簒奪者の心得
「ふむ…このカヌレは絶品ですね。どうですアンナ?」
「ん?まあまあじゃない?」
石造りの街の一角、せせらぎ聴こえる川のほとりに一軒のカフェがある。ここは美しい景色とともにスイーツを楽しめるとして地元では評判が良かった。しかし現在、店内はどういうわけか閑散としている。
そんな店のテラス席に、およそこの街に似合わない奇妙な風貌の男女がいた。その片割れである少女は、育ちの良さを感じさせる上品な所作で口元を拭う。
「おや?口に合いませんでしたか?」
「オブラートに包んでんの!!アタシが甘味苦手なの知ってんでしょ!!」
アンナ、と呼ばれた少女が男に対し怒りを露わにする。絹のような白髪に金色の瞳。フリルを盛られたドレスは等身大のドールのように愛らしい。その箱入りな振る舞い反し、彼女の口調は少し砕け気味だ。
「てかナナツって涙出るの?1回も見たことない」
「失敬ですね。私も頭部から液体を垂れ流すぐらいできますとも」
「すごく嫌な情景しか浮かばない……」
少女が不満気に口を尖らせた。そんな彼女と話す男もまたただならぬ雰囲気を纏っている。2mを超える巨体、手入れの行き届いた黒いスーツ。包帯によって覆い隠された顔からは表情を伺い知ることはできないが、彼がアンナに向ける声色は雛を世話する親鳥のように暖かい。
「食べ終わったなら行きますよ。今回は大仕事だと自分でも言っていたではありませんか」
「ヤダっ!まだ食べる。食い溜めする!」
「人間にそんな機能無いでしょう」
「アンタら珍しいね、この街に来るなんてさ」
少女の説得を試みていた黒服へ、唐突に声がかけられる。声の主はカフェの店主。言葉が意図が理解できず、よそ者二人は揃って首を傾げた。
「はて?我々は有名な観光地だと聞いていたのですが」
「あ~実は最近この辺りを根城にしてるマフィアが活気づいててな……。治安が悪化してんだ」
「ふ~ん。それはお気の毒に。じゃあこのケーキとマドレーヌも注文するわね」
「へへ、まいどあり。だがまあ、あんたらも悪いこと言わねぇから早く出てった方が身のためだぜ」
店主がため息をついた、その時だった。
「キャーーッッ!!泥棒よォーーッッ!!」
「ッ!ナナツッ!!」
店外から響いた悲鳴。それを聞いたアンナは反射的に駆け出す。彼女の後ろ姿を見送ったナナツは深いため息をつく。1人店に取り残された彼は、頼んだ菓子が持ち帰れるか確認しようと決めたのだった。
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街路樹にもたれかかった老婆は、肩を揺らし息を切らしている。通りがかる人々は彼女を横目には見るものの、助けようとする者は一人もいない。
「おばあちゃん大丈夫?」
「あ、ありがとねぇ。ひったくりにあって、腰抜かしちゃって…」
そこへ差し出される右手。手の主は白髪の少女である。俯きながら礼を述べる老婆を見て、アンナのアホ毛がピンと逆立つ。
「泥棒がどっち行ったかわかる?」
「え?」
「盗まれたモノ、アタシが取り返してあげる!」
予想外の提案に老婆は目を丸くする。しかし、彼女はすぐに諦めたように瞼を伏せた。
「いいのよ別に。大したお金は入ってないし……おじいさんから貰ったペンダントも、今じゃ大した価値はないでしょう。それにあの泥棒の子、まだ小さい男の子だったわ。きっととても貧しいのよ……」
「ふーん…そう…」
「追いつきましたよアンナ…っと、そちらのマダムが?」
会計を済ませたナナツが合流する。その手には、甘い匂いのするバスケットがさがっている。
「ん、おばあちゃん大丈夫そうだし、アタシたちの出る幕ないってさ」
「気持ちだけ受け取っておくわね」
「おやおやご婦人。これはご丁寧に」
ひとしきり感謝を告げた後、老婆はそそくさと立ち去ってしまった。彼女が曲がり角に消えたのを確認し、ナナツは口を開く。
「…それで、どうするのですか?アンナ」
「もちろん奪い返しに行く」
アンナは二つ返事で応える。
「わかりませんね。あの老婆を助けることが我々の仕事に通ずるとは思えませんが」
