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【第24話】おいでませ!サラリーマンライフ再び

小峰慎志(こみねしんじ)】(28)

物語の主人公。埼玉の所沢市にあるアパートに住んでいる青年。

就職したどの会社でも仕事が長続きせず、辞めては転職を繰り返す。

メンタルの弱さは自覚済みで、そんな自分を何とかしたいと日々悶々としている。

結婚を意識した女性に浮気され捨てられたり、海外放浪旅に出たり。

色々あったが、紆余曲折を経て新しい職場、株式会社マホロバ・ビルサービスに就職。

建物の維持管理を生業とする会社で、新たなサラリーマン生活をスタートさせる。


細渕信彦(ほそぶちのぶひこ)】(35)

慎志が勤める会社マホロバ・ビルサービスの先輩社員。

設備部の巡回課の課長ポジションで、慎志の教育担当となり仕事を教える。

性格は穏やかで優しい。


安田源造(やすだげんぞう)】(42)

慎志が勤める会社マホロバ・ビルサービスの先輩社員。

設備部の営繕課の課長ポジションで、何かと慎志に絡んでくる。

性格は短気で厳しく、職人気質で気難しい。

挿絵(By みてみん)



出社初日。

面接で一度訪れたことのある東京都内の雑居ビル。

数ある入居テナントのひとフロアが、僕の会社の事務所だ。

”株式会社マホロバ・ビルサービス”

この日の朝礼が僕の入社式となった。


「小峰慎志です!今日からよろしくお願いします」


社員みんなの前で挨拶する。

この会社で新しいサラリーマン生活が始まるのだ。

緊張と不安がある反面、これからの日常に気分が高揚する。


「はい宜しく。これから頑張ってよ。みんなも仲良くしてね」

部長から労いの言葉をかけられる。

「しばらくの間は細渕くんに教育担当についてもらうから。じゃあ今日の朝礼はここまで」

朝礼が終わり、各々散っていく。


一人の男性が僕の前にやってきた。

「当面の間、小峰君の教育係として指導役を担当することになった細渕信彦(ほそぶちのぶひこ)です。よろしくね」

「はい!よろしくお願いします!」

「お、いい返事だね。そのフレッシュさがいつまでもつかな」


細渕さんは背が高く、すらっとした体型でスーツを着こなし、爽やかな印象を受ける。

顔は芸能人に例えるなら、速〇もこみちに似ているかもしれない。


「基本的にはOJT方式で、僕に付き添ってもらって業務を覚えてもらうから。まずは簡単に会社の事業について大まかに教えるね」


細渕さんから会社のことや仕事について簡単に説明を受ける。

株式会社マホロバ・ビルディングサービス東京支社。

本社は大阪にあり、名古屋にも支社がある。

平成の終わり頃に東京支社が誕生した。

なのでこの事務所もまだ十年いかないくらいだ。

事業内容は大まかに言うと建物の維持管理。

東京支社では施工部、設備部、保安部、清掃部の部門に分かれている。

僕が配属されたのは設備部の巡回課だ。


「建物は老朽化する。設備も古くなり、日々のメンテナンスが必要不可欠だ。場合によっては点検修理だけではなく、交換が必要になる場合もある。建物の機能を維持するために我々は点検をして整備したり、設備の更新を建物のオーナーに提案したりする。人が定期的に健康診断を受けるように、建物も定期的な健康診断が必要なんだ。それを管理するのがうちの仕事」


さしずめビル管理は建物の医者、といったところだろうか。

ちょっとその例えは大袈裟かな。


「一定規模以上の建物は法律で定められた設備点検を定期的に実施する義務があり、そのスケジュールを組んだり、業者の点検に立ち会ったりする。

規模が大きくなって改修が必要になると施工部に任せたりして、他の部署と連携して仕事を進める。うちが管理してる建物で比較的大きい現場には常駐課の係員が滞在しているんだけど、小峰君には常駐課の人間が配置されていない比較的小さい建物を複数巡回して管理をしてもらうことになるから」

「はい!分かりました」

「そんなに身構えなくていいよ。いきなり現場の建物に行っても戸惑うと思うし、まだ何もイメージが湧かないと思うから。午前はビルの設備についてざっくり座学で勉強しよう」

