第60話 決別
カウンターに置かれたマグカップを見つめ続けて、もう何時間経っただろうか。
店長が入れてくれた紅茶は既に冷めきっている。
「温め直しましょうか」
その厚意に対して、俺は首を横に振った。
アーノルドが第2ゲートの底に落ち……フェンリルが去ってから、丸1日が経っていた。
俺は臨時休業中の斎藤商事でその主の帰りを待っている。
ボスは今朝から協会のチームを率いて威力偵察に出ているのだ。
気絶させられた俺が地球に運び込まれたのは昨日の夕方のこと。
目が覚めた時の管理所は地球に逃げ帰ってきた人達ですし詰めになっており、アークに戻ろうなんてできる状況ではなくなっていた。
地球側でもそうなのだから、アーク側の混乱は言うまでもない。
ボスの氷を突破して穴からモンスターが溢れてきたり、壊れた建物が復活したり……そして、あの青い空だ。
超感覚が警戒をかき立てて止まなかった。
鷹津が少しだけ話したアーノルドの経歴、それと見覚えのない街並みのこととも合わせると、あそこで起きていることがおぼろげながら理解できたような気がしていた。
フェンリルはどうなったのだろうか。
――――ドアベルが小さな音を鳴らす。
振り向くとボスが店に入ってきたところだった。
転げるような勢いで出迎える。
「ボス……」
ボスが返事もせずにカウンターに荷物を置いて、店長がそれを受け取った。
そして向き直ると、
「結論から言う。第2ゲートは完全に封鎖されることになる」
今の俺には決して受け入れられないことを口にした。
「現地の状況はどうなの?」
「異常に統制の取れたモンスターの群れに制圧されている。玄の言っていたアーノルドの指揮下にあるのかもしれん」
「真偽の分からない情報がいくつも届いてるわ。その……犠牲者達についても」
「……ああ」
店長もボスも言い淀んでいた。
その噂は昨夜からSNSで何度も目にしている。
ボスの様子を見る限り、それはどうやら事実であってしまったようだった。
「あの空の下で死んだ人間は、復活しない」
アークで死んだ人間は、ゲートの地球側で生き返る。
その前提が。
人類とアークとを繋ぐ大前提が、崩れてしまった瞬間だった。
「……ボス。俺が聞いた話を改めてお伝えします」
昨日は時間がなくて大ざっぱな話しかできなかったのだ。
俺はアーノルドという存在についての情報を一通り話した。
最後に俺自身の考えを付け加える。
「鷹津は”アーノルドは地球に帰りたがっている”と言ってました。けどアーノルド自身はもう魔法になってるから、こっちには戻れない」
「だから地球を創った。そう考えているのか?」
「はい、そういう概念魔法だと思います。モンスターさえいなけりゃ、今の第2ゲートはあいつの住んでたところにそっくりです」
アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン。
こっちに戻ってきてから調べたが、向こうの見た目はその街を思わせるものだった。
「足りないのは人です。向こうでやられたら復活しないのは、想像ですけど住人にされようとしてるんじゃないでしょうか」
「……魔法化させられた人間が歩き回り、たとえ破壊されても元の姿を取り戻す。鷹津の言っていた”永遠都市”は完全な出鱈目ではなかったわけか」
「そういえば鷹津は?」
「行方不明だ。側近の比留間という男が警察の尋問を受けているようだが」
……死んだのかもしれない。地下に落ちていく鷹津からは生き残ろうという意思を感じなかった。
アーノルドに協力してこの状況を作った時点で目的は……いや?
あいつの目的は俺にアーノルドを倒させることだ。
目論見通り地下へのルートを作ったはいいが肝心の俺が辿り着けなければ意味がない。
さらに気になるのは――、
「ゲート自体はまだ管理所にあるんですか?」
「ああ」
鷹津が繋いでるのか?
どうであれ、まだチャンスは残っている!
「人間の魔法化は簡単にはできないと思います、今すぐ根っこを断てば取り返しがつくかもしれない――」
フェンリルを背負った俺でさえ、その領域を垣間見たのは半年近く経ってからだ。
”ノア”の力だろうと一般人をすぐ同じ状態にできるとは考えづらい。
けど言い募る俺に向かって、ボスは厳しい顔をした。
「言ったはずだ、第2ゲートは封鎖されると。政府はそう方針を固めた」
「向こうでやられた人達はたくさんいる。家族が封鎖に納得しないでしょう!」
「その為の名目も準備されている。そもそもお前の目的は犠牲者の救助ではないだろう」
「――ッ」
「フェンリルは、半年前と同じくアーノルドの支配下にいる可能性が高い」
諭すようにボスは言う。
「お前はSランクの力を失った……それどころか敵側に回った以上、現状人間に打つ手はない」
「やってみなきゃ分からない」
「もうやったんだ、玄。この国もアメリカも中国もイギリスも、地球上のどの国が挑んでも同じだった。”天災に勝てるのは同じ天災”というのが人間の出した結論だ」
言いたいことは、分かる。
人間は物理法則をいくつも組み合わせることで大きな力を生み出すが、魔法はその過程をスキップして直接同じか、それ以上の力を操ることができる。
上位互換といってもいい。
互角に立ち回りたいなら同じレベルの魔法が必須になる。
けど!