「遠回りでもいいの。人生は無駄のほうが多いんだから、どうせならそれを楽しむべき、でしょ?」
少女は、くるりと黒服へ振り向き、慣れた動作で片目を閉じる。少女が纏う白黒のドレスが遠心力舞い上がる。その姿を見たナナツは、小さく「そういうものですか…」、と呟いた。
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「ふむ。こういった場所の人間は結束力が強い。私達は招かれざる客でしょう」
「でしょうね。さっさと済ませるわよ」
アンナ達は街外れのスラムにいた。積み上げられたゴミの山、あたりに漂う重苦しい匂い。道行く人々の生気のない目。奇特な2人の風貌は、当然ながらここでも注目を集める。しかしそれらは先ほどまでと異なり、明確な敵意を孕んでいるようにアンナには思えた。
わざわざ治安の悪い地域に来たのは、スラムの方が盗品を扱っている可能性が高いと踏んだからである。そして2人の目論見通り、目的の店はすぐに見つかった。
「確かにコイツはガキから買いとったぜ?でもまさか盗品だったとはねぇ。悪いねぇ~わかってりゃ買い取らなかったんだが」
店主はヘラヘラとした、軽薄な男だった。
大げさな身振りを加え主張しているが、彼の言葉が嘘であることは誰の目にも明らかである。案の定ペンダントはスラムの質屋に売られており、アンナは相場の倍近くの金を払うことでそれを買い戻した。予想外の収入を得た店主の男は、鼻歌まじりに硬貨を数えている。
「ふ〜ん。まあいいわ。詫びの気持ちがあるなら情報でもくれない?」
「情報ぉ~?搬入ルートってんならやらねえぞ?俺にも生活があるんだ」
「そんなのいらないわよ。コイツに見覚えあったら話聞かせてほしいってだけ」
アンナは1枚の写真を取り出す。そこには首にファーを巻いた金髪の男が映っている。写真の男は蛇のような鋭い目つきをしており、明らかに堅気の者ではなかった。
「──お嬢ちゃん達、コイツを知ってどうするつもりだい?」
「……金貨100枚で教えてあげてもいいけど?」
「ハッハッハ!!コイツは一本取られたぜ!」
金貨が100枚ともなれば数か月は遊んで暮らせる額だ。大口を開けて店主は笑う。が、指の間から覗く目にその笑みは無い。
「おいお前ら!客がきたぞ!」
店主の声を聞きつけ、店の出入り口から現れた数人の男たちが、瞬く間に2人を取り囲む。屈強な体つきの彼らはスラムの浮浪者達とは一線を画す雰囲気があり、各々が斧だの銃だのを構え二人を睨みつけている。
「あ~、さっきも言ったが、おじさんにも生活があってなぁ。探り入れてくるやつは全員潰すよう言われてる。嬢ちゃん達にゃ恨みはねえが、消えてくれ」
「……フフ」
軽薄な印象から一転、冷酷な態度へと変貌した店主。
しかし、囲まれたにも関わらず2人は全く動じない。黒服の男に至っては笑いを噛み殺している始末で、そんな彼を店主は訝しげに睨みつける。
「…何がおかしい?」
「いやはや申し訳ない。こちらの話ですからお気になさらず…」
「ね?おばあちゃん助けるのやっぱり無駄じゃなかったでしょ?」
「……まったくあなたの豪運は驚嘆に値します。彼らへの憐れみが止まりませんよ」
「テメェ!!」
言葉の意味は不明だが、意図は伝わる。人を小馬鹿にするふざけた口調は男達への挑発だ。痺れを切らした一人が力強く斧を振りかぶる。今にも振り下ろされんとするそれを背に、黒服は手袋をはめ込み──
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ビートという少年にとって、盗みは日常の1コマだ。
住む場所を奪われ、金も底をつき、頼れる当てもない彼にとって、病気の妹を救うには犯罪に手を染めるしか道はなかった。盗み、稼ぎ、薬を買う。それが彼のどん詰まりの日常の光景である。しかし、そんな日々は唐突に崩れ去る。
「妹のためねぇ」
ビートの身の上を聞いたアンナが呟く。
スラム街の一角。小さなテントが貼られた場所が少年の住居だ。まばらに生えた木々の上からは鳥の囀りが聞こえ、テントの中からは妹のうめき声が響く。
