【第3話】数多の分岐、選択の果て
~登場人物~
【小峰慎志】(こみねしんじ)
主人公の成人男性で独身。どの職場も仕事が長続きせず、転職を繰り返している。
仕事を辞めてまた次の仕事の内定を得たが…。
【山方哲也】(やまがたてつや)
慎志と同年齢の友人で、同じアパートに暮らす男性。独身。
埼玉を中心とする食品スーパーに勤務。毒舌だが、実は相手を気にかけていたりする。
就職活動をして間もなく、内定が出た。
業務内容は販売代理店の仕事。
地域の商業施設や公共施設の一角を借り、商品の宣伝や実演販売を行う。
定期的に担当する商材も入れ替わり、現場も変わるそうだ。
ネットサーフィンをしていて広告の出ていた転職人材サービスに、気軽な気持ちで登録して利用してみたところ、すんなり就職が決まった。
エージェントに今までの職歴をヒアリングされ、相談に乗ってもらった結果、期間が短いとはいえ、営業や接客の経験が活かせると太鼓判を押された。
いざ企業の面接に臨んでみるとすんなり内定が出た。
面接官は明るく親しみを感じさせる人で、魅力的だった。
キャリアステップの道のりを教えてくれた。
とんとん拍子で入社が決まったわけだが。
内定当初は期待に満ち溢れ高揚感があったものの、来月の入社日が近づくと次第に不安になり、内定ブルーになっていくのだった。
よせばいいのにネットで会社の評価や仕事内容を調べて悪い口コミを見てしまうのだ。
「僕は今度こそうまくやっていけるだろうか」
「知らんがな」
あっけらかんにテツはそう言った。
今日はテツが僕の部屋に遊びに来ている。
「とりあえずネガティブにならずに前向きに頑張れや」
「うん。僕はミスするといつまでも引きずるし、上司の態度や客の反応に怯えて気疲れして自滅してきた。それでも今まで培ってきたものを活かしたい。これまでの試行錯誤は無駄じゃなかったんだって…そう思いたい」
「そりゃ無駄じゃなかったさ」
「え?」
「お前は度重なる転職の失敗と引き換えに、重要な事に気付く事が出来た」
「重要な事とは?」
「お前は自分自身が無能だという自覚を持つことが出来た。それを予め覚悟してスタートラインにたてることは大きい」
「…」
「もう何かあっても、そういうものだと諦めて割り切るしかない」
「…相変わらずテツは厳しいな…」
「お前さ、学生時代は何のアルバイトしてたの?」
「倉庫で各店舗に配送する100円ショップ商品の仕分け作業をしてたよ」
「それはどのくらい続いた?」
「四年」
「じゃあまた倉庫の仕分け仕事すれば長続きするんじゃね?」
「そうかな…」
「ねぇテツは仕事辛くないの?」
「そりゃ仕事は面倒さ。宝くじが当たったら即行で辞める。でも適度なストレスは必要だと思うぜ」
テツの経歴は以前聞いた。
彼は学校を卒業して社会に出てから、新卒でパチンコ業界に就職した。
一年半年ほど店舗に勤務してから退職し、今の食品スーパーを生業とする会社に勤め続けている。
確か担当は精肉売り場って言ってた。
「どうして食品スーパーに就職しようと思ったの?」
「昼間のスーパーって落ち着いた雰囲気じゃん?店内に流れるBGMも穏やかでさ。騒々しいパチンコ店よりもまったり出来るかな~と思って」
「で、実際の仕事はどうだったの?」
「まぁ、入社前と入社後のギャップはあったが、概ね容認できる範囲かな。前職でそこは鍛えられた」
「今の仕事、気に入ってるんだ?」
「どうなんだろうな。だがこれでも今は店舗の精肉部門の主任なんだぜ。新米の時よりは責任が増えたが、居心地は良くなった。毎朝開店前は精肉加工と売り場つくりに追われて戦争状態だけどな。だが俺は何があっても遅番に引き継いで夕方には必ず帰る。部門の主任だから自分の裁量でそこは調整して仕事できる。パートのおばちゃんたちも使えるんだ。美人な人妻も多いし、ちょっかい出すのが楽しかったりする」
「そっか…良い職場を見つけたね」
「良い職場っつーか、俺が自分でやりやすい仕事環境を作った感じだな」
「苦手な上司とかパワハラとか無いの?」
「店長と鮮魚売り場の主任はうざいな。干渉度合いが半端ない。でもやっぱ入社当時の上司が一番厄介だったぜ。精肉を切るのが遅い汚いって何度も怒鳴られたな。俺が切った肉、形悪いからって全部ひき肉にまわされたなぁ。単価が下がるだろうがって、何度もキレられたさ。発注数を桁違いで間違えたり、かなりのロス作って、閉店間際に半額にして売りさばいてたな。…今考えると相当やらかしてたと思うぜ」
しみじみとテツは語り続ける。
「そういや、警察呼ばれたこともあった」
「警察!?」
「特売の価格変更が反映されてなくてレジ通した客からクレームが殺到したんだ。それを当時の主任が全部俺のせいにして怒鳴り散らしてきたんだ。俺は価格変更なんて教わってないっつーのに。加工場で豚ばら肉の塊を顔面に投げつけられてよ。さすがに“理不尽だろ!”って俺もキレたさ。そしたら主任が調理用の包丁を持って俺に突き付けて脅してきたんだ。だから俺もそばにあったスライサーの電源いれて、“てめぇの頭スライスして切り落としにしてやるからかかってこいよっ”って威嚇したんだ」