「はい、お願いします!」


午前中は建物の主な設備について学んだ。

照明設備に建築設備、空調設備や吸排気設備、給排水設備、消防設備など。

法的に定められた点検についても概要とその趣旨を教わった。

持ってきたノートに書き記していく。

端的に教わったが、一つ一つの内容は奥深く、自主的な勉強も求められると言われた。

又、建物管理を通して、そこで仕事や生活をする人々が快適に過ごせるよう、環境作りを整えるのが大切だという心構えを学んだ。


昼休憩後。

「午後からは外回りでメーター検針する予定があるから、一緒についてきて」

「分かりました」

「まずはそばで業務を見ているだけでいいよ。ついでにビルのオーナーにも小峰君の事、紹介して回りたいからそのつもりで」

「はい!」

「いずれは小峰君が管理を引き継ぐ建物を回るからよろしくね。最初に何でもかんでも説明すると頭がパンクすると思うから、点検する過程でその都度、業務について教えていくから」

「よろしくお願いします」

「大丈夫さ、いっぱい吸収して早く独り立ちしてね」


ドタドタ!!

細渕さんと出かける用意をしていると事務所の入口の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

やがて体格の良い40代くらいの厳つい男が姿を現した。

小麦色の肌は日焼けだろうか。

髪は刈り上げで、顔の彫りが深く、おでこのシワは淵のようだった。

芸能人に例えるなら反町○史に似ているかもしれない。

それよりも目を引いたのは男の服装である。

祭りで見かける法被のような服を着ているのだ。

ザ・職人!って感じの風貌である。

事務所の誰よりも存在感を放っていた。


「こいつは?」

男からギロリとした目つきで睨まれる。

ヘビに睨まれた蛙の気分になった。


「うちの巡回課に配属された新入社員の小峰君」

「は、はじめまして小峰慎志です。宜しくお願いします」


男の鋭い目つきに臆してしまったが、すかさず自己紹介する。

この厳つい態度の男も社員なのだろう。

男は僕を睨みつけたまま、その刺すような視線を解かない。

僕は思わず後退りしてしまった。


「あ、えーと、小峰君にも紹介するね。この人は安田源造(やすだげんぞう)さん。設備部の営繕課の人だよ。みんなからはゲンさんって呼ばれていて、凄く頼りがいのある人だよ」


すごい怖い人なんだけど、この人とも今後は関わっていかなくちゃいけないのか。


「こいつ借りて良いか?田端ビルの空調フィルター清掃で欠員が出たんだ。テナントの都合で今日の夕方までに終わらせなきゃいけねぇ。俺一人じゃ終わらない」

「でも彼は今日が初出勤でまだ何もわからないですよ」

「構わねぇ。オレが取り外したフィルターを洗ってるだけで良い」


「あ、あの…空調機って専門機械ですか?それにフィルター清掃って清掃部の仕事じゃないんですか?」

遠慮気味に細渕さんに聞いてみる。

「空調機はね、分かりやすく言うとエアコンだよ。現場によって種類は色々あるけどね。フィルターは汚れるから定期的に清掃するんだけど、営繕課がやってるんだ」


「おい、お前、作業着に着替えろ」

ドスの効いた声で安田さんに指示される。

「持ってませんけど…」

「ぁあ!?」

いちいち怖いな、この人。


「まだ小峰君に支給してないんだ。これから用意します。ねぇ小峰君、急務みたいだから予定を変更して、午後は安田さんについて行ってもらっていい?」

マジか…しかし断るわけにもいかない。

「分かりました…」

「順番が狂っちゃったけど、それじゃあ作業着はМサイズでいいかな?今日の小峰君の予定変更は部長にも話しておくね」

「はい…」


「おい、もたもたすんなよ」

安田さんはそそくさと先にオフィスから出ていく。

嵐のような人だ。

この人がこの仕事のパワハラ枠なんだろうな。

「心配そうな顔してるね?大丈夫!安田さんってあんな感じだけど性根は優しい人だから」

「はぁ…」


課が違うので安田さんとは少しばかりの付き合いで済むと思っていたが…。

それからしばらくの間、安田さんとふたりっきりで都内の複数ビルの空調機フィルターを清掃して回ることになった。



「おい、イギリスくれ」

イギリス?

いきなり国取りか?

