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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約はコーヒーを入れた後で。

作者: 天辻 睡蓮


 ある時代にシルヴィ・デルフィーネという薄幸な少女がいた。

 

 彼女はある南の領地を統治するデルフィーネ家の二女で、その容姿は人形のごとく端正で可愛らしく、多くの者を虜にした。

 しかし、姉を特に可愛がっていた母親はそれを疎ましく思う。


 ふざけるな。

 妹ならば姉の顔を立てろ。

 それが出来ないなら死んでしまえ。


 毎日のようにそう母から叱責され、住居も馬小屋のような所しか与えられず、食事すらロクに食べることができなかった。

 それゆえ彼女は年のわりに小柄で常に栄養失調に苦しんでいた。

 

 だが、そんな劣悪な環境でも心優しいシルヴィは、いつか母親が自分への愛を取り戻して頭を優しく撫でてもらえる日を夢に見ていた。

 いつか。いつかきっと――。


 しかし、その「いつか」は決して来ることはなかった。

 



「どうしたんだい。そんな呆けた顔をして。私の話がそんなに退屈かい?」


 低い声が私の耳を叩く。

 

 だが、私はそれどころではなかった。


 私は自分の腕を確認する。

 その手首は元の私の何倍も細く、頼りない。窓から見えた自分は元の私と月とスッポンほど違う容姿をした可愛らしい少女だった。


「なんだ、これは……」


 目を覚ました途端、私のものではない誰かの……シルヴィ・デルフィーネの記憶が脳内に流れ込んできた。

 母から虐げられ、ただ耐えるしかなかったか弱い少女の記憶だ。

 それも記憶に付随して様々な感情が溢れ返る。

 愛されたい。辛い。悲しい。苦しい。それでもきっといつか――。


 膨大な情報量に立ち眩みする。


 落ち着け。まず、状況を理解しろ。


 そうだ、私は()()()だった。


 親から捨てられ、育て親から殺しの何たるかを学び、そうなることを疑わずに私は殺し屋になった。

 政府の要人から民間人まで腐るほど殺した。

 心は動かなかった。これしか私は生き方を知らなかったから。

 呼吸をすることに誰が違和感を覚えよう。

 だが、その私を殺したのは、皮肉なことに復讐者でも警察でもなく「病」だった。


 肺(がん)。誰もがかかりうるありふれた病気だ。


 ついさっき私は病態が悪化して喀血(かっけつ)して死んだ。

 はずだった。

 だが目を覚ましてみると、私はよく分からん貴族の二女になっていた。しかもその小娘は母親に虐げられているときたもんだ。


「……本当に、人生とは分からないな」

「さっきからぶつぶつと……気味が悪い!」


 そう吐き捨てながら母親が私の頬を平手打ちする。

 寸前。

 私は背後に後退し、母親の手の平を紙一重で回避した。更に後ろに下がった勢いのまま、背後の壁を蹴って跳躍。

 母親の顔面に蹴りをぶつけてやった。


「ぐごっ!?」

「なってないな。そこら辺の農民の方がマシな動きをするぞ」


 母親は派手に転倒し、潰れたカエルような呻き声を漏らす。

 

「な、何をするの!? 私はお前の母親だぞ! 娘が母親に手を上げるなど……」

「その逆はまかり通るのに、いざ自分に危害が及べばあってはならないと道理を説く。本当に下らない。こんな奴が母親とは末代までの恥だ」

「――! 言わせておけば!」

 

