第44話 限界の先で得たもの
宙を舞い、見えている地面と天井が何度も入れ替わり、やがて壁にぶつかって止まる。
目の奥でチカチカと明滅が繰り返される。
「――ッ!」
遅れてやってきた痛みが全身を襲う。
ファーヴニルの攻撃は直撃していない。頼れる相棒が寸前で体の一部、たぶん《尾》を出して間に挟んでいた。
ならよかったねで済むかと思えばそんなわけはなく、肩とあばらは恐らく折れている。
一般的には戦闘不能……だから俺は動くのをやめ、《影縛り》を解除した。
さあ、どうする。
朱莉。
やり方は教えた。
タンクは倒れ、アタッカーはもう攻撃位置に着いている。
ファーヴニルが俺を倒したと判断すればすぐにも矛先が向くだろう。
陽太にそれを抑えきることはできない。
やれるのは……お前だけだ。
――魔力が爆ぜた!
首だけ動かして視界を回せば、槍を構えて流星のように駆ける朱莉が見えた。
その赤髪の全てが漆黒に染まっていく……ガルムとの完全同調か。
そうだよな。
ガルムだって兄貴分のフェンリルが目の前でやられて、まだ尻尾を巻き続けるようなモンスターじゃない。
そういうやつだから朱莉と相性が良かったんだ。
ファーヴニルは全力で朱莉を迎え撃った。
自ら前に出つつ、回避先を潰すように左右から火柱を生む。
その火柱を気にも留めず、すれ違うようにして真ん中を抜けた朱莉が、繰り出された爪をスライディングでくぐり抜ける。
そして――!?
くぐった先で下腹部を狙うと見せた朱莉は、地面スレスレに出した《力場》で斜め上にバックジャンプ。
そこからノータイムで真上に跳ぶ!
1手前の動きに釣られて下を向いたファーヴニルの虚を完全に突いて、その槍が片方の竜眼を貫いた!
苦鳴を上げながら薙ぎ払われる爪を、今度は真横に吹っ飛ぶようにして逃げ切ってみせる。
追いかけてくる爪が振り切られたのを見ると、即座に反転してその爪に掴まり、腕を引き戻す動きに合わせて巨顔の前を横切った。
予想外の行動にはっきり驚きを見せたファーヴニルの、一瞬の硬直を逃さない。
再び宙を蹴り、もう片方の竜眼までも抉ってみせた!
接触からまだ10秒も経っていない。
そのわずかな時間で視界を奪った朱莉の動きは、相手の予想を裏切るどころか、裏切った先まで予測して……違うな。
予測じゃない、たぶん見てから反応してる。
相手のリアクションに自分のリアクションを重ねる、異次元の反応速度を活かした2回行動をやってのけているのだ。
両眼を潰し終えた朱莉がファーヴニルの上を取った。
そのまま《力場》を駆けながら、首の裏・背中・翼、あらゆる部位を槍の石突で殴りつける。
……攻撃じゃないな。
ああすることで、外皮の中の槍で貫ける部分を探しているんだ。
ドス黒いまでの殺意にまみれた行動だった。
時折見える表情は決して感情的なものではない。
なんなら普段よりも抑えているぐらいで、ただ目だけは強く燃えていた。
漆黒の髪を激しくたなびかせ、黒い炎のように駆けまわる。
視界の端ではタワーから紫の魔力が引きずり出されている。
水住が《銀の砲》をチャージし始めた。
当然ファーヴニルは警戒するが、朱莉に隙を晒せるか?
ようやく両眼を回復させたが、今はあいつを捉えることにほとんどのリソースを割いている。
だが朱莉は残像を残して死角に消えるばかり。
どこかで動くしかないだろう。
そしてその時が来た。
集束する魔力を無視できなくなったファーヴニルが、水住の方を向いて両方の爪を突き立てる。
そのまま大口を開けてブレスをチャージ。
させまいと跳び上がった朱莉が槍の穂先を真下に向けた。
半ば逆さまになった姿勢での突撃――
《ブレスがチャージ途中で暴発する》
――ファーヴニルの方が上手だ!
