《自覚①》
ナイジェルを乗せ夜の向こうに去っていく馬車を、ベアトリスは茫然と見送った。
恩返しはまた失敗した。だがこれまでの失敗とは何かが違う。一体何が違うのか。明確な答えを探すが、うまく思考がまとまらない。
ナイジェルが怒っていた。だが前回も少しそれはあった。怒っていても彼はいつも真摯に――。
(ああ、そうか。あんな風に背を向けられたのがはじめてなんだわ)
どんなときも真っすぐに向き合ってくれたナイジェルが見せた拒絶。
もう関わらないでくれ、とあの広い背中に言われたようで、胸が痛いのだ。
「だからやめておけと言ったでしょう」
「まあまあ、お前。落ち着いて」
「お母様、お父様……」
エントランスに出てきた両親を振り返り、ベアトリスは目を伏せた。
「ナイジェル卿、見たこともないほど怒っていました」
「あれは怒っていたというより、傷ついていたんじゃないかなぁ」
ゆったりとした父の言葉に顔を上げる。
傷ついていた? あのナイジェルが?
自分の恩返しが彼を傷つけるようなものだとは想像もしていなかったベアトリスは、途方に暮れた。なぜ両親にはナイジェルの気持ちがわかるのに、自分にはわからないのか。
「悪役の使命から解き放たれたのだから、貴女はこれから人の心の機微というものを知っていかなければね」
やれやれ、と頭を振る母を、ベアトリスは縋るように見る。
「私はどうすればいいのでしょう」
「自分で考えなさい。そうやって人は学んでいくものです」
「けれど、私にはもうその時間は残されていないのです……」
「その言い訳は甘えではなくて?」
母にぴしゃりと言われ、ベアトリスは情けない気持ちで再び俯いた。
少しの沈黙のあと、優しく肩を抱かれる。父が同情するようにこちらを見ていた。
「もう、いいんじゃないかい? 恩返しをしたいというベアトリスの気持ちは十分に伝わったと思うよ」
そうだろうか。迷惑でしかなかったはずだ。
証拠に、ナイジェルは一度も喜ばなかった。むしろ迷惑そうだった気がする。
それでも止めなかったとは意地だ。何がなんでも成功させなければならない、と使命を果たし身軽になったベアトリスはそれまでのパワーをすべて恩返しへとつぎこんでいた。
「これまで国のため、世界のためにお前はひたすら尽くしてきた。もう自分自身のために生きてもいいんじゃないのかい?」
楽なほうへ促そうとしてくれる父の言葉に、ベアトリスは黙って首を横に振った。
どうしても、叶えたいのだ。ナイジェルに恩返しができなければ、一生後悔する確信があった。
「まったく、強情ね。誰に似たのだか」
母は優しい声で言うと、ベアトリスの手の中にある花束を指さした。
「……綺麗な花束ね。貴女の色だわ」
驚いてベアトリスは花を見た。
言われてはじめて、それが自分を構成する色と似ていることに気が付いた。
まさか、偶然だろう。だが偶然ではなかったら? あのナイジェルが自分のことを想って花を選んでくれていた?
「ベアトリス。人との交流は思い遣りだ。それを忘れてはいけないよ」
思い遣り。元悪女とは縁遠い言葉だ。この七年、ベアトリス・ガルブレイスとして必要ないと、見て見ぬふりをしてきた行いだ。
その言葉の意味を考えながら、ベアトリスは花束を潰れないよう抱きしめた。




