最終話① 彼らのエピローグ
「お前、旅にでも出るのか?」
違うと思いながら口に出した。
フェンリルの気配はそういうものじゃない。魔力のあるこっちの世界では、感情はより直感的に伝播する。
今感じている”別れ”は……ついさっきアーノルドに対して感じたのと同じもの。
つまり永遠の別れだ。
フェンリルは何も言わない。
静かな息遣いとともに、黙って俺を見つめている。
……なんでだ?
こいつの枷は外れたはずなのに。
元の姿を取り戻し、”ノア”の支配力を持つアーノルドも滅んだ。
俺と一緒に来るかはともかく手に入れた自由を満喫するものだと思っていた。
それとも俺が気づいてないだけで、何か重要な魔法式を持ってかれてしまったとかか?
Sランクモンスターとこうして並んでいること自体が世にも稀な状況だ。
こいつらの生態……というか魔法的な構造は、未だ未知の中の未知と言える。
じゃなきゃ、元々あった欠損を埋める為に”ノア”の魔法を欲していた?
最終的にそれが手に入らなかったので生存限界を迎えてしまったたとか。
ただそうなると、俺がフェンリルに勝ったのが原因でこいつが――、
―――俺が勝ったからか。
フェンリルの目を見返した。
その目には、もはや闘いと結びつくような強さも、鋭さも残っていない。
俺はフェンリルに勝った。
あの戦いでもし負けていればこいつは俺を喰らい、”ノア”の力に抵抗するための魔法式として自らに吸収したはずだ。
そうなればきっと俺はアーノルドに近い存在になったんじゃないだろうか。
僅かな自意識以外の全てを奪われ、永遠に生き続ける存在にだ。
分かった上で戦った。
あの時の俺にとって”フェンリルと対等に戦える”こと以外はどうでもよかった……けど、終わった今だから考えられることもある。
もし逆の立場だったとしたら?
もし、勝てば相手の全てを奪うような戦いを俺の方から挑んでいたら?
―――片方のみペナルティを負う戦いが、”真に対等”だと言えるだろうか。
多分、これが正解だった。
「…………ええとだな、フェンリル」
いや、やっぱり違うか!
元々感情がはっきり分かるわけじゃないし、断片的な印象から勝手にストーリーを作ってしまった可能性の方が高い。
「これからどうする? ついに神様……の力を倒したわけだが」
アーノルドのことで感傷的になっていたらしい。
ひと暴れしてリセットする必要があるな。
「Sランクは他にもいるぞ。そいつら倒さないとアークで最強は名乗れないよな」
どうせ戦うなら強い奴がいい。
この半年で俺の価値観もすっかり変わってしまった。
「聞いた話だけど北海道のゲートにはお前と同じ雷属性の飛竜がいるらしい。あと嘘っぽいけど富士山のゲートにもSランクがいるとか」
一つ一つ確かめに行くしかない!
「日本が終わったら外国行こう。俺もお前も時間はたっぷりあるんだし。というか俺もそろそろ装備新調するか。真銀の剣とか自分のやつをさ……――」
そうしてしばらく色々なことを喋っていた。
モンスターのこと、魔法のこと、戦術のこと、仲間のこと、思いつく限りの話題を引き出して喋り続けた。
そうしていればそのうちフェンリルから別の反応を引き出せるんじゃないかと思ったのだ。
けど、どれだけ話していてもフェンリルは変わらなかった。
変わらず静かな目で俺を見ていた。
そしてふと気づいた。
”フェンリルにも俺の言っていることは分からないはずだ”、と。
ならどうしてずっと静かに、じっと動かずに俺の話を聞き続けているのか。
言葉が分からないからだ。
別れを告げる相手が何か話していて、けど自分にはその言葉が理解できない。
だからフェンリルは待っている。
待ってくれている。
俺が全てを言い終えて、俺達の間に残ったものがなくなって。
”去っていいのだ”と分かる時が来るまで、ただ黙って待っている。
お別れを言わなければならない。
「―――フェンリル」
「なん……だ、その。今まで、」
「今まで……」
「いや」
「もし」
「生まれ変わってもいいと」
「そう思える日が、お前に来たら」
「―――また、一緒にやろうぜ」
絞り出せたのは別れではなく、再会の約束だった。
言葉を終えた俺をフェンリルは黙って見ていた。
そしてもう何も出てくるものがないと分かると、俺に向かって近づいてくる。
目の前で光る蒼い目と視線を交わす――この強く、誇り高い目を、俺は一生忘れないだろう。
フェンリルがゆっくりと口を開けた。
そのまま牙を立てずに俺をくわえると、上を向いて飲み込んだ。
俺は抵抗しなかった。
フェンリルの中、果てしなく広がる暗闇を落ちていく。
光が見えた。
大きな白い光の球とその周りを駆ける蒼い稲妻。
半年前と同じように暗闇を照らすフェンリルの魔法式。
近づき指先で触れると、それらが俺の身体の中に吸い込まれていく。
途端に視界が白く塗り潰されて、目を閉じる――。
再び目を開けて最初に見たものは、異常に視点の高いドームの景色だった。
足元を見てみると鱗に覆われた前脚、その先には大きな爪が付いている。
体に力を入れると尻尾が持ち上がった感覚があった。
俺はSランクモンスター、《フェンリル》の魔法式を手に入れた。
そして俺の相棒は、もうこの世界のどこにもいなくなっていた。
あいつの意識は……誇りとともに旅立ったのだ。
”――――ッッ!!!!”
狼の喉で吼える。
残っている魔力を開放して見える範囲全部の空に雷雲を呼んだ。
黒い雲が赤い空を覆い隠し、稲光が廃墟となったドームを駆け抜ける。
まもなく蒼い雷の音がこの世界に響き渡るだろう。
その音が、あいつの耳にも届いてほしいと思った。
やがて魔力が枯れ果てるまで、俺は吼え続けていた。
ずっとずっと、吼え続けていた。




