第132話:軽井沢の蕎麦と血の記憶
再始動した探偵業。
その一歩を踏み出した秋田での事件のあと、私はふたたび長野・軽井沢を訪れていた。
本当は、ほんの少しだけ“女優”として、
そして“ひとりの人間”として静かな時間を過ごしたかっただけだった。
けれど――
キムチが導く先に、「静けさ」は存在しないらしい。
出会い、再会、偶然、そしてまたひとつの事件。
軽井沢の名店・川上庵で始まったのは、
かつての私と、今の私を繋ぐ、大切な時間と決断の物語だった。
■Scene1:川上庵にて、久々の“サイン会”
長野県・軽井沢。
初夏の風が心地よく、木立の間を通り抜けるたびに、かすかな蕎麦の香りが漂ってくる。
旧軽井沢銀座通りの喧騒から少し離れたところにある蕎麦の名店「川上庵」。
私は久々の休息を求めて、ひとり静かにその暖簾をくぐろうとしていた――はずだった。
「えっ、あれ……凛奈ちゃん!? 本物ですか…!?」
一人の女性の声が上がったかと思えば、あっという間に人の輪が広がっていた。
「わ、サインください! これ、私が着てきたドラマのTシャツなんです!」
「私、ずっと応援してました!『記憶探偵・キムチの涙』、DVD持ってます!」
「お母さんにも会わせてもいいですか!?」
差し出される色紙、Tシャツ、帽子、そしてドラマのグッズらしきトートバッグ。
驚きつつも、私は笑顔で一つひとつに丁寧にサインを入れた。
「お仕事がんばってね」
「また一緒に未来で会おうね」
「探偵と女優、どっちも応援してくれてありがとう」
握手を求められるたびに、心の中に温かな灯がともっていく。
ああ、やっぱり私は「戻ってきた」のだ――そう実感するひとときだった。
■Scene2:梨紅さんとの偶然の再会
一段落ついて店に入ろうとしたそのとき、背後から聞き慣れた声がした。
「……凛奈ちゃん?」
振り返ると、そこには懐かしい面々の姿があった。
笑顔の奥に柔らかい誠実さを感じさせる少女、美香。
その兄の梨紅、父の敏幸、そして母の馨。
――黄金さんの親戚一家。
私にとっては、かつての“守られた時間”を思い出させる、大切な人たちだった。
「まさか軽井沢で会えるなんて!これはもう運命かも」
「良かったら……一緒にお昼をどう? 凛奈ちゃんに、ごちそうさせて!」
私が「うれしいです」と答えるよりも先に、美香ちゃんがにっこりと手を引いてくれた。
■Scene3:食事と、家族の会話
川上庵のテーブル席は、広く、木の温もりに満ちていた。
外の緑を眺めながら、自然と肩の力が抜けていく。
「私は天せいろ、妹は鴨せいろ。父は温かいきのこそば。母は天丼付きで」
「じゃあ私は……胡桃だれせいろで!」
料理が運ばれてくる間、家族との話に花が咲いた。
話題は女優業のことから、探偵としての再始動のことまで、自然と広がっていく。
「また探偵に戻ったって聞いたわ。うちの会社でも話題になってるのよ」
「“あのキムチ探偵、復活だ!”って社内チャットで盛り上がってたくらい」
「ここで会えると思わなかった」と美香ちゃんが、嬉しそうに蕎麦湯を注いでくれる。
そんな穏やかで和やかな時間の中、
唐突に――外からサイレンの音が響いた。
■Scene4:裏通りで起きた異変
「……なんだろう?」
騒がしさを感じて外に出た私は、旧軽井沢銀座通りの裏手で、人だかりができているのを目にした。
その中から一人の刑事が小走りでこちらに近づいてくる。
「朴凛奈さんですね? 軽井沢署の戸田です」
「突然すみません……実は、店の裏通りで傷害事件が発生しました。助けていただけませんか」
私は小さく頷き、そのまま現場へ。
倒れていたのは、中年の男性。
首元に深い切り傷を負い、意識はまだ朦朧としている。
彼の足元には、破れたキムチのパックが転がっていた。
(また、キムチ……?)
それを見た瞬間、心が静かにざわめき始めた。
■Scene5:再びキムチの力を
「……もう迷ってはいられない」
私はしゃがみこみ、落ちていたキムチの小さな断片を拾い上げる。
ほんのひとくち、口に含んだ瞬間――
世界がゆっくりと反転した。
視界には、事件が起きる少し前の記憶が流れ込んでくる。
夕方の裏通り。
倒れていた男性と、若い男が対峙している。
「……あんたに、俺の家族は壊されたんだ!」
「待て、話せばわかる……俺は悪くない……!」
男の怒りは本物だった。
そして、彼のポケットにはあのキムチのパックが――
(犯人は……復讐の衝動に駆られて、刃を振るってしまったのだ)
私はそっと目を開けた。
■Scene6:犯人確保、そして一歩先へ
戸田刑事と軽井沢署の連携で、逃走していた犯人はすぐに確保された。
証言と記憶、そして防犯カメラの映像も一致し、容疑は確定。
幸いにも、被害者の命に別状はなく、搬送先の病院で回復に向かっているという。
「凛奈さん、あなたの力は……やはり本物ですね」
そう言って手を差し出してきた戸田刑事に、私は静かに手を重ねる。
「……はい。私でよければ、いつでも」
再び川上庵に戻ると、家族が待っていてくれた。
「行ってきたのね」
「やっぱり、凛奈ちゃんは……探偵だよ」
その言葉に、私は初めて、心から頷けた気がした。
“再開してよかった”。
その言葉を、私は自分自身の中に深く刻んだ。
探偵としての鼓動は、もう止まらない。
キムチとともに、“次の真実”へと歩み続けるのだ。
“再開してよかった”
その言葉を、ようやく自分自身に贈ることができた気がした。
ファンの笑顔、家族のあたたかさ、そして――
逃げずに事件に向き合った自分。
軽井沢で出会ったすべての人と瞬間が、
「探偵」としての私の覚悟を、もう一度確かなものにしてくれた。
真実に寄り添うことは、時に痛みをともなう。
けれど、それを知っているからこそ、誰かの未来を守れる。
次は、アウトレット軽井沢にて
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“キムチの記憶”とともに、また次の真実へ――。
次回も、どうぞお楽しみに。




