第24話 穏やかな夜
ボートは水路を進む。
たまに右へ左へと逸れてしまった時は、前に座る水住が《流体制御》で軌道修正した。
ボートに備え付けられた魔法で、限定的にではあるが周りの水流を操作することができる。
「もう結構時間経ったな。制御替わるか?」
「駄目」
「ええ……?」
何をしでかすと思われているのか。
《水属性魔法》で水量を調節してるみたいだし、万が一壁にぶつけたとしてもボート自体の機能で転覆は防げるはず。
これほど安全な船旅はない。
むしろ俺が気にしてるのは水住の肩に明らかに力が入ってる件だ。
足元が安定しないところはどうも苦手らしい。
崖からダイブした時も……いや、あれは俺が悪いんだけど。
水路に入って多分1時間ぐらい経った。
ようやく環境に慣れてきた水住もリラックスし始め、ちょっと勢いのある川下り的な楽しみ方ができ始めた頃……。
「スピード落としてくれ」
前方に不吉な予兆が見えた。
《流体制御》でスピードがみるみる落ちる、が、完全には止められない。
ボートがゆっくりとその場所に近づいていく。
パキッ! と水住が凍りつく音が聞こえた気がした。
進行方向の水路、その中を照らす魔力の照明が何故か途中から消えてしまっている。
真っ暗闇だ。
そしてその先からはごまかしようもない、
ドドドドドド!!!!
という激流の音が聞こえ始めている……。
つまり水流を維持していた魔法具が途中からぶっ壊れて……いや?
整備は完璧なはずだと店長から聞いている。
なら魔力切れか?
ついさっきまでは"ノア"のタワーがその辺の魔力を吸い集めていた。
水路の入口付近はタワーに近いから魔法具が稼働できたが、この距離では範囲外。
ここから先は《水属性魔法》が途絶えて水流が不安定になってるみたいだ。
「という考えなんだけどどう思う」
「…………」
「この女、肝心な時に使い物にならないな」
「…………」
悪口にすら反応しない、重症だ。
「そこまでヤバくないぞ? 多分ちょっとスピード上がるだけだ」
「……ちょっと? 本当に?」
「命賭ける」
俺は適当を言った。
ただでさえ肌の白いこの女が脱色して透明になりそうだったからだが、少しは効果があったらしい。
再起動した水住がもぞもぞと動き出す。
「浅倉くん。制御渡す。足伸ばして」
「なに?」
「伸ばして。余裕ない」
短文しか喋れなくなってる……。
言われた通り、ちょっと無理やりだが前で体育座りしている水住を挟むように足を動かす。
――伸ばし終わった途端、水住が腰を浮かせて足の上に乗ってきた!?
今度は逆に俺がフリーズ。
それを気にする余裕もなさそうな水住がずりずりと尻をずらし、俺の足から膝の上まで後ろ向きに這い上がる。
ついに俺の胸元に収まると《トレントの蔓》でお互いの身体をぐるぐる巻きにした。
ひと仕事終えた水住がため息を吐く。
「これでなんとか」
「…………その割り切り方はいっそ尊敬するわ」
前後に座るぐらいで"変態"呼ばわりしてた奴か? これが。
水住の反応はない。
もしかしたらもう俺の声が聞こえてないかもしれない。
「なるべく、早く、済ませて」
「お前はまず精神を鍛えろ。……来るぞ」
もうすぐそこだ。
水住の全身に力が入り、俺のジャケットがぎゅっと掴まれる。
俺は《流体制御》を使いながら呼吸を整えた。
そして――ついにボートが激流に突入した。
「うわっ……!!」
「――――――ッ!!」
暗闇の中をボートが一気に加速し、前後左右に大きく揺れ、それでもひっくり返ることなく猛進する。
……それから視界に光が戻るまでには随分と長い時間がかかった。
ボートは無事水路から放り出されて森の中の貯水池に到着した。
少し歩けば軽トラのおっさんとの合流地点だ。
けど、ボートから下ろしてしばらく経っても水住の反応が戻らない。
意識はありそうだがハイライトの消えた瞳でぐったりしている。
ぺちぺちと頬を叩いても反応がなかった。
仕方がないので肩にかついで合流地点まで運んだ。
おっさんは今朝のノリで冷やかしてくるかと思ったが、意外にも心配して軽トラの荷台に寝床を作るのを手伝ってくれた。
それからまた数時間かけて荒れ地を渡り、ドームに到着した頃。
……しばらくスヤスヤした水住はすっかり元気になっていた。
「ボートに乗ってからの記憶がないんだけど」
「その方がいい」
こんなところでまた意識消失されても困る。
今朝方ぶりのドームは当然廃墟のままで歩きづらく、さすがの俺も置いていくかもしれない。
水住は首をかしげていたが、自分でも何となく嫌な感じがあったのか特に追及してこなかった。
それからゲートを抜けて無事、地球に戻ることができた。
タワーが壊されたのは当然ドームからも見えたようで協会の職員から事情を聞かれたが、ボスの名前を出すと慌てて引っ込んでいく。
一般職員が関わっても残業が増えるだけの話だ。
そのまま解散になるかと思いきや、水住に少し待つように言われる。
どこかに電話をかけるらしい。
辺りはすっかり暗くなっていて、晩飯どうするかなあとぼんやり考えているところに水住が帰ってきた。
「今日の夕食、私が作りに行くから」
……?
