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第71話 ありがとう。

 この男の子がアーノルドだ。

 理由もなくそう思った途端、俺の視界が少しずつブレ始めた。

 アーノルドの視界とリンクし始めたようだ。



 目をつむって祈りを捧げる周囲の様子に反して、アーノルドは一つ向こうの席に座る1人の女の子をじっと見つめていた。

 ……見惚れていたの方が正しいか。


 アーノルドと同じくらいの歳の綺麗な金髪の女の子。

 母親らしき女性と並んで座り、行儀よくお祈りに参加している。



 女の子はお祈りが終わるとぱちりと目を開いた。

 辺りを見回したその目とアーノルド()の目とが合って、女の子がにこりと微笑んだ。



 ―――幼いアーノルドの心が、一撃で射抜かれてしまったのが伝わった。



 世界が白く塗り潰される。

 かと思えば別の色が現れ、新たな世界が描かれた。

 そしてまた塗り潰される。

 それぞれの世界が順に描くのは、アメリカにある小さな町で日々を過ごすアーノルドの姿だ。


 ……あいつは俺に、自分の一生を見せるつもりなのか?




 初めての出会いから数年後。

 互いの両親の計らいもあり、教会の催しを通じて交流を深めた2人はすっかり仲良くなったらしい。



 家の中、少年アーノルドは宇宙船の模型を手にしながら少女に何かを語っている。

 どうやら彼には宇宙飛行士になる夢があるようだ。

 頭の良い少年は最近学んだ天体についての話を少女に聞かせるが、少女はいまいちピンと来ていない。


 それでも根気よく語り続ける少年の熱意に、やがて少女の心も動き始めた。

 特に少女の好きな星座の話になると身を乗り出し、目を輝かせて頷いている。


 少女の母親が迎えに来るまでの間、2人はずっと宇宙への夢を共有し合っていた。




 時間が流れていく。

 アーノルドと少女は10代になり、思春期を迎え、その距離は幼い頃よりも少し離れたようだった。


 とはいえアーノルドが少女に好意を持っているのは部外者の俺にも明らかだ。

 彼の頭の中には宇宙か少女のことしかなかった。


 勉強に打ち込みながらNASAが主催するキャンプに参加する傍ら、友人達の悪ふざけに乗って少女にデートを申し込み、断られて絶望し、成績が一気に落ちた。

 心配する両親の勧めで再び、今度は真剣に申し込んで承諾を得ると成績は回復した。


 少女も何やら忙しそうにしていたが、2人はそれぞれ時間を見つけてはこれまでと違う関係に向け、ゆっくり歩みを進めていた。

 少なくともアーノルドの方はそう思っていた。



 転機が訪れたのは、2人が日本で言うところの高校生になってからだ。

 ある日アーノルドは少女から真剣な相談を受けた。


 ―――卒業したら、海外に留学することを考えている、という相談だった。


 少女には化石学者になる夢があったらしい。

 留学先の大学で一通り学んだ後は、その大学の研究室に入って世界中の化石を見て、調べて、自分だけの標本を作るという夢。

 それは卒業後もアメリカには戻らないことを示唆していた。


 けど、少女には明らかに迷いがあった。

 迷いがあったからこそ、相談という形で大事な存在に判断を委ねたのだった。



 アーノルドは――迷わなかった。

 迷わず少女に留学を勧めた。

 彼の夢はNASA(宇宙)にあり、少女と共に行くことはできない。


 それでも、少女に夢を教えたのは彼だったから。

 彼女の見つけた輝きを自分が消してしまうことは、絶対にできなかったのだ。



 卒業式の後。

 学生達の集まる舞踏会(プロムナード)で、彼は彼女に想いを伝えた。

 彼女は返事をせず、彼も望まなかった。

 2人の道はこうして別れた。




 やがて青年となったアーノルドは着実に夢へと近づいているようだった。

 航空宇宙力学を始めとした学問の専攻、実務に必要なライセンスの取得。

 20歳、25歳と年齢を重ねるごとに彼は彼の理想に相応しい経歴を手に入れていく。

 10代から続く不断の努力の賜物だ。


 アーノルドは絶対に夢を叶えなければならなかった。

 遠い異国の地にいるであろう”友人”に失望されないためにも。


 そして30代が近づいてきた頃には、ついにNASAの宇宙飛行士候補生への応募資格を手に入れた。

 候補生への応募倍率はとても高いらしい。

 何度応募しても合格できない人が当たり前のようにいる世界のようだ。

 夢の入口に立った彼は、これまで以上に夢に向かって邁進し続けた。



 そんなある日。

 たまたま故郷に戻った彼に、目を疑うような出来事が起こった。



 彼の友人(・・)であった少女の生家の前に、その面影を持つ女性が立っていたのだ。

 女性は美しく成長した少女だった。

 ただ――彼女が着ているのは喪服で、その目は赤く腫れていた。


 父親が亡くなり、彼女はその葬儀のために帰国したのだった。

 彼女の母親の気遣いで多忙なアーノルドには連絡が来なかったのだ。



 アーノルドと彼女は、悲しみを埋めるように一晩中話をした。

 会わなかった間のこと、これからのこと、そして夢のことを。


 落ち込む母親をどうしても一人にできない彼女は、もうアメリカを出るつもりはないらしい。

 ”夢を叶えられなかった”と彼女は小さく笑った。


 アーノルドの決意の炎が燃え盛った。


 彼は言った。



”僕の夢を――僕達の夢にしてくれないか”



