ターゲットハンド!
空っぽの体育館の中に、バスケットボールが弾む音が規則正しく聞こえる。
オレはボールを打ちながら、目の前でディフェンスの構えを取る男をじっと見据える。
ヤツもまた眼鏡の奥からクレバーな眼差しを送っていた。
オレは愚直に正面から突っ込んだ。ドリブルしながら懐に飛び込む。その瞬間、身体を反転させ背中でボールを守り、シュートのフォームをとる。それを阻止しようと腕が上がるがこれもフェイントだ。腕をくぐってドリブルで一気にゴール下まで駆け抜けシュートする。
よし、勝った!
と思っていた。
完璧な放物線を描いてネットに吸い込まれていくボールを、長い腕がはたき落とすまでは。
「ああああああ!!」
「うるさいなあ。俺の勝ちですからね!もう勝負をふっかけてこないでくださいよ」
「そんな約束はしてない!」
「松浦、いい加減にしろ。朝練始めるぞ」
バスケット部の部長にそう言われ、オレはぐぬぬと引き下がった。
「佐野、悪いな。いつも松浦がちょっかい出して」
「いえ、相手しないとしつこいので」
「ホントすまん・・・。でも勿体ないよ。そんな上手いのに」
「そうだよ、バスケ部入れよ!」
「松浦先輩が俺に勝ったら、って約束でしたよね?俺も部活あるんで」
佐野はスクールバックを持ち、体育館を出ていった。カッターシャツはさらりとしてて、汗ひとつかいてないのがムカつく。
「園芸部なんてやることあんのかよ?!」
「朝早いうちに水をやらないと、水が熱湯になるんですよ」
「おい、松浦!朝練!」
食い下がるも部長の声が飛んできて、オレは負け犬の遠吠えのごとく
「くっそーー!!次は昼休みに勝負だあぁぁぁ!!!」
と捨て台詞を残すのが精一杯なのであった。
そして昼休み。
オレは一年生の教室にダッシュした。佐野に逃げられるからだ。
佐野を初めて見かけたのは球技大会の時だ。一年生同士のバスケットの試合に出ていて、明らかに他のヤツとは動きが違っていた。まったく無駄のない身のこなしでディフェンスをすり抜け、あっという間に点を奪っていた。あの鮮やかな動きはただの経験者じゃない。助っ人で出ていたらしく、すぐ交代してしまいそれからは試合に出なかったけど。
うちのバスケ部はお世辞にも強いとは言えない。良くて予選を突破できるくらいだ。アイツがいたら、その先に行ける気がする。見たことのないところまで。
勧誘したら、佐野は生意気にも「俺より弱い先輩がいる部活に入りたくない」とかぬかした。粘りに粘って、1on1でオレがポイントを取ったらバスケ部に入るという約束をした。それ以来暇ができれば佐野と勝負をしているが、・・・オレがポイントを取れたことは一度もない。
一年二組の教室の扉をスパーンッ!と開ければ、佐野の姿はもう見えなかった。
くそっ!またかよ。
「佐野は?」
佐野のクラスメイトに声をかける。
「どこか行っちゃいましたよ、弁当持って」
ソイツは渋い顔をする。
「いい加減にしないとバスケ部が何度も押しかけて迷惑かけてるってチクりますよ」
「アイツがバスケ部入ったらもう来ねえよ、じゃ!」
一年生の教室を後にした。だけど諦めたわけじゃない。学校中を駆けずり回って、中庭の花壇の前でしゃがむ佐野を見つけた。
佐野はオレを見た途端「げっ」と嫌な顔をしやがった。それから深くため息を吐いて、花壇の雑草を引き抜いていた。手にはめた軍手には濃く土の色が付いている。
「おい佐野「1on1、やってもいいですよ」
佐野は涼しげな横顔を崩さず「ただし、」と前置きして
「草取り、手伝ってください」
と言いやがった。
仕方なく座り込む。さっさと終わらせるか。あんまり生えてないし。
「あ!何やってんですか、それ苗ですよ!」
適当に摘んだらいきなり文句を言われた。
「あ?どれも草だろ」
「マリーゴールドくらいわかるでしょ!」
「だからどれだよ」
「この葉っぱがギザギザのやつです。違う違うそっちはサルビア!」
「わからん!全部草!」
