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【第25話】運命の出会いは女傑か鬼女か

小峰慎志(こみねしんじ)】(28)

物語の主人公。埼玉の所沢市にあるアパートに住んでいる青年。

就職したどの会社でも仕事が長続きせず、辞めては転職を繰り返す。

メンタルの弱さは自覚済みで、そんな自分を何とかしたいと日々悶々としている。

結婚を意識した女性に浮気され捨てられたり、海外放浪旅に出たり。

色々あったが、紆余曲折を経て新しい職場、株式会社マホロバ・ビルサービスに就職。

建物の維持管理を生業とする会社で、試行錯誤しながら日々働いている。


月原千春(つきはらちはる)】(25)

埼玉の川越市にある一軒家に両親と住んでいる女性。

電車で通勤し、東京都内で働いている。

髪は短く身長は若干小柄だが、性格は男勝りなところがある。


団野団子(だんのだんこ)】(25)

既婚者で東京の練馬区で旦那と娘と暮らしている。

電車で通勤し、東京都内で働いている。

月原千春とは学生時代からの友人で、性格は社交的。

挿絵(By みてみん)




仕事終わり、西武線下り電車に揺られながら家路を急ぐ。

帰宅ラッシュの時間は満員だ。

身動きが取れないくらい混雑した車内で、失敗したなとしみじみ思った。

早く帰りたい気持ちで乗車してしまったが、電車を数本遅らせて混雑を避けて帰れば良かった。

行きも満員電車、帰りも満員電車で移動も疲れる。

好んで拷問を受けているようなものだ。

通勤は”痛勤”だと誰かが上手いことを言った。

まさにその通りだと思った。


みんなよく耐えられるよな。

冷静に考えれば異常な光景である。

何でこんなギュウギュウ詰めにされて仕事の行き帰りをしているんだろう。

人が都心に集まり、仕事も都心に集中しているせいだ。

こんな状況で急に腹痛に襲われて、下痢にでもなったらどうするのか。

想像するだけで戦々恐々としてしまう。

もしそうなったら電車が次の駅に停まるまで逃げ場はない。

停車した駅で下車してトイレに駆け込んだとしても、だいたいにおいて個室は埋まっていたり、清掃が追いつかず汚された便器で用を足すことになる。


それにしても眠い。

一週間が長い。

はやく休みになって欲しい。

まだ業務に慣れず毎日ヘトヘトだ。

新しく教わる事も覚えることも多く、一向にその量は減らない。

初めての業者とのやり取りも重なり、ここ最近は気疲れも多かったと思う。

日中はエナジードリンクやコーヒーを飲んで凌いでいたけれど、カフェインの加護もここまでのようだ。

猛烈な睡魔に襲われる。

ウトウトしてしまい、意識が浮上しては沈み、浮上しては沈むを繰り返す。

力が抜ける。

吊革を持つ手がすっぽ抜けた。

そしてそのタイミングで電車が一際大きく揺れた。

眠気で意識が飛び吊革を離してしまった僕は、咄嗟に自分を支える為に、無意識のうちに手で何かを掴もうとしたのかもしれない。


「キャッ!」


女性の驚いた声。

僕の降ろした手が、後ろに立つ女性に当たってしまったようだ。


「この人、痴漢です!」

「え?」


女性が振り返り僕を睨みつけ、あろうことか痴漢呼ばわりしてきた。

女性は肩まで届かないショートヘアーで若干小柄、スーツ姿で僕と同じ仕事帰りなのだろう。

表情を見るに僕よりも若い20代前半といった容姿であったが、その視線はまるで弾丸のように鋭い。

僕は身体に風穴を開けられたような気分になった。

辺りが騒然とする。

眠気なんて一瞬で吹き飛んでいた。

多方面から僕に向けられる非難の目。