 なおも母親は私を殴りかかろうとする。


 構え、間合い、読み。あらゆる動作が見るに堪えないほど杜撰(ずさん)だ。

 こんな奴の攻撃なんて目を瞑っていても避けられる。

 私は母親の足首に鋭い蹴りを入れバランスを崩す。

 その隙を突き、腹に一発。

 更に私は苦しむ母親の首を強く掴み、締め上げる。


 この体の記憶によるとシルヴィは母親の子ではなく、側室の子らしい。


 側室は既に亡くなっていて、育ての親はこいつだ。

 父親はシルヴィを特に気に入っていたとか。

 それを気に入らない母親の気持ちは理解できないことはない。血縁関係はないのに、何故私のことを娘と呼ぶのかも――。

 だがそんなことは私には関係ない。殴ってくるなら敵だ。殺す。


「がっ! く、クソ、あの女の、むすめの分際、で……!」

「だからなんだ」


 私には関係ない。

 このまま力を込めて――。

 殺そうとした時、ふと思い至った。仮にもこいつは私の母親。こいつを殺せば後々面倒なことになってしまうだろう。

 仕方がないな。私は指の力を緩める。


「た、たすか――」

「うるさい」


 母親の頭部を思いっきり蹴り飛ばす。

 その衝撃に母親は白目を剥き意識を閉ざした。これでしばらくは起き上がることもないだろう。


 実の母を蹴り飛ばしても心は全く痛まなかった。


 私は大して気にせず、そこら辺の侍女を見つけて気絶した母親を投げ渡した。


 侍女は当初何が何なのか分からず気が動転していた。

 それもそうだろう。私が入るまでは母に虐げられるだけの愚かな娘が、その母を返り討ちにして態度や雰囲気までも豹変しているんだ。

 驚かないほうが不自然だろう。


 こういう面倒があるので記憶を頼りにシルヴィとして振る舞った方がいいのだろうが、演技の類は昔から苦手だ。

 どうせ、いつかボロが出る

 なら初めから私として振る舞った方が少しは気が楽だと判断した。


「お嬢様、申し訳ありませんがしばらくそこで大人しくしていてください」

「構わない。元々、静かな場所は好きだ」


 私は地下牢に幽閉された。

 今まで散々私……いや、シルヴィのことを折檻してきたくせに、あの母親は私に殴られたことを大事にしたらしい。

 おかげで私はこんな風に課せられた罰を甘んじていた。


「……随分とお変わりになりましたね」

「あのまま気弱な小娘を演じていればよかったか?」

「い、いえ。そういうわけでは……」

「心配しなくても、そちらから変なことを仕掛けてこない限りは私は何もしないよ。だが、そうだな。……本を持ってきてくれないか?」

「それくらいなら」


 とはいえ、私にはこれが罰とは思えない。

 三食の食事はあるし、侍女が持ってきてくれるおかげで本も読める。寝床もそんなに悪くない。

 何なら一生ここで引き籠っていたいくらいだ。


 私はちびちびと用意してもらった器具で()いたコーヒーを飲む。

 昔からコーヒーを挽くのは得意だった。


 一か月が経った後、私は地下牢から出された。


 あの一件が相当効いたのだろう。

 元は馬小屋同然の住居だったが、地下牢から出た後はしっかりと清掃の行き届いた屋敷で住むこととなった。


 まあ、生活は大して変わらん。

 外に出ることもなく一日中部屋で本を読んだり勉強をしたりするだけだ。この時代にも学校はあるらしいがあの母親が私に行かせてやるわけがない。

 毎日が退屈で、コーヒーを挽く腕前だけがやたらと上手くなっていく。

 そんな日々も半年が経った頃には終わりを告げた。


 縁談が来たのだ。


「ですが、お世辞にも良い相手とは言えません。お相手はガラン・ルドワック様。ルドワック家は西の領地を支配する大貴族で、徹底した実力主義が特徴です。ガラン様はルドワック家の長男で跡取りだったはずですが素行の悪さゆえか弟にその地位を奪われています。噂によるとかなりの女好きで、しかも暴力を平然と振るう御方だとか……」


 私のお目付け役の侍女がそう説明する。


 聞く限りだとお見合いの相手としては最悪も最悪だ。


「この縁談を設定したのはあの母だろ?」

「はい」

「なら決まりだな。気に入らない私への嫌がらせだろう。それと、私を気味悪がってさっさと消えて欲しいという意図もありそうだな。下らん」

「……お母様から『この縁談を断ればどうなるかよく考えろ』と」

「分かっている」


 素行が悪いくらい何だ。私はこれまで数え切れないほど生きるか死ぬかの瀬戸際を駆け抜けてきた。

 それに比べたらガランとやらも緊張するに値しない。

 

 一週間後。


 私はガランとやらと初めて顔を合わせることとなった。


 場所は向こうの家の屋敷だ。


 大貴族なだけあって私が住む屋敷とは比べ物にならないほど大きく荘厳だ。

 その屋敷のある一室に案内され私は気負うことなく扉を開く。


 その部屋で待っていたのは、なるほど素行が悪いと評されても仕方がないと思わざるをえない青年だった。


 顔立ちは整っていて美男子と言っても差し支えないだろう。

 だが、目付きが異常に悪く今にも人を殺しそうだった。

 髪もロクに手入れされておらず適当に伸ばしっぱなしだ。彼は足を机に乗せ、あたかも自分が王侯であるかのようにふんぞり返っていた。

 