質屋の店主からビートの住処を聞き出したアンナ達は、その足ですぐに彼のもとへ向かった。少年はちょうどテントに戻っており、2人は入れ違いにならず彼の話を聞くことができたのだ。
「あのマフィアたち……『ロッソ・ファミリー』が来てから、この街は変わったんだ。集団で家を襲って、俺たちみたいな普通の家から奪う。警察もグルだから誰もあいつらを止められない」
「だから自分も奪っていいって?」
「…ッ!!お前何様のつもりだよ!!」
アンナの一言がビートの逆鱗に触れる。少女が胸倉を掴まれるのを見てナナツが立ち上がるが、アンナは目配せすることで彼を制止した。
「いきなり出てきて善人面か!?これが許されないってことぐらい俺もわかってんだよ!!でもそうしなきゃ妹は助からないんだ!アンタらは俺の代わりに妹を助けてくれるのか?できないだろ!!」
「そうね。アタシ達は医者じゃないし、アンタの妹を特別扱いするほど仲でもない」
「じゃあなにしに──」
「だからアタシ達は、アタシ達に出来ることだけをやる」
アンナが懐から1枚の手紙を取り出す。
表面の文字は醜く歪み、殆ど文字の体を成していない。
「この手紙出したのアンタでしょ?こんな荒んだ文字で届くなんて殆ど奇跡よね。わざわざアタシ達のとこに依頼するなんてお目が高いじゃない」
「なんで、お前らそれを……」
手紙には「たすけてください」とだけ書かれている。
確かにこれは少年はこの手紙を書いた。しかしこれはボトルにいれて川に流したもののはずだ。誰かに届くはずがない。
「見つけたのは私ですがね」
「いまそういうのいいから」
ナナツの空気を読まない主張を、アンナは「こほん」、と咳き込み窘める。
「アンタの依頼はアタシ達が引き受けた。依頼料はそうね……これを持ち主に届けるってのはどう?」
手に握ったペンダントをかざし、少女はニコニコと笑う。
見覚えのあるそれに少年は罪悪感を感じた。が、それは一瞬。何かが変わる予感に、少年は少女をまっすぐに見据える。
「……ほんとになんとかしてくれるの?」
「アタシね、決めたことは必ず突き通す質なの」
少女はにかっと笑った。
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「わかりませんね」
月明かりに照らされ、ナナツがつぶやく。少年と別れ、目的地にたどり着いた頃にはすっかり日が落ちていた。2人のいる場所は街のはずれ。周囲には深い森が広がり、マフィアの巣食う屋敷が目の前に建っている。華美に装飾された門や噴水からは、住む者たちの人間性が滲み出しているようだった。
「なんのこと?」
「さっきの少年ですよ。マフィアも彼も、貴方が唾棄する盗人です。子供だから、というのは見逃す理由になりえない。私が一貫性を愛すること、あなたも知っているでしょう」
ナナツが表情のない顔をぬっと近づける。声色こそ普段と変わらないが、その本質を付き合いの長いアンナは理解している。ナナツはアンナを試しているのだ。自分が仕えるにふさわしい存在か否かを。
「どうなのですか?」
「……あの子は他人のために動いてた」
静寂に包まれた森に野鳥の声が響く。
「あの子は自分のためじゃない、他の人のために自分を犠牲にできる子だった。きっとこれまでもああやって妹を守ってきたの」
「…」
「アタシはその生き方を肯定する。自分のためだけに生きるアタシやナナツより、あの子の生き方はきっと尊ばれるべきものだから」
「……フッ」
少女の言葉を聞き、黒服は小さく笑う。そして彼は、静かに頷いた。
「これでどう?」
「貴方が10年前のあの日から変わっていなくて安心しましたよ」
ナナツは少し俯きながらクックック…と不気味に笑った。
「だれだオメエら!!」
その時、突如響いた怒声が2人を襲う。アンナが声の方向へ振り返ると、屋敷の方からドレッドヘアの男が歩いてきている。
焦点の合わない目で銃口を向ける男に、アンナは見覚えがあった。
「【ロッソファミリー】門番、ロベルト・フレディ。傷害致死2件、麻薬常習犯──」
「始末しても?」
「好きになさい」
黒い手袋をギュッと嵌め、ナナツがロベルトへ近づく。銃にも臆さない彼を見て、男はさらに大声で吠えた。