 彼女は、そのプロポーズを泣きながら受け入れた。



 それから数年後。

 アーノルド達は、それぞれの家族とともにヒューストンに移り住んでいた。

 ついに宇宙飛行士候補生の試験に合格し、NASAの施設で正式な訓練を受けることになったからだ。

 完了すれば晴れて宇宙飛行士として任命され、二人の夢が叶うことになる。


 そして彼女のお腹の中には、もうじき生まれる彼らの子供が宿っていた。

 二人の道は紆余曲折を経て再び繋がり、その前途は幸せに満ちている。

 アーノルドはそう信じていた。



 彼女が死んでしまう(・・・・・・)までは。



 病院で二人の待ち望んだ子供が生まれた時、事故が起きた。

 それは彼女の体質に由来するもので誰の所為でもなかった。

 子供とアーノルドを遺して彼女は死んだ。




 アーノルドは――逃げた。

 子供を両親と義母に任せて、自身は宇宙飛行士の訓練に没頭した。

 それが二人の夢だったから。

 その夢さえも叶えられなければ彼女の生きた証が残せないと信じ込んでいた。


 最悪の思い違いに気づいたのは1年後。

 ”子供が流行り病で緊急入院した”という報せを受けた時だった。



 アーノルドは訓練を放り捨てて病院に急いだ。

 家族に殴られ、医師にすがりつき、隔離病室の窓に張り付いて必死に子供を見つめた。

 小さな十字架を取り出し、何度も何度も神に祈った。

 何日も何週間も祈り続けた。


 ―――子供は奇跡的に回復した。


 無事に退院した子供を、アーノルドは泣きながら抱きしめた。

 彼を初めて見る子供は、不思議そうな顔で彼のことを見つめ返した。


 まだ言葉も分からない彼女(・・)の前でアーノルドは決意した。

 宇宙飛行士は諦める。

 これから先は一生を懸けてこの子を――遺された”僕達の夢”を守ると。


 親子は一緒に暮らし始めた。

 どんどん成長していく娘を見ることはアーノルドの新たな幸せとなり、その心に平穏が戻る。

 彼はその幸せを見守り続けると、亡き妻の墓前で誓いを立てたのだった。



 だが、その誓いは果たされなかった。



 突然地球に現れた異世界の神が、アーノルドを、そして世界中の人々を己の世界へ引きずり込んだ。

 アーノルド達は必死で帰還を試みた。

 拠点を作り、魔法で寿命を延ばし、戦力を整え、ついに元凶である”ノア”と対峙した。


 そして勝つ為に、全員が己の身を魔法に変えたのだ。


 彼らの戦いは異世界の時間で数百年にも及び、数多くの仲間が散っていた。

 その死を背負ってきた以上、その戦いに負けてしまうことだけは許されなかった。

 たとえ二度と地球に戻れなくなったとしても。



 ―――”ノア”は打ち倒された。



 魔法となった彼らは、ほとんどが人であった頃の意識を失い散り散りになる。

 アーノルドもまた実体を失い暗闇に墜ちた。


 ”魔王”であった彼の意識はすぐには消失せず、長い時間をかけて摩耗していく。

 100年、200年……1000年、それ以上。

 薄れる意識の果て、最後に残ったものは――。





 ……アーノルドが今も見ているであろう暗闇を最後に、目に見える世界は再び真っ白に戻った。

 全てを知った俺の耳に声が聞こえてくる。



”帰りたい……”



 男の声だった。



”帰りたい……”



 深い悲しみの声だった。



”僕は……帰りたいんだ……。家族の元へ……静かで、小さな幸せを――”


”取り戻したいだけなんだ。”




 その声を聞いて、俺は。


 俺は。



 ―――心の底から、抑えきれない猛烈な怒り(・・・・・)が噴き出してきた!!



「ふ ざ け る な ッッッッ!!!!!!!!」



 アーノルドの魔法をぶち破って吼える。



「何がッッ!! 何が”小さな幸せ”だッ!? それは――、それは――ッ!!」



 魔力も気力も体力も、今、全身に宿っているエネルギーを全部使って叫ぶ。



「てめえが俺から奪った(・・・・・・)ものだろうがッッッッ!!!!!!!!」



 ―――半年前、こいつが起こした事件が全てを変えた。

 普通に生きていた俺は二度とそうは生きられない人生に踏み出すことになった。

 ”浅倉玄人”は特別になった。



「そんなもん望んじゃいなかった!!」



 怒りが俺を突き動かす。

 強くなれなくても、有名になれなくても、あれは俺の人生だった!

 こいつにどんな……どんな事情があったとしても。


 決して許されることじゃない!!