「ああもういいから、この真っ直ぐな葉っぱのやつだけ抜いてください。これは全部雑草なので」
「最初からそう言えよ」
「文句ばっかり言って!全然進まないじゃないですか」
「手伝ってやってんのに文句ばっか言ってるのはそっちだろ!」
佐野はオレを睨むと何か言いたげに口を開きかけたがぐっと唇を結ぶ。顔を背けてそれきり口をきかなかった。不機嫌さを隠しもしない態度と、真っ昼間のキツイ日差しに苛つきが募る。
オレも口をきかずにしばらく黙々と手を動かした。セミの鳴き声と、ざりざりと土と靴とが擦れる音だけ聞こえてくる。
「あっつ・・・」
そう呟いて、佐野の顔を見てみればちょっと眉間に皺を寄せ、前髪の生え際に汗を滲ませていた。眼鏡を押し上げ手首の部分で額を拭う。なんでこんなこと一人でやってんだろう。
「他の部員は?」
「誰かとつるむ為に部活をやってるわけじゃないので」
「じゃあ園芸部じゃなくてもっと楽な部活でよくね?」
「植物は、手を掛ければ応えてくれますから。成果が毎日見られるというか」
佐野はいくらか目元と口元を緩めた。こんな柔らかい顔をするのは珍しい。
「いくら練習したって、負ければ全部水の泡じゃないですか」
しなびた葉っぱを、佐野は指先ですくいとり
「何が楽しいのか、俺にはわかりません」
そして容赦なくぶちぶちとむしり取った。
「んなもん、バスケが楽しいからに決まってんじゃん。お前との1on1もな」
「えっ」
佐野はこっちを向いて目を丸くする。あどけない表情にこっちが不意を突かれた。
「アハッ、あんな負けまくってるのに?」
うわっ、笑った。びっくりして心臓が跳ねる。いつもは澄ました顔してんのに。
あっ、そうだ!
「おい、草取りもう終わっただろ!体育館に」
そのタイミングで予鈴が鳴った。
「嘘だろ?!」
「行きましょうか。手伝っていただきありがとうございます」
佐野はいつもみたいに澄ました顔して軍手を外す。やられた!
「くっそー!昼飯も食ってねえのに!」
「馬鹿でしょ?」
意地悪く含み笑いをしやがる。
「弁当も食べずに俺を探してたんですか?」
「そうだよ!」
「・・・ふうん」
佐野はポケットを探り、塩分タブレットをふた粒渡してきた。
「これしかないけど、ないよりマシでしょ」
「うん絶対足りない。でももらっとくわ」
にしても意外だ。もっと煙たがられてるかと思った。タブレットを口に放り込んで噛み砕けば、しょっぱさとすっぱさで舌がチクチクする。
「・・・俺だって、しつこく勧誘してこなければ、先輩のこと嫌いじゃないですけどね」
照れくさそうにボソボソ呟く佐野の目元が少し赤い気がする。
「お前大丈夫か?顔赤いけど。熱中症?スポドリ飲んだ方がよくね?」
「っ着いてこないでください!」
顔を覗きこめば、佐野はオレに背を向けて渡り廊下から校舎に入っていった。何も走って離れることないだろ。
あ、二回目のチャイムだ。こりゃ遅刻だな。オレも教室までダッシュする。
口の中のタブレットはとっくに溶けて無くなったけど、舌の上にじわりと甘さが残っていた。
放課後、体育館でストレッチをしていると部長が隣に座った。
「松浦、勧誘がしつこいって苦情が来たぞ」
声を潜めてそんなことを言われて、背筋がヒヤッとする。浅野だな。マジでチクリやがった。
「お前の気持ちもわかるけど、バスケ部の素行が悪いってレッテルを貼られたらどうなると思う?そうなったら真面目にやってるヤツらが可哀想だし、次の新入生が入って来なくなるかもしれないだろ。そこのところ、よく考えな」
正直そこまで考えてなくて、うんともすんとも言えなくなった。
「・・・オレだってバスケ部のことを思って佐野を」
「うん、それはわかるけど、佐野はイヤだって言ってんだろ?人の嫌がることするなって教わらなかったか?」
「じゃあどうすりゃいいんだよもおおぉぉぉぉ!」
ビターン!と床に大の字になる。なんだよそれオレずっと嫌がらせしてたってこと?でも佐野はオレのこと嫌いじゃないって言ってたし。
勧誘もダメって、じゃあ何すればいいオレ?