「なんだてめえはァ!!近づくんじゃ──」
「静粛に」
「は?」
呆けた声を出したその男は、次の瞬間帰らぬ人となった。黒服に殴り飛ばされた男はまるで水切りのように跳ね飛んでいき、屋敷の扉へと激突する。そんな光景を眺めながら、黒服は血の付いた手を払った。
「随分景気のいい洗礼ね」
「フフ……久しぶりに暴れられると思うと少し滾ってしまいまして」
人1人死んだにも関わらず、2人に特に動揺は無い。
アンナは懐に忍ばせていた手帳を開いた。そこにはマフィアの構成員達の情報が、顔写真と共にずらっと並べられている。パラパラとページをめくり、今しがたこの世からフェードアウトした男の項目に線を引いた。
「それじゃ今回も鉄砲玉よろしく。アンタが暴れてる間に、アタシは爆弾い~っぱい仕掛けるから」
「やれやれ。私の主人はどうも人使いが荒い。嘆かわしいことです」
ため息をつくナナツ。だがその声色はこれから起こる事象への期待に満ちている。騒々しくなる屋敷へ歩き去る彼の背中を、アンナは笑顔で見送った。
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「敵襲だ!!」
「迎え撃てぇ!!」
屋敷内では雷雨のように弾丸が飛び交う。並みの人間では一瞬にしてハチの巣になるであろう嵐の中で、その男は事も無さげに立ち回っていた。
「どういうことだ!あいつ銃弾効いてねえぞ!」
「馬鹿いえ当たってねえだけだ!しっかり狙いやがれ!」
たった1人の黒服に翻弄され、ギャング達に苛立ちと恐怖が募る。一方、襲撃者であるナナツもまたこの膠着状態には辟易していた。消耗を抑えるために、ナナツは近場の柱の裏へ身を隠す。
(流石に敵の数が多すぎますね……何か手ごろな武器があればいいのですが……)
「くらえぇぇ!!ぐぇ!!」
回り込んできた男を殴り潰し、一撃で昏倒させる。抹殺対象の顔は全て頭に入っているので、いちいちリストを確認するようなことはしない。
「おや?これはこれは。ちょうどいいところに」
今しがた倒した男が持っていた手斧を拾い上げる。紳士的な口調に対し、ナナツの仕草には少しの尊敬も含まれていない。今もただ奪った武器の握り心地を確かめているだけである。
「まったく。塵芥どもに粘れられるほど、腹立たしいものはありません」
マフィア達の攻撃の合間、銃弾の装填時間を狙い物陰から飛び出す。まずは斧を投擲し1アウト。装弾が終わるより早く接近し、殴り潰して2アウト。発砲されるも目の前の死体でガードし、それを投げつけ3アウト。
ここまでわずか5秒の出来事である。
「全く……どれだけ掃ってもホコリはすぐ積もる」
「死にさらせぇ!!」
突っ込んできた敵を壁に叩き付けながら、彼は上階へと歩みを進めていった。
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「……ようやくお出ましですか」
暴れ始めて10分が経過した頃、カツカツと拍子を鳴らすように階段を下ってくる者がいた。首にファーを巻き、数人の部下を引き連れた見るからに横柄そうな男。そんな彼の顔に、ナナツは見覚えがある。
(アンナが持っていた写真の人物……この男がボスで間違いない)
「お初にお目にかかります。私ナナツというモノです」
「ハッ!俺はジョニー・ロッソ。この【ロッソ・ファミリー】を仕切ってるもんだ」
ジョニーが銃を構え、ナナツを見据える。
「これはこれはご丁寧に。私は貴方の抹殺が目的ですので、丁重にお命を頂戴したいのですが」
「俺がそれで、はいそうですかと答えると?」
「別にどちらでも構いませんよ。私は私の目的を遂行するだけですので」
「ハッ!働きモンは嫌いじゃねえ。だがいつまでその減らず口は叩けるかな?」
飛び出そうとしたナナツが、男の言葉を聞き停止する。なぜならその銃口の先に、彼のよく知る少女がいたからだ。
「アンナ」
絹のような白髪、あの主張の激しいドレスを見紛うはずもない。ジョニーの部下に支えられたアンナは意識を失っており、銃を突きつけられているにも関わらず眉一つ動かさずにいる。