「力ならある! フェンリルは自分の《目》を残していきました!」
あれは別れの置き土産なんかじゃない。
フェンリルはずっと力に飢えていた。ようやく取り戻したそれをわざわざ切り離したのには必ず理由がある――必ず俺を待っている。
「片目で本体に勝つとでも言うのか」
「分からないからやってみます。……ボス、俺にとってあいつはただのモンスターじゃないんです」
俺達は対等になったと思っていた。
それが思い違いだったのかどうか、行けば確かめられる。
「行かせてください。きっとボスが考えてるよりも、俺達は強い」
ボスは目を閉じた。
――長く沈黙して、
「玄。この事件は始まりだ」
目を閉じたままそう言った。
「最初で最後ではない。自ら制御できない力に触れてしまった代償は、これから先も人間に牙を剥き続ける。いずれ地球ですら安全圏とは言えなくなるだろう」
「地球にモンスターが出てくるってことですか?」
「ある意味では既に出ている。ゲート自体が同じ魔法の産物だ」
……盲点だった。
そもそもゲートが何故地球に存在できるのか、深く考えたことがなかった。
地球で魔法は使えない。魔力がないから、または使えないほど薄いからという説が有力だ。
しかし例外が既にある以上は何らかの方法でクリアできるということになる。
そしてその方法はきっと、今回のように人間には扱えないものなのだろう。
「ゲートが生まれた瞬間からこの世界は一方的に攻撃を受けている。対抗するためにも俺達は”本物の魔法”を操れる人間を見つけなければならない。だからお前を育てた」
「Sランクの魔法?」
「いいや、フェンリルありきではない。俺が見込んだのはお前自身だ」
目を開いたボスの視線が俺にぶつかった。
「お前の目的は”ノア”への復讐だった。その為にどんな無謀をしでかそうとも止めなかったのは、その狭い視野こそがお前を鍛えたからだ。だが今は他のものも見えているはず」
「……」
「仲間が出来ただろう、失くしたと思っていた人生に。戦い以外の営みを思い出させてくれる存在が。それ以外の人間は? 親しくはなくとも助ける価値のある者がいたはずだ。――彼らが成長したお前を必要とする日が必ず来る。時間を稼ぎ、強くなれ。今はもう一つ限りの命だ」
俺は何も言わずにボスから目を逸らして店長を見た。
店長は迷いを見せたが、やがて小さく頷いた。
俺も目を閉じて考えた。
この二人のことを考えた。
どうしても行かなければならない理由が増えてしまって、今からそれを伝えなければならない、この二人の恩人のことを考えた。
ボスは俺は鍛えてくれた。
今自分で言っていたように、俺が”アークでは生き返れるから”と無茶なことをした時も、ボスから咎められたことはない。
代わりにその無茶以上の厳しい訓練を課せられた。
理不尽でも何でもなく、アークで唯一取り返しがつかないかもしれない”ノア”に挑もうとしていた俺に、それに足る力を与えてくれようとしていたのだ。
店長は俺を守ってくれた。
半年前の事件の後。犯罪者として名前と顔を知られた俺は、知らない連中によく殴られた。
やり返したことはなかった。
”ノア”以外はどうでもよかったし、地球に戻れば怪我は治ったからだ。
だから店長も気づくのが遅れた。
何ヶ月か経った頃、たまたまドームの路地裏で殴られている俺を見つけ、知らない連中を魔法で追い払うと、”どうして抵抗しないのか”と聞いた。
俺の答えを聞くと無言のまま店まで連れて行き、本気で説教をした。
店長は言った。
”神様を倒す為に怪物になるな、人間としての自分を守れ”と。
トラブルの時はすぐに店の名前を出すように、それでもダメな奴は店を軽く見ているから、思い切り叩きのめすようにと厳命した。
その日から”斎藤商事”は、俺の背負う看板になった。
その看板を外すことになってでも。
「俺には仲間がいます。恩人もいます。けどそういう人達と出会えたのはフェンリルがいたからだ。あいつがいなきゃ前に進もうなんて思えなかった。だから絶対に裏切っちゃいけないんだ。……そして何より、あなた達に!」
あなた達にだけは!
「自分の命惜しさに、相棒を見捨てられる人間だとは思われたくない。……”浅倉玄人”のまま、俺は行きます」
二人に向かって、地面に着くぐらいの勢いで頭を下げる。
震える唇を無理やり押しとめ、最後の言葉を口にした。
「龍ノ介さん、志乃さん。――これまで、お世話になりました」
決別。
恩人の想いに背を向ける以上、それは当然のけじめだった。
店長――志乃さんが息を呑む音がした。
一方でボス――龍ノ介さんは息を吐いた。
「…………そうか」
言いながら龍ノ介さんはゆっくりと歩き出した。
ドアの方、店の出口をふさぐ位置に。
振り返ったその目は、既に愛弟子を見るものではなくなっていた。
俺は低く構えた。
タダで通してくれるなどと思ってはいなかったし、抵抗すれば通れるとも思ってはいない。
それでもやらなければならなかった。
「――やっ……」
張り詰めていく空気に、店長の震える声が触れた。
「やめなさ――」
それを聞き終えてしまう前に、俺達は激突した。
◇
――薄暗い倉庫の中で、俺は目を覚ました。
オレンジ色の小さなランプが埃っぽい床を照らしている。
その床に座らされている俺は、鎖で両腕ごと柱に縛り付けられていた。
志乃さんの字で書かれた”ごめんね”というメモが視界に入り、心が締め付けられる。
「……やり抜かないとな」
また話せる日が来るのか、謝れる機会があるのかは分からない。
それも全部やり抜けた後の話だ。
まずは何としてでもここを出る。
俺は腕を縛る鎖を柱に擦り付け始めた。