予幻を見た瞬間に飛び起きて《ゴースト》を使う。
ブレスに干渉するも1秒も稼げない、が、朱莉はギリギリ異変に気づく。
方向転換したのは、ファーヴニルが口の中でブレスを暴発させたのとほぼ同時だった。
余波を喰らった朱莉が俺から見えない位置に落下していく。
心配している時間はない。
自分もダメージを喰らったはずのファーヴニルは、しかし堪えた様子もなく再度チャージの体勢に入った。
こうなっては《ゴースト》も焼け石に水だ。
俺は急いで水住の方に走る。
あいつのチャージも進んでいるが……間に合わない!
「《玄武門》!!」
水住の前に立った陽太が黒鉄の門を呼び出す。
土壇場できっちり成功させてきた!
ファーヴニルが解き放った灼熱の熱線が門の中心に直撃、当たった部分から黒鉄が赤く変色し……遠目にも分かるぐらいに溶け始めている。
やっぱり5秒しかもたないか!
水住の集める魔力が銀に変わった。
あとほんの数秒を稼ぐ手段が――。
「――ちくしょうッ、《玄武も”……ッッ!!!!」
門を貫こうとする熱線を前にして絶叫した陽太が、その途中でぶっ倒れた。
まさかの2枚目を無理やり発動したのだ。
それは完璧には成功せず、門と言うより柱しか現れなかったが……本当に必要な最後の数秒はしのぎ切った!
水住が迫るブレスに向けてライフルを構え直し、引き金を引く。
「砲!」
銃口に凝縮されていた銀の魔力が一気に膨張し、球状に膨らむと、その勢いで光線となって撃ち出される。
そしてブレスと激突し、お互いを喰らい合うような魔力の鍔迫り合いが始まった!
Bランク最強種の必殺技と、ユニークスキルによる強化砲撃。
周囲に衝撃波をまき散らしながらの攻防。
押しているのは……ブレスの方だ。
徐々に近づいてくるブレスに水住の顔が険しくなる。
が、この程度で終わる女ではない。水住にだって朱莉の奮闘は見えていた。
親友が限界を超えたなら、自分もそうあるべきだと思わないはずがない。
タワーから新たに紫の魔力が引きずり出される。
魔砲に注ぎ込んだ瞬間、ほんのわずかだが銀の魔力が紫に侵食された。
水住は念じるように目を閉じてそれを抑えきり……全ての魔力を銀に変え、もう一度引き金を勢いよく引ききった!
一気に太さを増した魔砲が、ブレスを押し返す。
超感覚を通じて伝わるファーヴニルの焦燥。
が……奴になすすべはなかった。
最後はブレスごと魔砲に飲み込まれ――大爆発が起きて、奴はその中に消えていった。
「水住!」
頭から地面に倒れ込むところをギリギリ受け止める。
ライフルを下ろして座らせたが、こちらを見る目はぼーっとしている。
完全に魔力酔いだ。
少し離れたところでは、陽太がピクピク痙攣しながら倒れている。
もっと先には微動だにしない朱莉のケツがあった。
地球に戻されてないならどちらも生きている。
なんとか、全員――!?
重い咆哮が響いた。
爆発で巻き起こされた煙が、風でも吹いたようにかき消されていく。
その奥では、赤褐色の鱗が翼から脚までボロボロになったファーヴニルが、再び爪を地面に突き立てていた。
「しぶといなお前」
しかも位置が悪い。魔砲を喰らって広間の端まで押しやられていたらしい。
ファーヴニルは最後の力で再びチャージを始めているが、こんなに離れていたら……どうやっても止められない。
普通なら。
水住を地面にゆっくり寝かせて立ち上がる。
こいつも、朱莉も、陽太も。全力どころか、限界を超えた姿を俺に見せてくれた。
Bランクのドラゴンを追い詰めてみせるほどに。
俺はタワーからありったけの魔力を引き出した。
フェンリルを乗っ取ろうとする”ノア”の意思は1ミリたりとも通さない。
「俺達もやれるだろ? フェンリル」
限界を超えるということ。
今見たものがそれなのだと心で伝える。
お互いの言葉も分からないまま、これまでずっとそうやってきた。
「くれよ。お前の――」
そして今、俺達も。
最後の一歩を踏みだす時だ。
「概念魔法を」
《雷》の概念魔法。
たった一度、フェンリルの体で使ったそれは、今は魔法式が欠けて不完全な状態のままだ。
けど、欠けた魔法式はまったく機能しないのか?
