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【第40話】妊娠を望んだ先に

~主な登場人物~


月原千春(つきはらちはる)

本編のヒロイン。性格は天真爛漫で男勝りだったが、慎志と結婚して多少丸くなった。

子供を望み妊活に励むも、医師から妊娠しずらい体質と告げられ、不妊に苦悩する。

親しい周囲の友人が妊娠や育児の情報を発信しており、羨望と嫉妬の狭間で葛藤。

最近はセンチメンタルに。


小峰慎志(こみねしんじ)

本編の主人公。埼玉県所沢市の賃貸マンションで妻とふたりで生活している。

妻の千春と妊活に対して温度差があり、彼女が不妊だと嘆くのを大袈裟に思っていた。

年齢的にまだ焦る時期じゃないだろうと。しかし妻の苦悩する姿を見て思い直す。





挿絵(By みてみん)




私たち夫婦の間には停滞感が漂っていた。

生活が窮屈なわけじゃない。

経済的な問題を感じてはいない。

共働きだし、もし仮にどちらかの収入が一時的に途絶えてもその間、一方が支える。

では一緒に暮らす相手として、夫と私の性格が合わず我慢出来る範疇を越えて窮屈に感じているのか。

それもない。

もちろん些細なことから喧嘩だってある。

だけどお互いの考え方や行動の不一致は個性であり、私は夫を、夫は私を受け入れている。

概ね、はたから見れば表向きは何の陰りもない夫婦なのではないか、そう思う。


でも私が子供を望み、妊娠に拘り、焦がれてからは夫婦を取り囲む空気が変わった。

当初、夫の慎志は私の不妊を心配し、同じくらい深刻に思っていると信じていたけれど。


”まだ僕らは不妊を焦るような年齢ではないよ。千春の心配は大袈裟だよ”


私から一歩引いた所からそんな事を言われ、夫に苛立ちを感じていたことは事実だ。



街の活気ある喧騒も、歩道から聞こえてくる子連れ家族の会話も、耳障りだと感じてしまうのは何故だろう。

マンションの窓から覗く緑道の木漏れ日も、あんなに気持ちよかったのに、今では眩しすぎる。


そうして今日も私は、空いた時間にスマホでSNSを見て、友人の妊娠生活や育児を綴った投稿を感情を殺して読んで、義務的な気持ちで”イイネ”を付けるのだ。



実家に帰った時に、妊活がうまくいかない事をお母さんに相談したりもした。


”子供がいなくても人生楽しめるよ”

”子供は天からの授かりもの、気長に構えて”


不妊を励ます常套句、使い古された言葉だと思った。

せっかく励ましてくれたのに、どうして私は素直に受け取れないのか。

私は捻くれてしまった。

嫌な娘だ。


お父さんに”孫はいつだ?”と言われ、「うるさい!」と怒鳴ってしまった。

お父さんも悪気はなかっただろうに、娘に怒られしゅんとした様子で居間を出ていった。


あ〜!もぅどうして!

私はこんなんじゃないのに!



”思い悩んで私は不幸だと訴えても、それはもっと長年不妊治療してる人に対して失礼ではないか?”

”世の中には私より子供を産める望みが過酷な人、産まない選択をする立場の人だって沢山いる”


その通りだが、理解は出来ても納得のできないことはある。

私は盲目になっていないだろうか。

産めないと言われたわけじゃない。

深刻に捉えすぎだろうか。

それでも不妊は女性として欠陥があるように捉えてしまうのだ。

医師からは私の先天性的な体質が原因だと言われた。

なによそれ、わけわかんない。悔しい。




ある日、高校時代のグループラインにメッセージが。


”平成〇〇年卒の〇〇組の同窓会をします!”


同窓会の案内だ。

それからしばらくして、親友の団子からもラインが。


”同窓会の案内きた?千春は出席するよね?”


