第61話 涙と再会
「おかしい」
柱に擦りつけている鎖は、当然だがいつまで経っても壊れる気配がない。
狙っているのは柱。けど俺の腕の方が先に削り切られそうだ。
ここから抜け出せるなら何でもいいんだが――ともかく、おかしいのはそのことではなかった。
「誰も来ない?」
独り言が薄暗い地下倉庫の中に響いた。
目が覚めてからしばらくの間は、遠くから伝わってくる振動――地上を走る車の気配を頻繁に感じていた。
それが今はほとんどなくなっている。
つまりもう深夜だ。
ボ……龍ノ介さんが俺をここに閉じ込めたのは間違いないが、本人どころか志乃さんまで一度も様子を見に来ないとは。
”気にしてくれる”という考え自体が甘えと言われればその通り。
ただ、いくらなんでも衰弱死させるつもりはないんじゃないか?
アークで経験があるが、人間は水を飲まないと意外に早く死ぬ。
……逆にそのラインギリギリまで弱らせて余計なことをできなくさせようとしている可能性もある。
が、さすがに志乃さんは反対するだろう。
まだ俺の身体には余裕がある。
それがなくなるまでに誰も顔を出さなければ……不測の事態が起きていると考えて動いた方がいいのかもしれない。
◇
夜の気配が過ぎ去った。
それからしばらく時間が経ち、いよいよ思い切ったことをすべきかと考え始めた時、
「ん――」
上の階でかすかに何かが鳴る音がして、それが店のドアベルだと気づく。
店内を歩く気配が2つ。
どちらも龍ノ介さんじゃない、あの人ならもっと重い。
イレギュラーだ。俺はとっさに頭を下げて寝たふりをした。
逸るような足音がどんどん近づいてきて、
”――、――――ッ”
誰かの話し声。
間を置かずに地下室の扉が開かれる。
階段を駆け下りる音が予想よりもはるかに軽い。
俺は誰が来たのか直感して、頭をはね上げた。
「水住」
「…………浅倉くん」
地下倉庫の埃っぽい床に降り立ったのは、見慣れた銀髪だった。
歩み寄ってきた水住は座っている俺に合わせて膝をつくと、無遠慮に身体をべたべたと触り始めた。
まぶたを指で開かされ、首筋で脈を取られ、シャツをまくられる。
「おい」
「怪我は?」
「ない。これ外してくれ」
俺は後ろ手を動かして鎖をずりずりした。
身体を伸ばして確認した水住が息を呑む。
「すごく腫れてる……! まさか壊そうとしたの? 鎖を?」
「い、いや、柱を……」
「はあー……」
大きく息を吐いて俺の肩に額を預けてきた。
普段なら思うところもあろうが、今はそんな場合じゃない。
「急いでくれ。……水住?」
返事がない。
かと思えば身体を離して立ち上がると、近くにあった箱の上に腰掛けた。
その表情はとても暗い。
「おい、色々後で聞くからこっちから頼む。真面目な話そろそろトイレが――」
「浅倉くん」
遮られた。
「落ち着いて聞いて。……龍ノ介さんが、亡くなった」
「……………………は?」
は?
「昨日の夕方、第2ゲートの先で。チームを連れて向こうに取り残された人達の救助作戦を指揮してたって」
……落ち着け。
夕方ってことは、作戦は俺とぶつかった後すぐに動き出してる。
もちろん元々予定されていたんだろう。どさくさに紛れて参加してこないように俺を閉じ込めたんだ。
「水住、まだ取り返せる、けど詳しく話してる時間がない」
「青い空のことは志乃さんから聞いた。……でも、もう遅い」
「遅い?」
「警察が第2ゲートを封鎖したの。この国でトップだった龍ノ介さんが未帰還者になってしまって、国がこの事件を解決不可能と判断したって言われてる」
そういうことかよ!
龍ノ介さんが”封鎖の名目がある”とか言ってたのは、自分の失敗を織り込んでいやがったのだ!
「初めてあの人を馬鹿だと思ったよッ」
「アークでどんな問題が起こってても入口を塞いでしまえば関係ない。もちろん表向きには長期的な解決を目指すってことになると思うけど、きっと1年や2年じゃ済まないと思う。だから――」
「行っても無駄だって?」
「そう」
嘘だな、と直感した。
「なんなら、しばらくここにいたら? 面倒は見てあげるから」
その脈絡の無さがさらに直感を固めた。
水住もバレているのは分かっているようだった。
分かった上で引き留めたいようだった。
「他に言いたいことがあるなら言っとけ」
返事の代わりに言い放つと、水住は目を伏せた。
しばらく黙り込んで、
「ここに来る前に、志乃さんに会った」
小さな声でそう言った。
「あんな顔、初めて見た。私は……私は……、浅倉くんに、死んでほしく、ない」
「…………」
少し考えて、答えを出す。
「分かった。じゃあ死なない」
「え?」
「俺は死なない。それでいいな」
「……ふざけないで」
「ふざけてない」
俺を睨むその目に向けて言う。
「水住。俺がお前のこと、適当にごまかしとけばいい相手だと思ってると、そう思うか?」
――睨み合いの末に、観念したように目線を外したのは水住だった。
立ち上がると俺を通り越しながらポケットから鍵を取り出す。
背後で錠の落ちる音がして、鎖がジャラジャラと鳴ったかと思うと、
「……外せない」
「え?」
水住がギブアップした。
「ふざけんな何とかしろ」
「ふざけてない。すごく固く締められてるし……上の人に頼んで。それじゃ」
水住はさっさと階段を上がって去っていった。
”去っていった”じゃないんだよ。
”上の人”って誰だ? ……志乃さん?
