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最終話《途中》

 


 聖都の教会本部からほど近い場所にある閑静な住宅街の一画。

 花のアーチが見事なレンガ造りの邸宅は、今代二人目の聖者とその家族の為に設けられた公邸だ。

 広い庭から聞こえてくるのは馬の嘶きと、子どもたちの笑い声。そして時折、静穏を打ち破るような爆発音や破壊音が響き渡ることもあるという。


 今代一人目の聖者、ユリシーズ・マニングは花のアーチをくぐり、聖女の家と呼ばれる邸宅敷地に足を踏み入れた。

 建物には入らず声のする方へ進めば、緑あふれる庭で幼子たちに襲い掛かる馬がいた。ただの馬ではなく、それは禍々しい二本の角を持つ巨大な馬型の魔物。バイコーンだ。

 そのバイコーンが、七つにも満たない幼い子どもふたりを蹄で踏み抜こうとしたり、二本の角を突き刺そうと暴れている。しかし襲われているはずのふたりは楽しげに笑い声を上げ、馬の蹄を避けたり背に飛び乗ったり、時には角に雷の魔法を落としたりしている。



「訓練ですか? 精が出ますね」



 ユージーンがそう声をかけたのは、バルコニーで優雅にティータイムをとって子どもたちを眺める母親だ。

 今代二人目の聖者でこの邸宅の主ベアトリス・レヴァインは、ユリシーズに「いらっしゃいませ」と穏やかに微笑んだ。



「ユリシーズ様、これは訓練ではございません。ただ戯れて遊んでいるだけです」



 のんびりと答えたベアトリスに、ユリシーズは隣に座る夫君で聖騎士のナイジェル・レヴァイン伯爵に視線をやる。

 伯爵は口元は微笑んでいるが、諦観の目をしていた。



「……お子様たちは真剣を使っているようですが?」

「ええ。ようやくお父様から真剣を使う許可が下りたと、はしゃいでいるようです」

「許可ではしゃいで……」

「……マニング枢機卿。そんな目で見ないでくれ」



 ユリシーズの視線に、ナイジェルが遠い目をしながら言う。父として、騎士として、色々葛藤があったことは察せられた。

 バイコーンと戯れているのは、ベアトリスとナイジェルの子どもたちだ。六歳の双子の姉弟。ふたりはナイジェル譲りの艶やかな黒髪と、ベアトリスと同じ海のように碧い瞳を持っている。

 そして両親の強さを単純に足すどころか、乗算したようなとんでもない能力を持って生まれた特別な子どもたちである。



「おふたりともまだ早いと思われているようですが、私もあの子たちくらいの頃には真剣で魔物を切り伏せ、魔法で巣ごと焼き払っておりましたよ」

「……だ、そうですよ父君」

「そろそろ慣れないととは思っているんだが……」


 嬉々としてバイコーンを追い回す子どもたちに、ユリシーズとナイジェルは揃って遠い目になるのだった。


「もうすぐ帝都に里帰りでしたね。これは勇者皇子が荒れそうだ」

「ああ。セドリック殿下のように劣等感を抱きすぎないといいが……」



 勇者王子とは、第二皇子セドリックと運命の乙女ミッシェルの子どもの皇子のことだ。

 魔王を倒すと女神に預言された未来の救世主は、ベアトリスの長女よりひとつ年上でミッシェルによく似た愛らしい外見をしている。中身のほうは父親に似たようで、度々訓練を抜け出してしまい困っていると、ミッシェルからベアトリスに相談があったらしい。



「まぁ、然したる問題にはならないでしょう。いざとなれば魔物をも手懐ける、調教上手の聖者様がいらっしゃいますから」

「バイコーンと勇者様を同列に語るのはどうかと思うぞ……」

「おふたりとも、先ほどから誰に対して一番失礼なことを言っているかかわかっています?」



 にっこりと不自然な笑みと低い声で言ったベアトリスに、ナイジェルが慌てて「帝都に着いたら一番に君の実家に行こう」「ルイスに剣を教える約束をしている」とご機嫌を取り始める。

 聖者となったベアトリスには二年に一度の里帰りが許されている。レヴァイン伯爵領にも滞在する期間を含めるとひと月と少しの休暇となる予定だ。


 レヴァイン領は現在、ナイジェルの兄が代理領主を務めていた。つらく当たった弟への罪滅ぼしなのだそうだ。

 本来教会に入る際には貴族の身分を捨てなければならないが、レヴァイン領は女神に愛された聖者によって下賜された特別な地とされ、それを取り上げることは女神の意に反する等と、まぁあれこれと理由をつけてユリシーズが皇室に進言し特例を認めさせたのだ。