同窓会か…う~ん。




「慎志、高校の同窓会の案内が来たから、今度行ってこようかと思うんだけど…」

「分かった!いってらっしゃい~」



ーーーーーーーーーー



「千春~久しぶり~!」


懐かしい同級生たちとの再会。

やはり嬉しい刺激となる。

あの頃の空気、無邪気に笑っていた学生時代の雰囲気に感化される。

最初こそ気分転換になるし、来て良かったと思ったのだけれども…。

参加者たちそれぞれと思い出話に華を咲かせる中、子持ちで育児に専念している友人たちとは案の定、話が合わない。

置いてきぼりで会話に入る余地がなかった。


同じクラスで学生時代から交際をして、周囲から注目されていたカップルがいた。

社会に出てから結婚にまで至ったという、そのふたりについて話題があがる。

学生時代の同級生同士が結婚するというのはなかなか珍しいことで、ロマンチックな感じもする。

しかし同窓会にその二人の姿はなかった。

誰かが口にする。


「あのふたり、離婚したんだって」


同窓会の席で本人たちがいないのを良いことに、みんな色々と言いたい放題だった。

中には教室でイチャイチャと周囲に見せびらかせてマウントをとった罰が当たったのだと、嘲笑する者もいた。


離婚…ネットの情報だと昨今では夫婦の3組に1組は離婚するという。

そう考えると離婚というのは夫婦の選択肢として、身近なものになったということだろう。

でも当たり前だが、結婚したからには別れたくない。

私と慎志は大丈夫かしら?

慎志はポンコツだけど、私を選んでくれたこと、後悔させたくない。


夫婦の離婚の原因は経済的な事情、男女の浮気、性格の不一致などが主流だという。

経済的な事情は、金欠に追い込まれ自覚させられる状況にないので気持ちは分からない。

でも私は働くことに抵抗がない。慎志とふたりで働けばひとりでの稼ぎが少なくても世帯収入で何とか。

ふたりで働いた方が、将来もらえる年金も増えるし。

扶養内とかだと…どうなんだろう。

今後、何かがきっかけで専業主婦に気持ちが傾く事もあるのかもしれない。


浮気に関してはもし慎志が私を裏切ったなら、おちんちんをちょん切ってやる。

その旨の誓約書まで彼にサインをさせて用意してある。

もし浮気されても私は離婚なんて考えない。

一生、根に持って、罰として慎志を奴隷のように私に服従させてやるんだから。

じゃあもし私が浮気したら?

素敵な男性が後の人生に現れて私を誘惑してきたら…。

大丈夫、一線は越えないと思う。多分…大丈夫!



