第5話 終わりと始まり
もう何日目かも分からない日の朝。
「では浅倉さん。本日も宜しくお願いいたします」
スーツの男の挨拶。
名前は忘れた。
そして宜しくするつもりはなかった。
「いや、帰る。一応挨拶だけしとこうと思って残ってた。ここに居てもやることないしな」
もはや敬語すら出ない。
スーツの男はすぐには返事をせず、ものすごい圧力をにじませて俺を見た。
少し前までの俺なら怖がってすぐに謝っていただろう。
……けど、今はもう何も感じなかった。
俺はもう限界だと思っていたが、そんなところはとっくに超えていたらしい。
「協力していただけない場合のリスクは、ご説明したはずですが」
「冬休みが延びるんだっけか?」
「ふざけないでいただきたい!!」
怒りをあらわにして声を荒げる男を冷めた目で見る。
そんな風に自分が変わってしまったことを、少しだけ哀しく思った。
「調査の過程でご負担が生じているのはお詫びいたします。ですが事実を明らかにすることは貴方自身の今後のためにもなるはずです」
「あんた達にそれはできない。というか、誰にも証明できねえんだよ。あの時俺が何をしたかなんて」
フェンリルがドームをぶっ壊したのも、途中から俺がフェンリルを動かしていたのも事実だ。
最初からそうではなかった。
けど、どのタイミングからだったかは証明できない。
もしかしたら俺だって誰かを巻き込んでしまったかもしれないが、それも今から確認するのは不可能だろう。
だから俺は折り合いをつけて、自分がやるべきことを決めた。
ここでこれ以上話しても意味がない。
荷物はとっくにまとめ終わっていた。
ジャケットを着てリュックを担ぎ、ドアに向かうと男が立ちふさがった。
「ご再考ください。この件がどう決着したとしても、今回の貴方の態度は記録され、しかるべき機関に共有されることになる」
「"反抗期"ってでっかく書いとけ。……どけよ」
睨み合う。
人間と喧嘩するのには抵抗があるが、引き下がるつもりはなかった。
ドアの向こうから声が聞こえた。
言い争ってる? いや、しゃべってるのはいつもの医者だけだ。
他に誰が……。
病室のドアがノックもなしにいきなり開く。
くぐるようにして入ってきたのは、縦にも横にもデカい力士のような男だった。
というか、あの時の上級職員だ!
「貴方は……!?」
スーツの男が驚いている。
こいつの知り合い? つまり俺の敵か。
この件に関わってる奴は医者も含めてろくな奴がいない。
例外はナースのお姉さんぐらいだ。
力士のような男は病室を見回し、鉄格子の窓、スーツの男、そして俺を見てうなずいた。
「良いタイミングだったようだな」
「……予定は明日のはずでは?」
「レポートは読んだ。これ以上浅倉を詰めても何も出てこないことは、公安も理解しているはずだ」
数日後? レポート?
何がなんだかさっぱり分からんが、とりあえずスーツの男は簡単に譲るつもりはないらしい。
「それは貴方が判断することではない、組織同士の話だ」
「俺が見た限り浅倉には帰宅の意思がある。当然その自由もだ。……できると思うなら、邪魔しても構わないが」
俺は少しだけ身構えた。
この男の態度から、ごく自然に暴力を選択肢に入れているのが伝わったからだ。
同じく緊張しているスーツの田中――名前、思い出したわ――の肩に手をかける。
「やめとけ。この人はやばい」
振り払われた。
田中が1歩前に踏み出し――終える前には、相手の男はもう間合いを詰めていた。
放たれた掌底に吹き飛ばされた田中が、半歩横に避けた俺を通り越して鉄格子に激突した。
動かない。死んでないよな?
