【第28話】風雲!月原城!
~主な登場人物~
【小峰慎志】(29)
物語の主人公。埼玉の所沢市にあるアパートに住んでいる青年。
人生の荒波に揉まれ色々あったが、現在は都内で建物管理を生業とする会社で働いている。
ひょんなことから、同じラーメン好きの月原千春と交際する事になった。
【月原千春】(26)
埼玉の川越市にある豪邸で両親と暮らしている女性。
東京都内の大学で事務の仕事をして働いている。
髪は短く身長は若干小柄だが、性格は男勝りなところがある。
ラーメンが好きで、小峰慎志と一緒にラーメン屋巡りをしている内に交際に発展する。
【月原万葉】(50)
千春のお母さん。清楚で淑やかで可憐。
物腰も柔らかく、上品な印象の振る舞いと見た目をしており、大和撫子。
【月原篤】(55)
千春のお父さん。気難しく頑固な性格で言動も厳しい。
表情は岩のように厳顔で、険しい目つきをしており、亭主関白。
それは日曜の昼過ぎ、千春とデートで川越の蔵造りの街並みを散策している時だった。
「風情のある建物が情緒的で見てて楽しいね」
「そうかしら?私、近所に住んでて見慣れてるせいか、何も感じないのよね」
「川越って言ったら埼玉では知名度のある観光地じゃないか」
「でも地元民からしたら何の特別感もないし、正直、普通…」
千春の言いたいことも分かる。
観光地の近くに住んでいる人にとっては、日常生活で当たり前に目にしている風景なのだ。
だから特に何の感慨も湧かないと言われても理解できる。
「慎志の住んでいる所沢の観光地ってどこ?」
「え?所沢の観光地?」
急に振られても咄嗟に口から出てこなかった。
所沢…何があるかな。
「西武ドーム?西武園遊園地?」
うーむ。
長年、所沢に住んでいるけど何だかしっくりこない返答になってしまった。
「ところで、千春の家この辺なんだ?」
「うん、そうよ」
「千春の家って一軒家?マンション?」
「一軒家よ。実家。両親と住んでる」
「へぇ〜、千春がどんな家に住んでいるのか見てみたいなぁ〜」
「じゃあ寄ってく?」
「え?」
「こっちの道、ついてきて」
千春に招かれてついていく。
軽い気持ちで何気なく発言したつもりだったのだが。
まさか本当に千春の家を見に行くことになるとは。
千春の家は蔵造りの街並みから外れて、徒歩で十分ほどの場所にあった。
「ここが私の家」
案内された家、いや、敷地を見て僕は度肝を抜かれた。
僕が考えていた普通の一軒家ではなかった。
圧迫感のある年季の入った木造の塀に囲まれた立派な門構え。
この一画だけ明らかに存在感がずば抜けている。
門の先、敷地の中に目をやると緑園の庭が見え、その奥には御屋敷が見える。
僕は呆気にとられて立ち尽くしていた。
「…冗談だよね?」
「何が?」
「本当に千春の家?」
「そうよ。ほら突っ立ってないで中に入って」
先に進む千春。
僕は恐る恐る後に付いていった。
門をくぐるとそこには全てが盆栽のように洗練された中庭が広がっていた。
「京都の庭園みたい」
「何言ってんだか」
放心状態のまま庭園を通り、御屋敷の目の前までたどり着いた。
底面は石垣のような土台で、屋根は櫓のようだ。
僕は実家のすぐ近くにある上田城を連想した。
「古い家でしょ?」
「こりゃもうお城だよ。千春はこんな立派な所に住んでいたのか」
「何を大袈裟な」
僕の態度がオーバーリアクションだと言わんばかりに千春は肩をすくめた。
僕は身の丈を弁えないで、とんでもない女性と付き合っているのかもしれない。
身分が違いすぎる!