 まるでチンピラだな。


 彼はずびずびとコップに注がれた水を飲み。

 そのコップの中身を私へ思いっきりぶちまけた。


「珍しい挨拶だな」


 無論、私はそれを難なく回避する。

 水の一滴すら私の体に触れることはなかった。これでも元殺し屋だ。これくらい何てことはない。


「チッ。なんで避けんだよ」

「気は済んだか?」

「まだまだだな。言っとくけど俺はこんな縁談クソ食らえだと思ってるぜ。だからどんな手を使ってでも破談にさせてやる」

「意中の相手でもいるのか?」

「んなの居るわけねえだろ。……俺は、あの親父の思い通りにはならねえ」

「なるほど。反抗期か」

「あぁ!?」

「反抗期だな」

「二度も言うんじゃねえ! そんなんじゃねえよ!」


 元気だな。その元気を見習いたいものだ。


 結局その後も何度か言葉を交そうとしたが、向こうがまったく聞く耳を持たず日が暮れてしまった。

 もちろん、これで諦める私ではない。

 殺しの依頼によっては長い期間ターゲットに張り付くことなんてザラにある。

 こういうことには慣れているのだ。


 私は何度も根気強く通い説得を試みた。


 ある日はガランの通う学校に潜入したり。

 ある日は屋敷の中からガランを探すかくれんぼに興じたり。

 ある日は嫌がらせに大量の虫を用意したガランの前で丹念に虫を一匹一匹踏み潰してやったり。


「ええい! もういい加減諦めろよクソ女!」

「そういうわけにもいかないんだよ。この縁談が破談になってしまえば私はどうなってしまうか分からないからな。まあ、もし勘当でもされたら本職に戻るだけだが」

「よく分かんねぇが、アテがあるなら別にいいじゃねえか」

「この貧弱な体では思うように動けない。本職に戻ってもすぐに死ぬだろうな」

「……マジでどんな仕事なんだよ」

「知りたいか?」

「遠慮しとく。……ともかく、消えろチビ!」


 思い出したように吠えるガラン。


 足しげくこの屋敷に通って分かったのだが、この男は私が嫌というよりも縁談自体に反感を抱いているようだ。

 素行の悪さも、コップの水をぶちまけたのも一種のパフォーマンス。

 そこまでするほどに縁談が嫌なのだろうか。


 あるいはもっと別の理由があるのだろうか。


 私が屋敷に訪問を繰り返すようになって一か月ほどが経った。

 今では屋敷の住人や親族たちとは顔見知りになっていて、たまに雑談したり酒を飲んだりしている。

 ちなみに私は酒が飲めないのでジュースで我慢している。

 一度飲もうとしたら思いっきりむせて軽く死にかけた。


 その頃になるとガランの態度もある程度は軟化していた。

 というより諦めていた。

 ガランも私へ敵対的な態度を取るのに疲れてきたようで、今ではほとんど素で接している。


「なあ、シルヴィさんよ。頼むからこの縁談を終わらせてくれ。一方からじゃ終われねえんだよ。もし家から勘当されても俺の家で使用人として雇うから。な?」

「断る。ここで破談になれば今までの一か月が無駄になる」

「もういいじゃねえかよ……頼むよ……」


 ガランはどうしたものかと天を仰ぐ。


「お前、もしかして暇なのか……?」

「暇だ。いい加減自室で引き籠るのも飽きてきた。その点、お前を付き纏っていると退屈しない。意外と私はこの時間を気に入っているぞ?」


 深々と。腹の底からガランは溜息を吐いた。


 ……そろそろだな。


「なあガラン。どうしてお前はずっと()()()()()()()をしてるんだ?」

「あ?」

「この一か月で分かったが、私にはお前が心の底からの捻くれてるとは思えない。使用人に聞いたが女癖が悪いどころか、異性とはほとんど会話もしたことがないそうだな」

「……うるせえ。そんなこと聞くな殺すぞ」

「それに噂ではお前がよく暴力を振るうと聞いたが、実際にこの一か月私に手を上げたことは一度もない」

「…………」

「しかも寝る時はよく人形を抱えているそうじゃないか」

「なんでそんなことまで知ってるんだよ!? 死ね!」


 恥ずかしそうにガランは吠える。


「お前の本性は噂とはかけ離れている。それなのにあえて自分の悪評を流させて悪童を振る舞っている」