そんなことをわあわあ言いながら転がってたら、
「じゃあ、まず仲良くなってみれば?」
と部長の口から神託が降りた。オレはガバリと起き上がる。
「それだ!詳しく!」
「だから、バスケが絡まなきゃ松浦のこと嫌いじゃないって言ってんだろ。じゃあ普通に遊んだりすればいいんじゃないか?助っ人くらいやってくれるんじゃ」
「まずはお友だちからってやつですね!」
「うん、まあ」
なんかめんどうくさくなってきたのか、部長は目を逸らして立ち上がる。
「よし、ストレッチ終わったらヤツからシャトルランな!20本!」
とステージの前まで走っていった。逃げられた。
でももうすぐ夏休みだし、佐野と遊ぶ口実はいくらでも出来そうだ。園芸部は水やりに毎日くるらしいしそのうち捕まるだろ。いや、まずは連絡先を聞くところからだな。パーっと目の前が開けたような気分だ。
オレは最後にアキレス腱をグッと伸ばした後、シャトルランのスタート位置に走った。
「バスケ部に入る前提でお友だちからお願いします!」
翌朝、そう言いながら佐野の前にスマホを突き出した。
佐野は
「意味がわかりません」
とホースを持ったままフリーズする。しゃあああっとノズルから水がでっぱなしだ。数秒経ってようやくそれに気づいた佐野は、カチリとトリガーを引いて水を止める。
「だから、連絡先!交換しよ。でさ、今度夏祭りあるじゃん?一緒にいかね?」
「えっ」
佐野は瞬きして、「デー・・・いや、連絡先?・・・えっ?・・・」とかなんとかブツブツ言いながらオレのスマホをじっと見つめる。それからハッと顔を上げ、
「・・・もしかして、仲良くなってから勧誘しようとしてます?」
とじとっと睨んでくる。全部バレてる!
「んんんそうとも言い切れないけどっ!」
「正直すぎでしょ」
ん?なんか今一瞬笑われた?
「いいですよ。連絡先、交換しても」
佐野はスマホをズボンのポケットから取り出す。
お、マジで?意外とあっさり通ったぞ。と思いきや
「ただし、バスケ部への勧誘は禁止。バスケの話題も出したらブロックします」
ときた。
「わかった。しない。でもさ、お前なんでそんなにバスケ嫌いなんだよ。結構やってたんだよな?」
「一秒も約束守れないんですか?」
「うわ、わかったわかった!もうしないって」
佐野は吊り上げた目尻を下げて、オレのスマホのQRコードを読み取った。あっぶね。口に出すのもアウトかよ。まあ最初は言うこと聞いた方がいいよな。
オレも佐野のを読み取ったからスタンプを試しに送ってみる。
「で」
「で?」
「夏祭り、何時にどこに集合します?今度の土曜日ですよね」
「あ、そうだな。じゃあ六時に駅の改札で」
「他の人は?」
「ん?とりあえずお前と二人の予定だけど」
「・・・へえ」
佐野はスマホの画面をまだじっと見ている。オレが送ったのスタンプ一つだけなんだけど?
「あ、そういえば先輩朝練」
「あ!ヤベッ!」
佐野につられてスマホの時刻を見ればもう始まる時間だった。
「また連絡するから!」
そう言いながら体育館にダッシュする。佐野は頷いて返事をした。それからまたホースを手に取り、キラキラした飛沫を撒き散らしながら水やりを再開していた。
なんかいつもより機嫌良さそうなのは気のせいかな?
