【第11話】バックパッカーの夢、海外旅へ
~主な登場人物~
【小峰慎志】
主人公。埼玉の所沢市にあるアパートに住んでいる27歳の青年。
大学を卒業して就職するも、仕事が長続きせず職場を転々としている。
今は都内の商店街にある小店舗で携帯端末の接客販売業に従事している。
およそ1年半交際した女性に浮気され、振られてしまった。
失恋のショックからなかなか立ち直れない日々を過ごす。
【山方哲也】
慎志と同い年で同じアパートに住む27歳の青年。
慎志とは互いに暇さえあれば部屋を入り浸る仲。
毒舌だが、慎志からはテツと呼ばれ、よく相談事を持ち掛けられている。
埼玉県を中心とする食品スーパーに勤務。夕方には必ず帰るシフトを組んでいる。
【浅野純太郎】
慎志と哲也と住む同じアパートに住むIT系会社勤務の男。
ふたりからは学生時代の担任に似ているからという理由で"先生"と呼ばれている。
慎志と哲也より3歳年上で、彼らを名字で小峰氏、山方氏と呼ぶ。
眼鏡をかけ、太った体系をしているが、それは優しさが詰まっているから。
穏やかな性格で頼りがいもあることから、慎志と哲也から尊敬されている。
休日は予定がなければ昼前まで眠り続けるのだが、今日は珍しく早朝に目が覚めた。
更に珍しく、妙に頭がスッキリしている。
久しぶりの感覚だった。
窓にかかる締め切ったカーテンの隙間から、わずかに陽光が室内に漏れている。
天気は良さそうだ。
そういえば最近、布団干してないや、干すか。
窓を開けてベランダで布団を干す。
さんさんと光り輝く太陽の眩しさに目を細める。
雲一つ無い晴天が広がっていた。
「良い天気だなぁ」
こんなに良い天気なのに、僕は何で暗いままなのだろう。
もう全てが嫌だな。
どこか遠くへ行きたい。
まだ訪れたことのない、知らない土地へ行きたい。
そして僕を知る人なんて誰一人いない場所で、まっさらな状態から人生をやり直すのだ。
”まだ訪れたことのない、知らない土地…”
ふと思い出す。
そういえば子供の頃はバックパッカーになって海外を旅して回るのが夢だったな。
幼い頃の自分が残した夢。
実現しないまま心の隅で埃を被っていた。
今の今まで忘れていた。
なぜこのタイミングで思い出したのか。
僕は冒険が好きな少年だった。
自転車で埼玉から丸一日かけて湘南の海まで行ったことがある。
地平線まで続く大海原を見て疲れが吹っ飛んだ。
あの時はまるで世界の果てにたどり着いたような達成感だった。
帰りは地獄だったが…。
青春18切符を使い電車を乗り継いで挑んだ広島旅行。宮島や平和記念館を訪れた。
初めての遠方一人旅で、移動手段や宿の確保など、何でも自分でやらなければならず、緊張と興奮の連続だった。
下水道探検ではドラゴンクエストの洞窟ダンジョンに挑んでいる気分になった。
冒険譚を学校で得意気に話していたら、教師から呼び出しをくらい怒られた。
後日になって市の職員が設置したのだろうか、下水道の入口に侵入禁止の鉄格子が取り付けられていた。
仲間たちと学校の裏山を散策して見つけた廃墟。
自慢の秘密基地になった。
近所の駄菓子屋から廃棄用のダンボールをもらい、それを秘密基地に配置して迷路を作った。
雨の翌日に訪れた時には悲惨なことになっていたが…。
どれも懐かしいな。
あの頃の僕は日々の生活を純粋に楽しんでいた。
毎日が冒険だったし、常に何ものにも怯えることなく、主人公でいられた。
子供でこんなに楽しいのだから、大人になったらもっと楽しいことが待っていると思っていた。
根拠のない自信を抱き、将来は何者にでもなれると疑わなかった。
デタラメな全能感があったのだ。
子供の頃の僕が今の僕を見て、何を思うだろうか。
思い描いていた未来を生きていない今の僕に失望するかもしれない。
だったらせめて…。
幼い頃の僕が未来の僕に託した夢、海外への放浪旅だけは、叶えてみては?
出来ない言い訳を探すより、あの冒険心に溢れ、日常にワクワクしていた頃の自分を探してみては?
…。
……。
行くか!
この狭い部屋を抜け出して。
本当に行くか!
