第70話 復讐の果て、最後の試練
§§ この世界のどこかで §§
”《雷》だって斬ってみせる。”
アークに響き渡るその声が、永い眠りに就いていた”■■”の目を覚まさせる。
”■■”はまどろみの中で知覚した。
声の主が自らの創造物ではないことを。
であればその声の要求――魔法の《創造》は、”■■”の役割の範疇にない。
しかし”■■”は覚えていた。
眠りに就く前、己を打倒した存在と交わした、ある盟約を。
”約束してくれ。もし、遠い未来に……僕達と同じ誰かがそれを求めたならば――”
かつての人間と同じ資格を声の主は持っていた。
故に”■■”は世界を裂く。
声の主の望みを手に取ると、彼の一部と共に世界の隙間に編み込んでいく。
そして。
新たな摂理が産声を上げ、時間よりも上位の次元で、浅倉玄人の望んだことは成し遂げられた。
概念魔法――《雷切》。
その誕生を見届けると、”ノア”は再び永い眠りへと沈んでいった。
§§ §§
「――――……」
一瞬、目が眩んでいた。
真っ白な視界が色を取り戻すと――目の前にはフェンリルの剥き出しの牙があった。
半ばまで開かれた顎は今にも俺を喰らわんとする状態で静止している。
表面には、つい今しがた付けられたような大きな斬傷が走っていた。
顎が退いていきフェンリルの顔が見えた。
目線がぶつかる。
……少し時間を置いてから、そのまぶたが閉じられる。
そのまま小さく頭を下げると、巨狼はゆっくりと脇によけて道を譲った。
それはこの戦いの勝者をフェンリルが認めたということだ。
何が起きたのかようやく理解が追いついてくる。
あの瞬間、俺は確かに《雷》を斬った。
技量でも運でもなく、俺が真に欲した魔法の力によって。
「《雷切》……」
どこからか浮かんだその名前は、俺が手に入れた”概念魔法を斬る”概念魔法。
絶対の敗北を覆してみせた出自不明の切り札だった。
―――その為の魔法式は?
俺はあえて視界に入れないようにしていた右腕にようやく目を向けた。
想像通りだった。
肘の少し上から指先まで、右腕はその姿をほとんど失くしていた。
無数の魔力の光点がその輪郭だけを形づくっている。
実体がないのに真銀の刃を掴めているのは、これが高純度の魔法金属だからか。
概念魔法は既存の魔法のアレンジで発現できるようなものじゃない。
だから……いや……どうしてそうなったのかは分からないが。
俺の右腕がその為の魔法式に変換されたらしい。
人間が魔法になれるのは既知の事実だ。
だからこうなったのも驚くというほどではないが……一つ残念なのは。
「地球には戻れないかもな」
下手にゲートは越えられない。
もし腕のない部分が見た通りの状態だとしたら、あっという間に出血多量で死ぬことになる。
向こう側で処置してもらえば助かるかもしれないが、その後は片腕のない生活だ。
限界を超えた代償は大きかった。
もちろん、得たものの方が大きいが。
決着が付き、フェンリルが道を開けた先。
遠くに建つ発射台に寄り掛かる巨大な宇宙服。
奴に向かって荒れ果てた月面を歩く。
「これで最後だ」
半年前から続く因縁がようやく終わる。
―――宇宙服の片腕が持ち上がる。
その腕に積もっていた大量の月砂が動きに合わせて滑り落ちていく……どれだけの時間あそこに居たんだろうか。
持ち上げられた腕の先端、グローブの部分がこちらを向いた。
そこから紫魔力が霧状になって俺の方へと向かってくる。
走るよりも早く、しかし脅威は感じないスピード。
魔力が間近に迫ったところで気づいた――そこに敵意が含まれていないことに。
自分を滅ぼしに来た相手に?
……この違和感は、勝敗を分けるものかもしれない。
俺は”乗る”ことにした。
その場で立ち止まると、やってきた紫魔力が俺の身体を包み込む。
やはり攻撃的な意思は感じなかった。
それどころか、これは……。
「親近感?」
言い表すならこれだろう。
紫魔力を通じてアーノルドの感情、あるいは感傷が伝わってくる。
知らない土地で知り合いに会ったみたいな……こいつも昔は人間だったのだと、今更ながら思い出した。
紫魔力の光が強くなる。
未知の魔法が発動し、アーノルドはそれで俺に”自分の何か”を見せようとしている。
―――俺はそれを払いのけた。
「もういいだろ」
纏わりつく魔力を蒼く塗り潰し、自分の力に変えていく。
アーノルドが俺をどう見ているかなんてどうでもいい。
俺は……俺が、こいつの所為でどんな人生を歩むことになったのか、大事なのはそれだけだった。
復讐の時だ。
拒絶がアーノルドに伝わり、伸ばされた宇宙服の腕が再び月面に落ちた。
紫魔力が自分と俺とを隔てるように空間に満ちていく。
《召喚が発動する》
予幻が戦いの始まりを告げる。
行く手の空間に無数の亀裂が走った。
大小様々なその亀裂の数は、優に千を超えていそうだ。
中から破り出てきたのは同じだけの数のモンスター達。
奴らの体が地平線を埋め尽くし、翼が空を塞ぐ。
獣型から竜型まで揃い踏みの万魔殿。
そして最後に――大群の向こう側に座すアーノルドを隠すように、巨大な影が月面を突き破って現れた。
琥珀色の体表と縦縞。
見覚えのある大鯨だ。
何よりそいつの発する魔力が半年前の記憶を呼び起こす。
Sランクモンスター”ケラトス”。
あの日俺達に倒された最強のモンスターの一角は、どうやらその後アーノルドに囚われていたようだ。
布陣を終えた敵の圧力が高まっていく。
もし地上に放たれれば、各地のドームを100ヶ所更地にしても止まらないような大戦力と向かい合うのは――1人と1匹。
”グルルルルルッ……”
低い唸り声。
後ろに控えていたフェンリルが俺の横に並ぶ。
《雷が落ちる》
予幻に応じて右腕を真横に突き出した。
稲妻が奔り、真銀の刃が蒼雷を纏う。
「やっぱりこれが一番しっくりくるな」
《雷のエンチャント》を携えて、俺は笑った。
―――そして、アーノルドの軍勢の進撃が始まった!!
