第69話 フェンリル
猛進するフェンリルが月面を踏み切って高く跳ぶ。
そのまま俺目がけて突っ込んでくる――圧倒的な質量を俺に押し付け、先手を取って一気にケリをつける。
そういう狙いが見えた。
一緒にいた経験から、俺が迎撃に使える攻撃をあまり持っていないと踏んだのだろう。
「さっきまではな」
逆手に持ち替えた真銀の刃に魔力を集中させると、《氷のエンチャント》が輝きを増して応える。
《ゴースト》を使う時と同じ要領で刃をイメージし、
「ふっ――!」
振り抜く。
軌跡をなぞって生まれた《氷の牙》が、空中にいる巨狼を裂かんと迫っていく。
《フェンリルが力場を蹴る》
使えたのかよ!
初見返しに驚きながら、先の戦闘で封じられていたソフィアさんの銀矢を再び制御下に戻しておく。
フェンリルは予幻の通り《力場》らしきものを出して《氷の牙》をかわしてみせた。
が、一度《力場》を挟んだことでその勢いは大きく削れている。
しかしそのまま、直上から剛爪を叩きつけてきた。
やりづらい角度だ。
それでも予幻に合わせて重撃を受け流すことに成功し、返す刃がフェンリルの体毛の部分を浅く傷つける。
接近戦が始まり、続く連撃を同じように切り返す。
フェンリルは退かない。
こいつには龍ノ介さんとの戦闘経験がある。
人間は武器を加味してもモンスターよりリーチが短く、適切な距離から攻撃できれば反撃のリスクは大きくない――ということを理解しているのだ。
刃を振るう度、その先の体毛を抉る浅い氷傷が増えていく。
一方的にダメージを与えているように見えても不利なのは圧倒的に俺だ。
何百と付ければこんな傷でも倒せるかもしれないが、まずスタミナが持たない。
疲労で止まったところに一撃当てられたらそれだけで終わってしまう。
だから必要なのは、適切なタイミングでの仕切り直し。
「来いッ」
爪を弾いた一瞬の隙、意識を彼方の銀矢に飛ばす。
飛来した矢じりがフェンリルの脇腹を狙う――反応し、飛び退られたところを2回3回と追い回す。
この矢も真銀とあって警戒されているらしい。
よほどの隙でなければ当てるのは無理だが、時間稼ぎにはもってこいだ。
追跡をやめさせて銀矢を上空で待機させる。
動きを止めたフェンリルの体には、薄い霜を被ったように氷傷が点在していた。
刃で与えたダメージはそのままらしい。
《氷のエンチャント》の効果の一つではあるが、支配されている間はそれでも回復していたはずなのに。
…………魔力量か。
今、フェンリルの中に紫魔力はほとんど残っていない。俺から吸収した蒼魔力がエネルギー源だ。
相当な量を持っていかれたが、それでもこの月全部の魔力を塗り変えていたわけではないので限りはある。
それを回復に費やすことを惜しんでいるんだろう。
《フェンリルが雷槍を放つ》
雷槍に頭上から襲われる。
避ける間に、本数を増やした第二波が妙にこなれた角度から現れた。
支配されていた時の空間を埋めるような撃ち方とは違う。
次の避け方を限定し徐々に追い詰めていくようなこの撃ち方――ソフィアさんの真似か!?
「学習しやがったな、お前!」
言葉と裏腹に口角が上がった。
ついに予幻ですら回避しきれなくなる。
俺は2本目の剣を背中から引き抜き、即席の二刀流でステップを踏みながら全ての雷槍を斬り捨てた。
最後に突っ込んできたフェンリルの顎を交差した剣と氷の壁とで受け止める。
”グルォォォオオオオッ!!”
「うおおおおおおおおッ!!」
目の前で轟く咆哮に咆哮を返した。
楽しい。
楽しい!!
想像もしてなかった。
いつかはあると覚悟してたこいつとの戦いがこんなに楽しいなんて!!
《雷槍が現れる》
「《ゴースト》!」
楽しめるだけの強さが、今の俺にはある!