同窓会では他にも色々な話題があがった。

中でも驚いたのが、当時の数学の先生が校長まで登りつめたということ。

そしてその先生が、なんと数年前に女子トイレの盗撮で逮捕されたという。

これは知らなかった。

ネットの動画サイトなどには残っていなかったが、逮捕時はニュースにもなったという。

特に何の思い入れもない先生だったけど、ショックだった。

男子たちは笑い飛ばしていたけれど。



同窓会の帰り。


「やっほー!同窓会楽しかったね~!」


親友の団子に声をかけられ、一緒に帰路を歩く。

団子のお腹は少し膨らんでいて、二人目の子供を妊娠中だった。


「なに?お腹ばっかり見て、擦ってみる?」

「え?いいの?じゃあ」


団子から諭されて、遠慮なく私は服の上から団子のお腹を擦る。


「お~!触ると結構膨らんでるのが分かるね」

「でしょ?もう重くってしんどいのよ」


そう言う団子だが、自らのお腹に優しい笑顔を向けている。

母親の笑みだった。

私はチクリと胸が痛んだ。

羨ましさと嫉妬と、でも相手は親友だから何とも言えない気持ちになった。


「出産予定日はいつ?」

「7月上旬頃よ」

「そっか~、一人目の凛ちゃんもお姉さんになるね」

「そうなの。でもまだ甘えん坊で」


「同窓会でも、子供がいて母親になった人が多かったね…。はぁ~」

「千春、もしかして羨ましかったの?私のことも羨ましい?」


図星である。でも何故だろう。

他の人に今の言われたら傷ついていただろうけど、相手が団子だったから嫌味に聞こえなかった。

歯に着せぬ物の言いようの団子。

長年付き合ってきた親友の言葉なら全然気にならない。


「羨ましいのもあるけど、嫉妬の気持ちもあるから何か複雑かも?」


だから私も正直に話せる。


「私さ、妊娠し辛い体質なんだって。それで不妊に悩んでて夫との妊活も、なかなか…ね?」


私は胸の内を団子に告げた。


「そっか、デリケートな問題に突っ込んでごめんね」

「ううん、大丈夫」


帰路の道中、繁華街を抜けて、開けた場所に出る。

建物が近くに無くなると、深い暗闇の夜空が視界に広がった。

そこに異様な程の存在感を放ち、煌めいている月。

団子はそんな月を見上げて私に語り掛けた。


「まるで上から物を言うみたいで申し訳ないんだけど。例えば彼氏がいなかったら彼氏いる人が羨ましいし、彼氏が出来ても結婚してる人がいたら既婚者が羨ましいし、結婚しても赤ちゃんを抱きかかえてる人がいたら子供いる人を羨ましく思うし。もちろん割り切ってて周囲に影響されない人もいるだろうけど」


私も眩しいくらい明るい月を見上げて団子の次の言葉を待った。


「今も、住んでる家とか仕事とか旦那のこととか、他人と比較しだしたら切りが無いね。そもそも歩んできた生活や環境、性格だってみんな違うんだから。他人という別の生き物と自分を(ふるい)にかけるのは間違いで、意味ないよ」


