特別編:「ロンドン・ステージに響く銅の鐘 ―女優と演出家、二つの影―」
探偵と女優。
二つの顔を持つ少女は、いま霧の街・ロンドンに立つ。
私は朴凛奈。
釜山の探偵事務所に籍を置く高校生であり、時にスクリーンや舞台に立つ女優でもある。
だが、この街では、そのどちらでもない“異邦人”だった。
戦火に揺れる銅の鐘を守る物語『The Bell of Copperfield』。
その舞台のために、私は役者として呼ばれ、
そして――運命のいたずらか、
またもや「本物の事件」に巻き込まれてしまった。
舞台でも、現実でも、
真実は簡単に姿を現さない。
だけど私は、
キムチとともに、心の鐘の音を信じて進む。
これは、探偵が女優となり、
女優が探偵に戻るまでの、ひとつの幕間劇。
静かに響く鐘の音とともに、お楽しみください。
■Prologue:ヒースローに降る霧
秋のロンドン。
霧雨の滑走路を見下ろしながら、凛奈は胸ポケットの小瓶を確認した。
英国公演への出演依頼──タイトルは『The Bell of Copperfield』。
シェイクスピア400周年フェスのトリを飾る新作で、世界配給を目論む大手配信社がスポンサーだ。
凛奈の役は、戦禍の街で“銅の鐘”を守り続ける謎の東洋人女性〈ナデイン〉。
英文学×アジア神秘のハイブリッドに、英演劇界は半信半疑。
だが演出家ローランド・ケンプは「実際に戦火を歩いた目が欲しい」と凛奈を指名した。
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■Scene1:グローブ座のオーディション地獄
シェイクスピア・グローブ座。
木造の円形劇場に響くのは、鋭い発声と足を踏み鳴らすルネサンス音楽。
凛奈は慣れぬ“腹式+R発音”に苦戦。
台詞:「Ring once for grief, ring twice for grace.」
が、《Ring once fo–gleef…》と巻舌で滑る。ケンプは腕組みしたまま無表情。
昼休み、凛奈は外階段で即席プルコギサンドを頬張り、キムチを添えた。
辛味に喉が開く感覚――次のオーディションでは、息を抑え囁くように歌い上げた。
「Ring once…(過去へ)、Ring twice…(未来へ)」
観覧席が静まり、ケンプの掌が音を立てた。
「That is time, Ms.Park. 共演決定だ。」
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■Scene2:台本改稿と“銅の鐘”の真意
稽古3週目。
ケンプは台本103ページを破り捨て、凛奈に投げた。
「君の“沈黙”の方が台詞より強い。 ナデインに”祈り”を追加する」
凛奈は韓国語で詠む古い般若心経を提案。
“異国語を使う勇気”が西洋キャストの緊張を刺激し、互いの存在感が拮抗した。
夜、凛奈はテムズ河沿いをジョギング。
オールドセントポール大聖堂の鐘が低く鳴る。
―この街では、音が“時”を支配してる。
私は時計ではなく“鐘”の呼吸を覚えなきゃ。
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■Scene3:舞台直前トラブル—消えた鐘
ゲネプロ前夜。大道具倉庫の“銅の鐘”が消えた。
代替品は間に合わず、ケンプは蒼ざめる。
プロップ主任は「搬入口の監視カメラが30分ブラックアウト」と報告。
舞台でも事件でも、凛奈の嗅覚は同じ。
――小瓶を開けかけて、首を振った。
「今日は探偵じゃない。“女優”で解決する」
彼女は美術監督を呼び即席プランを提示。
カテドラル背景を拡大投影し、鐘の影だけを吊るす。
影は質量を奪われ、ナデインが抱く幻想を象徴する。
ケンプは呆然、「だが音は?」
凛奈は胸のキムチ瓶を掲げ笑った。
「鐘の矩形波は重低音より《鼓動》。“心臓マイク”を服の内側に」
開演2時間前、音響班が凛奈の心拍を拾い重低音に変換。
“真の鐘”を鳴らす準備が整った。
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■Scene4:本番、息を呑む98分
客席満員。
幕開けから息を詰めるロンドン子の瞳。
クライマックス、瓦礫の塔でナデインが腕を広げる。
影の鐘が揺れ、音響席でエンジニアが親指を立てる。
ドン──ドゥン── 深い重低音が劇場全体を震わせる。
実際に鳴ったのは凛奈の高揚した心臓。彼女は叫ぶ。
「One bell for the past, and one…for those yet to live!」
照明が落ち、暗転。
拍手は2分後に始まり、止まなかった。
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■Scene5:ロイヤルレセプションと探偵回帰
王室後援のレセプションで、凛奈はケンプからブロンズメダルを首に掛けられる。
「君の鼓動がこの作品を救った。次は“監督補”で戻ってくれ」
グラスを掲げた瞬間、スマホが振動。
件名:「プラハ国立博物館 展示宝石の幻影盗難」
凛奈はメダルを胸にしまい、密かにキムチ瓶を握った。
「ロンドンの鐘は鳴った。今度は中欧で宝石が消えた?
女優の衣装で行くか、探偵のコートで行くか…両方だね。」
テムズの濃霧が橋を包み、街の灯が滲む。
探偵と女優――二つの影が重なる未来へ、凛奈は再び歩き出した。
ロンドンの舞台裏には、
華やかな光だけでなく、静かな闇も存在します。
今回、凛奈は「演じること」と「生きること」の境界線で、
探偵としても、女優としても、
自分自身を問い続けました。
鐘の音は過去を振り返り、
鼓動は未来を願う。
――人は誰でも、
心のどこかに“鳴らしたい鐘”を持っているのかもしれません。
次の舞台はプラハ。
探偵か、女優か、それともその両方か。
凛奈の旅は、まだまだ続きます。
また世界のどこかで、
彼女の心臓が鐘を鳴らす時、
その音を聴いてもらえたら嬉しいです。