対して女性には同情の目が向けられている。

僕も振り返って女性に面と向かい、誤解を解こうとした。


「ちょっと待ってください、僕は痴漢じゃありませんよ」


僕は大袈裟に構える女性を宥めるつもりで、冗談でも諭すような半笑いで弁解した。

でもそれがふざけていると受け止められてしまったのだろう。

悪手となって、逆に相手の反感を買ってしまったようだ。


「言い訳しないで下さい!私のお尻を触りました!」


声を荒げる女性にいよいよ収集がつかなくなる。

誤解なのに、おおごとになってはまずい。

危機感に煽られ、僕も語気を強める。


「違いますって!ちょっと眠気でウトウトしてしまって、吊り革から手を離してしまった拍子に、たまたま手があなたに当たってしまっただけです」

「嘘つかないでください。あなたに痴漢されました」

「だから誤解ですって!」


「見苦しいですよ、次の駅で降りましょう」


隣に立っていた男がよく通る低い声でそう言い、僕の手首を掴む。

男の如何にも正義感に満ちた表情に反吐が出る。

痴漢の濡れ衣を着せられ、無実なのにこのままじゃ吊るし上げられそうだ。

痴漢と勘違いされて捕まってしまったらどうなるのだろうか。

会社から謹慎処分?最悪の場合、懲戒解雇だってありえるかも。


…じゃあ逃げるか?

次の駅に停車して扉が開いた瞬間、男の手を強引に解いて一目散に外へ走り出すか?


…。

落ち着け。

逃げたらまるで痴漢を認めたようじゃないか。

それに逃げ切れなかった場合、ますます自分の立場が危うくなる。

僕は痴漢をやっていないのだから堂々としていればいいのだ。



次の停車駅で電車を降りて、僕は改札窓口まで連行された。

僕の手を掴んでいた男は駅員に引き継ぎをして、まるで自らの善行を誇るような笑みを女性に向けて去っていった。

あいつ…腹が煮えくりかえるくらい苛立たせてくれる。

駅員に事情を話す女性。


「この人、痴漢です。お尻触られました」

「だから誤解ですって!」


僕もいよいよ余裕が無くなって声が大きくなる。

僕は必死で誤解を解こうとした。

しかし僕の弁明も虚しく、駅員は女性を信じるようだ。

もう僕は痴漢で間違いないという雰囲気が形成されている。


「警察を呼びます」


駅員がそう言い、ますます取り返しのつかない状況になってきた。

僕は無実なのにどうしてこんなことに。


「あの~ちょっと…」


僕ら一行に声を掛ける新たな女性が現れた。


「やっほー千春(ちはる)

団子(だんこ)じゃない?どうしてここに?」


今度はなんだ?

僕を痴漢と決めつける女性と親し気に話している。


「仕事帰りでしょ?私も千春と同じ電車の車両に乗ってたのよ」

「そうだったんだ、声かけてくれればよかったのに」

「声をかけようと思ったんだけど、ちょっと騒ぎになってたから声かけづらくてさ」

「そう!そうなの!私、痴漢にあって。この男!もう最悪よ!」


会話から察するに痴漢と言い張る女性は”ちはる”といい、後に現れた女性は”だんこ”と言うらしい。

二人は友人同士のようだ。

まずいな、加勢されて二人がかりで痴漢呼ばわりされたらもっと厄介だ。


「あのさ…この男性、千春に痴漢したわけじゃないと思うよ」


おお?予想外の発言。

風向きが変わった。

僕の萎んでいた心に光明がさす。


「え?何言ってんのよ、私この男にお尻触られたから!」

「そばでわたし見てたけど、その人、眠くてウトウトしててさ。それでたまたま吊り革から手が離れて、その勢いで千春に当たっちゃっただけだよ」


僕の言いたい事を代弁してくれている。

救いの証言だった。

ああ…ありがとう!


