【第4話】人生に優劣はなくとも
~主な登場人物~
【小峰慎志】
主人公、25歳独身。仕事が長続きせず職場を転々としている。
新しい仕事では商業施設の一角を借りて家庭用医療機器の展示実演販売をするが…。
なかなか商材が売れずに苦戦している。
【浅野純太郎】
慎志と同じアパートに住む28歳のIT系会社勤務の男。
眼鏡をかけ、太った体系をしているが、それは優しさが詰まっているから。
穏やかな性格で頼りがいもあることから、慎志から”先生”と呼ばれている。
新しい仕事に就いてから1ヶ月が過ぎた。
はじめの一週間は四谷にある本社で基本的な座学が行われた。
本社での研修は丁寧なもので、おおまかな仕事の流れを学んだ。
担当する商材は定期的に変わるので、その都度勉強する必要がある。
どんな商材にも通ずる宣伝文句のロールプレイニングを繰り返した後、僕が担当する商材と現場の配属が決定された。
今回、僕が販売することになったのは家庭用の医療機器だった。
健康の促進を謳う電気椅子と電気マットを扱う。
微弱な電流が流れ、血行の促進を促して身体の自己治癒力を高めるというもの。
いくつかの価格帯を設けて販売する。
3か月間、大型商業施設の一角スペースを借りて商品の展示と実演販売を行う。
配属が決まった本社での研修最終日、すれ違った社員から小声で“貧乏くじ引いたな”と呟かれたのが鮮明に記憶に残っている。
家庭用医療機器は高額であり、気軽に買ってもらえるような代物ではない。
買ってもらうにはお客様に何度も足を運んでもらい、機器を試してもらう必要がある。
効果を実感してもらい、商品への信頼を獲得するのだ。
すぐに売れるわけではないが、既に販売期間も後半に入ろうとしている。
まだ一台も購入されていない。
このままでは目標販売数に遠く及ばない。
「どういうことですか!」
「頑張ります」
「頑張ります、じゃなくて、売るか売らないかで聞いているんですが!?」
「売ります!」
エリア統括から連日、激が飛ぶ。
この感じ…またか。
胃がキリキリと痛んだ。
ある日の展示実演販売にて。
「小峰か?」
「おお、伊藤じゃん、久しぶり!」
偶然大学時代の同級生と再会した。
「何その派手な色のシャツ。うけるんだけど」
伊藤は僕の来ている黄色いTシャツを指さして冷笑した。
集客のため人の目につくような目立つデザイン仕様で、これが言わば制服である。
「何売ってんの?」
「家庭用医療機器だよ。試していく?」
「いやいい、ってかすげえ高額なんだな。本当に健康に効果あるの?」
「うんあるよ。科学的根拠だってあるし、利用して病気が良くなった実例もあるんだ」
「こんな詐欺まがいのもの売って、お前も落ちぶれたな」
落ちぶれた??
「高齢者を騙して高い物を売りつけてないで、ちゃんとした仕事しろよ」
そう言って、伊藤は行ってしまった。
何であんなことを言われたんだ?
その時の僕は、彼の発言を何も理解できなかった。
販売ブースを借りている商業施設の開店前から閉店まで、通しで働く。
それに加えて閉店後に販促の作成や反省会もする。
基本的に勤務中は一人なので、上司に気疲れすることはないのだが、エリア統括に逐一進捗を報告する必要があり、また定期的に現場に巡回して来るので、緊張感はあった。
成果が出ずに詰められて焦って売ろうとしても、その切羽詰まった態度が表に出て接客が雑になる。
商材を売ろうとするのではなく、相手の困った事や悩んでいる事を掘り出して、それが商材で解決する構図を描き、示さなければ客の購買意欲を引き出せない。
客の不安を煽る、又は不安材料を植え付けて商材を買わせる、といえなくもない。
周辺のマンションや一軒家に宣伝のポスティングを終えた頃には夜の22時を回っていた。
足早に駅へ向かう。
帰宅途中の乗換駅、高田馬場。
ホームが狭いといつも思う。
電車を待つ人々の疲れた表情が目についた。
心に余裕がないのは、僕だけじゃないようだ。
能面のように無表情な人は感情が麻痺していないだろうか。
その反面、楽しそうに談笑する人もいる。
同僚を同じ目標に立ち向かう仲間として意識して、仕事を楽しんでいるのかもしれない。
まるで部活のようだな。
そういう社会人生活を送りたかった。