予想を遥かに超えた展開に、頭がパニックに陥っていた。
「あら、おかえりなさい」
庭園の脇から女性の声。
僕らは声のした方を振り返る。
そこには着物を羽織った若い女性の姿。
腰まで届きそうな流れるように艶やかな黒髪。
整った小顔と裾から出た手は雪のように白かった。
綺麗な人だな。
「お母さん、ただいま~」
「おっ?、おおっ?、お母さん!?」
声が裏返る。
僕はまたしても仰天してしまった。
信じられないほど若い見た目をしている。
一見だけでは千春と変わらないんじゃないかと思ってしまうほどに。
「この前、話したお付き合いしてる小峰慎志さん」
「彼氏さんね。こんにちは!千春の母の万葉です」
笑顔が眩しく、声も優しくて柔らかい。
「こんにちは…」
「千春から色々話は聞いてます。おてんば娘ですが、よろしくお願いします」
「い、いえ…」
「慎志どうしたの?ぼーっとして?」
「え?」
いかん!いかん!千春のお母さんに見とれていた。
「せっかくだから家上がっていけば?」
千春が僕を家の中へ招く。
僕はもうお腹いっぱいだった。
「そんな急に家にお邪魔したら迷惑でしょ?今日は千春の家を見れただけで十分だよ!お母さんの万葉さんにもお会いできたし大満足!」
「どうぞどうぞ!慎志さん、遠慮なさらずに上がってください。お茶入れますね」
そう言って千春の母、万葉さんは先に戸を開けて家の中に入っていった。
「そういうこと!早く中に入って」
「まだ心の準備出来てないんだけど」
「そんなものいらないわよ」
まるで旅館の入口のように広々とした玄関。
靴を何足置けるだろうか。
普段は脱いだ靴をそこまで気にしない僕だが、今回は向きや角度まで慎重になりながら靴を揃えた。
鶯張りの長い廊下を通って、案内されたのは客間だろう。
畳張りの和室。
床の畳を数えると…20畳もある!
僕の住むアパートの部屋が6畳だから3倍以上の広さ。
部屋の中央に光沢を放つ木製の大きなちゃぶ台があり、高価な絹を使っていそうな紫の座布団がある。
僕と千春はそこに座った。
「粗茶ですが…」
ニコニコしながら万葉さんがお茶を持ってきてくれた。
「あ、ありがとうございます」
僕の硬い表情を見て万葉さんはクスっと笑った。
「慎志、緊張しすぎよ。どうしたの?」
千春がそう言ってくるが、この家に対しても千春のお母さんに対しても、衝撃的過ぎて緊張しないわけにはいかなかった。
「千春、お母さん買い物に行ってくるから」
「はーい、いってらっしゃい」
「いってらっしゃいませ!」
「ふふ、それではどうぞごゆっくり」
万葉さんが客間から出ていく。
千春とふたりっきりになった。
「あのさ…千春の家ってかなりお金持ち?地主とか?地元じゃ有名だったり?」
「さぁ…そういうの分かんない」
香りの良い白い湯気のたったお茶を一口すする。
広々とした空間、開放的な部屋だが、逆に落ち着かない。
改めて室内を見渡す。
壁に飾られた掛け軸には墨筆で描かれた龍と虎の姿。
床前に置かれている台の上には棒状のものが…。
あれは…刀!?
もしかして月原家ってヤクザ系?
いや聞くのは失礼か。
でもどうしよう、もし千春が実は反社会的な家柄の女性だったら。
緊張が妄想を掻き立て、僕の心情は揺れていた。
「どうしたの?黙り込んじゃって」
「いや…その。高価そうな物が多いなって…」
今飲んでいるお茶の容器だって、漆黒の艶が如何にも雅な陶器だ。
僕の月収くらいするんじゃないだろうか。
「うちにある物が高価なのかは良くわかんないけどさ…。トンデモ鑑定団ってテレビ番組あるでしょ?」
「うん知ってる。一般の方が持ってきた品々を専門家が鑑定して、その価値を評価して見合った価格を出すバラエティ番組だよね」
「そうそう!それでさ、昔お父さんが出演したことがあって。大事にしてた壺を鑑定に出して価格を500万円って予想したの。でもさ、鑑定結果で5000円って言われちゃって!」
千春は必死に笑いを堪えていた。
「ぷっ!恥ずかしいよね!贋作だったんだって!ぷぷっ!」
しかし我慢できずに腹を抱えて笑い出した。
千春のお父さんにとっては残念なことだったが、千春にとって格好の笑い話のネタになってしまったようだ。
「あっはっはっは!!」
千春は爆笑しており、なかなか治まらない。
やがて僕も釣られて笑ってしまった。
「あははは!」
ガタン!