「屋敷でちょろちょろしやがってなぁ。ウチの営業所潰した黒服と白髪ってのはお前らだろ?どういう関係かは知らねえが、随分仲がよろしいみてぇじゃねえか」
「まさか。最近彼女は反抗期でして。一緒に洗濯するなだの別の布団で寝ろだの嫌われてばかりですよ」
「んなもん知らねえよ……おい」
ジョニーに目配せされた部下の1人が、銃を投げ渡す。広間に重量感のある落下音が鳴り響いた。
「ソイツで自分の頭撃ち抜け。ズドンッ!てな。そうすりゃこの女は晴れて自由の身さ」
「ふむ。成る程、脅しということですね」
「飲み込みが早いじゃねえか」と言い、ジョニーはアンナへ銃口を押し付ける。彼の勝ち誇った、獣のような笑い顔を見て、ナナツは深いため息をついた。
「はぁ……貴方のような人間をこれまで数多く見てきましたが、なぜその誰もが貴方のように無知で愚かなのか……」
「ハッ!!情けねえ負け惜しみだなッ!」
「ただの事実確認ですとも」
ナナツが足元に転がった拳銃を拾い上げる。冷たい銃身は、彼の心の内を表しているかのようだった。
「わかりゃいいんだよわかりゃ」
覚悟を決めたと思ったのか、ジョニーはゲラゲラと笑う。そんな彼の動きには微塵の興味もなく、ナナツは自らの主である少女のことを見ていた。
「アンナ……」
ナナツの脳裏に1つの記憶がよみがえる。出会ったとき、彼女が放った”熱”の記憶。その色は、褪せることなく彼の心の中に残っている。彼にとって、それを守るより大事な事象はこの世に存在しないのだ。
「貴方の怒りを信じます」
そう言い残し、男は引き金を引いた。
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『隠れなさい!!』
誰かの声。
クローゼットの中へ押し込められた少女は、体を震わせ神に祈った。扉の隙間から見える燃え盛る生家。血に濡れた両親。全てを奪っていく下卑た顔。
脳裏にこびりつくその光景は、少女の中でウジのように駆け巡り、気の狂いそうなほどの怒りと怨嗟が小さな心を満たしていく。
そして、彼女の発した”熱”を頼りに「ソレ」は現れた。
『私を呼んだのはあなたですか?』
ソレは人の業から生まれた。
ソレは人の願いを叶える。
ソレは人の”熱”を食う。
『許せないの。私の全てを奪った奴らがのうのうと生きてる世界が。あいつらの全部を奪わなきゃ私は……死んでも死にきれないッッ!!』
強いものは奪い、弱いものは奪われる。この世界に遍在する数多くの真実のひとつ。
それでも、と少女は思う。それは力ある者の欺瞞だ。本当に強い人間は誰から奪わずとも、愛され、敬われ、世界に必要とされるはずなのだ。自分の中のエゴも恨みも、世界を変えるために振るえるはずなのだ。
『私に残ったものとかどうでもいい。そんなのいくらでもあげられるから。だから、私の願いを──』
『奴等を壊す、力を下さい』
彼女の中に生まれた焔は、今も変わらず熱を放ち続けている。
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「ガハハッ!!あいつ本当に死にやがった!!ド級のバカじゃねえか!!」
仄暗い戦場でジョニーが腹を抱え笑う。
「約束通り命までは取らねえさ。……なにせ折角の上玉だからなぁ!仕込んで娼婦にでもしてやるよ!!」
「相変わらずえげつないぜボス」
「コイツは無駄死にだったな」
彼はゲラゲラと嘲笑うようにナナツの骸を見下す。周囲に控えた何人かの部下たちも、ボスにつられ下品な笑い声を響かせていた。
「ひとまず俺が味見でもしてやるか。おい!そのガキ縛り付けて──」
部下を呼ぼうとジョニーが振り向く。が、その動きは、顔に飛び散った得体の知れない液体によって静止する。
べっとりとへばり張り付いたそれが鮮血だとわかったのは、拭った手が真っ赤に染まったから。同時に彼の背後に控えていた部下が、糸の切れた人形のように倒れる。
「おい。どうした」
倒れた部下と目が合う。その眉間を、銃弾が貫通していた。
「ひ、ひぃ!!」
突如現れた未知の脅威に、ジョニーは立場に似合わぬ悲鳴を上げる。
──誰がやった?