「行くぞ」
男に田中への興味は1ミリも残っていないらしく、俺を促すとさっさと病室から出ていった。
……ふん。
どうやらそこそこ強いらしいな。
仕方ない、この病院を出るまでは付き合ってやるか。
病院を出た瞬間にバッと逃げ出した俺は先読みしていた男に首根っこを掴まれてタクシーの中に放り込まれた。
後から入って2人分の座席におさまった男は、運転手に「適当に流してくれ」と指示するとポケットから名刺を取り出す。
「開拓者協会の斎藤だ」
"斎藤 龍ノ介"
"日本開拓者協会 東京支部 上級職員 資源調査事業部"
協会は言わずもがなゲートと開拓者を管理する組織、上級職員ってことはあの時の男で間違いないらしい。
お行儀よく名乗り返そうとしたところを手で止められた。
知らない番号が表示されたスマホを渡される。
「お前の母親に繋がる。声を聞かせてやれ」
◇
「ありがとうございました!!」
電話を切り、大声でお礼を言いながら車内でできる限界まで頭を下げた。
電話の向こうには母さんと、斎藤さんのお姉さんという方がいらっしゃった。
協会に登録した緊急連絡先から入院先を訪ね、先んじて状況を説明してくれていたらしい。
「憂いが無くなったならそれでいい。俺としてもこの後の話に集中してもらう必要があった」
「話?」
「お前の現状と今後のことだ。事件についてはどこまで把握している?」
なるほど、その話か。
「SNSで俺が犯人扱いされてることは知ってます。多分、そうじゃないとは証明できないことも」
「気づいているかもしれないが、俺はフェンリルに取り込まれたお前が戦っていた相手だ」
俺は眉間にしわを寄せて頷いた。
「最も近くで見ていた俺でさえ、取り調べの内容を聞くまではお前がドームの襲撃に関与していないとは断言できなかった」
「今は信じてもらえるんですか?」
「公安は伏せただろうが、お前に有利な状況証拠もいくつかある。それ以上のことはこれから確かめればいい。本題に入るぞ」
「はい」
俺はうなずいた。
この人への警戒心はほとんどなくなっている。
「説明は後にするが、お前は"イレギュラー"になった。それを踏まえて事件の真相を解明するために、お前を特別職員としてスカウトしたい」
「特別職員?」
「公務員のようなものだと思え。給料も出る。何より協会は国とも連携する組織だ。お前の潔白を証明できなかったとしても、職員として実績を積めば名誉を回復できる」
本当にテロリストだったら国の仕事を手伝わせないはずってことか。
……返事の前に確認しておきたいことがある。
俺はこれから何をするのか決めていたから。
「公安にも話しましたが、紫の魔力って何だか分かりますか?」
「アークには神がいる。そう聞いたことは?」
「えっ? ……あります。"転移者"の話ですよね」
そう、アークには神様がいるらしい。
しかもちょっとやばい神様が。
ゲートが繋がる何年か前、まだ誰もアークの存在を知らない時期に、地球から何万人もの人々を強制転移させたという大事件は、今でもテレビで特集されることがある。
……ただ、そんなことがあっても人間はアークと魔法の存在を無視できない。
俺も含めてだ。
「生きて地球に帰還した"転移者"はたったの5人。彼らはゲートの出現を予言すると同時に、神の存在を俺達に伝えていた」
「つまりあれは神様の力ってことですか」
「神はあらゆる事象を操ったらしい。半端な存在がSランクモンスターを支配できるとは思えん」
神か。
デカいな、そういう相手か。
「神の名を"ノア"という。アークと同じで"転移者"が名付けた。語源は"ノアの方舟"だろうな」
「"ノア"……」
「紫の魔力との関係は推測にすぎないが、いずれにせよ既知の魔法を大きく逸脱する力だ。当然国や協会は利用したがっている……だから」
一度言葉が切られた。
「"ノア"を敵視するお前に、本当に重要な情報が共有されることはない」
「バレてましたか」
「起こったことを考えれば自然な反応だ」
めちゃくちゃ怒りっぽそうな見た目なのに理解のある人だな。
いや、強いて情報を引き出そうとしたわけじゃないんだが。
今の話はいわば前置きだった。
リュックの底からスマホを取り出し、俺が映っている動画のコメント欄を見る。
当たり前のように実名が書き込まれて、前にも増して誹謗中傷が並んでいた。
けどもう全く気にならなかった。
鼻を鳴らしてスマホをしまう。
「すみません、さっきの話はお断りさせてください。俺はその"ノア"を倒しに行きます」
そうするべきだと思ったのだ。
変わってしまった人生を一から始め直すために。
変わる前の人生の、最後の敵との決着を。
「当てはあるのか?」
