【第53話】エピローグ~かけがえのない日常~
季節は移ろいを繰り返し、時は流れていく。
無慈悲に、或いは慈悲深く。
それでも鮮明な記憶として風化せずに残り続けるものもある。
忘れもしない、あの夏。
長い、長い夏休みとなった。
喪主となった母のサポートに徹し、葬儀に追われ、悲しむ余裕すらなかった。
ようやく一段落した後、僕ら残された家族は父の事を想って再び涙を流すことが出来た。
偉大な父は、人生を卒業した。
親しい人を失うこと。
誰もが避けて通れない。
悲しいけど、でもそれだけじゃなかった。
奇しくも父の死が僕に気づかせてくれた。
忘れていた感覚を思い出させてくれた。
当たり前のように過ごしている日常が、実は限られた貴重なものであるということ。
世界は美しく、人生は素晴らしいということ。
分かりきったことだ。
何を今更、そう思うかもしれない。
だけど大切なこと。
単純なようで深い。
このような類の綺麗事は、今まで人から聞かされたり、本に書かれているのを目にしてきた。
生きるのは幸せなことだとか、だからこそ毎日を大切に過ごそうとか。
でもそれはきっと、当の本人が身をもって体感しないと真に理解できない。
他人が用意した答えを、そのまま自分の答えにすることは出来ないのだ。
じゃあ僕は人生の尊さを理解し、生きてることに常に感謝の念を抱く達観者なのかと聞かれれば、そこまでは至っていないと思う。
僕自身は相変わらずだ。
朝、寝起きは辛いし、満員電車に揺られて仕事へ向かうのも面倒だ。
職場では上司に怒られ、家でも妻に怒られる。
でもたまには褒められるし、嬉しいなと感じる。
ふと見上げた青空が鮮やかで感銘を受けたり。
コンビニで買った新作のデザートが美味しかったり。
眠りにつく時に布団の温もりが気持ち良すぎたり。
子供と近所の公園を散歩しながら保育園の話を聞くのが楽しかったり。
優柔不断で、打たれ弱くて、根性がなくて。
自己肯定感は低いくせに身勝手な自尊心は高い。
周囲の目ばかりを気にして右往左往し、自爆するのはいつものこと。
不毛だと分かってはいるのに、過去への後悔と未来への不安に囚われる。
ポンコツでどうしようもない。
それでも愛しい僕の人生なのだ。
桜が舞う。
人生で何度目の春を迎えるだろうか。
始まりの季節、或るいは終わりの季節。
風に吹かれ散ってゆく桜の花びらの中、僕は立ち止まる。
こうやって何度も立ち止まってきた。
矢継ぎ早に過ぎ去っていく日常に戸惑うみたいに。
生きていて楽しくない、人生がつまらないと不貞腐れていた。
感動するような機会もめっきり減り、何をしたって達成感を感じなくなっていた。
いつの間にか心に余裕が無くなり、苛立ってばかりいた。
何のために生きているのだろうって、何度も自問していた。
そうやって悶々としていた頃から、随分と遠いところまでやって来た気がする。
沢山の人と出会ってきたし、沢山の出来事を経験してきた。
その過程で沢山のモノを手に入れてきたし、沢山のモノを失ってきた。
人に傷つけられることもあれば、人を傷つけることもあった。
まるで帳尻を合わせるように。
これからもきっとそれは繰り返されるのだろう。
終わりの見えない旅路。
僕はこの世界に翻弄され続けるのだ。
「おい小峰~!」
「小峰っち~大丈夫?」
「慎、しっかりしろ」
「慎ちゃん!」
「小峰くん頑張れ!」
「小峰氏?」
「慎志!」
出会ってきた人たちが僕の名前を呼ぶ。
まるで迷子を導くかのように。
人との絆、世界と僕を繋ぐ楔。
僕は応えるために返事をするだろう。
新しい自分へと日々生まれ変わる為に産声をあげるだろう。
「ぱーぱ!なにしてんの!」
「あなた、いつまで立ち止まってるの?」
すぐそこで僕を実際に呼ぶ声がする。
妻の千春と娘の真桜だ。
ちょっと離れた道の先から、僕に笑顔を向けつつも急かしてくる。
忙しない日常、慌ただしい毎日にうろたえて途方に暮れることもある。
ふとした時間の隙間に孤独を感じることもある。
生きるとはシンプルなことなのに、色々な事をあえて考えてしまい、悩み、自ら生きるのを複雑にするような空回りだってしてしまうこともある。
「ぱーぱ!はやくきて〜おくれちゃうよ~!」
「入学式に遅刻するわよ!行きましょう?」
千春と真桜が催促する。
ふたりの言う通りだ。
立ち止まったままではいられない。
桜吹雪の中、再び一歩を踏み出した。
目に見えない矢印を辿って。
季節の移ろいに身を任せ、流れるように進んでいく。
「さーて、生きますか!」
それこそ舞い散る桜のように。
人生は美しく、そして儚い。
でもだからこそ素晴らしい。
限りあるからこそ、かけがえのないもの。
それは日常のイトナミ。