鍔迫り合いの後背を突くような位置に出てきた雷槍。
即座に死霊の手が干渉し、その標的をフェンリルに変えさせる。
自らの攻撃魔法に狙われたフェンリルは体を勢いよく回転させた。
雷槍が弾き飛ばされ、振り回された分厚い尻尾がハンマーのように俺に迫ってくる。
―――避けきれない。
攻撃範囲が広すぎる。
その場でジャンプし、氷壁を挟んで尻尾に突き飛ばされるようにわざと吹っ飛んだ。
高速で変わっていく景色。
薄い氷壁をいくつも生成し、ぶち破っては勢いを殺していく。
最後は《影縛り》で自身を停止させて着地。
この間に、フェンリルは俺達の頭上を魔法で呼び出した黒雲で覆っている。
雷鳴がこだまし稲光が空を照らす。
1秒に1発のペースで降り注ぐ落雷が、辺り一帯の月面を抉り始めた。
着弾地点は完全ランダム。
予幻で避けることは出来ても意識は割かれるし、万が一当たればそれで終わりだ。
小さな人間と巨大なモンスターとのリスクの差を存分に利用されている。
「上等」
俺は周囲の魔力を蒼に塗り替え、刃に込め直し、再びフェンリルと激突する。
―――それから先も俺達は、自分の持つ技を思う存分にぶつけ合った。
中にはこれまでお互いから学んできたものもあった。
フェンリルは明らかに対人戦闘の動きを意識している、それは俺を通して見た戦いから組み上げたものだろう。
そして俺もまたこの半年間、フェンリルと共に在った。
どんな規模のどんな事象を操るのか、たとえ初見の魔法であっても理解に遅れることはない。
ただ一つ。
フェンリルはまだ、重要な魔法を見せていなかった。
「はあッッ!!」
《力場》を上に跳びながら真銀の刃を思い切り振りかぶる。
魔力を刃に込めると《氷のエンチャント》が反応し、刀身が鋭い氷の大刃と化した。
伸びたリーチが後ろに下がるフェンリルの目測を外し、代償をその肩に刻みつける。
そのまま後退を続けて離れた位置で静止――右目しかない蒼い目が俺を射抜いた。
……決着の予感がする。このまま使わないつもりなのか?
《雷》の概念魔法を。
これまでいくつかの概念魔法を見てきたが、最強は間違いなくあの魔法だ。
文字通り自身を《雷》に変える超高速化の魔法。
その威力は攻撃に上乗せされ、更に概念魔法自体の特性を利用して相手の魔法の中に突っ込んでいくことさえできる。
半年前の事件では同じSランク、砂鯨の概念魔法さえ突破してみせていた。
その魔法をフェンリルは使っていない。
戦術的な理由があるとすれば……万が一、使って俺を仕留めきれなかった場合のことだろう。
概念魔法は例外なく魔力の消費が激しい。そしてモンスターにとっての魔力は魔法を存在させるためのエネルギーであるとともに、攻防どちらにも使用するリソースでもある。
早い話、カウンターに弱い。
終了直後はSランクと言えど大幅に弱体化するはずだ。
……その”万が一”を引き寄せる可能性が俺にはあった。
《雷》が発動した後に対処するのは絶対に不可能だ。
けど俺なら発動前に予幻で知覚することができる。
知覚した後どうするのか? 分からない。
確実な選択肢はない。
それでも発動中の1秒から2秒、《ゴースト》でも《影縛り》でも、何を使ってでも生き残れば俺の勝ちだ。
フェンリルはそれを警戒していた。
警戒した結果――決着を他の魔法に委ねることにしたようだ。
離れたフェンリルが両脚の剛爪を大きく振り上げる。
スパイクのように月面に突き立て、踏みしめ、全身に力を込めた。
大きく開いた口部に魔力が集中し、雷へと変換され、蒼い稲妻が空間を刻むようにまき散らされる。
雷星だ!
すぐに銀矢で妨害を試みる。
しかし稲妻が意思を持つように矢じりを撃ち落としにかかり、決してフェンリルに近づけさせようとしない。
「……ッ、やるしかないか!」
魔法で斬る!!
片足を半歩引き、刃をかつぐように背後にかざす。
超感覚を広げ、周囲の魔力を蒼く塗り替え、今度はそれを吸収するように刃に集める。
蒼い波動が真銀に触れる度に冷気に変わっていく……駄目だ、全然足りない!
刃の柄を握り直し”もっとよこせ”と強く念じる。
波動のスピードと力強さがぐんと伸び、冷気が凍気に変わった。
足元が凍りつき始めてその範囲がどんどん広がっていく。
フェンリルの雷星、その余波が月面を砕いている。
大気の焦げる匂いが鼻を突く。
それはもはや巨狼の姿を半ば覆い尽くすほどの大きさになり、放たれる時を待っている。
迎え撃つのは特大の《氷の牙》。
背中で構えるそれの凍気に俺自身が白く染められる。
雷星を断つ――その先のフェンリルすらも。
それを成すために時間ギリギリの極限まで魔力を集束し続ける。
けどこのまま、だと……!!
《―――雷星が一瞬、小さくなる》
来る!!
フェンリルを隠していた雷星が、予幻の光景と同じように小さく圧縮される。
発射の前兆。
悪い予感に従い、もう間もなく全てを消し飛ばそうとするだろうそれと、自分の構える《氷の牙》とを予幻で重ね合わせた。
《雷が氷牙を食い破る》
―――駄目かッ……!!
ついにフェンリルが咆哮とともに雷星を放った。
圧縮された雷が一瞬で膨張し、元の大きさを取り戻しながら莫大な推進力を獲得する。
進路の月面を深くまで抉り取り、巻き上げた破片を彼方まで吹き飛ばしながら一直線にこちらへ向かってくる。
その結末を見てしまった俺は、思わず刃を振り遅れた。
氷の斬波として飛んでいくはずの魔法が、凍りついた真銀の刀身ごと刃に追従して軌跡を描く。
斜めに振り下ろされた氷刃が、そのまま雷星と衝突した!
