《嗜好①》
「ナイジェル卿。馬、お好きですよね?」
騎士の仕事が非番の日、また先触れなくベアトリスが伯爵邸に現れた。
今日は兄のパトリックも居合わせたので、思わずベアトリスの背後に金塊やら宝石の山やらがないか確認してしまったナイジェルだ。そういった類のものは見当たらずほっとする。
「公爵令嬢が定期的に訪問されるとは。聞いていた以上に親密だな」
ナイジェルの背後で、兄が皮肉げに呟く。
やはりな、とナイジェルは内心落胆した。
パトリックはナイジェルが手柄を立てることに敏感だ。魔法の才を認められ学園に入ったときも、第二皇子の側近護衛騎士になったときも、快く思っていないことをあからさまに示していた。
神のしもべ、ガルブレイス公爵令嬢と親しい。そういう人脈も兄にとっては憎しみの餌なのだ。
原因はわかっている。両親だ。
一歳しか違わないが、ロックハート家の嫡男は間違いなくパトリックだ。それなのに、両親はいつもそろってナイジェルを優先する。
兄が領地運営の補佐をすることに反対し、王宮での仕官を勧めておきながら、ナイジェルには騎士団に従士として入団することを猛反対した。せめて第二皇子の近衛になってから、将校クラスの騎士として入団するべきだ、と。そんな出世街道を行けるのは、武に秀でた家の嫡男くらいなのに。
他にも、兄には一向に婚約を認めず、ナイジェルにばかり婚約話を持ちかける。
さすがロックハート家の男子、と褒めるのはナイジェルにばかりで、兄には一度もそんな言葉をかけるところを見たことがない。
あの両親の態度では、兄が自分を疎ましく思うのも当然だった。ナイジェルが兄と良い関係でいたいと願っても、両親がそれを許さないのだ。愛情をかけて育てられたとは思うが、なぜ同じだけの愛情を兄に向けてやらないのか。
(ロックハートは代々武門で名の知れた家だったらしいが、それは祖父の代までだ。父は文官の道を選び大臣になったというのに……)
兄より自分を優先する両親がナイジェルには理解できずにいる。
ベアトリスにはこの歪な家族関係を知られたくなかった。
「私は騎士ですから、馬は確かに好きですが。我が家にも何頭かおりますし。……もしかして、今度の恩返しは馬?」
「いいえ。ただの馬ではまた受け取っていただけないでしょう」
そう言うと、ベアトリスはナイジェルを邸の外へとうながした。
ついていくと、馬留に停まる馬車の馬とは別に、ひと際大きな黒い馬が大人しく佇んでいた。
「ただの馬ではなく、こちらを用意いたしました」
「こ、これは……」
その馬は、確かにただの馬ではなかった。
被毛は艶めく青毛、長毛は銀、眼は青という珍しい配色。何よりその頭には二本の禍々しい角が生えていた。
「バイコーン⁉」
「いや、魔物! 馬っぽいけど魔物!」
なぜだかついて来た兄が、植木に身を隠しながら叫んだ。
戦闘系の才能はなく頭脳派のパトリックは、これまで魔物を直接見たこともないはずだ。まさか自邸で目にすることになるとは、夢にも思っていなかっただろう。
「はい、魔物です。ですがご安心ください。私が調教しましたので、従順です。従順なバイコーンなら馬のようなものです」
「いや、従順でもバイコーンは魔物だろ。どこに魔物を捕まえて調教する令嬢がいるんだよ……」
「ここに。元、悪女ですので」
青い顔で「ありえない」と必死に横に振る兄に、ナイジェルもさすがに同意した。
本当に魔物が従順になったかも怪しいが、とにかく魔物は馬にはなれない。騎士として、魔物にまたがり剣を振るうのは何かを失う気がする。
「ベアトリス様。元悪女でも魔物の調教は危険ですのでおやめください。それから、私には魔物を乗り回すことは出来ません」
「これもダメでしたか。仕方ありませんね。森に返します」
「……返してしまって大丈夫でしょうか?」
「問題ありません。人間に危害を加えないよう調教しましたので」
ベアトリスがバイコーンの鼻先に手を伸ばすと、魔物はびくびくしながらも必死にベアトリスの手にすり寄った。確かに完全に服従している。
女神の祝福を受けているというベアトリスは、これ以上能力値が上がりようがないほど高い。最早魔王すら調教できてしまうのではないだろうかと思うほどである。
ベアトリスがもし運命の乙女であったなら、とんでもない勇者が誕生したかもしれない。
だが、運命の乙女はベアトリスではなかった。女神の真意はわからないが、その事実にナイジェルは感謝していた。
「では、ナイジェル卿の好みを聞かせていただいても?」
不意にベアトリスに顔を覗きこまれ、ナイジェルはハッとしてたじろぐ。
無表情でも、間近で見るベアトリスの繊細な美しさに見惚れる。しかもふわりと良い匂いがし、ナイジェルの心を乱した。
「え……こ、好み? 魔物のですか?」
「いいえ。人間のメスで」
離れたところからパトリックが「言い方……」と批難めいた声をあげる。
しかしナイジェルはそれどころではない。




