【第31話】結婚挨拶
~主な登場人物~
【小峰慎志】(30)
物語の主人公。埼玉の所沢市にあるアパートに住んでいる男性。
人生の荒波に揉まれ色々あったが、現在は都内で建物管理を生業とする会社に勤務。
交際している月原千春に結婚のプロポーズをして成功した。
【月原千春】(27)
物語のヒロイン。埼玉の川越市にある豪邸で両親と暮らしている女性。
東京都内の大学で事務の仕事をしており、身長は若干小柄、性格は男勝りなところがある。
交際している小峰慎志に結婚のプロポーズをされて受け入れた。
【月原篤】(56)
千春のお父さん。気難しく頑固な性格で言動も厳しい。
表情は岩のように厳顔で、険しい目つきをしており、亭主関白。
娘の千春と交際している慎志に対して良い印象をもっておらず。
【月原万葉】(51)
千春のお母さん。清楚で淑やかで可憐。
物腰も柔らかく、上品な印象の振る舞いと見た目をしており、大和撫子。
娘の千春と交際している慎志に対して優しく、親しく接してくれる。
【小峰怜志】(68)
小峰慎志の父親。
長野県上田市在住。
【小峰彩代】(64)
小峰慎志の母親。
長野県上田市在住。
【細渕信彦】(37)
慎志が勤める会社マホロバ・ビルサービスの先輩社員。
設備部の巡回課の課長ポジションで、ひとり立ちした慎志とも仕事でよく関わる。
「娘はやらん!」
毅然とした態度で眉一つ動かさず、千春の父、篤さんは言い放った。
日曜の昼下がり。
僕はスーツを着て千春の家に来ていた。
居間の中心に置かれた机を挟んで、僕と千春は千春の両親と相対している。
千春の両親には事前に大事な話があると電話で伝え、この日時間を作ってもらった。
千春が先日、僕のプロポーズを受け入れてくれた。
だから今日は千春の両親に娘さんと結婚する旨を伝えに来たのだ。
僕らの結婚を承認してもらいたかったわけだが…。
初っ端から千春の父、篤さんに拒絶されてしまったのである。
「お父さん!なんでそんな事言うの?そんな”やらん”って、私はお父さんの物じゃないんだよ!」
隣に座る千春が物申しても、篤さんは厳顔な表情を崩さずに動じる様子はない。
篤さんの隣に座る千春の母、万葉さんは顔をしかめた。
「あなた何を言っているの?喜ばしいことじゃないの!娘が結婚するのよ!慎志さん、千春、おめでとう!」
万葉さんは満面の笑みだ。
心の底から僕らの結婚をお祝いしている。
そんな優しい笑顔だった。
「お母さんありがとう!」
「わたしはお前たちの結婚に反対だ」
しかし篤さんは僕らの結婚を承認する様子は微塵もない様子だった。
今まで何度か千春の家にお邪魔した時に、毎回お土産などを持参して親睦を図ろうとしたが、うまくいかなかった。
万葉さんとは親しくなったが、篤さんは変わらず僕と距離を取る。
この人は手ごわい。一筋縄ではいかないだろう。
「娘さんは僕のプロポーズを受け入れてくれました。どうか僕たちの結婚を認めてくれませんか?」
「お父さんが私たちの結婚を止める権利なんてないわ!私たちはもう大人なの!自分たちの事は自分たちで決めます!」
「そういう言い方はないだろう。もし千春がこの男と結婚したら我々は親族になる。つまりおまえたちだけの問題じゃない。それが分からなくて何が大人だ。自分たちが良ければそれでいいのか?」
「あなた!」
万葉さんは篤さんに険しい顔を向けた。
それでも篤さんは毅然とした態度を崩さない。
「結婚は勢いでするものじゃない。それともなんだ?ま、まさか!もうすでに!?」
篤さんは千春のお腹を鬼の形相で睨みつけた。
ちなみに昼に千春はマクドナルドでビッグマックを二個も平らげていた。
お腹が膨れるのも当然である。
「違います!」
僕は篤さんの言わんとしていることを察して、そうではないと否定した。
篤さんは鬼の形相を解き、少し安心したようだった。
別に授かり婚でも、何ら後ろめたくないと思うのだが。
「僕は勢いで千春さんと結婚しようとしているわけじゃありません」
「ならもっとよく考えてみなさい。生涯の伴侶として相応しい相手なのかどうか」
そのセリフは僕ではなく千春に向けられていた。