「ぐっ!? ……あ゛あ゛あ゛ッッ!!」
重い……重い!!
まるで隕石を受け止めているような……”絶対に刃を徹せない”と本能で理解できる重さ。
それが俺を呑み込もうと、目と鼻の先で蒼雷を猛らせている!
人間の切り札である真銀の刃、その纏う氷が、決壊の時を一瞬でも遅らせようと抗い続ける。
それでも1ミリ、また1ミリと雷の領域が氷を侵食し、刃そのものまで辿り着こうとする。
「ぐぅぅうううッッ!!」
押し返せない!
雷星は明らかに格上、魔法の差を考えればここまで持たせていることが奇跡だ。
真銀とボスの《氷のエンチャント》が見せた奇跡、その限界が……。
いや、その限界を超える方法は……!!
《――王よ》
「!?」
頭の中の魔法の声。
『浅倉くん、使い方は分かるね!? 《属性融合》だ!!』
連鎖して思い出す!!
「”風”――ッ!」
叫ぶ。
飛来したソフィアさんの銀矢が、雷星を抑える銀刃に激突した。
「《エンチャント》ッ!!」
2つ目のユニークスキルが発動した。
銀矢に宿ったソフィアさんの《風のエンチャント》が主を変える。
真銀の刃が輝きを強くし、光が弾ける。
―――そして刃は、その氷の上に吹雪を纏う。
ダイヤモンドダスト。刀身が見えなくなるほどの密度の氷片が暴風となって渦を巻いた。
《属性融合・吹雪のエンチャント》!!
「うおおおおおおおッッ!!!!」
予幻の未来が変わる。
吹雪の刃を雷星に押し込んでいく。
暴れる稲妻が迸って俺を灼く。
構わない。
斬れ、裂け、割れ、徹れ、刃ッ!!
「――ッッ!!!!」
絶叫――ついに雷の境界を断ち切った。
あふれた雷撃の束が、吹雪に捕らえられては凍りついていく。
その全てが魔法としての形を失い始める。
雷撃も吹雪も、ただ蒼いだけの魔力の光になって月面に散りばめられていく。
呼吸を荒くした俺はうつ向き目を閉じながら、それを感じ取っていた。
真銀の刃も矢も、属性の維持に必要な魔力を使い果たし、今はただ静かな光を放つだけになっている。
ついに。
俺は、ついにフェンリルを……。
《”雷”が鳴る》
「……………………?」
―――致命的な空白だった。
許されない空白が生まれてしまったことに気がついたのは、その”音”が予幻を通じて聞こえてからほんの数秒後のこと。
それで勝負は決した。
数秒後の世界で天に吼えるフェンリルが《雷》に包まれ、轟音が俺の耳に入った瞬間。
全てを理解した俺の思考が、現実の時間を跳び越えて加速し始める。
―――俺の負けだ。
《雷》の概念魔法を使ったフェンリルの襲歩が見える。
見えるが、どうしようもない。
死ぬ間際の幻覚のようなもので、何を見ようと知ろうと、もう身体は動いてはくれない。
追いつけない。
…………分かってたんだけどなあ。
悔恨が、後悔が思考を重く泥沼に引きずり込む。
《雷》が発動したら絶対に止められない……だから予幻に反応するしか道はなかったというのに。
俺は雷星を斬り裂いたことで満足してしまったのだ。
勝ったと思い込んだ。
そして負けた。この負け方は……とても悔いが残る。
けど、いいよな?
これだけやれば及第点ってやつだろ?
当然誰の答えも返ってはこない。
なら俺が決める。
俺はよくやった。よくやったよ。
半年間走り続けて、ここまで強くなって――最後に負けて、俺は死ぬけど。
フェンリルになら、後を託せる。
後を……。
……後?
後って、なんだ? 何のことだったっけ?
―――《雷》の向こうに何かが見えた。
天を衝くレールの発射台。
そこにもたれかかる巨大な白い宇宙服。
ずっと昔、この世界に渡った人間。
追いかけていた相手。
紫魔力。
復讐。
アーノルド。
心の奥底で火花が散った。
その火が思考の泥を吹き飛ばし、意識を戦場に引き戻す。
後を託す?
バカが。
”バカ野郎がッッ!!!!”
頭の中で叫んだ。
誰に託せるものか。俺がやるんだ。俺がやると決めたんだ。
フェンリルが迫る。
この世の何物も追いつけない速さで迫る。
俺は動けない。誰だって動けない。
そんなのは”嘘”だ。
速さがなんだ。魔法は時間だって超えるんだ。
俺は”最強”だ。
誰よりも強いんだ。フェンリルよりも強いと決めたんだ。
なら――なら、俺は――――、
”《雷》だって斬ってみせる。”