さて電車を待つ間、気分転換にスマホで好きな動画でも見るか。
最近、ユーチューブのプレミアム会員に登録した。
有料会員についてはニコニコ動画と、どっちにするか悩んだけど。
これで広告なしで見られるぞ。
鞄に仕舞っているワイヤレスイヤホンを探していると、賑やかな声が聞こえてきた。
「ちょっと~!やめてよね!」
「あははは~!!」
楽しそうに会話する女性3人組。
会話の声が大きくて、はしゃいで身振りも激しい。
飲み会の帰りだろうか、酔っ払っている様子だ。
女性組は僕の横で立ち止まって電車を待つ。
良いよなぁ…楽しそうで。
あ、やべ…鞄から取り出そうとしたワイヤレスイヤホンを床に落してしまった。
女性組の方へ転がっていくワイヤレスイヤホン。
僕はそれを拾おうと身をかがめた。
「楽しかったね〜!今度はボーリング行こうよ」
その時、女性の一人がボーリングの球を投げるジェスチャーをした。
勢いよく後ろに引いた女性の手が…。
床に落としたイヤホンを拾おうとする僕の股間、すなわち男の急所に直撃した。
「おっっっふ!」
激痛に僕は思わず声を漏らした。
これは…この感じは…棒が曲がり、更に金の玉が内部にのめり込んだ時の痛み。
視界が白くなる。
そういや中学生の頃、体育の授業で至近距離から蹴られたサッカーボールが僕の股間に直撃した事があった。
あの時は悶絶してその場に倒れ、一時授業がストップした。
あの時も視界が白くなった。
あの時の感覚、あの耐えがたい痛みに再び襲われることになるとは…。
膝を折り、前かがみになって必死に耐える。
苦悶で額に玉のような汗が浮かんでくる。
かっこ悪い姿だ。
「あ、すいません」
女性が僕にぶつかったことを詫びる。
でも女性は訝し気な表情だ。
まるで“そんな大げさで、オーバーリアクションじゃない?”と言わんばかりだ。
女性には分からないだろう、この男しか感じることの出来ない股間の痛みは。
電車が来た。
女性組は僕のことなど構わず、再び談笑しながら電車に乗り込む。
僕は股間を押さえたまま、女性組と距離を空けるため逃げるように1両隣の電車へ乗り込んだ。
自宅の最寄り駅まで帰ってきても、まだ股間はヒリヒリ痛かった。
閉店間際のスーパーで晩御飯を買おうと総菜コーナーを見て回っている時だった。
「今、帰りかい?」
「あ、先生こんばんは」
スーパーで買い物中の先生と出くわした。
「遅いね、これから晩飯かい?」
「はいそうです。晩御飯なに買おうかなって今、考え中です」
「そうなんだ、もし良かったらなんだけど、カレー作りすぎちゃって、食べに来る?」
「え?良いんですか?是非!」
「良かった。今、福神漬け買ってくるからちょっと待ってて」
「先生、それくらい僕が買ってきます。カレーご馳走になるんですから!」
僕は先生の持っていた福神漬けの入ったカゴを受け取ると意気揚々とレジに向かった。
アパートの先生の部屋でカレーをご馳走になる。
「先生の作ったカレー美味しいです」
「そう?ありがとう」
出されて5分もしないで平らげてしまった。
いつもカレーはレトルトのレンジでチンするやつしか食べてないから、具沢山で煮込まれた先生のカレーは絶品だった。
「手作りのカレーって久々で、何だか懐かしい味わいでした。そういや小さい頃は、カレーがご馳走だったのを思い出しました。家に帰って、料理中のカレーの匂いを嗅いだだけでワクワクしましたもん」
「その気持ち分かるよ。まだ少し残ってるんだけど、おかわりする?」
「先生の分は?もういらないんですか?」
「ぼくはもうお腹いっぱいだよ」
「ではありがたくおかわりさせて頂きます」
「ご馳走様でした!いや~本当に美味しかったです。先生はカレー屋でも開いたらどうですか?」
「小峰氏はお世辞うまいね、ありがとう。でも飲食店は大変だと思うよ。料理が美味しくても経営をしっかり学んで実践しないとね」
「あ、そういえば駅前のラーメン屋、閉店の張り紙がされてました」
「また潰れちゃったね。美味しかったのに。あそこはラーメン屋の入れ替わりが激しいけど、どこも長続きしないね」
「居抜きで初期費用も抑えられるし、駅前で人も結構行き来して良い条件だと思うんですけど」