安田さんなりの冗談なんだろうか。とりあえず乗っとくか。


「イギリス良いですよね。国旗が漢字の米みたいで親近感湧きますよね」

「お前は馬鹿か!この工具だよ!ったく使えねえな」


僕が持っていた作業ケースからレンチを奪い取った。

レンチって、イギリスって呼ぶのか。

知らんがな…初見殺しかな。


「おい、プライヤーくれ」

プレイヤー?何かゲームでもプレイするのか?


「スマートフォンのゲームアプリですか?」

「馬鹿かお前!喧嘩売ってるのか!?」


至近距離から怒声を浴びせられる。

めっちゃつばが飛んだ。



安田さんは絵に描いたような職人気質で、短気な人だった。

でも今まで出会ってきた苦手な人とは少し違う。

ネチネチ系よりはドカン系寄りだけど。

何だろう、後に残らないドカンだ。

それでも一緒に作業するのは疲れた。

ビル間の移動時間は互い無口。

まだ付き合いが浅いので取っ付き難いのは仕方ないと言えばそれまでなのだが。

沈黙に耐えられなくなり、何か話題を振ったり、安田さんの事や仕事の事で色々と質問したが、全て素っ気ない返事だった。

もしかしたら無言が気まずいと思っているのは僕だけかもしれないと思って、もう何も言わなかった。

安田さんの目を気にしたり、気遣おうという気持ちを潜めることにした。

かつての仕事で営業の時は、神経質なくらい気を張り巡らせて、あらゆることに気付いて相手に気遣いする事が求められた。

でもそれで自分が生き辛くなったら、きっと空回りなんだろう。

営業や販売で身に付けた気遣いが悪い方向に作用している。

もうやめよう。

当面の間は安田さんに何か言われたら従順に応対すればいい。

余計なマネはせずに、追々少しずつ相手が何を求めているか見極めよう。




2週間が経過し、ビルの空調機フィルター清掃が終わり、ようやく安田さんから解放された。

本来の新人教育に移り、細渕さんに同行して自分が担当することになるビルを見て回る。

施設の定期点検、点検表の記入の仕方、時には業者の立会。

設備は覚えることが多かった。

今まで意識してなかったけれど、ビルは色々な設備が複合して成り立っていた。

更に同じ分野の設備でも建物によって仕組みがまったく違う。

ひとつひとつ詳しく内容を掘り下げると理解するのは時間がかかりそうだ。

細渕さんはまだ僕のことを半分客のように扱ってくれた。

それも経験上、3か月間の試用期間が過ぎるまでなんだろうな。


「必要な点検や書類、それを漏らさないように日々の設備維持に務めるんだ。それからトラブルが起こった時の一次対応も覚えていこう」

「分かりました」



「それじゃあ定時だね。お疲れ様」

定時で帰れる。

それは当たり前と言えば当たり前なのだろうが、嬉しい。

「じゃあ僕は用があるから」

そういって細渕さんは先にオフィスを出ていった。

さて、帰ろうかな。


「おい」

背後に気配…いや、殺気。

振り返ると安田さんがいた。


「空調フィルターの配置をメモした図面だ。どこに何があるか記してパソコンで資料を作れ。一緒にやっただろう?記憶に残っているうちにやれ」

「は…はい…」

「こういう資料を作ってビルの設備を覚えていくんだ。明日、確認するからな」

「この量を明日まで!?」

「電話は出なくて良い。だからさっさと終わらせて帰れ」

こんな感じでタスクを授かり、今後も定時で帰れなくなっていった。

でもまあそんなもんだ。

いちいち難癖をつける気は毛頭ない。

こんなもんさ。



仕事を終えてアパートに帰ってから、先生と晩飯のタイミングが合えば、どちらかの部屋に集まり一緒に食事した。

一日の終わりに誰かと雑談できるのは良い仕事のガス抜きになった。


「どうだい?新しい仕事は?」

「何とか食らいつこうと思います」

「最初は不慣れな環境で覚える事がいっぱいあるから大変だろうけど、そこを乗り越えたら少しずつ楽になると思うよ」

「早く楽になりたいです」

「山方氏も小峰氏みたいに新しい環境で頑張っているだろうね」

「テツか~、元気にしてるかなあ」

テツも熊谷という新天地で新しい店舗の精肉部門責任者として働いている。

LINEでメッセージを送り、近況を聞いてみた。

