プロローグ
『長いようで短かった来し方を振り返るとき、眠りは小さな死であり、目覚めは小さな誕生である、との言葉が浮かんでくる』東山魁夷(画家)
霧立ち込める朧月夜は静かで、これから起こる少女の悲劇を覆い隠すような空模様だった。舞台は19世紀末英国を思わせる異世界……B国首都、L都の一画。赤レンガ造りの荘厳なタウンハウスである。議会に出席するため、彼の関係者達と共にクライミングローズ伯爵が滞在していた。伯爵の義娘であるカレンは、物の少ない質素な部屋に生活している。普段はカレン一人で過ごしていたが、その時は来訪者がいた。カレンと来訪者はテーブルに向かい合ってかけている。カレンは来訪者に微笑むと、自分のカップから紅茶を一口飲んだ。次の瞬間、カレンはおもむろに立ち上がった。彼女の座っていた椅子が後ろに倒れ、大きな音をたてる。声なき悲鳴が令嬢の部屋に転がった。カレンは激しく咳き込み、数秒もしないうちに床へと倒れこんだ。
部屋の外から足早な靴音に続き、ノックが響く。
「お嬢様? なにやら大きな物音がいたしましたが……お嬢様?」
来訪者は立ち上がり、窓へと向かった。カレンの視界を来訪者の足が横切る。意識が遠くなるのを感じながら、カレンは祈っていた。
――ああ、どうか。
窓が勢いよく開けられる音を聞きながら、カレンは力なく瞼を閉じた。
――あなたに……。
そして、運命は回り始める。