しかし当日、駅に着くと佐野はすこぶる不機嫌だった。一時間も遅刻したオレが悪いんだけど。
「ごめん!練習が長引いてさ!」
「連絡くらいしてくれます?」
「練習中はスマホ触れなくてさあ。なんでも一つ奢るから!」
「・・・だからジャージのままなんですね」
「ごめん、浴衣着てくるほど楽しみにしてるとは思わなかった」
「いや、っ違・・・私服のセンスがないので、祖父のお下がりを・・・」
ふいと顔を背けるけど、髪を耳に掛けているせいか、いつもより表情がよく見える。紺の浴衣は縞模様がうっすら入っていて、なんか体がシュッとして大人びて見えた。
「いいじゃん似合うよ」
「へっ」
佐野は間の抜けた声を上げたかと思えばくるりと背を向ける。うなじがほんのり赤くなっていた。
「暑かったよな。ごめん、飲みかけでよかったらスポーツドリンクあるけど」
「っ!いりません!」
「コンビニあるからなんか買ってこようか?」
「いいです。それより、お使いを頼まれたので付き合ってもらいますからね」
そう言って、ずんずん参道に向かって歩いていく。よく見れば手にクーラーボックスを持っていた。
佐野は焼きそばの屋台の前に来て「道雄おじさん」とテキ屋のおっちゃんに声をかける。
「あん?慶次郎か」
「これ、父から差し入れだそうです」
佐野はクーラーボックスを渡した。
「兄貴からか。礼を言っておいてくれ。そういや、浴衣なんか着てデートか?」
「ち、違いますよ!ただ、学校の先輩と来てて・・・」
おっちゃんは日焼けした顔でオレをちらりと見る。
「お前またバスケやるのか?兄貴も喜んで「違います」
硬い顔で答える佐野に、おっちゃんは「そうか」とだけ答えて鉄板の上で手を動かす。
パックが閉じられないくらいパンパンに焼きそばを詰めると、閉じた輪ゴムに割り箸を挟み「持ってけ」と渡された。
「いやオレにはいいっスよ」
「屋台で色々食べたいので一つでいいです。あ、でも箸は二膳お願いします」
「はいよ。・・・二つな」
ぶっきらぼうに答えながらも、おっちゃんは優しげに目を細めた。
なんだいい人そうじゃん。それに、なんか佐野の事情を知っていそうな気がする。
気になるけど佐野が
「先輩、奢ってくれるんですよね」
と焼きそばを持ったまま行ってしまったから、慌てて追いかけた。
ポテトと唐揚げのセット、ベビーカステラを奢るとたちまち財布が薄くなって泣きたくなる。
でも、佐野は歩きながら「はい」とベビーカステラの袋を開いてみせ、ポテトの入ったカップを差し出した。
「先輩もどうぞ」
「えっ、いいの?」
「シェアできるのを選んだので」
佐野は口の両端を少しだけ上げる。浴衣だからか、なんか色っぽく見えてちょっとドキッとした。
誤魔化すようにポテトを4、5本まとめて口に放り込んで、もぐもぐと咀嚼する。
「ちょっと!半分も持っていくことあります?」
「オレが買ったんだからいいだろ」
「本当に憎たらしい口きいて・・・」
「じゃあ全部返せよ」
「あーもういいです。ポテトはあとは俺がもらいますからね」
ちょっと待てよ、こんなギスギスしてたら仲良くなるとか無理じゃね?てか何話したらいいかさっぱりわからない。オレ、佐野のことバスケが上手いこと以外知らないし。
「先輩、花火まで見ていきますか?」
「あ、うん」
「じゃあもう少し買って、駅に戻りましょうか。立体駐車場の屋上を開放しているので」
「へー!そうなんだ」
「チラシに書いてありましたけど」
駅に戻りながら、たこ焼きとフランクフルトも買った。コンビニの方が安いとか気にしちゃいけない。
立体駐車場の屋上まで階段を登っていくと、まだ三十分以上もあるのに人がうじゃうじゃいた。あちこちにビニールシートを敷いて陣取っている。
「先輩、こっちです」
佐野について行くと、ビニールシートの上にトートバッグが置かれていた。場所取りしていたらしい。
