浮気疑惑の婚約者を探ったら、貞操の危機に陥りました!
吸血鬼、ジャックオランタン、フランケンシュタインにミイラ、魔女に狼男、なぜかナースまで。講堂はコスプレをした生徒であふれかえっている。
今日は十月三十一日。つまりハロウィン。
きょろきょろと辺りを見回しているとマーメイド姿の友達が
「トスカさま。どなたかを探しているの?」
と聞いてきた。
「いいえ。こんな仮装は初めてで、驚いてしまって」
「そうね」
友達と一緒に淑やかに笑いあう。
私たちの通うシュシュノン学園は、ただいま盛大なハロウィンパーティーを開催中。この世界は乙女ゲームの世界だから、こういうイベントは目白押しなんだよね。しかもものすごく力が入っている。
王侯貴族が通う学校だから普段はマナーに厳しいくせに、今日は無礼講とばかりに仮装コンテストがあるし、それにはカップル部門まである。多少男女がいちゃいちゃしていても怒られないらしい。
きっとこの状況が、ゲーム展開で必要なんだろうな。
私、トスカ・マルケイには前世の記憶がある。そちらの世界で一部の女子に人気だったのがこの世界の元、乙女ゲーム『シュシュノン学園』。だから私が前世を思い出したとき、わりとすぐにここがどこかはわかった。ただ、このゲームは冒頭しかプレイをしたことがないから、詳しくないんだよね。
でも私は平々凡々な伯爵家の長女でゲームのキャラじゃないから、大丈夫。去年婚約したばかりの相手、ウベルト・スペルティもそう。伯爵家の嫡男の彼は、イケメン寄りの秀才だけど攻略対象たちに比べれば凡夫。だから私は安心していた。
仲だってけっこう良い。なにしろ、もう手つなぎデートもしてしまったんだから。前世の十六歳としてはアレだけど、今世の貴族令嬢の十六歳としては進んでいるほう。友達の中にデート経験者はいないもの。
「ですが」と友達。「ウベルトさまが欠席だなんて。お淋しいですわね」
「……ええ」
「風邪ですって?」
「そのようですわ」
「早く治るといいですわね」
「本当に――あ」
友達の婚約者がやってきた。魔女の仮装で。ふたりで人魚姫になりきってコンテストのカップル部門に出るとは聞いていたけれど、まさか彼が魔女役とは。きっと王子の仮装をしても、リアル王子には勝てないと判断したのだろうな。生徒にはこの国の王子も隣国の王子もいるものね。攻略対象であるふたりの美貌は、もちろんのこと天元突破だ。
私をひとりにすることを心配する友達を、無理やり送り出す。実はこの機会を待っていたんだよね。周りに怪しまれない程度に首をめぐらしながら、歩き始める。
ここ二週間ほど、ウベルトに避けられている。最初は気のせいかとも思ったけれど、その態度はもう勘違いしようのないほどだ。私がなにかして怒らせてしまったのかもしれない。彼につれなくされればされるほど胸が痛み、私は自分で考えていた以上に彼を好きなんだと気がついた。彼との婚約は親が決めたものだし、出会ってから一年しか経っていないというのに。
どうすればいいのだろうと悩んでいた私は、おとつい嫌な噂を聞いてしまった。
ウベルトとゲームのヒロインが校舎裏で密会をしていた、というもの。それも何度も。
信じたくない。
だってウベルトは攻略対象じゃないもの。ヒロインの恋愛相手は顔も頭も個性もケタ外れのヒーローたちのはずだよね? ウベルトは普通の伯爵令息だよ?
だけど、すごく良い人だ。とにかく性格がいい。優しくて頼りがいもあって、でもちょっと可愛いところもある。ヒロインが彼のそんな魅力に気づいちゃったのかもしれない。そしてウベルトもヒロインの虜になっちゃったのかもしれない。
――考えるだけで泣きそう。
私が今探しているのは、ヒロイン。小耳に挟んだんだけど、どうも彼女の姿を誰も見ていないらしい。そして欠席しているウベルト。
まさかとは思うけど、ふたりして密会をしているなんてことは……。
いやいや、そんなはずはない。学校行事をさぼるなんて、ウベルトらしくないもの。この講堂にヒロインがいてさえくれれば、変な心配はしなくてすむ。だから彼女を探すのよ。
◇◇
人気のない廊下を、気配を極力消して歩く。
結局ヒロインはみつからなかった。やっぱりウベルトと密会をしているのかも。そう考えるといてもたってもいられず、男子寮に忍び込んでしまった。みんなハロウィンパーティーに行っているおかげで、すんなり入れた。
女子生徒の立ち入りは禁止されているけど、ウベルトの部屋の場所はわかっているんだ。前に外からだけど、教えてもらったから。
部屋に彼がいれば。そうすれば心配は杞憂だったと笑い飛ばせるはずだよね?
でも、もしいなかったら?
頭をぶんぶんと横に振る。
そんなことはないって信じているもん。
――信じているなら、部屋を見に行ったりはしないでしょ?
