れて……あの日と似ても似つかない、何でも無い匂いがした。

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― 新着の感想 ―
まあ、色々と、辛い…。 主人公さんも見知らぬ私に同情されたところで、1ミリも心は軽くならないだろうけども。 とりあえず、自らの胸のうちをそっと仕舞い込み静かに祝福を願いながらフェードアウトできる貴…
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