「昨今では3組に1組は離婚するという。当事者にしか分からない離婚に至る理由があったのだろう。しかし私から言わせてみれば、一生を誓い合ったのになんと無様な結果だなと思う」
うわ…言うなこの人。
篤さんは人ぞれぞれの諸事情を鑑みずに、本当に偏った言い方をする。
「如何なる理由があってもな。離婚するとは未熟だ。恥ずべきことだ。周りも振り回されて迷惑する。だからそうならぬよう相手を見定め、また自身の成熟が必要なのだ」
「僕は離婚する気なんて毛頭ありません!」
「当たり前だ。誰だって最初はそう言う。だが、結婚というのはそう生易しいものじゃない。わたしは君を信用していない」
篤さんの眼力が鋭くなる。
敵視と言っていい。
「あなた!」
「お前は黙っていなさい」
万葉さんが非難するが、篤さんは頑なに僕を拒み続ける。
「娘を幸せに出来るのか?」
「はい!幸せにします!」
「発言が軽いな」
「お父さんは考え方が古いの!何も私は一方的に幸せにされることなんて望んでない!慎志さんが私を幸せにして、私が慎志さんを幸せにするの!そうやって夫婦で生きていきます!」
「ふん、千春に庇ってもらいおって。不甲斐ない男だ」
すっぱり言う。
相変わらず鋭い眼光で僕を見てくる。
まるで怪物に睨まれているかのようだ。
僕をそんなに石にしたいのだろうか。
もはや何を言っても火に油を注いでるみたいに、篤さんの反発を招くだけかもしれない。
でも…ここで屈するわけにもいかない。
「千春さんが幸せかどうかは篤さんが決めることではありません。千春さん自身が決めることです」
僕も語気を強める。
この人には媚びてへつらってばかりじゃ駄目だ。
「ほぅ…君のような半人前が私に説法だと?」
「あなた…そんな言い方ないじゃないですか」
「お前は黙っていろと言っている」
沈黙。
重たい空気。
この人は崩せない。
「お父さん…大っきらい」
千春も父親に失望している様子だった。
万葉さんも肩を落としている。
僕は…どうすれば良いのだろうか。
目が泳ぎ、視線が宙を舞う。
やがて部屋の隅にあった将棋盤が視界に入った。
以前、一度だけこの将棋盤で篤さんと対局したことがある。
結果は完膚無きまでボコボコにされ、僕は完敗した。
「そうだ。将棋でわたしに勝てたら話を聞こうじゃないか」
篤さんは声を和らげ、妙案とばかりに僕に告げた。
絶対に僕が勝てない事を見越してそう言っているのがバレバレだった。
しかし、それ以外にこの人を崩せる術が思いつかない。
「お願い…します!」
僕は再び篤さんと将棋対局に挑んだ。
25手目、今回も早々に僕は敗北した。
「やはり君は中身のない人間だ。だから発言も軽い。それでは娘を任せられない」
うなだれる僕に篤さんは吐き捨てる。
「一丁前に結婚の報告など、実力もないくせに。私を負かせられるようになったら話を持ってきなさい。一生勝てないだろうがな」
そう言って篤さんは鼻で笑って立ち上がり、部屋を後にした。
「慎志…」
心配そうに僕を見つめる千春。
「申し訳ありません」
万葉さんが深々と頭を下げた。
「そんな、謝らないで下さい」
その後、居間に残った三人はどうしたら篤さんに結婚を承認してもらえるか作戦会議を開いた。
しかし得策は浮かばず。
将棋で倒さなければ、何を言ってもまともに話を聞いてくれないだろうという結論に至った。
しかし篤さんに勝つのは並大抵のことではない。
これは大変だぞ…。
ーーーーーーーーーー
会社のお昼休み。
「小峰君、休憩時間だよ?」
昼休憩に入っても机で本を読んでいた僕を不思議に思い、細渕さんが声をかけてきた。
「おっ?もしかして資格の本?早速、勉強をしてるの?感心感心」
「いえ、将棋の本なんですけど…」
「え…将棋?」
1日の隙間、空いた時間に将棋の本を読んで知識を詰め込む。
通勤時と退勤時の電車の中ではスマホで将棋アプリをひたすらプレイした。
ーーー
功を焦っていた僕は、次週の休みに月原家に行き、篤さんに再戦を挑んだ。
結果は完敗。
そうすぐに勝てるはずがない。
分かってはいても、早く篤さんに結婚を認められたいし、千春を安心させたかった。