頭の片隅にそんな考えが浮かぶ。
もうなんでもいい。早くこの漠然とした不安に決着をつけたい。
ウベルトの部屋に着く。深呼吸をひとつして、それからドアをノックした。
「……はい」
中から弱々しいウベルトの声がした!
いる!
良かった。ヒロインと密会してなかった。ほっとして涙がにじむ。
「ウベルト。私、トスカよ。心配だから来てしまったわ。入るわね」
「トスカ!?」
ドアを開けるとベッドの掛け布団が大きく揺れていた。こんもりと盛り上がっているからウベルトがそこに寝ているみたいだけど、姿が見えない。頭までふとんをかぶっている。
「お具合はいかが? お見舞いを持ってきましたわ」
腕に掛けたカゴをサイドチェストに置く。くだものをいくつかとポットに入れた生姜紅茶。
「ああ、うん、ありがとう。だが風邪がうつるといけないから、すぐに部屋を出てくれたまえ」
ウベルトが顔も出さずに、ふとんの中から言う。
胸がぎゅっと苦しくなる。
やっぱり私に会いたくないの?
それとも男子寮に侵入した私にドン引きしている?
……そうだよね。冷静に考えたら、令嬢のやることじゃなかったかも。
「ごめんなさい。ウベルト様のご都合も考えずに非常識なことをしてしまいました。……最近あまりお会いできていなかったから、お顔を見て安心したかったのです。今出て行きますから、どうぞ嫌わないでくださいな」
少しだけ声がふるえてしまった。にじむ涙をてのひらで拭い、彼には見えないだろうけれど頭を下げる。
「き、嫌うなんてないっ!!」
ウベルトの切羽詰まったような声に、ドアに向けて踏み出しかけていた足を止めた。
ふとんからウベルトが顔を出している。
「会えなかったのは、すまない。ちょっと……あれこれあって。お見舞いに来てくれたのも嬉しい。本当だ」
そう話すウベルトの顔は赤く、目はうるんでいる。
「ウベルト様!」駆け寄り、彼の額にさわる。「熱が高いのではありませんか!」
「っ! 問題ないっ!」
「大変、誰か呼んで来ないと」
「大丈夫だから!」
「ああ、その前に冷やすものを――」
水差しとタオルがあれば、濡らして額にのせられる。部屋を見渡すと、ドア脇の棚に水差しがあった。取りに行こうとして、急いだせいか足がもつれた。
「危ない!」
転びそうになった私をウベルトがベッドから飛び起きて支えてくれた。
「ごめんなさい、病人になんてことをさせて――」
んん?
なにかな、目がおかしいのかな?
私を支えているウベルト。彼は異様に小さい黒色のベストを羽織っている。素肌の上に。胸もお腹もほぼ丸出し。跳ね飛ばした布団からちらりと見えるのは立派な太もも。なぜなら下半身には極小のホットパンツしか履いていないから……。
「え、ウベルト様、これは?」
ふと、彼の背中側に細いものがゆらゆらと揺れているのに気づいた。先端がピンクのハートになっている。
「……ハロウィンパーティーに行くつもりでしたの?」
「いや、その」
ウベルト様ののどがゴクリと鳴る。
「素敵ですけどちょっと、というか大変にセクシーすぎではないでしょうか」
だってこれ、ほぼハダカ! この世界じゃ完璧ハダカ認定だよっ! なんたって昔のヨーロッパを模した世界なんだから。しかも貴族!
「……でも君も、その魔女っ子衣装は……」
ウベルトののどがまたもゴクリと鳴った。
「ええと、これは」
私の仮装は魔女。三角帽子にAラインの黒いワンピ。今は持っていないけど、講堂にいるときは背中にホウキをしょっていた。
「ちょっと丈が短いよね」
彼の目が私の足をガン見している。なにしろ裾は膝上。貴族令嬢の着る丈じゃない。でも今日だけは無礼講だから、これくらいは結構いる。ただ。足を見せるのはご法度だから、誰もが長い靴下で肌を出さないようにはしている。私も、さっきまではそうしていた。男子寮に入るまでは。
今はちょっとだけ下げて、わずかに肌が見えるようにしている。前世では『絶対領域』と言われたアレを意識して。下品に思われたくないから、ちょぉっと長さが足りませんでした感を出してはいる。一応。
だってウベルトに私を意識してもらいたかったんだもん!
「可愛い」
吐息混じりの熱を帯びた声。
「本当! 嬉しい!」
「……もうムリっ!」
ウベルトが叫んで私を引き寄せた。勢いあまって彼の足の間のベッドに正座してしまう。
「実はね、トスカ。君に打ち明けなくてはいけないことがある」
「え、やっぱりヒロインとなにかあるの?」
「ヒロイン?」
ウベルトに、彼がとある女子生徒と噂になっていることを説明した。すると彼は笑った。
「違う、それは僕じゃない。彼女の恋人はロベルト・ボナペティ先輩だ。有名だよ」
「え、じゃあ……」
「君の聞き間違いだね」
「そうなのね。良かった。私、ずっと不安で」
「ごめん」
ウベルトの手が私の頬を優しく撫で、心臓が口から飛び出しそうになった。今までこんなことをされたことはない! なんか気のせいか、手付きがイヤラシイし!