俺は意味が分からなくて目をパチパチした。
◇
油がパチパチと跳ねる音がする。
それがジューッという音に変わった。
その音に合わせて、肉の焼ける良い匂いが小さな部屋中に広がっていく。
俺は隅っこで正座しながらその発生源に目を向けた。
水住が俺の家のキッチンで料理をしている。
いや、あえて訂正しよう。
女子がうちで料理をしている。
多分死ぬまでない……大金払えばそういうサービスも受けられるだろうが、自然な発生は期待できなかったはずのシチュエーションにいきなり放り込まれている。
あまりのいきなりっぷりになんか色々聞く暇もなかった。
一度別れた水住が買い物袋を手に持ち、何故か教えていないはずの俺の家を訪ねてきて、その後すぐこうなっている。
とはいえ最初の衝撃はもう乗り越えた。
作ってくれるつってんだから作ってもらえばいいじゃん。
そう思うと気も楽になってきたので、俺は正座を解いてでろんと足を伸ばした。
考えてみればなんで家主がかしこまらにゃならないんだ?
今すぐ真っ裸になったって文句を言われる筋合いはないんだぞ。
「浅倉くん」
「はい」
俺は正座に戻った。
それが料理を作ってくれる相手への礼儀だと思ったからだ。
「電子レンジ借りてもいい? 悪いけどお米はパックだから」
「ご随意に」
「何? その言葉遣い」
分からない。どこで覚えてきたのかも分からない。
はっきりしているのは今俺がてんぱっているということだ。
ボートの時の水住を馬鹿にできたものじゃない。
似たような問答をいくつか挟むうちに調理は完了したらしい。
俺はいそいそと立ち上がって配膳をお手伝いし申し上げようとしたが、無言の一瞥を食らって引き下がることになった。
せめてテーブルに来客用の座椅子だけは持ってきて仕事した感を出す。
そして自分の席に鎮座すると、目を閉じ腕を組んでその時が来るのを待った。
「お待たせ。冷めないうちにどうぞ」
「……いただきます」
「いただきます」
前に座った水住の気配に合わせて手を合わせ、軽く頭を下げる。
ゆっくりと目を開くとそこには――白米とスープ、サラダにマッシュポテト。
そして緑色に苔むした鶏肉らしきものが皿に載っていた。
「水住、これは一体……?」
「ハーブチキンだけど、食べたことない?」
初見。うち元々和食メインだったからな。
最近は冷凍の豚丼しか食べてないし。
しかし横文字の名前を言われると急に高尚な食い物に見えてきた。
箸でつまんで口の中に放り込むと、嗅ぎ慣れない良い香りと幸せな肉の脂が口いっぱいに広がっていく。
今日1日頑張ってよかった……。
至福の咀嚼を楽しんでいると一瞬だけ水住と目が合う。
気にした様子もなくお上品にスープを飲んでいる――ように見えるが、俺の反応を気にしているのが何故か分かった。
今日1日で色んな側面を見たからだろうか?
この女、見た目ほどメンタルは強くないのだ。
「死ぬほど美味い」
口の中がすっきりしたところで感想を伝えた。
水住は目も合わせずに「そう」とだけ言ったが、その雰囲気は柔らかいものに変わっていた。