「とりあえずは同居人に頼ろうかと」
斎藤さんから"イレギュラー"という言葉を聞いた瞬間にピンときた。
なんとなく予感していたところもあったかもしれない。
「この中にいるフェンリルも、あいつのことは嫌いみたいですから」
自分の胸を指して言った。
まだ本当にいると確かめてもいないのに、判断が早すぎるだろうか。
「第3ゲートへ」
けど斎藤さんは気にした様子もなく運転手に行き先の指示を出した。
事件が起こった第2ゲートとは別のゲートだ。
「浅倉。お前にその力があるか、俺が試してやる」
◇
第3ゲート管理所にタクシーが到着する。
関係者用の入口からゲートを使ってアークに転移し、ドームに入った瞬間――体の奥にズシッと重い感覚が生まれた。
いる。
あの時とは立場が逆だが、感覚は似ている。
今度はフェンリルが俺の中にいるのが分かった。
どこからか剣を借りてきた斎藤さんが、後をついてくるように俺を促す。
ドームを出た後、荒れ地を30分ほど歩いて斎藤さんは立ち止まった。
「確かにお前の中にはSランク、フェンリルの魔法式がある。だがそれを扱うことができるかどうかは別の話だ」
斎藤さんは"試してやる"と言っていた。
その言葉通り、俺に向ける戦意を隠そうともしていない。
「その獣は自我を捨てていない。お前に利用価値がないと見ればいつ離れてもおかしくないだろう。そうなれば残るのは汚名と、力のないただの子供だけだ」
「無力なままでいるつもりはありません。それにもしそうなったとしても、協会の飼い犬として生きる方が俺には受け入れられない」
「分かった。覚悟があるなら、始めよう」
斎藤さんが持っている剣を鞘ごと俺の足元に放り投げる。
「この場で奴の魔法を引き出してみせろ」
「引き出す?」
プロの開拓者でもない、ロクな魔法も使ったことがない俺が、何の準備もなしにか。
「そうだ。それができないのなら……フェンリルにとって、お前が単なる入れ物でしかないのなら」
向けられる視線が一気に重くなる。
「協会に入れ。その若さで、破滅の道へと進んでしまう前に」
たった一人でSランクと戦う男の放つ威圧感が、その場を支配する。
けど、恐怖は既に克服していた。
そして前に進むために必要なものは、皮肉なことにフェンリルが教えてくれていた。
怒り、激情。
今まで感じたことがなかった、本当に強い感情というものを。
決意を込めて剣を取り、鞘から引き抜いた。
真剣勝負のつもりで相手の視線を打ち返す。
「よろしくお願いします」
斎藤さんが静かに頷く。
そして懐から拳大の魔石を取り出すと、握った手を前にかかげた。
――始まった!
魔石から膨大な凍気が溢れだし、手のひらの上で回転を始める。
回転スピードはどんどん上がり、膨れ上がるように球状化して小さなブリザードになった。
「"概念魔法"と呼ばれている魔法の1つだ」
魔石を握り砕いた斎藤さんが言った。
手に残るブリザードの余波が広がっていく。
あの時と同じように地面が凍り付く――だけじゃない。
見上げれば、アークの赤い空が冷たい雲に覆われつつある。
その雲は地上まで降りてきて、ついに俺達を白い世界に閉じ込めた。
「内包しているのは《冬》。見た通り、効果領域を己の概念へと書き換えている」
吐く息が白み、手がかじかんで、すぐに剣から指が離れなくなった。
まぶたも凍りついて閉じられなくなる。
呼吸の度に、身体の機能が少しずつ固まり、止まっていく。
「人間が使える魔法でこれ以上のものはない。お前はどうだ、浅倉。――人間を超える準備は、できているのか」
もう1分もここに居続ければ、俺は死ぬ。
ただ立っているだけで。
とてつもない魔法だ。それを理解して、俺は……。
自分の心の奥底に、火花が散ったのを感じた。
その小さな熱でフェンリルが目を覚ます。
凍った関節を無理やり動かして剣を構える。
今できる限界まで口を開いて、呼んだ。
「エンチャント」
――その瞬間、概念魔法が生み出した曇天を断ち割り、轟音と共に雷が落ちた。
剣が受け止め、刃が稲妻を纏う。
《雷のエンチャント》。
フェンリルは俺の声に応えた。
それを見た斎藤さんは一瞬、目を細めると――その手を突き出すようにして概念魔法を解き放つ。
《冬》が来る。
俺は凍り付いた口元で獰猛に笑いながら、それに剣を叩きつけた。
◇
数十分後、俺達は食堂でラーメンをすすっていた。
雷エンチャで概念魔法に斬りかかった俺は、普通に負けて全身が氷のオブジェになった後に砕けて粉雪のように死んだのだった。
マンガなら勝つ流れだっただろあれ。
「食べながら聞け」
3杯目に取り掛かりながら斎藤さんが言った。
俺まだ1杯目なんだが、この人噛まずに飲み込んでない?