「めんどくせえ」と素っ気ない返事がきた。



休日は仕事の事を一切考えないよう努めた。

今まで休日も仕事の事を考えてよくソワソワしていた。

それじゃ身も心も休まらない。

オフは仕事の事を考えるなと自分に暗示をかけ、休む意識を徹底した。

気分転換に部屋の掃除でもするかな。


「これは要らないな」

使っていない物を断捨離する。

余分な食器や容器、商品が入っていた段ボール箱、ゲームセンターで取った景品など。

「これも、もう捨ててしまおう」

服もだいぶ捨てた。

学生時代から着ているシャツやズボン。

部活で使っていたジャージなんかもパジャマ代わりで使っていたのだが、全て捨て、必要なものだけ買い替えることにした。

まだ着られるものばかりだったが、区切りをつけたかった。




会社から初めての給料明細を貰う。

記載されている銀行への給料振込額。

通勤手当を入れても手取り20万円には及ばなかった。


「給料明細見せてみろよ」


安田さんから給料明細を取り上げられた。

この人はなんて無神経な人なんだろう。


「こんなもんか、まあ新人だから当たり前か」

「ええ、でも生活に困らない額です」

「単純に給料上げたいなら施工部に転属希望を出すことだな。あそこは部署で一番給料が高くなる。常に人手不足でやる事はハードだがな」


施工管理、ネットで情報収集したことがあるが、僕のメンタルで勤まる自信がない。


「なんならオレから人事に言ってやろうか?」


施工管理は複数の業者、職人をまとめる必要がある。

安田さんが大勢いるようなものだ。それでは死んでしまう。


「いえ、大丈夫です!」

「…もっと稼ぎたいなら俺に言え。残業振ってやるから」

「分かりました」


給料よりも、自分が続けられる仕事。

キツくて高給な仕事よりも、メンタル的に働き続けることのできる環境。

それが僕の望みだ。




「え?埼玉に住んでて車持ってないんですか?不便じゃないですか?」

事務の女性と話をする機会があったのだが、車を持ってないと言って驚かれた事がある。

少しだけがっかりしたような様子を見せた。

まるで僕を恋人候補から除外したような態度だった。

そりゃ地方に住んでいて30歳手前で車を持ってる人は多いだろう。

でも他人と比べるのは止めた。

僕の住む地域は電車とバスがあれば不便は無かった。

通勤や仕事での移動も電車で、車は使わない。

社用車もあるが他部署が優先的に使用する暗黙のルールがあったし、ペーパーは乗るなと安田さんに言われていた。

仮に車をローンで買ったとしても、休みの日しか運転する機会がないし。

車の維持費を考えると、今の給料では生活に余裕もなくなる。

でも正直、車を持っている人が羨ましかった。

あれば生活圏も広がるだろうし、便利であることは間違いない。


代わりといっては何だが、二輪のバイクを買うことにした。

自分が卒業した自動車教習所。

卒業生の割引サービスがあり、少し安く二輪免許を取ることが出来た。

そして初めてのバイク購入。

僕が買ったのは少し前の世代で整備済みのスーパーカブ。

自動遠心クラッチでギアチェンジの操作が必要ない為、AT扱いだ。

予算の問題もあっての選択だったけど、小回りも効いて燃費も良い。

サイズ的にアパートの駐輪場を無料で利用できた。

休日は秩父や飯能、青梅や奥多摩の方へツーリングへ出掛けたりしてリフレッシュした。




仕事は綱渡りのような日々。

毎日が肝試しだった。

設備管理はまるで何でも屋のように色々な事をやる。

何か不具合が発生し、それが軽微なものであれば営繕課や修理業者に依頼しないで自分たちで修繕する。

試行錯誤を繰り返して労働に励む。

基本的には朝起きて通勤し、日中は働いて、夜に帰宅してシャワー浴びて寝るだけの暮らし。

仕事時間が大部分を占め、疲れてそれ以外のことをやる気力が湧かない。

そういう日常を毛嫌いしていたのに、結局そういう生活。

苦笑してしまう。

たまにだけど外が明るいうちに早上がりしていい時があった。

その時は嬉しかった。

がむしゃらの日々。

あっという間に数か月が流れた。

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