「…それ凄い修羅場だね」
「ああ、もうその場は一触即発だったな」
「パートのおばちゃんや騒ぎを聞きつけた他売場の従業員が駆けつけて来てさ、総出で喧嘩を止めようとしてきたよ。精肉の加工場って、売り場からも窓を通して中が見れるからさ、客も何事だって、集まり出してみんなこっち見てんの。もうお祭り状態。誰かが呼んだんだろうな、少ししてから警察もやって来て仲裁に入ってきたんだよ。その後、会社の本部員も駆けつけて事情聴取されたし、すぐに上司は異動になったぜ…今となっては笑い話だが…あの時は大変だったなぁ」
僕はテツの話を聞いて背筋が凍っていた。
彼のような胆力は僕にはない。
「でもさ、上司から理不尽な仕打ちを受けて嫌な気持ちになるのは分かるけど、よくそんなやりあえるね。僕には無理だな。もし上司に逆らったら、何かトラブルが起きて自分で解決できないとき、守ってくれないかもしれないし。無視されたりして分からない事も教えてくれなくなるんじゃないの?」
「お前はそこがズレてんだな。無視する奴なんて幼稚だよ。もう学生じゃねえんだから。それに問題が起きたら例え嫌いな部下の失態であっても全て上司が責任を取るんだよ。そこは堂々とこっちが迷惑かけりゃいい」
「はぁ…。だけどさ、仕事を辞める時に上司と仲良くしとけば穏便に円満退社できるじゃん?」
「慎志は辞めること考えながら仕事してるのか?その時点でお前は本気で仕事と向き合ってねーじゃん」
本気で…仕事と向き合う…?
「ま、いいさ。でも新人の頃に色々やらかしてた俺が、今では店舗の精肉部門責任者だからな。指示する立場で部下もいるけど、俺は思ってる事は遠慮なく言うから。もしかしたら俺がパワハラだって思われてるかもしれない。当の本人である俺がパワハラしてないと思っても、された側がどう思うかだもんな」
テツは友人として接しているから全然大丈夫だけど、彼が仕事の上司なら…少し怖いかも。
「ま、人それぞれ考え方も感じ方も違うんだ。人間関係ってのは終わりのない人間同士のぶつかり合いさ。慣れるしかない。ま、新しい職場でも頑張れよ」
テツが帰った後も、仕事に対しての意識で悶々としていた。
“ピコン!”
お、スマホにLINEメッセージが来た。
実家の母さんからだ。
“ブドウとリンゴ送ったから”
ありがたい。
久々に母さんと父さんに会いたいな。
来月の入社予定日まで時間があるから一度、実家に帰ろうかな。
実家の両親には僕がなかなか定職につけず職を転々としている事は話してない。
社会人になったら今まで育ててくれた分、両親に恩返ししようとか思ってたけど、結局まだ何もしてない。
思い出せるのは一度、こっちに遊びに来てくれた時にサイゼリアでご馳走したくらいだ。
実家…。
実家のある地方で就職先を探す選択肢もあったな…。
実家に住まわせてもらえば食費や家賃もかからない。毎月何万円かは家に入れなきゃいけないだろうけど経済的に余裕になるだろう。
そういう選択肢もあったかもしれない。
~大学4年生の頃の回想~
「慎志、ちょっと聞いてくれ」
「どうしたの父さん?」
「就職活動は始めたのか?」
「いや、これからだけど」
「そうか…」
そういって父が改まった。
僕は姿勢を正した。
「慎志が来年、大学を卒業すると同時期にお父さんは定年退職を迎える。嘱託として今の会社に留まることも考えたが、きっぱり会社を辞めて引っ越すことにした」
「へぇ~、そうなんだ。そういや老後は今のマンションから一軒家に引っ越したいって言ってたもんね。で、どこに引っ越すの?同じ埼玉県内?それとも関東圏内?」
「長野だ」
「ナガノ?なんで長野?」
「お父さんもお母さんも山が好きだからだ。ちなみにお父さんはもともとは静岡県民、お母さんは大阪府民で、長野県で出会って結婚したんだ」
「あぁ…そう…。でも山が好きなら今の埼玉でも秩父があるじゃん。何で長野の山が良いの?」
「日本アルプスの山々が好きなんだ」
「あぁ…そう…。で、長野のどこに引っ越すの?長野市?松本?上田?それとも軽井沢とか?」
「それはまだ検討中だ。それで、慎志はどうする?このマンションは売りに出す。来年この家は無くなると思ってくれ」
「そっか、引っ越しと一軒家買う費用の足しにするんだね」
「一緒に来るか?長野に皆で引っ越してから慎志は就職先を探してもいい」
「僕は残るよ。こっちで就職活動するし、長野にも縁がないから。埼玉の方が地理も詳しいし、住み慣れてるから。東京も近いしね。社会人になったら一人暮らしするよ。就職先によっては東京で賃貸探すかもしれないし」
「そうか…分かった。それじゃあ、しっかりな」
~~~~
人生には沢山の選択肢がある。
数え切れない程の選択肢を取捨選択して現状の生活にたどり着いた。
今の結果は全て自己責任だ。
正解も不正解もない…と思う。
あの時こうしていれば…別の選択をしていたら…。
もしかしたら今より良い人生が拓けていたかもしれない。
そんなもしもの話なんて、考えたって不毛でしかない。
現状に悔いても仕方がないのだ。
分かっている、分かっているつもりなのに…。
過去をやり直せたら…。そういう思いが頭から離れなかった。