「お前すげーな。モテそう」
「時間がたっぷりあったので」
まだ遅刻を根に持ってんじゃん。でもやり方がスマートで、ちょっと腹立つくらいだ。
ビニールシートに座って、買ってきたものを食べながら佐野はオレに色々聞いてきた。好きな食べ物に始まって、家はどこらへんとか何時くらいに起きてるかとか。
佐野と話すのは結構楽しい。佐野の表情もいつもよりリラックスしている。友達と遊ぶ方が、佐野にとって楽しいのかもな。
あっという間に花火の時間がきて、開始のアナウンスが放送されるとオレたちはしんと黙りこくった。
しゅるしゅると光が尾を引きながら登ってきて、パッと空中で花開いた瞬間わあっとあちこちから歓声が上がった。
色や形を変えて、次々と光の華が咲いていく。暗くなるにつれてますます鮮やかに見えるようになっていった。
佐野にちらりと目をやると、色とりどりの光に照らされながら綺麗な横顔を見せていた。
これも初めてみる顔だ。最寄駅も、ケチャップよりマスタードが好きなのも、意外と聞き上手なのも、初めて知った。
佐野の横顔は光の当たり方で微笑んでいるようにも感嘆しているようにも見える。
佐野は、他にどんな顔を持っているんだろう。
「ごめん、ちょっとトイレ」
オレはこっそり屋上から抜け出して、駐車場の階段を駆け降りる。それから参道に入って、焼きそばの屋台の前に来た。
「あの、すみません」
日焼けした顔がこちらを見る。
「佐野って、前にバスケやってたんですか?オレ、その話全然知らなくて」
「そうらしいな、兄貴に聞いた話でしかないが」
「詳しく教えてもらっていいですか?」
「それはお前・・・本人から聞いたらどうだ?」
振り向けば、佐野が後ろに立っていた。唇をグッと結んで、切れ長の目を鋭くしている。
「遅いと思ったら・・・。バスケのことしか頭にないんですか?」
「いや、今回はそうじゃなくて」
佐野は眉をぎゅっと寄せて唇を噛む。やばい。なんか怒らせたっていうか、傷ついたみたいな顔に焦りがつのる。
「ごめん、オレは」
「やっぱり先輩は、強いプレイヤーが欲しいだけなんでしょ!俺のことなんてどうでもよくってさ!やっぱりバスケなんて嫌いだ!」
佐野はそう叫んで、走って行ってしまった。オレも走って追いかける。本気で走ったらすぐ追いついた。手をがっちり掴んで捕まえる。現役なめんなよ。
「ごめん、オレさ、佐野のこと知りたかっただけなんだ。バスケとか関係なくさ」
佐野は黙ったままで、でも足を止めた。話を聞いてくれるかと思ったら佐野から喋り始める。
「じゃあ教えてあげますよ。俺、中学まで地元のバスケットチームにいたんです。親父がコーチをしてたから。最初からバスケなんて好きじゃなかった。
コーチの息子なのに下手くそだって馬鹿にしてくるやつら見返したくて馬鹿みたいに練習して。
エースになったらなったでエースのくせにって失敗を責められて。アホらしくなったのでやめました。
二度とバスケなんてやりたくありません。これで満足ですか?」
佐野はオレの手を振り払って、「先輩も、大嫌いだ」と絞り出すように呟いた。
佐野の紺の浴衣が人の波に紛れていく。オレは、大嫌いだって言われたのが思いの外ショックで、どうすればいいかわからなくなって、その後ろ姿を見送るしかなかった。
それから二週間後、バスケ部の大会があった。三年生の先輩たちの最後の試合だ。佐野とは1on1どころか顔も合わせていない。
だからってわけじゃないなけど、
「予選敗退かあ・・・」
「いや、最初の相手が全国大会の常連ってさあ」
「運が悪すぎだよな」
みんな肩を落としていた。ボールバッグや滑り止めスプレーを手に、ゾロゾロと連れ立って駐車場へ荷物を運ぶ。
そんな中、オレは意外な人物を見つけて列を抜け出した。グラウンドに沿って敷かれた並木道を歩いているのは、
