じいちゃんの道と警官命令
「イタズラ電話とかされてない?」
次の警官さんの質問は純粋に心配げで、尋問という感じではなかった。
「ないです。かかってきたのはお巡りさんが最初……」
女性警察官さんはじっと天登を見つめた。
天登は「お巡りさん」って失礼な呼び方だったか、でも婦警さんって言っちゃいけなくなったはず、などとまた思いに沈んでいた。
「もう何日もここらうろうろしてるわよね? 聞きそびれてたけど、どこに泊まってるの?」
「本藤キエ宅です」
「もしかして……、親戚?」
「はい、孫ですが……」
ハハハハハッと女性が呵々大笑する声が田んぼに響き渡った。
「この道路は私道なの。本藤のじいさんが舗装させて使いたければ誰でも通っていいよって。あんたがその孫じゃ、でかでかと落書きしても、器物損壊罪には問えないねぇ。おばあちゃんにしっかりごめんなさいして、後でばっちり消すことね」
「は、はい……」
女性警官さんはくるりと背中を向けて電話をかけ出した。
「ゼリーってすぐできる? いつ頃がいいかな?…………そりゃあいい、今から準備して」
誰かにおやつの注文でもしてるのだろうかと思ったら、警察の制服のヴォリュームある胸元がでんと振り向いて天登は焦った。
「警官命令よ、今からすぐ、本屋のカフェに行くこと。それでこの罪は帳消しにしてあげる!」
警官さんはカフェの方向を指さして言い渡すと、自転車にまたがり、鼻歌を歌いながらもと来た道を去って行ってしまった。
「何だったんだよ?」
天登はまた謎の中だ。
罪に問われない点は良かった。罰金も問題児扱いも嫌だ。母親に連絡されるのも恰好がつかない。
ばあちゃんはきっと、笑って許してくれるとしても。
まあ、じいちゃんもわかってくれるだろう。
何だかよくわからないが、カフェに行かなきゃならないらしい。
うちに引き返して自転車に乗るほどのこともないと、天登はそのまま県道へと足を踏み出した。
田んぼが切れて県道に出て、派出所はきっと、カフェとは反対の右手のほうにあるのだろう。
天登はふふっと笑いたくなる。
ヘンな警官さんだった。
「田んぼに代わってお仕置きよ!」とか言いたそうで。
事件もあんまりなくて新米で、天登をからかって遊んでいたのかもしれない。
県道を左手、東側に折れ、歩道を歩く。もう随分と見慣れてしまった店舗の並び。
ホームセンターがあってスーパーがあって、冷凍や干物の海産物屋。手打ち蕎麦屋にカーディーラー、コンビニとパチンコ屋。そしてその先が本屋だ。
(それにしても、カフェで何があるのだろう?)
天登は自分のバイトの経験から、もうランチ時でほなさんは忙しいだろうと思い巡らす。
注文をとって、お姑さんが奥でお料理していて、テキパキと、でもたまに手元危うくコーヒーを淹れ、お給仕をしているはずだ。
時間帯の違うほなさんを眺められるのは嬉しいと思いながらも、もしかしたら「人さらい東京に帰れ運動」でも勃発して抗議集会でも開かれてるかもしれないと、天登の想像力は描き出してしまう。
(ほなさんはオレを庇ってくれるだろうか? そんな男じゃないって言ってくれるだろうか?)
バカなことが気になる。
ほなさんのご主人って誰だろう?
1階の書店の店長さんだろうか?
それにしては歳が離れすぎている。
じゃ、毎日田畑で忙しく農業をしているのか、それとも駅近の街で働いている?
遠くの都会に出稼ぎに行っていたりして。
本屋の奥の階段を一段抜かしで上がっていく。カフェの中はいつもより大人が多く、ゲーム操作の音を声を抑えたおしゃべりがかき消している。
とりあえず、物騒な集会は開かれていなかった。
「こんにちは」
天登はほなさんに一言かけてから、空いているカウンター席に座った。
「いらっしゃいませにゃあ!」とか言われたら腹筋痛いほど笑ってしまうだろうなと顔がにやけて、軽食メニューの黒板を見ているフリをした。
注文を取りにきてくれたほなさんに、早口で注文を告げる。
「カツサンドをください。それからハワイコナをストレート、サイフォンで。急がないのでゆっくりお願いします」
昼時はサイフォン淹れよりも、コーヒーマシンからのアメリカンが主流だ。
ほなさんはくるくる忙しそうに動いているのに、なぜか普段より輪をかけて不器用。
マシンから出てくるラテ用の高温ミルクの蒸気が指にかかって「あちっ!」とか言っている。
天登は片目でほなさんの心配をしながら、スマホで、明日明後日の寝台特急の空席状況をチェックした。
変更不可能ではないとはわかったが、心は決まらない。
まずはばあちゃんに「お世話になりました」のプレゼントを考えたほうがいいだろう。
ばあちゃんはお金は十分にあるようなことを言っていたし、天登からのお金を受け取るような人でもない。今までの宿泊費だって受け取ってくれてないし、食費だって自分が出すとうるさかった。
ーーーー畑仕事が楽になるようなものがあるだろうか? ホームセンターに行ってみようか。
それとも、花束とか鉢花のほうが喜ばれるだろうか?
甘い物好きなのに「一人で食べてもねぇ」とか言ってたから、美味しいケーキを買って帰って一緒に食べたほうがいい?ーーーー
そこまで考えた時に、「きゃあ」という悲鳴とともに、カウンターの端でガチャンとガラスの割れる音がした。シューッと蒸気の洩れる音も。
「ほなさん!」
考える間もなく天登は席を立ち、カウンター側に入っていた。