 発射台にもたれるアーノルドの足元で、俺は雷ほとばしる刃を構えた。

 息を吸う。

 身体の中の力と怒りが膨らんだ。



 それを一気に吐き出して、跳んだ!!

 アーノルドの上で雷刃を大きく伸ばし、見えるところを手当たり次第に斬りつける!!


 宇宙服の右足を両断した。

 身体をねじって今度は左足。

 刃を突き刺し、そのまま貫きながら駆け上がり、左右の腕も順に斬り落とした。


 最後に《力場》を作り、アーノルドの正面で雷刃を構える。



「終わりだ、アーノルドっ……」



 何故か声が震えた(・・・・・)



 一瞬、視線が落ちる。

 俺が断ち切った宇宙服の断面からは、僅かな紫魔力が漏れ出ているだけだった。


 ―――こいつにはもう、実体が残っていない。


 俺達が当たり前のように持っている血も、肉も、何も残っていない……。


 視界が歪んだ。

 垣間見たアーノルドの人生が、遅効性の毒のように俺の心を蝕んだ。



 構えてたたずむ俺にアーノルドは何もしようとしなかった。

 抵抗の気配さえ見せようとしなかった。


 ただ、弱々しい魔力の気配だけが、全てを受け入れるように俺へと向けられていた。



 俺は跳んだ。

 雷刃を逆手に、切っ先をアーノルドに向け、渾身の力で振り下ろす。

 切っ先が胸の中心に吸い込まれていく。



 貫き、根本まで埋まった刃と宇宙服の隙間から淡い紫魔力があふれてくる。

 その光が俺にそっと触れた。

 魔力の主が最期に伝えてきたのは……”安堵”の感情だった。



「―――ッッ!! フェンリルッッ!!!!」



 胸がぐしゃぐしゃになって、叫んだ。


 

「やれっ――! 消し飛ばせ、全部ッッ!!!!」



 ケラトスを屠ったフェンリルが呼応する。

 両足の爪を月面に突き立て、周囲の妨害も気にせず雷星の集束を開始する。

 標的はアーノルド……それと、俺自身だ。



 アーノルドに突き刺した刃の柄を叩くように、額を押しつけた。

 怒りを越えた先の悲しみが心を焼いた。



 ……こんな怒りや悲しみは、全て消えてしまえばいい。



”ルォォォオオオオッ!!!!”



 フェンリルが咆哮を上げて雷星を解き放つ。

 全てを終わらせる光が迫ってくる。



 俺はもう、アーノルドを独りにはできなかった。

 1000年続いた暗闇の中、ようやく同じ”魔王”(理解者)を迎えたこいつが、独りで終わっていいわけがないと思った。



 けど。



「……? ――お前ッ!?」



 紫色の穏やかな魔力が俺を包み、握った刃ごと俺をアーノルドから引き離した。

 魔力はそのまま俺を持ち上げ、高く、高く送り出す。

 暗闇を越えて地上へと。



 ―――蒼い雷光が月面を照らし、雷星がアーノルドを呑み込んだ。

 この世界に来た最初の人間であり、そして最後に残った人間でもあった男が消えていく。



 俺はそれを、暗闇から浮上しながらずっと見ていた。

 魔法の月が静かに解けて、アーノルドと、彼の創ったものが眠りにつくまで――その最期を見送っていた。







 後から追いかけてきたフェンリルと一緒に、俺はアークの地上に戻った。

 荒れ果てたドームの中には人もモンスターも残っていない。

 乾いた風だけが吹いている。



 フェンリルが上を見ているのに気がついた。



「……空が」



 アーノルドに支配されて以来、地球と同じ青になっていた空が本来の赤色を取り戻していた。

 これで本当に全てが元通りだ。

 俺の右腕を除いてだが――!?



「ん!?」



 右腕が戻ってる(・・・・・・・)!?



 《雷切》の魔法式になったはずの右腕がいつの間にか実体を取り戻していた。

 しかも《雷切》が使えなくなったわけでもないようだ。


 アーノルドが何かやった以外には理由が思い浮かばない。

 魔法化は不可逆のはずじゃないのか?

 ……まだ俺の知らないルールがある? いや、そりゃあるにはあるだろうが……。



「……考えても分かるわけないか」



 なにせこれをやってくれた当事者は、もういないのだから。



 それでもあいつの伝えたかったことだけは分かる気がした。


 

「ちゃんと帰るよ――地球に」



 帰るべき場所に。

 誰もが帰れるとは限らないことを、俺はもう知っているから。


 ちゃんと帰って、それからこの先のことを考えよう。

 難しい問題は山ほど残ってるし、何なら今も横に居るのだ。



「な、フェンリル」



 俺はフェンリルを見上げて言った。





「…………フェンリル?」



 フェンリルは俺を見ていた。

 牙も剥かず、爪も向けず、片目(右目)だけ残った蒼い目で、ただ静かに俺を見ていた。



「おい」


「…………あれ?」



 俺はこの気配(・・・・)を知っていた。



 ―――別れの気配だ。

次回が最終話となりますが、ページを変えたい都合で①~③に分かれています。

よろしくお願いします。

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