「だからさ、その人許してあげなよ」

「ええ…そんな…」


駅員も含めてしばらくみんなが黙っていた。


「何でもっと早く言ってくれなかったの?」

「いや、ちょっと事の成り行きが面白かったから。ついつい、陰で見てたの」


舌を出して悪戯な表情で笑っている。

面白かったって…おいおい。

しかしこの団子という女性に助けられた。


「でもさすがにこの男の人が可哀想になってきたから。すぐに仲裁に入らなくてごめんね」

「…じゃあ私の被害妄想だったってこと?」

「そこまでは言わないけど、でもちょっと千春、やりすぎかもね」


千春という女性は震えていた。

自らの勘違いを恥じているのだろうか。


「あの、どうしますか?」

駅員が困った表情で聞いてくる。


「私の勘違いだったようです。すみませんでした」

駅員に促され、詫びを入れる”ちはる”という女性。

晴れて僕は解放された。

何はともあれ前科を作るようなことにならず、心底、僕は安堵していた。



その後、僕と女性ふたりの3人で下り電車に乗り直した。

3人並んで電車に揺られる。

まるでコントか何かのようだ。

今度は汗ばむくらいしっかり吊革を握った。

女性ふたりは時々、一言二言会話を交わしている。

電車が隣駅に停車した。


「じゃ、私はここで。ばいばい」


僕を救ってくれた”だんこ”という女性は一足早く電車を降りた。

その後、電車は再出発し、僕は痴漢呼ばわりしてきた”ちはる”という女性と無言で並んで電車に揺られる。

気まずかった。

はやく所沢駅に着いてくれ。



電車が所沢駅に到着した。

無言でそそくさと降りる。

すると女性も降りてきた。

え?まさかこの女性も自宅の最寄り駅が所沢なのか?

口も聞きたくない相手だったが、尋ねてみた。


「あなたも所沢なんですか?」

「いいえ、私は川越」

「じゃあ乗り換えか」

「いつもは東武東上線なの。今日はたまたま西武線で帰ってきたけど、最悪だった」


何をいうか。最悪だったのはこっちの方だ。

何はともあれ、これで女性とおさらば出来る。

早く家に帰って熱いシャワーを浴びたい。


「悪かったわね」

謝罪の言葉を投げかけられる。

「まったく、ひどい濡れ衣を着せられたよ」

「どうしたら許してくれるの?」

「許すも何も、もう終わったことだからいいよ」


女性が自分の非を認めた。だからもういいのだ。

僕が踵を返して帰ろうとすると…


「何か飲み物でもご馳走するわよ」

「え?別にいいって」

「でないと私の気が収まらないの!」

「はぁ…」


ため息が出る。

正直、何か奢られるより早く帰りたかった。

しかし、まあいいか。

相手の意を汲んで付き合ってあげることにした。

改札を出て最寄りの喫茶店へ向かう。


「所沢駅ってだいぶ変わったわね」

「ん?そうだね再開発が進んでるみたい」


喫茶店へ入る。

時刻は20時。

店内は2割ほどしか客がいない。

ノートパソコンで作業してる人。

テレワークだろうか。良いなぁ。

分厚い本を開いてノートに何やら書き込んでいる人もいる。

試験勉強だろうか。偉いな。


「先に席に座って待ってて。私、注文してくるから」

「あ、うん」

「飲み物は何にする?」

「じゃあホットコーヒーで…」


窓際の席で温かいコーヒーを一口すする。

疲労が溶けていくようだ。落ち着く。

向かいの席に座る彼女はキャラメルフラペチーノを頼んだ。

まるでやけ酒でも煽るように彼女はがぶ飲みしていた。

まるで居酒屋で一杯目のビールを飲むかのように。

僕は開いた口が塞がらなかった。


「私、以前満員電車で痴漢にあった事があって、お尻触られたの。その時は怖くて何も出来なくて悔しくて。次同じ目にあったら絶対に相手を許さないって、それでムキになってたのかも」


そうだったのか。

同情…なんてする気は微塵もなかった。

よくもあそこまで大騒ぎしてくれたものだ。


「あなたの友人のあの女性が無罪を証明してくれて本当に良かった」

「ごめんなさい」

「ま、勘違いは誰にでもあるよ」

「…」


ちょっと嫌味ったらしかったかな。

彼女は何か言いたげだ。

言い返したい、その気持ちが表情からにじみ出ている。

イライラしているのは一目瞭然だった。

でもそれは今回の一件のせいではない、なんかこう根本的な日々の生活に不満が募っているような。

端的に言うならば心に余裕がない、そんな具合に見受けられた。

女性のぶっきらぼうな態度に不快感は感じない。

心に余裕がないのは僕も同じなのだ。


「はぁ…どっか遠い所へ行きたいな」


ぽつりと女性が愚痴を漏らす。

お互い窓の外を向いて、通りを行き来する人たちを眺めていた。

旅行者だろうか、大きなキャリーバッグを引きずる人が見えた。


「例えばそうね…海外とか良くない?何もかも手放して、この窮屈で息苦しい日本を離れて広い世界に旅に出るの。素敵な経験が待っているんだろうな~。人生観もきっと変わるんだろうな~」