恐らくそうではない。現に体が不完全なフェンリルでも、俺の中に意思は残せている。
何らかのペナルティはあると思うが……そのぐらい何とかしてみせる。
もし、お前が。
俺にできると思ってくれるなら。
「応えろ、フェンリルッ!!」
予幻が映し出す未来にはファーヴニルが放つブレスが見えている。
あと数秒で現実化するそれを阻止すべく、剣を捨て、虚空に叫んで走り出す。
――どこかで雷の鳴る音がした。
鳴ったのは俺だ。
俺自身が雷と化した。
その奇跡の対価として、身体が指先から少しずつ崩れて消えていくのが分かる。
これが長く続けば……俺は概念魔法に喰われることになるのだろう。
だが、フェンリルは確かに応えた。
ファーヴニルは俺の視点で何秒経ってもブレスを発射しない。
雷になった俺は”時間”という世界の鎖を引きちぎり、置き去りにしていた。
”奔れ”
壊れた概念魔法が、全ての負担を俺に押し付けながらそう強いる。
分かってる。
俺はその為にフェンリルと行く道を選んだんだ!
感覚のない足で地面を蹴る。
一瞬でファーヴニルの前にたどり着く。
感覚のない左腕に力を込める。
現れた《フェンリルの爪》が蒼雷を帯びた。
巨大化した雷爪を大きく振りかぶる。
こちらを見据える竜眼に――ファーヴニルの時間に、はたしてその光景は映っていたのか。
その答えを得ることもなく、戦いは終わりを告げたのだった。
…………気がつけば地面とキスしている。
どうしてこうなったのか思い出せない。
全身に力が入らないし、気のせいでなければ音も聞こえないし、なんなら目も見えていない。
自分の全てが消えかけているような。
…………じゃあなんで地面が分かったんだ?
味覚か。味覚だけ残ってるのか。
意味が分からない。
一番分からないのは地面の味を覚えている俺自身だ。
時間がもったいないから早く死なせてくれ、お?
全身をゆすられる感覚。
それを意識したら他の感覚も戻ってきた。
まだ力が入りきらない両手で地面を押して起き上がり、座り込む。
「あ、起きた!」
ゆすっていたのは朱莉だったらしい。
俺を見て心底安心した顔になっている。
「うわっ!?」
「えっ?」
後ろにいた陽太と水住がまとめてびっくりした。
「なんだよ」
「いや玄、目! なんか青いぞ、すげー光ってる!」
青?
俺は水住と目を合わせた。
「水住と同じ?」
「ちょっと気持ち悪い」
「すいません」
「そういう青じゃなくて……あなたの雷エンチャントみたいな色」
……ああ、そういうことか。
ふと朱莉を見ると、ちょうど髪の色が黒から赤に戻っていくところだった。
契約者の身体にはモンスターの特徴が表れる。
《フェンリルの目》。やけに魔力が見えやすいと思った。
俺達もどうやら、この戦いで”完全”になれたらしい。
まぶたを軽く閉じて自分の目に戻す。
「でも戦ってる時からこの色だったよーな……わっ、戻った」
「お前ら怪我は、してないわけないよな。朱莉はボロボロだし」
「めっっちゃ痛いけど平気! それよりあたし達、勝ったんだよね? 最後よくわかんなかった」
「浅倉くんが何かしたんだと思ったけど……」
「気づいたらファーヴニルのとこにぶっ倒れてたもんな、玄。まっ、とにもかくにも大勝利よ! 戦利品も手に入ったしな!」
「戦利品?」
何の話だと思ったら、ニヤニヤした陽太がバッと飛びのいた。
後ろに積まれていたのは……魔鉱石!?
