《誘惑②》
恐る恐る蓋を開けると、納められていたのは剣だった。
ただの剣ではない。夜空に冴えわたる月のような輝く美しい剣身に、鍔には深い海の底を思わせる聖石が飾られている。鞘には繊細な金細工で不死鳥が描かれており、それらすべてが価値のつけられない芸術品のようだった。
「これは凄い……。さぞ名のある剣匠の一振りなのでは?」
「さぁ。私は詳しくありませんが、卿がおっしゃるのならそうなのでしょうね」
気に入っていただけましたか? ベアトリスにそう聞かれ、つい「素晴らしいです」と答えてしまう。
恩返しは断ると決めているのに、ナイジェルは気づけば剣を手に取っていた。
ぶんと一振りするだけで手に馴染み、相性が良いのがよくわかる。
(受け取るつもりはないのだが……)
正直、心が揺れる。それほどベアトリスが持ってきたのは素晴らしい剣だった。
これはもらってしまっても構わないのではないだろうか。恩返しもそれで終わるし、ベアトリスの様子だとそこまで名品というわけではないようだし。と、自分への言い訳を頭の中で並べていて、ふと視線に気づきそちらを向いた。
「……? どうしました、殿下?」
騎士団長になだめられていたセドリックが、信じられないものを見たような顔で固まっている。
「ベアトリス、お前……これをどこから持ってきた?」
震える声で尋ねたセドリックに、ベアトリスは何度か不思議そうに瞬きをする。
ナイジェルは非常に嫌な予感がした。
「皇宮の宝物庫ですが?」
「やっぱりか! これ、魔王を封印したときに勇者が使っていた伝説の聖剣だろう⁉」
驚愕の事実に、ナイジェルは危うく剣を落としかけた。既の所で受け止め持ち直したが、手が震えてしまう。いま自分が手にしているのは、伝説の聖剣なのだ。
ギョッとしたのはナイジェルだけではない。騎士団長たちも皆、伝説の聖剣と知り後ずさりした。
「聖剣⁉ ということは、国宝の⁉」
「はい。皇帝陛下に許可はとってあります」
「どうやって⁉」
全員が血相を変えて問い詰めると、ベアトリスは平然とした顔で答えた。
「ナイジェル卿に恩返しをしたいと言ったら、じゃあいいよと」
「じゃあいいよ⁉」
「国宝なのに⁉ 軽すぎませんか⁉」
「いえ、かなり渋い顔をされていました」
渋い顔をしただけで渡せてしまうのか、聖剣を。そして受け取ってしまうのか、国宝を。
さすが元悪役令嬢、遠慮を知らない。恩返しを免罪符に突き進みすぎではないだろうか。
「なぜ父上はベアトリスにそんなに甘い?」
甘やかされ度では負けていないはずのセドリックだが、頭がおかしくなりそうだ、と蜂蜜色の髪をぐしゃぐしゃに掻き乱した。
ナイジェルもそれについてはセドリックに完全同意である。七年間悪役を務めたベアトリスの献身があってのことだろうが、それにしても訓練場の件といい甘すぎる。
「聖剣はダメでしたか?」
ナイジェルたちの様子を見て、ベアトリスが心なしか落ちこんだように尋ねてきた。
また心が揺れてしまうのでやめてほしい。
「いえ、ダメと言いますか、一応魔王の復活が預言されていますし……」
「魔王を倒すのにこの剣が必ず必要と決まっているわけではありません」
「それは、そうかもしれませんが、しかし……」
恩返しを断るにしても、なるべく彼女を傷つけたくはない。
こんなことなら、最初の金塊の山を受け取っておくべきだったかとナイジェルが後悔していると、ベアトリスはこう続けた。
「未来の勇者様に遠慮なさっているのなら、魔剣という選択もございます」
「……は?」
「実はどちらにしようか迷ったのです。魔剣のほうが物理攻撃の威力は高いのですが、何分魔族が打った剣なので精神汚染の副作用がありまして。ですがナイジェル卿ほどの騎士様であれば問題なく扱えるかと」
「その魔剣も国宝だけどな⁉」
半笑いでセドリックがそう叫んだ。
ナイジェルは無言で剣を箱に戻し、そっと、しかししっかりと蓋を閉めた。魔王復活のときまで二度と開けられることがないように念をこめながら。
「ベアトリス様」
「はい」
「すぐに宝物庫に返してきなさい」
ナイジェル・ロックハートは悟った。
ベアトリス・ガルブレイスに、甘い顔を見せてはいけないということを。