「君はまったく成長していない。もう短い間隔で対局しに来ないで欲しい。将棋は数打てば当たるような類のものではない」
そう言われ、そっぽを向いて篤さんは部屋を出ていった。
「ねぇ、お父さんはもうほっとこうよ?」
千春は開き直って言う。
無論、親から同意を是が非でも得なければ結婚出来ないわけじゃない。
でも気持ちよく結婚したい。
親に祝福されずに結婚するのはとても寂しいことだ。
「それよりも早く慎志の実家に行って、ご両親に結婚の挨拶がしたいわ」
「そうだね」
月原家に結婚の旨を伝えて、僕の両親に伝えるのが遅くなっても具合が悪かった。
千春の父、篤さんからは結婚の承認は得られていないが、僕も早く父さんと母さんに千春を結婚相手として紹介したかった。
次の休日、千春を連れて僕の実家へ行った。
的場から高速バスに揺られて3時間程。
山々に囲まれた盆地、長野県上田市。
バスは上田駅に到着した。
「移動疲れたでしょ?帰りは新幹線で大宮から帰ろう」
「全然疲れてないわよ。ここが上田、良いところね」
「その言葉、親に言ってあげて。喜ぶと思うから」
駅の温泉口を出ると、両親の車が停まっていた。
迎えに来てくれたのだ。
僕らが車に近づくと、向こうも僕らに気付いて車から降りてきた。
「いらっしゃい」
「よく来てくれたね」
父と母から迎えられる。
「ただいま。彼女連れて来たよ」
「はじめまして月原千春です」
千春は少し緊張しているようだ。
しかし僕の両親はもっと緊張していた。
「は、初めまして、慎志の父の怜志でしゅ」
「し、慎志の母の、さ、彩代です」
自己紹介を交わすが、こんなしどろもどろな両親を見たのは初めてだった。
千春も笑っていた。
両親の車に乗り込み、実家へ向かう。
「可愛い、お、お嬢さんじゃないか」
「ま、まさか、慎志が女性を連れてくるなんてね」
父も母もテンションは高かった。
実家に到着した。
昼時ということもあり、母さんは大量の手料理を用意していた。
こんな量、食べきれるわけない、母さん気合入りすぎだろと思ったが、千春が大食いなのもあり、僕らは全て平らげた。
「お義母さん、料理全部とっても美味しかったです」
「あら~!嬉しいこと言ってくれるわね~!ありがとう!」
その食べっぷりを見て、父さんも母さんも一気に千春の事を気に入ったみたいだ。
食後、落ち着いてから僕は彼女と結婚する旨を伝えた。
「千春さんは僕のプロポーズを受け入れてくれたんだ」
「はい。それで今日はお義父さんとお義母さんに挨拶に来たんです」
「うちの子で良いのか?本当にうちの子で良いのか!?すまない!」
「千春ちゃん!他に良い男なんていくらでもいるでしょう?ごめんね!」
千春に頭を下げる父さんと母さん。
息子を何だと思っているのだ。
「いいか慎志、結婚は勢いだ。ためらったり、チャンスを逃せば一生出来ないぞ!千春ちゃんは絶対手放しちゃあかん!いけ!やれ!すぐに籍を入れなさい!」
父さんはそう言って僕の肩を叩いた。
父さんはニヤニヤが止まらない。
千春の父、篤さんと言ってることが真逆だった。
それから父さんと母さんは千春に質問責めした。
住まいや仕事、趣味や特技、好きな食べ物から苦手な食べ物まで…。
僕との馴れ初め、僕がいる前で結婚相手に僕を選んだ理由まで聞いていた。
終始、千春は興奮するうちの両親に圧倒され続けた。
あっという間に時間は過ぎ、帰り際。
「千春ちゃん、いつでもまた遊びにきてね」
「はい、今日はありがとうございました!」
「慎志、結婚式とかするの?両家の顔合わせとか」
「うん、考えてるけど」
「連絡してね。楽しみにしてるから!」
上田駅まで送ってもらい、両親と別れた。
「千春、大丈夫?気疲れしたでしょ?うちの親、張り切っちゃって」
「んーん、全然!良いお父さんとお母さんで良かった!」
うちの親は年々、丸くなってる気がする。
一緒に住んでいた頃は物腰がもう少し硬かった。
とにかく父さんと母さんは僕らの結婚を喜んで承認してくれた。
やはり両親から祝われると嬉しい。
さて、問題は千春の父、篤さんだ。
「あとは私のお父さんよね…」
悩みの種、千春も同じことを考えていた。