「佐野!」
カッターシャツを着た佐野が、こちらに向かって歩いていた。
「先輩?どうしてここに・・・試合は?」
「もう終わった。負けたよ。それより佐野はなんで」
「各部活の試合の日程、廊下に貼ってあったじゃないですか。でも無駄足でしたね。帰ります」
「もしかして試合見に来たのか?!え?!なんで?!」
佐野は「俺の勝手でしょ」と照れ臭そうに顔を背ける。
「そっかあ、なんか嬉しい。ありがとな」
「ほんっと、先輩、そういうとこですよ」
「なにがだよ」
「憎めないっていうか、き、嫌いになれないというか・・・」
佐野の声はだんだん小さくなっていって、眼鏡の奥の目がちょっと潤んでいる。
「そっかー!よかった!マジで嫌われたかと思った!」
「お、おじさんが仲直りしてやれっていうから・・・!」
佐野の顔が少し赤く染まるけど、オレの背後に目をやるとその色が一気に引いた。肩にかけたスクールバッグの紐をぎゅっと握る。
振り返れば、別の学校のユニフォームを着たヤツらが二、三人走ってきていた。あ、一回戦で当たったとこじゃん。
「慶次郎、久しぶり。ほら、小中でジュニアクラス一緒だったじゃん」
「まだバスケやってたんだ」
ヤツらはヘラヘラ話しかけるけど、佐野の顔はプラスチックに置き換わったみたいに無機質だ。
話しかけてくるやつらに悪意があるようには見えない。これ、多分、佐野にしたことを覚えてないんだ。なんかすげえムカついて、拳をぎゅっと握っていた。
「あの、」
と佐野の前に出ていってみる。
「ん?誰だっけ?」
「あ、このユニフォーム一回戦の」
「ああ、楽勝だったよな」
カチンときたけど、まあ試合したヤツの顔なんていちいち覚えてないよな。オレも覚えてないし。
「ふざけんなよお前ら!」
佐野はすごい剣幕で目の前のヤツの胸ぐらをつかむ。
「相手を見下すことしか脳がねえくせに!俺より弱いくせに!」
「弱いって、小学生の時のことだろ。そもそもお前まだバスケやってんの?」
佐野は唇を噛むが、
「じゃあ、試合しろ。俺と」
と睨みをきかせる。マジで?!佐野が自分から!?
「は?時間ないんだけど。次の試合あるし」
「やれよ!」
「じゃ2on2!2on2やろ!すぐ終わるし!」
佐野を遮って、グラウンドのバスケットゴールを指差した。ピリピリした空気を引きずったままだけど、移動し始めてホッとする。
佐野がセンターに立ち、向かいに他校の選手がボールを持つ。オレともう一人はそれぞれ陣地に立ち構えた。
どちらかのチームが先にポイントを入れたら勝ちの一発勝負だ。
ボールが佐野の手に渡る。佐野はそのままコートを大回りするようにドリブルする。ディフェンスはオレと佐野にぴったり張り付いている。オレはなんとかしてディフェンスを抜け、佐野からボールを受け取らなきゃいけない。
佐野がどこに抜けようとしているのか、手に取るように分かる。毎日のように勝負していたから。
それなのに、ディフェンスを切り抜けられない自分の未熟さがもどかしい。
けれども佐野は力ずくでもつれながらゴール下まで進んでいく。
「佐野、パスしろパス!」
佐野はちっとも聞かずに、片手でディフェンスを制しフックシュートする。しかしボールはリングを一周した。
こぼれ落ちる刹那、佐野の顔に落胆が浮かんだ。
オレはすかさず走りながら叫ぶ。
「佐野!ディフェンス、スクリーン!」
ゴール下で、ディフェンスより高くジャンプしてボールを叩いた。背中で敵を抑える、佐野の手の中をめがけて。
パスなんて上等なものじゃなかったけど、佐野はしっかり受け取って、安定したフォームで流れるようにシュートを決めた。
オレはドヤ顔で背後のディフェンスを見る。ポカンとしていたが、目が合うと気まずそうに逸らされた。
「まぐれだまぐれ」
