【第22話】帰国~旅と夢の終わりに見えたもの~
~主な登場人物~
【小峰慎志】(27)
主人公。埼玉の所沢市にあるアパートに住んでいる青年。
思い通りにいかない人生に嫌気がさし、仕事を辞めて海外放浪の旅に出た。
異国の地で2か月ほど過ごし、万感の思いを胸に抱きながら遂に帰国する。
【山方哲也】(27)
慎志と同い年で、同じアパートに住む青年。
慎志とは互いに暇さえあれば部屋を入り浸る仲。
毒舌で不愛想な一面もあるが、慎志からは”テツ”とあだ名で呼ばれ、親しまれている。
表には出していないが、実は海外旅に出た慎志を心配していた。
【浅野純太郎】(30)
慎志と哲也と同じアパートに住むIT系会社勤務の男。
ふたりからは学生時代の担任に似ているからという理由で"先生"と呼ばれている。
慎志と哲也より年上で、彼らを名字で”小峰氏、山方氏”と呼ぶ。
眼鏡をかけ、ふくよかな体系をしているが、それは優しさが詰まっているから。
穏やかな性格で頼りがいもあることから、慎志と哲也から尊敬されている。
ラスベガスからロサンゼルスを経由して日本への帰国便に乗る。
11時間を越えるフライト。
今までで一番長い飛行時間だ。
だけど全然退屈しなかった。
限られた座席スペースで何をするわけでもないけれど。
時計を見る度に1時間、2時間と経過していき、過ぎ去った時間に名残惜しさすら感じた。
日本国内での旅行の時にも同じ感覚を味わった事がある。
行きはワクワクして長く感じるけれど、帰りは一度みた景色を戻っていくので早く感じる。
それに似たような気持ち。
いや、今回はそれ以上の何かが、僕の感情を複雑なものにしていた。
ただ、尿意との戦いはあった。
僕は窓際の席で、隣の通路側の席に座る男性がムキムキで少し怖い。
一言声をかけてどいてもらい、トイレに行くのは気が引けた。
てか、ずっと寝てるし!
地上数千フィートで繰り広げられる尿意との戦い!!
窓から夕陽が見える。
旅の終わりを実感させられる。
夕焼け空は何度も見たことがあるけど、それとは一線を画す橙色が広がっていた。
やけに心に触れてくる。
やがて窓の外は真っ暗になる。
オーロラのようにわずかに青白く光る地平線が美しい。
旅の終わりを見送られているのだと思った。
そう、終わってしまうのだ。
夢が。
海外放浪旅は楽しかった。
毎日違う景色を見て、知らない人に出会う。
僕の知らなかった異国の世界へ身を投じ、緊張と不安と、それ以上の興奮で満たされていた日々。
人生は冒険だと表現できるが、日本を飛び出し海外で過ごした2ヶ月間は特別に濃厚な冒険だったと言える。
僕の住んでいた世界は地球上の小さな、小さな、本当に小さな一部分に過ぎないということ。
それだけ世界は途方もないくらい広く、圧倒的な大きさを肌で感じることが出来た。
それは心の財産になったと思う。
貴重な経験が出来たし、心底やってよかったと思っている。
幼い頃の自分が残した夢を、大人になった僕が実現した。
達成感がある。高揚感もある。
でも何でだろう。
今、僕の感情の大部分を占めているものは寂しさだった。
やり終えてしまったという喪失感。
日本での暮らし、変わり映えのない日常から抜け出した。
見飽きた生活空間から、海外へと飛び出した。
いくつかの異国を訪れ、飛行機で地球を一周した。
僕の人生の大行事であったことは間違いない。
でも…だから何だというのだ?
旅は形のない思い出となる。
思い出だから、思い出す以外に、もうこの旅に触れる事は出来ない。
これから待っているのは日本での日常。
世界を旅してきて高揚とした気持ちも、しばらくの間だけだ。
やがて日本社会の忙しさに押し流されて、旅の記憶も風化していくだろう。
旅の非日常が終わり、あの慌ただしい日常に僕は翻弄されるのだ。
働く為に生きるような日々。
誰かに傷つけられ、自分もまた誰かを傷つけるだろう。
誰かに優しくされ、自分もまた誰かに優しくしようとするのだろう。
終わりなき人間関係。
別に日本に限った話ではないのだが…。
ああ…そうか。
僕は旅に”見返り”を求めていたのだ。
海外に飛び出て、世界を見て回って、新しい価値観に目覚め、自分が変わる事を望んでいたのだ。
数々の外国を旅した経験が、僕に強い心をもたらしてくれる。
それらは日本での生活で大いに役立つだろうと。
僕は期待していたんだ。
でも…生き方や思考の癖はそう容易く直らない。
僕は僕以外に生まれ変わることが出来ないのだ。
はぁ…僕は、どうして僕なんだろう。
卑屈で、卑怯で、自分勝手で、優柔不断で、打たれ弱くて、根性がなくて。
いつだってそうだ。
どの職場もすぐに辞めてしまったけれど、辞めずに仕事を続けていたらどうなっていただろう。
もしあの時パワハラにあっていなかったら?