「実際、客も結構入ってたよね。でも昨今の食材の原価、賃料、人件費を考えると採算が取れなかったんだろうな。客単価が千円以下円で座席が十席ほどのラーメン屋の場合、一日に10回転くらい出来ないと営業を続けていくのは難しいんだろうね」
「早く次の店が入ると良いですね。駅出たすぐの場所ですから、ずっと空き屋だと寂しいです」
「そうだね。次は二郎系のラーメンが入ると良いな」
「あ、良いですね~。でも僕は家系ラーメンを希望します」
食後、もう夜も遅いので帰ろうとしたら、ゆっくりしていけばいいと先生は言ってくれて、お茶を出してくれた。
「そういや先生、聞いてくださいよ~。今日、帰ってる時に駅のホームで電車を待っていたら、すぐ近くにいた酔っ払いの女性が手を振り回して、僕の股間に直撃したんですよ。悶絶するくらい痛かったです」
「えぇ…酷い目にあったね。相手はどんな女性だったの?」
「若い女性でした。多分仕事終わりにどっかで飲んだ帰りだったんでしょうね」
「それはまたなんという、ご褒美…いや災難だったね!」
先生の鼻息が荒くなる。
きっと僕の股間を痛めつけた相手を怒ってくれているのだろう。
僕はズボンの上から股間を触って状態を確認した。
大丈夫だ。もうヒリヒリしないし、めり込んだ金の玉はもとの鞘に戻っている。
雑談は続き、仕事の話に移った。
「仕事がなかなかうまくいかなくて…」
「まだ仕事はじめたばっかりだもんね。最初乗り越えたら後がきっと楽だよ」
「そうですよね…」
「頑張ろう!応援してるよ」
「ありがとうございます」
「あの…先生は仕事どうですか?」
以前、先生は都内の高層ビルに会社を構えるIT系企業に勤めていると聞いていた。
「システムエンジニアですよね?」
「う~ん、SEというか、Sierというか…」
「なんか時代の最先端の技術職って感じでかっこいいですけど」
「何よりも大事なのはコミュニケーション能力だけどね」
「やりがいはありますか?」
「そうだね、陰でインフラを支えてるから」
「辞めたいって思ったことあります?」
「そりゃ数え切れないほどあるよ。常に納期に追われ、決められた予算でやりくりしなきゃいけない。この業界は下請けが何層にも及ぶし、元請けには何も言えないから、みんなギリギリのところでやってると思うよ」
「トラブルとか無いんですか?」
「そうだなあ、直近だと…というか現在進行形なんだけど…。今やってる流通会社のシステム開発が難航してるね。もともと営業が無理な契約を取って来たんだ。仕様もどんどん変わるし、みんな振り回されてるよ」
「大変そうですね、大丈夫ですか?」
「プロジェクトのマネージャーが管理しきれなくて飛んだからね。連携する協力会社のSEと営業、運用と味方同士なんだけど喧嘩してさ。限られた予算を奪い合いあって血で血を洗う戦いの真っただ中だよ」
「なんだか胃が痛くなる状況ですね」
「納期に間に合わないからメンバー増員するって聞いているけど、いつまで経ってもこないし。こりゃデスマーチの予感」
デスマーチ?コアラのマーチ的なやつだろうか。
「それでも都内のオシャレな高層ビルで働いていて、給料も良さそうじゃないですか?先生は人生の勝ち組ですよ。僕なんか、何を言ったってどうせ負け犬の遠吠えですもん」
「慎志氏、それは違うよ」
いきなり先生が立ち上がり歌い出した。
「勝利も敗北もないまま~♪孤独なレースは続いてく~♪」
「聞いたことある歌ですね」
「Mr.Childrenのtomorrow never noseだよ」
「ミスチルですか」
「慎志氏、人生に勝ちも負けもないよ」
「…そんなことないですよ。僕は優れた点もないし、専門的な知識も技能もない、つまらない人間です」
「ナンバー1になれなくてもいい~♪もともと特別なオンリーワン♪」
また先生が歌い出した。
「あ、知ってますよ、その歌。SMAPの世界に一つだけの花ですよね?」
「うん、ぼくのお気に入りの曲なんだ。慎志氏。この歌詞の言う通りだよ。他人と比べても仕方がない」
「いいかい?小峰氏。人生に優劣はないんだ。君の人生は君だけの特別な人生だよ。だから自分でそれを否定しちゃいけないよ」
先生のその言葉は僕の頭で反響し、余韻を残した。