 ベアトリスが望むものは全て与え、ベアトリスが望まないことは全て排除する。しがらみも慣習も、ベアトリスの幸せを阻むものはユリシーズの敵である。

 ユリシーズはいま世界でもっとも崇高な使命を遂行しているのだ。



「あなた、ルイスの名前を出せば私が許すと思っていません?」

「いや、ベアトリス。そんなことは……」



 拗ねて見せたり、冗談を言って笑ったり、ふたりはごく普通の仲の良い夫婦に見えた。

 笑顔も涙も忘れてしまうほど、世界に献身した悪役令嬢ベアトリス・ガルヴレイスはもういない。

 いまは聖者で、伯爵夫人で、ごく普通の……と言うには些か強者が過ぎるが、よく笑い時には涙を流す母親。それがベアトリス・レヴァインなのだ。



「おかあさま~!」

「アレイオンにかった~!」



 はしゃぐ声に大人たちが振り向くと、何がどうしてそうなったのか、土の山に取り込まれるように固定されて喘ぐバイコーンと、その山の上で無邪気に飛び跳ねる子どもたちの姿があった。



「あらあら、やり過ぎね。アレイオンがかわいそう」



 アレイオンとはバイコーンの名前だ。普段は従順なペットとしてベアトリスに懐いているが、本来は魔物の上位種である。

 そのバイコーンをあっさりと瀕死状態にさせる子どもたちとは、末恐ろしい。いや、魔王の復活を考えるとこの上なく頼もしいのだが。



「そろそろ加減というものを教えないといけないな」



 苦笑いをしながらナイジェルが席を立ち子どもたちのほうへ歩いていく。

 次は父が遊んでくれると勘違いした子どもたちに飛びかかられるが、ナイジェルはそれをあっさりといなしバイコーンを土の檻から救い出した。

 子どもたちを叱り、バイコーンに謝罪をさせる頼もしい父。そんな夫の背中を、ベアトリスは愛おしそうに見つめている。



「ベアトリス様。幸せですか?」



 あまりにもベアトリスの横顔が輝いて見えたので、ユリシーズは思わずそう尋ねていた。

 愚問だなと口にしてすぐ思ったが、ベアトリスはそんなユリシーズを面白そうに見ると、はっきりとうなずいた。



「ええ。この上なく」



 太陽に照らされた夏の花のように、明るくいきいきとした笑顔だった。

 見る者まで幸福にするような笑顔を見せられ、ユリシーズは安堵する。自分の選択は間違っていなかった、と。



「でも……」



 ベアトリスは愛する家族に視線を戻し、その瞳にわずかに憂いを浮かべた。



「私の人生はまだ続きます。十数年後には魔王も復活するでしょう。未来は確定していません」

「ベアトリス様……」

「ですので、ユリシーズ様は使命を途中で放棄したりはしませんよね?」



 思いがけないその問いかけのような確認に、ユリシーズは目を丸くした。



「……魔王討伐の先、ずっと未来まで幸福を約束しろと?」

「だって、私を幸せにしてくださるのでしょう?」



 ユリシーズの崇高な使命を、このような軽く口に出来るのはベアトリスだけだ。

 ベアトリスを連れ、帝都をあとにしたあの日。ユリシーズの頭の中にはふたつの選択肢があった。

 ひとつはナイジェルを呼び寄せ、彼にベアトリスの未来と幸福を委ねること。そしてもうひとつは、ユリシーズ自身がベアトリスを愛し、彼女に幸福を贈る努力をすること。

 迷いは深く、しかし一瞬だった。

 結局ユリシーズは前者を選択し、後者を永遠に隠すことにした。その結果がいまのベアトリスの笑顔を生み出したと思えば、あの日の感傷も誇らしいものとなる。

 どんな形や名前の関係であれ、ユリシーズにとってベアトリスが特別なただひとりの女性であることは、これまでもこれからも一生変わることはないだろう。



「おやおや、なんと強欲な聖者様でしょうか」

「当然です。わたくし元、悪女ですから」



 聖者に認定された翌年には、バイコーンにまたがり魔物の氾濫を先頭で指揮を執り沈め、出産後には夢から子どもを操り攫う悪霊の王に自らの子を攫われかけ、死者の国に乗りこみ国ごと王を消滅させたりと、様々な功績を打ち立てているベアトリス。

 元悪女の聖者、ベアトリス・レヴァインの伝説はこれからもまだまだ続いていくだろう。


 願わくば伝説のその先も、傍で見守り続けたい。

 それこそが自分の幸せであると、ユリシーズは幸福に満ちた庭で思うのだった。







ブクマ&★★★★★評価、ありがたき幸せ!!

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございます!! 

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