「…」

「あなたもそうは思わない?」

「…このまえ行ってきたけど」

「え、本当?なによ…ちょっと詳しく聞かせなさいよ」

「いいけど…」


女性から海外を放浪旅した時の事について聞かれる。

特に隠す必要もないので端的に僕は語った。


「いいなぁ、私って韓国と台湾しか行ったことないのよ。色々な国を旅して滞在したりして、人生感変わった?一生の思い出?」

「うん、まぁ…。でもね、もう旅で味わった感動は薄れてしまったよ」

「え?」

「旅って見返りを求めるものだと思う。旅に出る前の僕は精神的に参っていたんだ。だからしばらく海外へ旅に出ようってなった時、僕自身を救ってくれるような人生観や価値観の変化、忘れられない感動を期待していたんだと思う」


コーヒーを飲み干して僕は続けた。


「そりゃ普段味わえない非日常の世界は面白かったし、良い思い出にもなった。でも結局海外で味わった感動や新鮮な気持ちも一時の事に過ぎないんだ。世界を旅して自分が大きくなった気でいても、それは錯覚でさ。日本に戻って慌ただしい日々を過ごしていくうちにもとに戻るんだ」

「…」

「だから”自分を変えてくれる何か”っていうのを過度に期待しない方がいいよ」


”期待はしない方がいい、期待通りにいかなかった時に傷つくから”

どっかでこのやりとりしたな。


「なにそれ?じゃあ、あなたは海外旅行を否定してるの?後悔してるの?」

「いいや、そんなことないけど…。行ってみると良い。なるべく長期でさ。そしたら相対的に日本の良さにも気づけると思う」

「…夢見てる女だって見下してるでしょ?」

「そんなことないよ」


「お客様、そろそろ閉店の時間です」

店員から声をかけられる。

長い時間、話し込んでしまったようだ。


「それじゃあご馳走様」

「ええ、これでお詫びチャラね」

女性はレシートを確認した。

僕らは立ち上がった。


レジで飲み物の清算をする女性。

しかしもたついている。


「どうしたの?」

「…ない」

「なにが?」

「ごめんなさい!お金足りなかった」


こういうオチか。


「じゃあ良いよ、僕が出す」


そういえばこの店の割引券を財布に取っておいたな。

「ちょっと待ってください。割引券があるので」

レジの店員にそう言い、財布に仕舞っていたクーポン券を取り出す。


「うっわ、今どき紙の割引券とか…だっさ」


女性は僕に遠慮なく声を大にしてそう言った。


「奢ってもらっといてよく言うよな」

「ごめんなさい。思ってることがつい口から出ちゃった。でも貧乏くさいんだもん」

「僕は君にカッコよく見られる為に生きてるわけじゃない。君にどう思われるかなんて、いちいち気にしてられるほど暇じゃないんだ」

この一言で女性はムッとしたようだ。


駅の改札で別れる。


「川越って言ってたね。それじゃあさようなら」

「待ちなさい」

「なに?」

「奢られたと思ってないから!必ず返す!あなたみたいな人に恩を着せられるのは癪だわ。だからライン交換!」

「はぁ…」


ため息が出る。

もう好きにしてくれ。

女性のペースにもってかれる。

僕らはスマホでライン交換した。


「小峰慎志っていうのね。27~8歳くらいとみた」

「28だよ」

「3歳年上か…」


不満そうに言う。

LINEを交換すると相手のプロフィールには月原千春(つきはらちはる)と表記されていた。

苗字は月原というのか、珍しい苗字だな。


「この借りは必ず返すから!」


そう言って西武新宿線のホームへ降りていった。

恩を返す、じゃないのか。


「はぁ~」

何度目かのため息。

疲れがどっと押し寄せる。

帰るか…。

晩御飯何にしようかな…。

この時間帯はスーパーの惣菜弁当に半額シールが貼られている頃だ。

焼肉弁当、パック寿司、まだ残ってるといいな。

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