今のこの窮屈な、僕の世界から飛び出して。
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「と、いうわけで海外へ旅にでも出ようかと」
テツと先生が僕の部屋に遊びにきた時に、ふたりに話してみた。
テツは否定的で、先生は肯定的な反応だった。
「はぁ?急にどうした?」
「良いじゃないか。どのくらいの日数を考えているんだい?」
「とりあえず通帳に100万円あります。全部使う気はないけど、日本に帰ってからの生活費を考えると、2か月くらいの旅になると思います」
「なげーな!旅行じゃなくて文字通り旅だなそりゃ」
「仕事はどうするんだい?」
「実は来月は契約社員の雇用期間の節目なんです」
「満期終了で切られるってことかい?」
「いや、雇用は原則更新なんです。でも丁度いい区切りとして、契約更新手続きはせずに今の契約期間どおり退社しようかと」
「続けないのは勿体なくないか?慎志にしては珍しく順調な職場なんだろ?」
「でも契約社員の期間満了で、仕事から離れる良い機会かもしれないね」
「パスポートは持ってるのかよ?」
「うん、大学の卒業旅行でサイパンに行った時に作ったのがある。赤色で申請したし、まだ有効期間内だよ」
「海外ねぇ…行ったことねぇけどさ。日本が一番治安も良くて飯もうまいに決まってる」
「わざわざ不便なところに行く意味あるか?観光地だって国内に腐るほどあるだろ」
「夢だったんだよ、海外を旅して巡るのが」
「はぁ…先生は海外に行ったことあります?」
「仕事で北京と香港に行った事あるよ。滞在していたのは中心街だけだけど、全然日本に劣ってなかったし、むしろ圧倒されたよ。異文化に触れられたのも楽しかったな」
「それで旅を終えて日本に帰ってきた後、慎志は社会復帰する為の就活か。企業の面接で空白期間を聞かれたら”海外でフラフラしてました〜”って答えるのか?俺が面接官ならそんな奴は採用しねぇな」
「二十代後半なんて、みんな働き盛りで仕事に打ち込んでる時期なんだよ。遊んでねえから!」
「それは人それぞれだよ山方氏。小峰氏は今しか出来ない事をやろうとしてるんだよ。未来への不安や過去への後悔に囚われて、今やりたいことを制限してしまうのは、それこそ勿体ない。やりたい事を後へ後へと先延ばしにしてたら、やがて気力も体力も無くなって、実現させる機会を失ってしまうかもしれないよ」
「先生…ありがとうございます」
「おい慎志、海外にいけば自分が強くなれるとか、今後の事態が良い方向に好転するとか、都合よく勘違いしてねーか?結局、何も変わらねえよ」
「うぅ…」
「気にしないでやりたい事をやってみると良い。小峰氏の人生なんだから。山方氏は嫉妬してるだけだよ」
「そんなんじゃないやーい!」
「ただ…自分の人生は、自分でしか責任が取れない。それを自覚した上でね」
「分かりました」
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会社に次の雇用契約を更新する意思がない旨を伝えた。
しかし引き止めをくらった。
今、辞めてしまうのは勿体無いと言われ、基本給を5000円上げるから残ってほしいと言われた。
ありがたかったけど、もう辞めるのは決めていたので丁重に断った。
経験上、退職の意向を伝えてから実際に退職するまでの期間、みんなの態度が冷たくなる事が多かった。逃げたとか、人手不足になるとか、せっかく教育したのに無駄になったとか、そんな理由だったのだろう。
でも今回の職場はみんな変わらず優しく接してくれた。
旅の計画を立てていく。
せっかくなら地球を一周してみたい。
そういうプランで訪れる国を考える。
ハイレベルな流浪は考えていないので、国と国の移動は飛行機に限定する。
厳密に何日に何処へ行って、何の飛行機便に乗って、どこの宿に泊まるかなど、具体的には決めなかった。
最初の一、二か国目は予約して、それ以降は現地でwifiなどのネットで調べて予約しよう。
後はアマゾンでバックパックを買って、変圧器も買っとくか、それとガイドブックも…。
旅行の計画を立てていると楽しくてあっという間に時間が過ぎていった。
最後の勤務を終え、職場の皆さんに別れを告げた。
「お世話になりました」
「元気でな〜!」
「今までありがとう〜!」
みんな仕事の手を止めて僕に労いの言葉をかけてくれた。
男性社員とは抱き合い、女性社員とは握手した。
みんな本当に良い人たちだった。
退職日に以前のエリア統括も別れの挨拶にやって来たのは驚きだった。
「次の仕事は決まってるのですか?」
「いえ、そういうわけじゃないですが…」
「小峰くんは鈍臭い所はあったけど、一生懸命なのには好感が持てました。この仕事、これから君にとって面白くなっていくのに」
「すいません」
「気が変わったら、いつでも戻ってきなさい」
意外な言葉をかけられた。
僕の働きぶりを以前のエリア統括は評価してくれていたのだ。
「ありがとうございました」
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よし、準備は整った。
未来のことを考えるのはやめた。
僕は今、やりたいことだけを考える。
あらゆるしがらみを忘れて、頭をまっさらにして。
一応、実家にも電話しとくか。
「あ、母ちゃん、ちょっとしばらく日本離れて海外行ってくるね」
「あら、そうなの?行ってらっしゃい~」
思ったより反応が軽いな…ま、いっか。
いざ、羽田へ!!
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羽田空港に飾られた桜。
まるで海外へ旅に出る僕の門出を祝ってくれているようだ。
まさかこのタイミングで日本から飛び出すことになるとは…。
失恋してしまった当初は、こんな展開なるなんて思いもしなかった。
自分の人生の奇天烈に苦笑する。
誰かから提示された人生ではない。
僕が決めたことで、僕が選んだ道だ。
心の奥底で埃被って忘れ去られていた、幼い頃に描いた夢、海外バックパッカー。
今までのどの旅行や冒険よりもスケールのでかいものとなる。
遂に大人になった僕が遂行する時がきた。
出国ゲートをくぐる。
「行ってきます!」




