《攻防②》
同僚の言葉に驚いたナイジェルが彼の示す方向を見ると、確かに率先して職人たちに何か指示を出しているベアトリスの姿があった。
先日の積み上げられた金のインゴットがナイジェルの頭に浮かんだ。嫌な予感しかしない。
「本当だ! 噂の神のしもべがあんな所で何してるんですかね?」
「……ちょっと、行ってくる」
ナイジェルは自分の部隊の隊長に断りを入れて、ベアトリスの元へ向かった。
色素の薄い金の髪を高く結い上げたベアトリスは、学園の実習服に似たパンツスタイルの戦闘着で何やら図面を見ながら職人たちと顔を突き合わせている。
声をかけようとしたところ、ベアトリスはおもむろに大振りな斧を手に取ると、高く掲げてから振り下ろし、爆音とともに周囲の柵を一気に吹き飛ばした。
令嬢たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、職人たちが「おお~っ!」と歓声を上げる。ベアトリスはというと、二撃目を早くも繰り出そうとしていたのでナイジェルは慌てて声をかけた。
「ガルブレイス公爵令嬢! ここで何をなさっているのですか⁉」
「まぁ、ナイジェル卿。ごきげんよう」
お互い精が出ますね、等と真顔で言うベアトリスに、ナイジェルは頬が引きつった。
「この度、騎士団の敷地を囲む、塀を作ることにいたしました」
「……塀を?」
「騎士団の皆様が、のぞき見をするご令嬢たちのせいで訓練に集中できないと聞きまして。ナイジェル卿が困っているのではないかと」
ナイジェルは目元を手で覆った。暑さや疲労によるものとは別の眩暈がした。
「つまりこれも、私への恩返しということですか……?」
「その通りです。まずは柵や植木を取り除き、彼女たちの視線を遮る高く頑丈な石塀で敷地を囲む予定です」
ブンブンと斧を振り回すベアトリス。どうやら気合が入っているらしい。
しかし斧を素振りするのはやめてほしい。危険だし、普通に怖い。
「貴女のお気持ちはありがたいですが、さすがに無断で騎士団の敷地に塀を作るのは……」
「心配はご無用です。皇帝陛下にはすでに許可をいただいておりますから」
遠巻きに聞いていた令嬢たちは、ベアトリスの言葉に「そんな」「あんまりですわ」と控えめに批難の声を上げた。
なぜ皇帝が許可を出したのか、ナイジェルは理解に苦しむ。騎士団の広大な敷地を囲む石塀など、完成までにどれほどの期間となるか。その間の訓練に支障が出ることもあるだろう。
「あの……ガルブレイス公爵令嬢」
「どうぞベアトリスとお呼びください」
「で、では、ベアトリス様。このことは騎士団長も許可しているのでしょうか?」
ベアトリスは首を傾げ「いいえ」と答えた。
「皇帝陛下が許可されたことに、騎士団長が異を唱えるでしょうか。もし何かおっしゃるようでしたら……」
斧を軽々と片手でブンと振ると、ベアトリスは「黙らせます」と淡々と言った。
どうやって? と聞くのは騎士団長の命が危うくなる気がしてやめておいた。尊敬する上司には長生きしてもらいたい。
「や、やはりそこまでしていただく必要はございません。言うほど私は困っておりませんし、集中できないのはその騎士の問題ですから。お気持ちだけで十分です。本当に」
「そうですか……」
納得してくれたか、と思ったのも束の間。ベアトリスはいいことを思いついたとでもいうような顔をした。
「では、その集中力のない騎士を排除しますか?」
「なぜ⁉ 危険ですのでおやめください!」
「問題ございません。元、悪女ですので。その辺の騎士に負ける気はいたしません」
知っている。危険なのは排除される騎士のほうだという意味で言ったのだ。
「それともご令嬢たちを排除しましょうか」
そのひとことに、残っていたご令嬢たちも一目散に消えていった。
こんなことをしていては、せっかく使命を果たしたというのにベアトリスが社交界で孤立したままになってしまうのではないか。
そう心配したナイジェルに、ベアトリスはやはり「元、悪女ですから慣れたものです」と淡々と言うのだった。
ナイジェルは気が遠くなるのを感じながら、なんとかベアトリスにお引き取り願おうと必死に説得した。その結果、どことなく残念そうに了承してくれたベアトリスだが、資材の購入も職人の手配も済んでいるのでせっかくだからと、急遽敷地の端に騎士の休憩所をあっという間に建ててしまった。斧が非常に活躍していた。
これで恩返しは十分だと言えば良かったと気づいたのは、良い汗をかいたとベアトリスが職人たちと去り、騎士たちが水場まで作られた休憩所の快適さに大盛り上がりし始めたあとだった。