「開拓者を続けるなら俺の店に来い。この近くで個人依頼の仲介をやっている」
「協会に誘いに来たんじゃ?」
「本来は別の人間の仕事だ。一度勧誘した以上、義理は果たしている」
さっぱり分からない。
斎藤さんが3杯目を空にした。
「今回の事件で国にお前を疑わない選択肢はなかった。外国ではテロなど日常茶飯事だからな。だがもし潔白だった場合、国は世界最初のSランクとの関係をマイナスからスタートすることになる」
「実際そうなりましたが」
「だから事前に協会と手を組んでいた。まずは国が圧力をかけ、お前が弱ったところに協会が入って力になり、信頼を得る。ただし裏ではその管理方針に国も関与することになる」
マッチポンプっぽいあれか。
まあ田中くんの後に美人のお姉さんが来て慰められたりしたら、そっちに流れた可能性はある。
「公安の用事が終われば目論見通り協会が引き取る予定だったが、そこに俺が割り込んだ」
「しかも全部ネタバレすると……この話、今する必要ありました?」
ここ、協会の食堂なんだが。
第3ゲートの管理所――つまり協会の施設で生き返って、そのまま職員食堂にやってきた流れである。
斎藤さん自身が有名人だからか、周りからものすごい注目が集まっていた。
「聞かせた方が小細工が減る。話を戻すが、店に来るなら俺がお前を鍛えてやる」
「マジすか」
「結局お前にフェンリルは使えなかったが、魔力耐性は相当なものだ。優秀な開拓者は1人でも多い方がいい」
……使えなかった、そういう体で行くのか。
永遠に人前で戦わないわけにもいかないしいつかはバレるだろうが。
「死に抵抗がないのも大きい。超感覚は死線に近づくほど成長する……いや、多少越える程度がベストだな」
「やばいこと言い出した……」
「生き返ってすぐに目が覚め、飯が食えるお前はその特性を活かすべきだ。普通の人間ならしばらくはふさぎ込む」
それはそう。
死んだ時の記憶はそこそこ鮮明に残る。
トラウマになって二度とアークに行けなくなる奴も多いし、実際鉱山では何百人もの新人が辞めていった。
「強くなる覚悟はありますけど、一応死なないルートはないのか聞いておきたいというか――」
「浅倉。俺はSランクには勝てん。俺だけでなく、全ての人間がそうだ」
俺の抵抗が予想外の言葉でさえぎられた。
「フェンリル相手にかなり戦えてたような」
「奴らの概念魔法は次元が違う、人間は未だ挑戦者にすぎない。にも関わらず全世界が"本当の魔法"探しにのめりこんでいるのを俺は危惧している」
「"本当の魔法"?」
「黄金錬金、瞬間移動、時間操作……不老不死。そんなところだ」
……昔の俺もそんな魔法を見つけてみたいと思ってたな。
と、思ったところで気がついた。
「"ノア"はその本命かもしれないのか」
「ああ。事件後の第2ゲートには不自然なほど動きがない。水面下での国と協会、そして企業の戦いはもう始まっていると見ていい。お前はそこに割り込むことになる」
この人はただ無茶を言っているわけではなかった。
今の俺では"ノア"と戦うどころか、たどり着くこともできずに蚊帳の外に置かれてしまう。
そう言っているのだ。
「学生のお前が金や組織で連中に並ぶことはできない、その壁を壊せるのは魔法だけだ。……たった1人の開拓者が自分達を超えるかもしれないと思わせること、それがお前のスタートラインだと思え」
◇
それから何日かして協会の人間がやってきた。
斎藤さんが迷惑をかけたというお詫びと、改めて特別職員にならないかという誘いだった。
想像の数十倍もの給料が提示された。
しかも何年かで辞めたとしても年金のように一生もらえるらしい。
加えてもし、今後俺の風評が悪い方向に動いた時は組織を挙げて名誉を回復するという確約があった。
一生安泰の生活をくれる協会とめちゃくちゃ強いが大分おかしい男。
どちらに付いていくかなんて、考えるまでもなかった。
ここまでが一区切りです。
次回から数か月後の話、いわば本編がスタートすることになります。
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