黒服は死んだ。
頭を撃ち抜いて死なない者などいるはずがない。となればこれを引き起こした犯人は黒服以外ということになる。そして彼以外にこの屋敷入った人間は──
「ま、さか」
「気づくのが遅いわよお馬鹿さん」
嘲笑。
見上げると、数瞬前まで気絶していた少女がそこにいた。シャンデリアの上にいる彼女は身の丈に合わないライフルを構えており、その銃口からは白い硝煙が立ち上っている。
「お前、気絶してた筈じゃ……」
「あんなの演技に決まってるでしょ」
アンナが侮蔑を吐き捨てる。
「ジョニー・ロッソ。強盗教唆287件詐欺184件強姦42件殺人教唆24件殺人8件……あーもう数えるのもめんどくさい…」
「演技だと!?なんのために……」
「アタシたち二人が正面から突入したら、アンタは警戒する。でも人質が出来たアンタは……ナナツを脅迫しようと姿を晒した。すぐに逃げればいいものを、アンタは自分の見栄を満たすために合理性を捨てたの」
「わざと捕まったってのか!?お前らいったい何者だ!!」
ジョニーがわなわなと唇を震わせる。その姿を見て、少女は自ら名乗りを上げた。
「私の名前はアンナベル。アンナベル・リリージェーン。以後お見知り置きを、クズ野郎共」
シャンデリアから飛び降りたアンナ、もといアンナベルが華麗に着地する。そんな彼女の名前に、ジョニーは聞き覚えがあった。
「アンナベル…まさかお前、『簒奪者』アンナベルかッッ!?」
「ん?アタシのこと知ってんだ」
ジョニーがごくりと唾を飲み込む。
「簒奪者アンナベル……マフィア専門のイカれた殺し屋。狙われた組織にゃ骨も残らねえとかいう……」
思わぬ伏兵の登場に、ジョニーの額に汗が滲む。しかし、背後から部下がやってくるのを確認すると、その顔には幾分かの余裕が戻った。
「お前みてぇなガキが殺し屋だったのは予想外だぜ?だがこっちには十分な手勢と武器がある!!お前ら!あの世間知らずを蜂の巣にしろ!!」
彼の指示通り、大量の鉛玉がアンナを襲う。しかし彼女は踊るようにステップを踏むことで照準を散らし、柱の陰へ隠れることで回避する。正確無比な射撃をもってマフィア達を撃ち抜いていった。その攻撃能力はナナツの暴力に勝るとも劣らない。
「ボス!!このまま前進しやすぜ」
「いけ!!あのガキをすり潰せッ!!」
ジョニーが血走った目で叫びちらす。
「多少は戦えるようだがなぁ!!結局戦いは数なんだよぉ!!お前のような小娘1人で何ができるってんだ!!あぁ!?」
少しずつアンナに近づくマフィア達。
確かに多勢に無勢だ。アンナ達はこれまでいくつものマフィアを潰し歩いてきたが、『ロッソ・ファミリー』の構成員数はその中でもトップクラス。アンナ1人で全員を倒しきるのは不可能だろう。
──しかしそれは、アンナ1人では、という話である。
「いつまで寝てんの。そろそろ起きなさい」
「ハッ!!誰に向かって言ってんだ!!今更なにをし、よ、う、が……」
少女の言葉を鼻で笑ったマフィア達は、直後訪れた衝撃の光景に目を疑う。
「やれやれ……まったく人使いが荒い」
確かに自殺したはずの黒服。それが時を巻き戻るようにゆっくりと起き上がったのだ。
「……戦闘は私に任せれば良いものを」
「それじゃあアタシの復讐になんないし」
「お前……なんで……」
あまりの衝撃に、ジョニーは口をあんぐりと空ける。亡霊を見たような顔をする彼と同じく、彼の部下たちもまた目の前で起きた事象を呑み込めずにいた。
「?あぁ、驚いてるんですか。そういった反応は久しぶりで、少し照れくさいですね」
「そ、そんな事じゃねぇ!!頭撃ち抜いてんだぞ!?どんな手品使いやがった!!」
「ふむ、別にタネも仕掛けもないのですが」
ナナツは自らの顔を覆う包帯をゆっくりと解いていく。周囲を囲むマフィア達は息を飲みその光景を眺める。1枚ずつはがれていくそれの最後の一辺が剥がれ落ちた時──
「私は『奪い取る』悪魔、名をナナツ。以後お見知り置きを」
そこには何もなかった。本来顔があるべきところには空白が広がり、ほどかれた包帯は彼のぽっかり空いた首の穴の中へと消えていくか、足元に散らばっていくのみである。