俺が探してたやつもあるじゃん!
「どうよ、すごくねこれ!」
「なんだこれ」
「広間の端っこで山になってたんだよ。たぶんだけどさ、この前会ったおっさん達が集めてた分じゃねーかな」
トレジャーモールを押し付けていった連中か。
水住が同意するように頷いた。
「私達が人間用のエレベーターを壊してたから、輸送用を使おうとしてストラトスにぶつかったんだと思う」
「で、あわててここに隠れてモンスターにやられたのか」
そして宝の山が置き去りになったと。
……あいつらが言っていたように、ドームの外にあるものはどこの誰のものでもない。
持って帰ることができて初めてそいつのものになる。
つまりこの魔鉱石は。
俺は全員の顔を見回して、笑った。
「山分けだ」
朱莉と陽太が歓声を上げて取り分を漁る。
水住も小さく笑いながらその中に加わった。
……道中にはアクシデントがつきもので、全てが終わればご褒美がある。
今回のタワー攻略は、まさしく”冒険”という形でその幕を閉じることになったのだった。
◇
ひと段落してからタワーを壊した俺達は、輸送用のエレベーターで鉱山の外に出た。
待っていた軽トラの荷台に乗り込んでドームに帰る。
道中では、魔鉱石の使い道の話が出た。
俺は予定通り自分の剣の素材に。
朱莉は今の槍が使い慣れているので普通に売ろうと思っているらしい。
陽太は新しい式神でも彫ってみようかと言っていた。
水住は……記念にそのまま持っておくとのことだった。
ライフルの新調は? という俺の質問には、”ストラトスでは揃いのものを使うことになるから”と返事した。
それを聞いた後、俺達は誰もしゃべらなくなった。
崩れたドームに着いて軽トラを降り、ゲートの方へと無言で歩いていく。
朱莉が遅れていることに気づいたが、俺は何も言わなかった。
これが最後のチャンスだと思ったから。
「――あのさ!!」
朱莉の声に振り返る。
その目が真っ直ぐ見つめているのは、俺でも陽太でもない。
「あのさ、サラ。聞きたいことがあるんだ」
「……何?」
水住が俺達を置いて朱莉の前に出た。
顔を見られないようにしたというのは、考えすぎだろうか。
「えっと、その……もうあと1週間ちょっとで、ストラトスはAランクじゃん? それが上手くいったらもっと忙しくなっちゃうかもだし、今のうちに、その、なんていうかさ」
それなりの決心をして話し始めたはずの朱莉が、一気に勢いを失くしていく。
「あたしは……あたしが、聞きたいのはさ……」
同じような言葉をただ繰り返す。
水住は静かに待っている。
いつしか朱莉も黙り込む。
そしてしばらくの沈黙の後に絞り出されたのは。
「や、やだ……!」
それまでの話と何の関係もない拒絶と、1滴の涙だった。
それが引き金になった。
「やだよ、サラ……! ストラトスなんか行かないでよお……!!」
朱莉の目から堰を切ったように涙があふれ出す。
”どうして脱退したのか”、”自分が弱いからか”。
それを水住に問うと言っていたはずなのに、結局出てきたのは、朱莉の根っこの部分にある願いだけだった。
「あたし、強くなるから……!! あいつらの誰にも負けないぐらい、強くなるからっ……!!」
「――っ!」
嗚咽を漏らす朱莉を水住が抱きしめる。
朱莉はついに声を上げて泣き出した。
俺と陽太は顔を見合わせると、黙って後ろを向いて歩き出した。
その場を離れていく途中、水住の声が耳に入ってくる。
「大丈夫……私は大丈夫だから」
……”大丈夫”。
その言葉は大丈夫なやつが使うものには思えなかったが。
今、俺にできることは何もなかった。
ただその場を後にした。
それから一週間と少しが経ち。
俺と水住、それぞれの決戦の日は、ついに明日にまで迫っていた。