「誤解したのは僕が君を避けていたせいもあるよね」
「ええ」
「本当にごめん。実はうち、先祖にサキュバスがいてさ」
サキュバス?
「魔物の?」
「そう。いわゆる淫魔ってやつ」
「実在するの?」
「するよ。僕がそうだから。男だからインキュバスだけど。どうも先祖返りをしちゃったらしくてね」
ほら、とウベルトは背中を見せた。ベストは背中側もほぼ布がなくて、丸出しの背中に小さな黒い羽が一対生えていた。
「しっぽも本物」
確かにそれはゆらゆらと揺れていて、作り物には見えない。
「普段は平気なんだけど」とウベルト。「ハロウィンの日だけはこの姿に勝手に変身してしまうんだ。前後二週間は、精神もインキュバスに近くなってね」
ウベルトがにこりとする。
それから急に頭を下げると、私の鎖骨あたりにちゅっとキスをした。
「ウベルト!」
顔が熱い。
キスが何度も繰り返され、ウベルトの手が絶対領域をさわさわしている。
「ウ……ウベルト!」
「ん」
顔を上げたウベルトがまたにこりとする。鼻が触れそうなほどの至近距離。どことなく淫靡な雰囲気。心臓が壊れそうなほどにドキドキしている。
「この二週間、君を誘惑したくて仕方なくてね。だから避けていたんだ。令嬢である君に、手を出すわけにはいかないだろう?」
ウ、ウベルトの目が!
目がすごい!
なんだかよくわからないけど、色気がすごい!
目を離せない。
「トスカ」
耳をウベルトにパクリと喰われた。
「ひゃっ!」
とおかしな声が出て、ゾワゾワっとする。
「……ダメっ」
「そのお願いは聞けないな」
艶のある声に背筋がぞくぞくする。
まずい。
これはまずい。
流される。令嬢としてはまずい方向に。
……でも、それもいいかな?
いやいやいや、ダメ。絶対にダメ。
ウベルトは今、通常のウベルトではないんだから。
彼を押し返そうとしたそのとき。
コンコンとドアをノックする音がした。
思わず悲鳴を上げそうになり、慌てて手で口を塞ぐ。
ウベルトが尋常ならざる早さで動いた。
ドアが開く音。
「具合はどうだ」
この声はウベルトのクラスの担任だ!
「ええ、まだちょっと」とウベルトが答える。
私は布団の中。たぶんさっきのウベルトのように頭からつま先まですっぽり入っているのだろう。ほぼハダカのウベルトと密着していて鼻血が吹き出してしまいそう。
「そうだな、目が潤んでいる。薬は?」
「のみました」
「そうか。なら、ゆっくり寝ろ」
「そうします、先生」
ふたりはそんな会話をしている。担任は気づかないらしい。絶対に布団の盛り上がりがおかしいと思うんだけど。だって私が隠れているんだよ?
だけど担任は怪しむことなく、部屋を出て行った。
布団がめくられ、妖しい笑みを浮かべたウベルトが私の顔をのぞきこむ。
反射的にベッドから転がり落ちる。
「帰るね! お大事に!」
「トスカ!」
ドアに駆け寄り開く。と、
「お。お前たちもウベルトの見舞いか?」
という担任の声が聞こえてきた。
「そうです」
と答える複数の声。ウベルトの友達だ。
どうしよう!
ドアを閉めて、部屋をぐるりと見る。クローゼットが目に入る。そこに突進すると中に入り、扉を閉めた。
部屋のドアが開く音。それに続く
「ウベルト、仮装を見せに来たぞ」
との声。
間一髪だった!
ほっと息をついて、額の汗を拭う。たぶんウベルトも布団に身を隠したのだろう。男子たちの楽しそうな会話が聞こえてくる。
彼らが帰ったら、私も帰ろう。素早く。なる早で。
ふう、とため息をつく。
それにしても落ち着いてみると――。
さっきのことを思い返したとたんに、ぎゅんと顔に血がのぼる。私ってばすごいことをしてしまった。まだ手つなぎデートしかしたことなかったのに。
あれ? ちょっと待って。
段階、違わない?
手つなぎの次はキスじゃない? そこ、すっ飛ばしているよね?
微妙にショックを受けながら、いやそれは通常のウベルトとしたいからこれでいいのだと考えてみたり、いややっぱり残念だと思ってみたり。
ていうかこの先二週間も、ウベルトの精神は今のままなんだよね? それならまた、こんなことが起きちゃかも。
それは令嬢としては困っちゃうなあ。
それにしても、友達は帰らない。ここ最近、不安であまり寝られていなかったから、眠くなってきちゃったよ――。
◇◇
夢うつつの私がうっかり扉を蹴飛ばして友達たちにみつかり、大胆すぎるカップルと囃し立てられるのはもうちょっと先のこと。
《おしまい》
◇おまけ◇
その頃のヒロイン。
恋人ロベルト(攻略対象ではない)と、仲良く裏方仕事をしている。
トスカの友達。
デートをしていないだけで、トスカより遅れているとは限らない。