《密談②》
まるで一曲ダンスを誘うかのような気軽さのあるプロポーズだった。一瞬何を言われたのかわからなかったほどだ。
本音はどうあれ、皇太子に悪気はないのだろう。だがベアトリスはどうしてもエリオットの厚意に好意を抱くことができない。
エリオットは皇太子という己の役目に忠実で、私情を挟むことがない。そういう所が自分と重なり、嫌なのかもしれない。未熟さが目立つセドリックのほうがよほど好ましく思える。
同族嫌悪か、と無表情の下でベアトリスが冷静に分析していると、突然ルイスが勢いよく立ち上がった。
「姉様はけっこんなんてしません! 僕とずーっと一緒にいるんです!」
震えながら叫んだルイスに、ベアトリスは事務的なプロポーズにささくれだった心が癒されるのを感じた。やはり弟が世界一可愛い。女神への感謝が増し増しになった。
一応本人の手前、殿下に失礼だと形ばかりたしなめると、ルイスは大きな目に涙をたっぷり浮かべて抱き着いてきた。
「殿下、弟が申し訳ありません。ですがこの子の言う通り、私は結婚するつもりはございません。ベアトリス・ガルブレイスとして一生を女神に捧げると決めております」
「ふむ。まぁ、すんなり頷いてもらえるとは思っていない。だが貴女にとっても悪い話ではないはずだ。まだ時間はある。少し考えてみてくれ」
きっぱり断ったはずなのに、肩をすくめたエリオットに軽く流されてしまった。
さすがに一筋縄ではいかいか。単純で直情的なセドリックとは違う。次期皇帝は清濁併せ呑む考えで、しかも長期戦を得意とする。あまり戦いたい相手ではない。いや、戦うわけではないのだが。
「ところで……ベアトリス様は先ほど落ちこんでいらっしゃるように見えましたが、もしかしてまた?」
ユリシーズが気を遣ってか話題を変えてくれた。ありがたいが、その話題に再び気持ちが沈みそうになって、ベアトリスはルイスを抱きしめることでなんとか己を保つ。
「……私には、恩返しの才能がないのかもしれません」
「ああ、なるほど。恩返しに才能が必要かどうかはわかりませんが、新しい意見として皇太子殿下にお聞きしてみるのはどうでしょう?」
ふたりからの視線に、エリオットはいぶかしげな顔をする。
「恩返し? そんなもの、相手が望む物を与えてやれば済む話ではないか?」
さすが、未来の皇帝は恩返しも不遜だ。しかし至極まともな答えでもある。
金塊の山も令嬢たちの視線を塞ぐ壁も、ナイジェルが真に望むものではなかったのだ。
「欲しい物……。男性は普通、何を欲しがるものでしょう?」
本人に望むものを尋ねても恐らく必要ないと断られるだけだ。
しかしこの場にいるのは無欲な聖職者と、欲しいものは大抵簡単に手に入れられる権力者。はっきり言って意見は参考にならないだろう。
どうしたものかと思ったとき、腕の中の弟がもじもじしながら口を開いた。
「姉様。僕なら剣がほしいです。まだ真剣をもたせてもらえないから……」
「剣……それです! ルイスは天才ですね!」
ベアトリスは思わず立ち上がり、真顔で軽々とルイスを持ち上げ褒め称えた。
ナイジェルは騎士だ。名剣を贈られて喜ばない騎士はいないだろう。
「剣に決まりです。ここにちょうどよく皇太子殿下もいることですし」
「……何やら生まれて初めて粗雑に扱われている気がするぞ」
笑顔だが面白くなさそうな空気を醸し出すエリオット。
しかし元悪女のベアトリス・ガルブレイスはそんな空気は気にしない。
「正妃となるのをお断りしておいて申し訳ないのですが、皇太子殿下にお願いが」
「……もしかしてベアトリス様、アレですか?」
「まさか、アレか……」
「アレです」
ユリシーズとエリオット、ベアトリスはそれぞれ顔を見合わせ、部屋には沈黙が訪れた。
ルイスだけが「アレ?」と大きな目をぱちくりとさせている。
「……さすがにアレは、どうなのだ? 今後を考えると、その、人道的に」
「世界の危機が確定しているいま、いかにベアトリス様と言えど批判はありそうですね」
「問題ありません。元、悪女ですので」
批判など最早ベアトリスにとって木の葉の囁き、小川のせせらぎと変わらない。道端の小石と同じくらい、当たり前にそこにあるものだ。
しばらく静かな時間が流れたあと、エリオットは大きなため息を吐いた。諦めの色が強くにじんだため息だった。
「帝国の皇太子としても、セドリックの兄としても、ベアトリス嬢には大恩がある。貴女の願いには最大限答えよう」