《杳々①》
第二皇子の婚約式の翌日。
ナイジェルはガルブレイス公爵家のタウンハウスに向かっていた。
花束だけでは代わり映えがないかと、今日は菓子も持参している。第二皇子セドリックの婚約者時代、ベアトリスは茶会で焼き菓子を好んで食べていた。それを思い出し、伯爵家お抱えのパティシエに急遽焼き菓子の詰め合わせを作らせたのだ。
本当はもっと特別な贈り物をしたいのだが、まだ早いと自分に言い聞かせた。まずは昨夜、家族と和解するきっかけをくれたことに、改めて礼を伝えるのだ。
そうして浮き立ちながら訪れた公爵家のタウンハウスで、ナイジェルを迎え入れてくれたのはベアトリスではなく、意気消沈した様子の当主夫妻だった。
「ベアトリス様が、帝都にはいない……?」
「ああ。ナイジェル卿……レヴァイン伯爵には申し訳ないが、娘は今朝帝都を発ったよ」
新しく授かったばかりの肩書に、ナイジェルは戸惑いながら首を横に振る。
「ナイジェルで構いません。それは……ご領地に向かわれたということでしょうか? それともどこかご旅行に?」
長い間、悪役を務めていたのだ。保養のために帝都を離れ静かな土地で過ごすのはベアトリスにとって必要なことだろう。
そう思ったのだが、公爵は諦観したような面持ちで「ベアトリスが向かったのは聖都だ」と答えた。
「聖都……?」
「あの子は神託を受け、使命を全うした。故に聖者の認定を受けることになる」
七年前にユリシーズが聖者として認定されたが、その時も聖都で認定式が執り行われた。
実はユリシーズは認定式を受けたときはまだ、聖者として認定される立場ではなかったらしい。異例の聖者認定は、ベアトリスの為に行われたという。
ベアトリスが神託を受けたこと、その使命を秘密にするために、ユリシーズが身代わりとなる形で表に出ることでベアトリスを守ったのだ。
本来はガルブレイス公爵が言った通り、神託を受け、女神の使命を果たした者が聖者として認定される。
しかしナイジェルはそれを失念していた。ベアトリスが使命を全うしたあとも頻繁に顔を合わせていたので、ずっと帝都にいるものだと思いこんでいた。
「その、昨日舞踏会に参加されたばかりだというのに今朝立たれたとは、随分と急なのでは?」
「急ではないんだ。本来ならば、使命を果たしたあとすぐに聖都に向かうはずだった。その予定を引き伸ばしたのはベアトリスだ」
「ベアトリス様が……?」
「ああ。……どうしても、ナイジェル卿への恩返しがしたいと言ってね」
恩返しという言葉にハッとする。
「私の為に……」
「親馬鹿に聞こえるかもしれないが、ベアトリスはよく出来た思慮深い子でね。神託を受けたあとはもちろん、受ける前だって私はあの子のわがままひとつ聞いたことがない。いつだって家族や他者を思いやり、自分を省みず献身的だった」
公爵の言葉に、ナイジェルの頭に幼い頃のベアトリスの姿が浮かんだ。
病弱な弟の為に毎日必死に祈りを捧げていた、心優しき少女。あの頃から、ベアトリスは本当に何ひとつ変わらず清らかなままだと思う。
「はい。私もベアトリス様は人の為に尽くす聖女のような方だと常々思っておりました」
「そうか……卿のような人だから、あの子はきっと……」
公爵は一瞬泣きそうな顔をしたあと、短く息をつきナイジェルを見据えてきた。
「その聖女のような自慢の娘が、初めて口にしたわがままだ。叶えないわけにはいかない。私たちは家族であの子の恩返しを応援したし、教会にももう少し時間がほしいと何度も親書を出した」
「私の為にありがたいことですが……そうまでして認定式を引き伸ばす必要が? 式を終えてからのほうが焦らずに済んだのでは?」
公爵の固い声にナイジェルが戸惑いつつ尋ねると、何か耐えるような顔をされる。
「……もう、帝都に戻ることはないからですわ」
突然強い口調で言ったのは、それまで黙って公爵に寄り添っていた夫人だった。
ベアトリスとよく似た意志の強そうな大きな瞳が、真っすぐにナイジェルを射抜く。
「戻ることはない? どういうことです?」
「そのままの意味です。聖者と認定されれば、あの子は教会に所属することになるのです。公爵令嬢ではなく、聖者ベアトリスとなるのですから」
公爵令嬢ではなく、聖者ベアトリスに。
その言葉にナイジェルはハッとした。
「聖者は基本的に聖都の教会本部で教皇とほぼ同等の立場として活動することになる。マニング枢機卿が大司教として帝都にいたのは、ベアトリスの補佐をする為の特例だったんだ」
「ま、待ってください! では……これからベアトリス様は一生を聖都で過ごされるということですか?」