応じるようにフェンリルが猛る。
”ヴォォォオオオオオッッ!!!!”
俺は《力場》からその背に飛び乗った。
身を屈めて体毛を掴む。
フェンリルが軍勢に向かい疾走を開始する。
遠く離れていた互いの距離が近づいていく中、軍勢からはあらゆる属性魔法が飛んでくる。
大気が焦げて、月面が凍り、竜巻が起きて、地形が変わる。
俺は予幻を基にその大半を逸らし、あるいは停止させて弾幕の中に道を拓く。
駆けるフェンリルがその道に体をねじ込んでいく。
多少の衝撃は気にも留めていない。
俺達はひたすら進む。前に、ただ前に!
「―――突っ込め!!」
目前に迫るモンスターの壁を前に叫んだ。
同時に刃を振るって《雷の牙》を放ち、壁に突破口を作り出す。
フェンリルがぐんとスピードを上げて一気に突っ込んだ!
体の周りに纏った雷が近づいたモンスターを大小区別なく弾き飛ばしていく。
誰も俺達を止められない。
可能性があるとすれば――、
”ボォォォォォ……”
軍勢の最後部、アーノルドを守るように位置する大鯨。
そいつが体を持ち上げ、大きく腹を膨らませて天を向いた。
《ケラトスが概念魔法を使う》
「―――!!」
思い出す。ケラトスを中心に、奴の吠声に触れたものが全て”死んだ”半年前の光景を。
《歌》の概念魔法が来る!
「俺がやる」
背中の上で立ち上がる。
ケラトスは概念魔法を発動した――奴の周囲のモンスターが《歌》に触れて消滅を始め、その範囲が円状に拡大していく。
フェンリルが急停止する。
慣性でぶっ飛ぶように空中に放たれた俺は、その《歌》に向けて刃を構えた。
いまや魔法式と化した右腕に強く力を込める……!
「―――《雷切》ッッ!!」
刃の切っ先に蒼魔力が集中し、”死”をもたらす《歌》の領域に触れた。
形容しがたい何かが裂けるような感触――斬られた《歌》が膨大な量の紫魔力に還っていく。
フェンリルが落下する俺を掬い上げ、そのままケラトスに突っ込んだ。
巨大モンスター同士の衝突が大気を激震させる。
概念魔法を破られ、魔力を著しく減らしていたケラトスが押し負けて倒れ伏す。
アーノルドを守る最後の壁が無くなった!
一気にケラトスにとどめを刺そうとするフェンリル。
それを尻目に俺は月面に降り立ちアーノルドに向けて走り出す。
刃が放つ蒼雷が尾を引いて、未知の力が俺の背中を強く押し、加速させる。
有象無象のモンスターは既に《歌》に呑まれて消え失せた。
行く手を遮るものは何もなく、目に入るのはアーノルドだけだ。
アーノルドが――宇宙服の巨人が、発射台にもたれかかった姿勢から起き上がろうとしている。
その動きには錆びた機械のような、あるいは、疲れ果てた老人のようないびつさがある。
緩慢に上体を起こし、前傾し、白いグローブに包まれた手で月面を押す。
そのまま立ち上がろうとしたようだが……途中で力尽きたらしい。
手の支えが外れ、再び背中から発射台に倒れ込んでいく。
中が真っ暗なヘルメットが、力なくうなだれた。
その光景が何故かものすごく癇に障った。
気づいてはいけない何かを見せつけられているようだった。
―――”気づいてはいけない”と自分が思っていることも気に入らなかった。
だから明確に言葉にしてみせる。
「お前、人間なんだってな。だとしても俺は……」
アーノルドの腕が弱々しく持ち上がる。
向けられた手の先から戦う前と同じように紫魔力が伸びてくる。
また俺に何かを見せようとしてるのか?
いいだろう。
どのみち避けるつもりはない。
一直線に、最短ルートでお前に辿り着いてやる。
このまま行けばあと十数秒でアーノルドと接触するというところで、俺は紫魔力に包まれた。
視界が光の中に溶けていく――。
―――気づけば俺は、真っ白で何もない世界に立っていた。
ここはアーノルドの魔法の中だと超感覚が教えてくれる。
その世界に、絵筆を走らせたように物の輪郭と色が生まれ始める。
雰囲気のある木造の建物。
年齢も性別もばらけた、たくさんの外国人。
……実際に行ったことはないが、そこがどんな場所かは思い当たる。
”教会だよな?”
俺の声が世界に溶ける。周りの人達には聞こえていないようだ。
いくつも並ぶ横長の木製の椅子に腰掛けたその人達は、厳かな空気の中で静かに祈っている。
ふと1人の男の子に目を引かれた。
10歳にも満たないだろうその子には、白人であること以外これといった特徴はない。
それでも分かった。
この男の子が、アーノルドだ。