水住の口ぶりでは一緒に来た感じじゃなさそうだったが。
そもそもあんな他人行儀な呼び方はしないか。
倉庫のドアがもう一度開いた。
階段を降りてくる後ろ姿はスーツの男だ。
そいつが階段を降り切って、こっちを向いて。
オレンジのランプが顔を照らして。
俺は顎が外れるかと思うぐらいびっくりした。
「……………………田中くん?」
半年前、”フェンリル事件”直後に俺を捕まえ、病院に軟禁し、1週間近くも尋問してくれた男。
俺の嫌いな奴ランキング堂々の第1位――公安の田中くんがそこに立っていた。
「そう親しげに”くん”づけされる間柄ではなかったと記憶していますが……ともあれ、お久しぶりです。浅倉さん」
田中くんは記憶の中の姿と同じく、身なりの良いスーツ姿に静かな圧力を纏っている。
といっても今更気圧されるようなこともなく、むしろ若干の懐かしさが呼び起こされてくるぐらいだが。
「なんでここに――」
言いかけて首を振る。
順番が違った、まずはここを出なければ。
「これ、解いてくれ」
「浅倉さん。本日は重大なお願いがあって伺いました」
「分かった。用事が済んだ後でよければ何でもやる。解いてくれ」
「たとえそれがテロであってもですか?」
俺は返事をしないでじろっと田中を見上げた。
その間が、少しだけ俺を冷静に戻した。
田中もそれが狙いだったようだ。
「アークトレイル社の比留間を知っていますね?」
「話したことはある」
「外の状況は水住さんからお聞きになっている前提で進めます。我々が尋問した比留間から貴方の名前が出てきました。主犯の鷹津が、”全てを貴方に託した”と話していたそうです」
「鷹津は第2ゲートの地下にいる元凶を倒せと言ってた」
「我々の目的も同じです。その為に、貴方に封鎖中の第2ゲートを強行突破していただく用意を進めています」
強行突破?
それがこいつの言う”テロ”か。
「封鎖してるのは国だろ? 仲間じゃないのか」
「決めたのは政府ですが我々の考えは違う。この事件は永久凍結などせず、ここで確実に解決しなければならない」
「……テロまでやる理由が分からない」
「ニュースを見れば分かるはずだ。外国ですよ。アークトレイル社が見せてしまった力を狙って、各国が介入の準備を進めているんです」
理解が進んできた。
鷹津、というかアーノルドの《宇宙船》は全世界でニュースになっている。
”不老不死”を実現するかもしれない魔法だ、どの国だって欲しがる。
その大本を抑えた国は次世代の支配者に一番近い位置に着くことになるのだから。
そして現状――その魔法は誰も所有していない。
「鷹津が制御に失敗した映像が流れてから各国の動きが活発化しています、表でも裏でも。まだ直接行動に出ている国はありませんが、現場を知っている者からすれば”交渉で解決する”という政府の方針は夢物語と言わざるを得ない」
「日本で戦争が起きるって言うのか?」
「まずは”第2ゲートに囚われた自国民の救出”という体で小規模な介入を求められるでしょうが……それがいつ、どこまでエスカレートするかは誰にも分かりません」
建前は既にあるってことだ。
「一方でこの件に関して日本の”領主”達が動くことはない。彼らは未帰還となった斎藤龍ノ介氏の実力をよく知っている。理由をつけて政府の協力要請をはねのけ、既に次の時代に備えています」
「それが俺を選んだ理由か」
「ええ。貴方の所在が掴めず、失礼ながらご関係のある水住さんを当たらせていただき、彼女とともに斎藤志乃氏を説得してここにたどり着いた次第です」
当然と言えば当然なんだろうが、この半年間の俺の動向もしっかり追われていたようだ。
「とはいえ鷹津の指名がなかったとしてもこの事件に影響できる浮き駒は貴方しかいない。フェンリルの力を宿す貴方しか」
……さすがに一昨日の情報まではなかったらしい。
余計なことは言わないでおこう。
「最初に申し上げた通り、行政が封鎖した施設への強行突入は明確な犯罪行為です」
大方のことは話し終えたのだろう。
田中くんが姿勢を改めて確認作業に入った。
「我々は最大限、可能な限り貴方に責が及ばないように配慮します。それでも貴方が罪に問われる可能性は排除しきれない。しかしどうか、この国で暮らす人々のために――」
「やるよ」
「……軽く考えていらっしゃるわけでは、ありませんね?」
「はっ」
俺は苦笑した。
どうやら即答が気に入らなかったらしい。
俺もこの半年で大人になった……と言うと知り合いには声を大にして否定されるだろうし、俺自身もそう表現するのに疑問はあるが。
今度こそ本当に”テロリスト”と呼ばれるようなことをやろうという事態に、何の抵抗もない自分ではなくなった。
ただ、それでも。
「全部終わったら自分の足で警察に行く」
「……遅くなりましたが、半年前に私が貴方にした行為について。配慮に欠ける部分があったことをお詫びします」
「いいんだ。いや――許さないけど」
俺達は試されるのだ。
許されないことをするだけの理由を、自分の人生に刻んでこれたのかを。
完全な封鎖まで猶予はない。
決行は、明日に決まった。