その時だった。
突然、勢いよく廊下側の襖が開いた。
「あ、お父さん」
噂をすればなんとやら。
千春のお父さんの登場だった。
和装をしているが、それが普段着なのだろうか。
表情は岩のように厳顔で、瞳に険しい眼光、目つきも鋭い。
眉間に寄せた深いシワが、不機嫌であることを物語っていた。
千春のお父さんをネタにして大笑いしていた僕らふたり。
聞かれてしまったかもしれない。
僕だけに尖った視線を向けている。
僕はすぐに姿勢を直し、正座した。
「お父さんに紹介するね!前々から話してた彼氏の小峰慎志さん」
「は、初めまして!小峰慎志です!」
「慎志にも紹介するね、私のお父さん、月原篤っていうの」
「…フン」
不機嫌そうな態度のまま、何も喋らずに千春のお父さんは千春の隣に腰を下ろした。
ちゃぶ台を隔てて、向かい合う形で対面する。
僕は背筋をこれでもかというほど伸ばした。
「千春が男を連れてくるとはな、それも何の連絡もなしに」
千春のお父さんは明らかに不満そうだった。
僕を見る目は敵視そのものだ。
「突然お邪魔してすみません」
「で、歳は?」
話しかけられた第一声がそれだった。
「29です」
「仕事は?」
「えっと、建物を維持管理する仕事をしています」
「社名は?」
社名?会社の名前なんて、普通初対面で聞くだろうか。
プライバシー的にどうかなと一瞬思ったが、何も隠す必要はない。
「株式会社マホロバビルサービスです」
「聞いたことのない会社だな」
そりゃそうだろう。日本に会社が何社あると思っているのか。
千春父の眉間のシワがさらに増えている。
まるで圧迫面接を受けているようだ。
「具体的な事業内容は?」
「従業員はどれくらいいる?」
「資本金は?総資産は?利益剰余金は?」
「取引先の会社は?」
「銀行からどれくらい借り入れしている?」
質問攻めのオンパレードだった。
「いえ、そういうのは良くわかりません」
「年齢的に言えば中堅か?」
「いえ…中途で入社したので、今の会社はまだそんなに」
「何社目だ?」
「えっと…10社目くらいです」
愚直に返答してしまったか。
千春父の目に鋭さが増す。
眼力が凄まじい。
辺りを包む空気が重い。
「何度も転職して、継続して働く根性がない。これだから今どきの若者は」
「ねぇちょっと、お父さん?」
千春が割って入ろうとするが、千春父は気にもとめない。
「そんなに転職を重ねているのであれば、今の会社もたいしたものではないのだろうな。本人の能力もさることながら、まともな会社に就職できなかったのだろう」
侮辱…。
この人は明らかに僕を馬鹿にしている。
千春父にとって、僕の第一印象は悪かったのだろうが、僕にとっても最悪だった。
「学歴は?」
「一応、大卒ですが」
「どこの大学だね?」
「高倉大学です」
「聞いたことのない大学だ。どうせ努力せずとも入れるような大学なのだろう」
「なんてこと言うのお父さん!」
構わず千春父は続ける。
「昨今の大学はどこも少子化で定員割れを起こしてるという。しかし実際の大学生数はそこまで低下していない。何故なら進学率は上がっているからだ。大学も存続の為に学生を確保する必要があり、受験難度を下げて入学の門戸を広げている。金さえ払えば努力せずとも大学に入れる時代だ」
正座していて足が痺れていたが、千春父への不快感が上回り、もう気にならない。
「大学の価値が下がっているな。偏差値の低い大学は潰れてしまえば良い。そんな大学へ行く人間は、どうせ遊んで無駄に4年間を過ごすのだ。社会に出てみれば、高卒の方がまだ素直で使える」
図星…思い当たる節もある。
でも千春父の発言の数々で僕は苛立ちを覚え、反発心が芽生えていた。
この人は、今まで出会ってきた人たちの中でもかなりの曲者だ。
「大学はどうせ文系だったのだろう?」
「はい、文系でした」
「4年間の学費はどうした?親が出したのか?」
「奨学金を借りて、足りない分はバイトしてました」
「その点だけはマシだな」
「私は全部お父さんに出してもらったよ!」