汗を拭きながら、アイツは立ち去っていく。試合じゃ手も足も出なかったけど、勝負に勝ったしアイツらの不貞腐れた様子に少しスッキリした。それに、確信したことがある。
オレは佐野に向き直った。
「バーカ!この下手くそ!」
「は?!」
「チームプレイ下手すぎかよ!?こんなんアイツらに文句言われても仕方ねえぞ」
「その時はちゃんと」
「これからは、オレがなんとかしてやるよ」
佐野は目を丸くする。
「さっきみたいに失敗してもリカバリーしてやるし、変なこと言うヤツがいたらオレが相手してやる」
佐野の目は揺れて、支えるようにオレは両肩を掴んだ。切れ長の目を真っ直ぐ見る。
「ごめん、オレ、やっぱりお前とバスケがしたい。ただ強いヤツじゃなくて」
佐野は息を呑んだ。それから俯くと、
「じゃあ、勝負してください」
とどこかに歩き始めた。佐野を追いかけていくと、外の体育倉庫に連れ込まれた。
「先輩が勝負に勝ったら、バスケ部に入ってもいいです」
「マジで?!でも勝負って」
「先にキスした方が負け」
顔の横の壁に佐野の手がついて、顎を持ち上げられる。名前を呼ぼうとしたら、佐野の顔が迫ってきて唇が軽くなった。重なる身体が熱くなって汗ばんでくる。顔が離れると、やっとキスされていたことに気づいた。えっ、なんで?
「ずっと好きだったんです」
佐野はオレの肩に額をつける。
「いつも、すごく楽しそうにバスケしてる姿が眩しくて。1on1だって、勝負なんてどうでもよかった。先輩に誘ってもらえるのが嬉しかったんです。バスケが好きだったからじゃない」
佐野の声はずっと震えている。耳の先は赤くなっていた。ぴったりくっついた胸の鼓動の熱さは、どちらのものかわからない。
「俺、すごい不純な動機なんですけどいいですか?先輩のそばにいたいし、先輩とならバスケットを楽しめるかもって」
「い、いいに決まってんじゃん!普通に嬉しいんだけど!」
「・・・嫌じゃない?」
「一緒にバスケできるのもそうだし、好きとかキスとかも・・・その、嫌じゃない、し・・・」
佐野は「正直者だ」と可笑しそうに肩を揺らす。
タイミングがいいのか悪いのか、オレのスマホが鳴った。画面を見れば部長からだった。「どこにいる?」とメッセージが入っている。
「そろそろ戻るか、ここあっちぃし」
「そうですね。でも、あと一回だけ」
オレを見下ろす佐野の目は少し赤くなっていて、その顔が近づきぼやけていく。オレは目を閉じて顎を上げた。
今度は電話の呼び出し音が鳴るまで、オレたちは唇を重ねていた。
二学期になって、佐野は正式にバスケ部に入部した。まさかこんな早くに決心するとは思わなかった。
園芸部とも掛け持ちしていて、毎朝水やりしてから朝練に来る。
オレ以外まだ誰もいない体育館にやってきた佐野は、シューズを傍に置いてストレッチを始めた。
「毎朝よくやるよな」
オレは佐野の隣に座って麦茶を飲む。
「朝練のついでですから」
「無理して来なくていいって」
「だって先輩が来てるでしょ」
「ハハっ、お前オレのこと好きすぎじゃね?」
からかうつもりで言ったのに
「そうですけど」
と真顔で返された。表情筋が固まって、顔が熱くなってくる。
「正直すぎ。本当にかわいい人ですね」
あどけない顔で笑う佐野に、ますます顔が熱くなる。
「クソ!マジで生意気なやつだな!勝負しろお前ぇ!」
「いいですよ。先輩が負けたらどうします?」
「負ける前提なのがムカつくんだけど」
「じゃあ俺が勝ったらキスしていいですか?」
「じ、じじじ上等だ!」
佐野はコートに入るとボールを持って、オレの正面に立つ。楽しそうな顔しやがって。
オレは腰を落として手を構える。ボールは小気味いい音を立ててオレの手に渡った。キュッとシューズが床を擦る音を合図に、オレたちはゴールに向かって走り出した。
end