【第52話】星屑の伝言
~主な登場人物~
【小峰怜志】
慎志の父親で、喜寿手前の後期高齢者。畑仕事中に意識不明で倒れる。
重度の低酸素脳症によりほぼ脳死状態で、病院の病室で人工呼吸器と繋がれている。
【小峰彩代】
慎志の母親で、怜志の妻。夫とはおよそ半世紀に渡り共に生きてきた。
【小峰慎志】
主人公。埼玉県に住んでいるが、意識不明で入院中の父に会いに長野までやってきた。
泣き声がする。
誰だ泣いているのは。
また慎志か。
「どうして泣いているの?お父さんに話してごらん」
「かなしいから」
「なぜ悲しいの?」
「ほじょりんがないと、じてんしゃにのれないから」
息子は自転車に補助輪が付いていないと乗れないから悲しいという。
「友だちがぼくのことばかにするの。友だちはほじょりんなしで、じてんしゃにのれるから」
「慎志は自分のペースで補助輪無しで自転車に乗る練習をしたら良い。友達と比べる必要なんてないよ」
「むりだよそんなの」
「何故?」
「お父さんだって、くらべないでいいって言うくせにさ、きれいにさく花と、かれた花があれば、どっちがきれいか見くらべるでしょ?」
不貞腐れる息子。
この子はまだ全てを”差”と認識してしまい、”違い”と捉えられない。
悔しさが見返してやるぞという前向きな方向へ働いてくれれば良い。
或いは開き直って客観的な視点を持つきっかけになってくれたら良い。
しかし慎志は拗ねていじけて、投げ出してしまう。
困ったものだ。
そういう癖は子供のうちに克服してくれれば良いのだが。
でないと大人になってから苦労する。
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「で、どうだ?その癖は直ったか?」
病室のベッドに横たわっていたが、上半身だけ起き上がり、見舞いに来た息子の慎志に問いかける。
「僕の話なんてどうでもいいんだよ」
慎志は不満そうだ。
幼少の頃の息子も、大人になった息子も、顔つきは変わらない。
あの泣き虫がよくここまで大きくなったものだ。
「父さん身体は大丈夫なの?」
「駄目かもしれんな」
「そんな、諦めないでよ」
「もし若い頃だったら、何故死ななければならないのか…そう不満を訴えただろう。しかし今は身体も心も老いた。全てがどうでもよくなってしまうんだな。物事に対して執着しなくなったという事か」
「何だよそれ」
「しかしこう時間の猶予を与えられると、人生とは何だったのか考えてしまう」
「父さんは立派な人生を送っているよ」
「結局、振り返ってみると人生、山あり谷ありだったが、命をかける程の窮地に立たされたことは無かったな」
「何言ってんのさ。今がその時じゃないか」
「良いこともあれば悪いこともあった。まるで帳尻を合わせるかのように。しかし概ね満足かな」
「父さんは自分の人生に悔いはないってこと?」
「ああそうだ。仮に人生をやり直せるとしても、やり直せる人生なんかに意味はないだろう?」
「そっか…達観してるんだね」
慎志が病室の窓から外に目を向けた。
遠い眼差し。
景色を見ているというよりは、私と過ごした日々に想いを馳せているようだった。
「父さん、死のうとしてる?」
「ああ」
「そんなこと言って欲しくないな」
「良かったよ。ずるずるといかず、コロッと逝けて」
「どういう意味?」
「例えば重い認知症になったり、身体が動かなくなって介護が必要になった場合、面倒をみる家族の負担はそれ相応のものになる。やがて家族の絆が呪縛のようになってしまう可能性もあるんだ」
「そんなこと無いよ」
「慎志はまだそういう現場をみたことがないんだな」
「だからって…。僕はもっと父さんとの時間が必要だよ」
「ありがとう。そうだな、残される家族にとっては、心の準備をする時間が必要だったな」
慎志は涙ぐんでいた。
その涙を見て私は申し訳なく思った。
「全ては失われていくんだね」
「慎志?」
「全ては滅びに向かって進むんだ。それは命だったり、物だったり、親しんだ情景だったり」
「慎志…」
「だったら僕らはまるで、悲しみに向かって生きているみたいだね」
慎志は自暴自棄な態度でそう言った。
息子の慎志はまだ私の半分程度しか生きていない。
しかし既にもう立派な大人なのだ。
「しっかりして欲しい。慎志はまだ続いていくのだから」
「父さんはもう、どうしようもないの?」
「真桜ちゃんのように生まれて育つ命もあれば、私のように老いて朽ちる命もあるんだ。それだけのこと。この世は諸行無常。流転こそ万物の性というやつさ」
「僕はポンコツ人間なんだ。これからの人生やっていけるかどうか、急に心配になってきたよ」
「ポンコツだって良い。名前の通り、慎ましくも志を持って生きていけば良い。どうにかなるもんだ。私のように」
「親孝行出来なくてごめん。父さんには迷惑ばかりかけたね」
「最期に謝られてもな。”ごめんなさい”と言われるより、”ありがとう”と言われた方が後味が良いのだが」
「そうだね。でもこんな形でしか、父さんに感謝を伝えられなくてごめん」
「また謝って、困った息子だな」
こちらも残せるものが少なくて、謝りたい気持ちはあるのだが。
病室の扉が開く音。
妻の彩代が入って来た。
「あなた」
「彩代」
長年連れ添ってくれた妻。
苦労をかける事もあった。
妻にも話したいこと、伝えたいことは沢山ある。
さて、まずは何を喋ろうか。
妻を置いて先に逝ってしまうことはすまないと思っている。
それでもまずは⋯。
「長い間、一緒にいてくれてありがとう。幸せだったよ」
病室の窓に目をやると、外は雪が降っていた。
きらきらと輝く星屑のような雪だった。
私の一生は星屑の輝きの中に。
雪が深々と降り積もる。
何もかも埋め尽くされていく。
どこまでも満たされていく。
気がつけば長い時間が積もっていた。
本当に。
本当にかけがえのない人生だった。