千春がカミングアウトする。
「うおっほん!」
千春父が大きく咳払いをした。
何事も無かったかのように問答は続く。
「奨学金の返済は終わったのか?」
「いえまだ」
「つまり君は”借金”をしている、ということだ」
「ええ…まぁ」
「蓄えはどれくらいある?」
聞くかそんなこと。
返答に窮していると千春父は鼻で笑った。
「どうせ貯金なんてたいした額ないのだろう」
確かに。貯金は…あんまりない。
「いいか?男は経済力だ。金を稼いで衣食住すべて女に不自由させてはならない」
千春父が持論を展開する。
「昨今では男女平等、女性の社会進出などよく言われているが、生物的な男女の役割を無視してから日本社会はおかしくなった。時代に合わせた男女の生き方の多様化を尊重した社会の動向だと詭弁を吐く者がいるが、見当違いも甚だしい」
「男は女よりも体力がある、だから外で働き金で女を守る。女は男より体力がない、だから内で働き家庭を守る。無論、例外も認めるが。いいか?基本的に男は経済力があってこそ一人前だ」
「あの、”金”が全てではないと思います」
僕は昭和的価値観を語る千春父に言い返した。
「じゃあ金に代わるものはなんだというのだ?」
「えっと…たとえば愛、とか?」
「愛だと?」
「愛?」
千春父だけではなく千春も含めて三人で顔を見合わせる。
妙な間、沈黙。
千春父は目を丸くして黙り込んでいる。
「わっはっはっはっはっは!」
そして盛大に笑い出した。
完全に馬鹿にされてしまった。
「経済力ありきで愛を語れるんだ。金があるからこそ心に余裕が生まれ、精神も安定する。愛を語る条件が整うわけだ」
千春父はもう険しい顔をしていなかった。
まるで子供に対して諭すように言う。
「金持ちこそ一番の社会貢献だ。それだけ納税しているんだからな。低所得者の分の税金も払って、この国を支えている。君も精進したまえ」
千春父はまだ少し笑っていた。
先ほど、僕が”愛”と答えたのが余程おかしかったらしい。
「ところで…君がどこに住んでいるのか、まだ聞いていなかったな」
「所沢です」
「所沢?」
再び千春父の顔が険しくなる。
「所沢は好きじゃない」
ええ?
「道路の交通事情が悪い。しょっちゅう渋滞が発生して、車を運転しているとストレスが溜まる。至る所で右折車待ちがあって後続の車が待たされる。そんな道ばかりだ。川越も酷いが所沢はもっと酷い」
そんな…知らんがな。
「お父さん!所沢市の交通事情なんて慎志のせいじゃないわよ」
千春が僕を庇ってくれる。
でも、もうこの人とは仲良くできる自信がない。
僕は俯いて千春父から目をそらす。
俯いた視線の先、部屋の隅に将棋盤があった。
これまた随分年季の入った見た目をしている。
「将棋は…指せるかね?」
僕が将棋盤を見ているのに気がついて千春父が聞いてきた。
「はい、駒の動きとかルールを知っている程度ですけど?」
「よろしい。一局指そうか」
盤に駒を並べて、準備を始める。
まさか千春父と将棋することになるとは。
「指し方で相手がどういう人間なのか、おのずと分かる」
「よろしくお願いします」
千春が固唾を呑んで見守る中、僕と千春父の対戦が始まった。
終局、相手の20手目で僕の詰み。
早々に負かされてしまった。
勝利した千春父はさも当たり前の結果として、項垂れる僕を見下した。
「君が中身のない人間であることは分かった」
そう言って立ち上がり、僕に見切りをつけるような態度で部屋を出ていった。
「慎志…」
心配そうに僕を見つめる千春。
終始、色々な意味で僕は完敗だった。
帰り、僕の見送りで本川越駅まで一緒についてきてくれる千春。
ふたりの足取りは重かった。
「ごめんね。お父さん、普段は優しいんだけど。今日は酷かった!」
「そんな謝らないでよ…。でも、これは大変だな…」
これから先、千春のお父さんとの交流を考えると、複雑な気持ちになった。
どうやったらあの人と仲良くなれるだろうか。
いくら考えても、なかなか良い案は出てこなかった。
これは本当に大変だぞ…。