「……だから何だ?」


 否定はしなかった。


 使用人に聞いたが、ガランにまつわる噂話は彼が指示をして学校や貴族社会に流していたらしい。

 そうまでして、こいつは粗暴な男を演じたかったようだ。


「どうしてそんな真似を?」

「……今更、隠しても仕方がねえな」


 深々とガランは溜息を吐く。


「お前は親から愛されて生きてきたか?」

「生憎と私の母は娘に手を出すクズだ。そんな奴から愛情なんて感じない。父親も仕事でほとんど顔を見せない」

「そうか。俺の父はな、子供のことを子供として見てねぇんだよ。あいつは自分の領地を豊かにするために有用か否かでしか物事を見ねえ奴だ。それは自分の子供だって例外じゃねえ。……俺には弟がいるんだ。その弟は俺なんかよりもずっと優秀で、家の人間は誰もがあいつが次の領主だと言う。それに、親父はいつもあいつを褒めていた」


 ガランは遠い目をして語る。

 

 その声は平坦で、自分の感情を抑えているようにも感じた。


「俺はきっとあいつにとって失敗作なんだろうな。実際に言われたこともないけど。でも、母様が物心付かない頃に死んじまったせいで俺の親はあのクソ親父しかいねぇ。あいつは失敗作の俺にどうせ興味なんかないんだろうよ。情けねえ話……俺は、あいつに少しでも俺を見て欲しかったんだ」


 なるほど。

 子はどうしても親の愛を欲してしまうものだ。

 このガランという男も例外ではないのだろう。


 なら……私はどうなんだろう。ふとそう思ってしまう。


 私は両親を知らない。この体の親も親と呼べるような人じゃなかった。

 それでもガランみたいに親の愛を欲しがったことはない。たぶん、そんなことがどうでもよくなるような環境で育ったせいだろう。

 そのことにちょっとした寂しさを感じないこともない。

 

「だから縁談を壊そうと?」

「それもあるが……あいつと一回も親子らしい会話もせずに終わるのが嫌だった。結婚してあの家から離れたら、いよいよあいつとの関りが無くなっちまう」

「何と言うか……年相応で可愛らしいな」

「あぁ!? 何言ってんだぶっ殺すぞ!」

「ほら可愛い」

「きぃーー!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐガラン。

 素行が悪い振りをしていると言ったが、咄嗟に「殺すぞ」という言葉を吐けるあたり全てが演技というわけでもないんだろう。


「ふん。笑うなら笑え。こんなみっともねえ男をよ」

「確かに、みっともないと言えばみっともないな。お前のやってることは親の前で駄々こねるガキと大差ない」

「……いまいちピンとこないが侮辱されてるのは分かる」

「正解だ」


 ガランは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「ただ、親に愛されたいと願うのは別に普通のことだと思う」

「なんだよ。下げた後にフォローしやがって」

「いや、ただの一般論を述べただけだ。だがその方法が愚かではないと言えば嘘になるな」

「……まぁ、そうだよな」


 ガラン自身も薄々気が付いていたのだろう。

 父親が結果以外で左右されない人柄なら、結果を出そうとせずやたらと悪い噂だけが流れる子供なんて軽蔑こそすれ愛しはしないはずだ。


 もっと、いい方法があるはずだ。


 そう考えた自分自身に私は軽く驚く。

 元の私は他人がどれだけ苦しんでいても何も感じない薄情な性格だったはずだ。

 だが、振り返ってみれば元の私は、こんな風に誰かに胸の奥底に隠していた感情を吐露されたことなんてなかった。

 そもそも誰かと付き合いが一か月以上続いたことなんてなかった。

 これまでにない経験が、少なからず私の心に影響を及ぼしているのだろうか。

 そうだとすれば今はこの変化に身を委ねてみようと思う。


 私は口を開いた。


「なら、結果で示せばいい」

「は?」

「だから、結果でその父親がお前に目を向けざるを得ない状況を作ればいいだろ。お前は一応学校に通ってるんだろ? ならそこのテストなりで芳しい結果を叩き出せば、父親もお前に対する考え方が変わるはずだ」