「…そう、よね」


団子がいきなり私の手を、彼女の膨らんだお腹に当てる。


「ほら、思いっきり擦りなさい!そして念じなさい!」

「え、何を?」

「私の妊娠に、千春もあやかりなさい!」


団子なりの励まし方だと思った。


「分かったわ」


私は団子のお腹を思いっきり擦り、念じて、さらに拝んだ。


「おお~親愛なる団子様、貴女の妊娠パワーを私にも下さい~!」

「よかろう、お腹の中の胎児も千春に喜んで受精パワーを恵んでやると言っておるぞ」

「はは~、ありがたき幸せ」


茶番を演じる私と団子。

近くを通り過ぎる通行人から奇妙な目で見られ、私たちは危ない奴らだと思われるのだった。




ーーー




「今度の連休さ、ディズニーランド行こうよ」


夫からの誘いに乗り、私たちは久々にディズニーランドを訪れた。

さすが夢の国である。パレードやプロジェクションマッピングはいつ見ても興奮させられる。

終始、アトラクションの混み具合をチェックして回ってくれた夫の功労もあり、時間を忘れて楽しんだ。

落ち込むことはあっても、それで慢性的に感性を腐らせてはいけない…そう思った。


ランドの閉園後に宿泊予約していた近くの東京ペイ舞浜ホテルにやって来た。

私たちが結婚式を挙げたホテルだ。


ここで以前、自分たちの結婚式をやったのだと従業員に伝えると、挙式場のチャペルへの立ち入りを許可してくれた。

夫婦の始まりの場所、私たちは感慨深く教会内を見渡した。


「懐かしいなぁ」

「ええ、あの時は準備とか大変だったのを思い出すわ」


慌ただしい日々。

結婚式の段取りは楽しかったけど、喧嘩だってした。

あの日から…夫とふたり、駆け抜けるようにして生きてきたと思う。

或いは目に見えにない矢印を辿って、ふたり、今この場に立っているのかもしれない。


「本当にあっという間ね」

「そうだね、でもこれからもきっと、あっという間に過ぎていくよ」



「ねぇ、千春?」

「なに?」


「人工授精とか体外受精とか次のステップに進んでみる?」


まさか、夫の口からそれが聞けるとは思わなかった。

私が次に慎志に提案しようとしていた事を、彼が先に勧めてくれた。

妊活の主担当は私だという流れだったが、夫も本気になってくれた気がした。

だからこれで、ふたりで次のステップに進める。


「人工受精、私の通ってるクリニックだと二万円くらいで出来るんだけど…」

「人工授精は市に申請すれば補助金が出るよ。書類の書き方も予習したから任せて。それでさ、宝くじを当たるまで買う人みたいに、妊娠が成功するまで人工授精やり続けるのも手だよね」


そこまで調べてくれていたのね。


顕微受精、体外受精、妊娠の為に出来ることはまだある。

私も、慎志も、自然妊娠に憧れていた。

でも視野を広げてみれば、まだまだ打つ手はあるのだ。


「やれることはやってみよう」

「ええ」


私たちはかつて結婚を誓った教会で、今度は妊娠の為の決起を誓った。



―――――――――――――――――



「はーい、千春!採れたての新鮮な精子でーす!」

「ばーか!」


朝、慎志から精子を受け取って、人工授精のため産婦人科クリニックへ向かった。


医師に渡した精子は洗浄され、PHの調整も施され私の子宮内に注入される。

内診台もこの頃はなんの恥ずかしさも感じなかった。

もっと恥ずかしいことが産婦人科クリニックに向かう途中にあった。



その日の夜、慎志が仕事から帰ってきた。


「どうだった?人工授精は?僕の精子は?」

「ばっちり直接注入されてきたわ!」


「それでね…恥ずかしいことがあったのよ」

「なになに?」


「クリニックに向かう途中、駅前で警察に職務質問されたの」

「ああ、所沢駅ってたまに警察官が立ってるよね」


「荷物検査されて、その、慎志の精子を説明するのが大変だったの!」

「うっは!それは災難だったね、あっはっは!」

「警官のあの引いた顔、変な目で見られてショックだったんだから~!」





そして⋯遂に念願の時が来る。


私は慎志にサプライズをすることにした。

夫を驚かせてやろう。



「千春おはよう」

「ええ、おはよう」


休日の朝、後から起きてきた慎志は寝ぼけており、寝癖もついてる。


「はい!プレゼント!」


私は小包の箱を夫に手渡す。


「え?今日って何かの記念日だったっけ?」


慎志が思考を巡らす。

その表情は大切な日を思い出せず、忘れてしまったようなバツの悪い顔をしていた。

しかし、思い当たらなくて当然なのだ。

彼が必死に思い出そうとして唸っている姿が面白おかしかった。


「箱の中身は何だろうね、開けてみて!」


私が笑顔なので、彼は安心して箱を開封する。



「えっと、これは⋯なんだろう?」


私は彼が驚くと思っていたのだが、本当にそれが何なのか分からないようだった。


「これは体温計かい?」


「違うわよ!妊娠検査薬よ!ほら、ここ見て!線があるでしょ?」


「あ〜、線があるね。これがどうしたの?」


やはり見方を分かっていないようだ。



「陽性!私、妊娠したの!」


「え、ええええ!?本当!?やったー!!」


そう言って慎志は妊娠検査薬を嗅ぎだした。


「いや、ちょっと慎志!何で妊娠検査薬を嗅いでるの?」


「千春のおしっこの臭いがするけど、これが妊娠の証拠なんだね」


「も~う、この変態!!」


「妊娠おめでとう!嬉しいね!よっしゃあ~!!」


慎志が私に抱き着いた。

私は目頭が熱くなった。

ようやく願いが叶ったのだ。

ようやく想いが実ったのだ。

目を閉じると涙が頬を伝った。


どんよりしていた私の世界が晴れた気がした。

窓の外、緑道の木漏れ日が鮮やかだった。

まるで私たちを祝福してくれているようだった。

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