第143話:赤い少女、黒い影
■Scene1:クロエ館・中央舞台、沈黙の中で
深夜の旧劇場・クロエ館。
ロビーに落ちていた絵――キムチを手に微笑む“赤い少女”――その背景に描かれた“黒く塗り潰された人々”。
「……これ、何を意味してるの?」
凛奈が問いかけると同時に、背後で“ギィ……”と、音がした。
舞台の幕が、ゆっくりと、誰かの手で開けられる。
誰もいないはずの劇場。
しかし、そこには一人の人物が立っていた。
フードをかぶった、その男は、静かに言った。
「ようこそ。“君を描いたのは、僕”だよ」
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■Scene2:名乗らぬ男、“Yeon-Z”を語る者
「あなたが……ヨンジー?」
「そう名乗っても、誰も証明はできない。
あの名前は“仮面”さ。誰でも、まとえる」
男の声は冷静で、だがどこか切実だった。
彼は凛奈を見つめながら、話し始めた。
「釜山には“見せることが許されない芸術”がある。
誰かの笑顔すら、誰かにとっては“攻撃”になるんだよ。
君があの役を演じれば、また誰かが――消される」
「……脅し?」
「警告だ。
今なら、やめられる。
まだ“君の中の正義”が、間違わないうちに」
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■Scene3:凛奈の選択、「描かれる側」から「描く側」へ
沈黙。
そして凛奈は、わずかに口元を上げた。
「……残念だけど。私は、やめないよ」
男の目が鋭くなった。
「君には“表”の顔がある。女優、社長、探偵。
そのすべてが、釜山という“都市”では脆い。
“キムチだけでは救えない”世界に足を踏み入れたんだ」
「それでも、やるのが私」
凛奈はポケットから小さなキムチパックを取り出し、舞台上の床に静かに置いた。
「これはね、私の“名刺”なの。
誰が何を描こうと、私は、私の“線”で答える」
男は黙ったまま凛奈を見つめ――そして、舞台裏へと姿を消した。
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■Scene4:朝の事務所、変わる風
翌朝。
凛奈は、何事もなかったように事務所で朝食をとっていた。
姉・信恵が新聞を読みながらつぶやく。
「ねえ、旧劇場の取り壊し、来週だって」
「え? じゃあ、もう入れないんだ」
「なんかあったの?」
凛奈は微笑み、食べかけのキムチを一口食べた。
「ううん、ちょっとした“舞台挨拶”にね」
ジウンがスケジュール表を広げる。
「ところで凛奈さん。ドラマ側から“脚本の修正相談”が入りました。“現場の安全確保のため”とか」
「やっぱり、誰かが本気だったんだな……」
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■Scene5:画廊に届いた“最後の絵”
その頃。
西面の画廊“HAE STUDIO”に、一枚の新作が届いた。
タイトルは――『赤い少女、黒い影』
作家名はなく、ただ一点。
画面の右下に、小さく描かれていたのは――
キムチのパック。