「そんな簡単に……できるならとっくにやってるだろ」

「それは本当にやってるのか?」

「……どういう意味だ?」

「お前は本当にこれ以上やっても意味がないと断言できるほど死ぬ気で努力したのか? 勝手に自分に見切りを付けてるだけなんじゃないのか?」

「…………」


 押し黙るガランに私は挑発的に笑う。 


 私は言ってしまえば誰かに説教できるような身分じゃない。

 むしろ人を殺してる分、説教される側の人間だ。

 でも、この時ばかりは自分の殻に閉じこもったガランのために、この弁舌を思う存分振るってやろうと思う。


「それともお前は駄々捏ねるだけのクソガキか?」


 私の一言にピキっとガランの血管が浮き立つ。


「言ってくれるな、チビ女がよ」

「認めるのか?」

「認めねぇよ。――ここまで良いように煽られて何も言い返せないようじゃ、男が腐るってもんだよ。やってやろうじゃねえかクソったれ」


 忌々し気にガランは舌打ちする。

 しかし、その顔はどこか晴れがましくもあった。まるで憑き物が取れたような表情だ。


「まずは学校のしょうもねえテストだ。それで一度結果を示してあのクソ親父を認めさせてやる。それから更に領主としての資質も示して――あの弟から次期領主の座を奪ってやろうじゃねえか」


 にやりと笑ったガランの笑みと鋭い眼光は、得物を狙う野生の肉食獣を思わせた。

 変わり身の早いことだ。

 この男もこの男なりに現状に思うところがあったのだろう。 


「それで、私との縁談はどうするんだ?」

「ふん。俺が変わる切っ掛けを与えてくれたんだ。それに今更破談にする理由がねえ。お前がよかったら……俺を、見ててくれ」


 そう言い切ったガランは真っ直ぐと私を見据えていた。


 不覚にも、その姿にちょっとだけ胸が高鳴ってしまった。


「ああ。見ててやるから頑張れ。私も手伝う」


 平静を装って私は返答する。

 

 こうしてガランは心機一転し、第一目標であるテストを突破するために猛勉強を開始した。


 素のガランは愚直で真っ直ぐな人物だった。

 目標が定まればそこに向かってあいつは余所見もせずひた走る。

 ガランは寝る間も惜しんで机に向かった。

 幸い私には地下牢で幽閉されてる間に本を読みまくったおかげで勉学においては一日の長がある。

 ガランが分からない所はたまに私が教えていた。


「ほら、疲れてるだろうからコーヒーを()いでやったぞ。ありがたく飲め」

「おお。ありがと……って、(にが)っ!?」

「お前が甘党なだけだ。勉強してるならこれくらいが丁度良いだろ」

「いや、それにしてもだろ!」


 そんな一幕もありつつ日々は過ぎ去っていった。

 私はそっちの方が都合の良いということでガランの屋敷に住み込むこととなり、たまに勉強で疲れた彼にコーヒーを馳走して労わってやった。

 それまでの私は自分でコーヒーを飲むことはあっても他人に注ぐことはなかった。


 でも、今は彼にコーヒーを注いでやることが少し楽しかった。

 

 不思議だ。

 こんな感情、殺し屋をやっていた頃は決して抱くことがなかっただろう。

 誰かと……ガランと言葉を交して、たまに肩を支え合う中で。

 私も変わっていっているのだろうか。

 分からない。でも、それが悪いものとは思わなかった。


 それから数か月後ガランは宣言通りにテストで結果を示した。


 学年首位――とまではいかなくても上位五位に食い込むほどの伸び具合だ。ちなみにそれ以前のガランの学力は最下位付近だったらしい。

 そう考えたら目ざましい成長だ。


「凄いぞガラン。よく頑張ったな」

「は、はぁ? 別にこんなの当然だろ。わざわざ褒められるほどじゃねえし……」

「私も自分のことのように嬉しい」

「や、止めろよ……照れるだろ……」


 この時ばかりはガランは珍しく顔を真っ赤にして照れていた。

 こいつは根っこのところが子供っぽい。

 親から叱られ、褒められ、子供から大人になっていくステップを踏めなかった弊害だろう。


 使用人たちもガラン成長を喜んでいたようで、屋敷でささやかな打ち上げをしたりもした。

 ガランが調子に乗って酒に手を出して案の定ゲロったのは言うまでもない。


「シルヴィ。その、なんだ。あれから何度か良い成績をだして、点数だけなら弟も超えた。それでようやくクソ親父が俺を認めたようでな。領主の仕事を学べと、あいつの見習いをすることになった」