無いものに当たる弾は無い。彼の頭を撃ち抜くハズの弾丸は、何も無い空を通り過ぎたに過ぎなかった。
「首がねぇ!!」
「ば、化け物だーッッ!!」
「おや?逃げるのですか?」
ナナツが人街であるとわかり、数人の構成員が恐慌状態に陥る。それを見たナナツがおもむろに彼らを指さすと、先ほど解かれた包帯が意思を持つかのように動き出し、瞬く間に彼らを拘束してしまった。
「残念ながら、丸見えですよ」
「ギャー!!!!」
柱の陰に隠れ、隙を伺っていた構成員の一人をナナツが引きずり出す。
「な、なぜ俺の居場所がッ!!」
「私には人間の”熱”が見えるのですよ。人間はそれを『怒り』や『恐怖』と呼ぶそうですが」
捕まった構成員の悲鳴がこだまする。
一見理知的、紳士的に見えるナナツだが、その本質はただの享楽主義者である。人を糧に生きる悪魔に人間らしい感性があるのは、アンナにはとても皮肉なことに思えた。
そうして屋敷内で立っているのはアンナ達とジョニーの3人だけになる。
「じょ、冗談じゃねぇ!!お前ら本当に何しに来たんだよ!!」
「何って言われたら……うーん…お掃除?」
「何が掃除だこの人殺しがぁ!!いっちょ前に善人面してんじゃぎゃぷッ!?」
ジョニーの糾弾を遮るように、アンナの飛び蹴りが炸裂。もろに食らった男は受け身をとることもできず派手に吹き飛ぶ。ジョニーに馬乗りになったアンナは、背中に背負っていたライフルを容赦なく叩きつける。何度も何度も徹底的に。
「ごえッ!グハッ!」
「人様の物奪って!街を荒らして!数えきれないほどの人を不幸にしてるアンタたちがッッ!!アタシに道徳説いてんじゃねえッッ!!てめえらをぶっ壊して廃棄処分すんのが掃除じゃなきゃなんだってんだ!?」
「アンナ、もう気絶しています」
怒り狂うアンナをナナツが静止し、屋敷の中は静まり返る。少女の足元には意識を失い、顔が腫れあがった男が転がっているが、ナナツが止めに入ったのは別に彼の身を案じたとかではない。
「あまり発散されても困るのですよ。私にとってあなたの”怒り”は最高級のフルコースなのですから」
「ほんと最低……」
相変わらずの悪辣具合に、アンナがため息をつく。要はアンナにずっと怒っていてほしいので、気のすむまで殴られると困るというわけだ。初めにナナツだけで襲撃したのもアンナに暴れられすぎるのを避けたいというナナツの都合が関係している。
クズから全てを奪い取る。
マフィアの襲撃により全てを失ったアンナが、あの日決意した大きな野望。目の前に横たわる男達の姿を見て、彼女は自分の野望が少しずつ前進していることを実感した。
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数か月後。
「アンナ、手紙ですよ」
「うん?あぁあの時の!」
アンナ達が過ごす事務所へビートから手紙が届く。宛名もなにもない前回と異なり、今回は表面にアンナ達の名前がしっかり書かれている。
「なになに?『マフィアを追い出してくれてありがとう。あの後街の治安が回復して、仕事も回るようになりました。今は街のカフェでバイトしてます。大変だけど、おかげで薬も買えて、妹の病気もよくなっています』、だってさ。よかったよかった!」
「?なぜアンナが喜ぶのですか?」
「アタシの復讐が人の役に立ったから、かな」
アンナが鼻歌交じりに言う。
「自分の為にやってることが人の為にもなる、こんなお得なこともないでしょ?」
「なるほど。それがあなたの……簒奪者の心得ですか」
ナナツにはいまだアンナのことが理解できない。彼女の中にはあの日からずっと燃え続ける不朽の炎がある。にもかかわらず、時に彼女はこうも楽しげな顔をする。このような二面性を持つ人間を見るのは、ナナツにとって初めての経験だった。
「……ですがそこが面白い」
ナナツのつぶやきは電話機のベルにかき消される。無論少女にその言葉は届かず、彼女は相手を待たせまいと2コールで受話器を手に取った。
「はい!アタシたちにどんな依頼で?」