パワハラにあっても仕事を辞めず部署異動を希望していたら?
そもそも大学生の頃に就職先の第一志望に内定していたら?
毛嫌いしないで広く仕事先を探していれば?
嫌な事があっても割り切って我慢していれば?
僕は今頃、その仕事に慣れてやりがいを見出していたかもしれない。
社会的な立場を定着させ、後輩もできていたかもしれない。
同期や同級生たちと楽しく飲み会に参加できていたかもしれない。
中学生の頃、卒業式後にチャンスはあったのに、初恋の子に何故告白しなかったんだろう。
振られることを恐れて一歩踏み出せなかった。
高校生の頃、なぜ部活を本気でやらなかったんだろう。
バドミントンの練習時間では手を抜くことばかり考え、他の強い部員に不貞腐れて、真面目に取り組まなかった。
大学生の頃、自由時間はいっぱいあったのに、何故自堕落に過ごしてしまったんだろう。
そして…社会人になって、なぜ僕は麗海に裏切られ、捨てられてしまったんだろう。
ああ…思い出に殺される…。
どうして思うように生きられないんだろう。
過去の後悔は、いま自責の念となり、やがて未来への不安を抱かせる。
旅で出会った人たちは、みんな前向きに見えた。
それぞれが自分の人生と向き合っている。
沢山の人の生き様がそこにあった。
同じ地球上に生まれ、目の前の生活を直視して過ごしている。
短い間だったけれど…
旅を通して出会った人々と接してみて…
感じたことがある。
彼ら、彼女らは…
老若男女問わず…
何よりも”悲観的”な人を好まない。
その姿勢に教わる事は多い。
だから僕も進むしかない。
過去に戻って、違う道を選んでやり直すことは出来ないのだ。
時間は決して戻らない。
過去を変えられるとするならば、それは前向きに肯定して解釈を変えられた時だ。
そんな力を”今の僕”は持っていない。
だからこそ、後ろを見ずに前を見て、目の前の道を迷わずに進もうではないか。
これから先の人生は悔いのないように。
一時一時を一生懸命生きればいい。
それしか僕にできることはないのだから。
ーーーーーーーーーー
羽田空港に到着した。
帰ってきたぞ…ジャパン!
僕の居場所はここだ。
長旅お疲れ様でした。
自分で自分を労った。
出発前に新品で買った靴も底がだいぶ擦れてる。
人生で歴代一位になる歩数月間だったと思う。
出国時、空港内に装飾されていた桜は当たり前だが、なくなっていた。
しばらく日本を離れていたので浦島太郎気分になるかと思いきや、そんなことはなかった。
ネットで日本のニュースを見ても、僕がいない間に大きく変わった事は何もなさそうだ。
”日本に帰ってきたら連絡くれ”
そう、テツと先生に言われていたのでラインメッセージを送る。
”無事に羽田空港に帰ってきました”、と。
さて、空港で帰国の余韻をもう少し味わってから所沢に帰るか。
自宅のアパートに着いたのは夜だった。
アパートの前にふたりはいた。
「テツ?先生?」
「小峰氏~!お帰りなさい」
「よ、生きて帰ってきたか」
「ただいま」
自宅に帰ってくる予定時間も聞かれていたので、それに合わせてふたりは出迎えてくれたのだ。
「で、海外放浪旅はどうだったよ?」
「…楽しかった」
テツに旅の感想を聞かれるが、率直に、その言葉しか出なかった。
「楽しかったって、小学生の感想か」
テツは馬鹿にするように鼻で笑う。
いつもの彼の態度、懐かしくて嬉しく感じる。
「でも終わっちゃった。夢を終えちゃった」
しんみりしてしまい、そう告げる僕に先生は言った。
「何言ってんのさ小峰氏、これからが始まりだよ?」
「え?始まり、ですか?」
「そう。旅を終えて、ひと段落して…これからが人生の新たなステージだよ。その過程でまた新しい夢だって見つかるさ!」
「…そうですね」
先生はいつだって優しい言葉をかけてくれる。
いつもその優しさに甘えさせてもらっていた。
「慎志の為にコージーコーナーでケーキ買ってあるんだぜ?」
「小峰氏の帰国祝いだよ。みんなで食べよう!」
「…」
「お前のつまらない土産話、聞かせろよな?」
「…」
「小峰氏どうしたの?」
「っておいおい、何泣いてんだよ?ホントに小学生かよ!」
「これは嬉し涙だよ!」
僕は泣いていた。
自分探しもそろそろ卒業しないといけない。