「おお、良かったじゃないか」

「ああ。だが、あいつの職場はこの屋敷から結構離れていてな。見習いをするとすればしばらくこの屋敷から離れることとなる。だから、あれだ。……お前も一緒に来てくれないか?」

「……いいのか?」

「ああ。お前がいると心強い」


 お、おう。そうか。

 なんだか最近、ガランはこうして自分の思いを隠さず真っ直ぐ伝えるようになってきた気がする。

 不意打ちでそういうことを言われると若干心臓に悪い。


「そこまで言われたら行くしかないな」


 私は平静を装ってそう返答する。


 いつからだろう。自分にはない、目標に向かって真っすぐ突き進むガランの愚直さに惹かれていたのは。

 私には大して人生の目標なんかない。

 ただ今日の寝床と食事。何冊かの本があれば満足できた人生だった。

 だからこそガランの性根が眩しく思えた。

 どうせ目標なんてないなら、この男を支える人生も悪くないかもしれない。いつの間にかそう思うようになった。


 こうしてガランは父親の元で領主としてのイロハを学び、また一歩目標に近付いた。

 向こうの職場に滞在中もよくコーヒーは挽いてやった。


 やがて時間は更に経ち、とうとうガランの父親は病気で領主を引退することとなった。


 新しい領主となったのは――ガランの弟だった。


 弟も急速に成長するガランに危機感を覚えて、死ぬ気で頑張ったらしい。おかげで当初の目標を達成できず、凹んだガランを立ち直らせるには相当骨が折れたな。


 ただガランの頑張りがすべて無駄になったというわけではない。

 ガランは元々父親の持っていた領地の三割ほどを統治することとなった。これも父親がガランの実力を認めたからだろう。

 

「ふんっ。つくづくムカつく親父だぜ」


 そう悪態を吐きつつガランの顔はどこか嬉しそうだった。



 私たちは正式に結婚し、子供にも恵まれた。

 当初は結婚なんて形だけでいいと思っていたが、段々とガランとなら本当の夫婦になってもいいかと思うようになった。

 何度かデートを重ねて私からプロポーズした。

 一応、婚約は既にしてあるのでプロボーズなんかする必要はないが、なあなあで繋がるのも嫌なので自分の口から好意をぶつけた。

 その時のあいつの間抜けな顔をいったら。

 あれほどこの時代では写真を撮れないことを嘆いたことはないだろう。

 

「俺なんかでいいのか? もっといい奴が……」

「居るかもしれないな。だが、私はお前がいいんだ」

「~~! ああ、クソったれ。お前はこういう時直球で言うんだったな。畜生、俺でよかったら喜んで!」


 頬を紅潮させてガランはそう返事をくれた。


 ガランは自分を卑下にしていたが、実を言うと私も自分にあまり自信を持てなかった。

 私は生まれた環境のせいで体付きが貧相で、おまけに可愛げがない。

 もう二十歳を超えたが未だに身長は中学生くらいだ。

 まぁ、一度その悩みを彼に打ち明けたことがあるが「そこがいいんだよ」と照れながら言ってくれたので今は大して気にしていないが。


 日々は過ぎ去り、結婚式も上げて、子供にも恵まれた。


 元殺し屋が今は幸せな夫婦生活か。

 死者には恨まれそうだ。

 まあ、いいだろう。死んだ人間のことなんて私には関係ない。


 今でもコーヒーはよく()いている。

 彼のためにコーヒーを挽いている間は自分が元々は殺し屋だったとか、そんな煩わしいことを忘れて一人の少女でいられる気がした。


 最近淹れたコーヒーが美味しかったので書きました。

 コーヒーを挽くという行為に色々な意味を込めた本作ですが、こういう後書きで作者がああだこうだ言うのも野暮ですので作品の解釈は読者に任せることにします。


 感想・誤字脱字があれば報告して下さると幸いです。

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